第21話 救いのない世界

      ◆


 連れて行かれたのは上品な茶屋で、入り組んだ形になり、複雑に廊下が伸びている。そして屋内は無数に壁で区切られているようだ。

 ノヤが連れていた大勢の門人は解散させられていた。中には憎悪の瞳を向けるものがいて、逆に怯えを示すものもいた。

 ノヤと二人で通されたのは小さな部屋で、すぐに抹茶と菓子が運ばれてくる。女中が消えれば、静かなものだ。

 茶碗に手を伸ばす気にもなれずに座っていると、ノヤが口を開いた。

「あなたが切り倒した門人のことは、お気になさらず」

 何を言うのか、と彼を探るように見ると、ノヤも冷静な顔でこちらを見ている。

「芝居です」

「人の命が消えました」

「それもまた、そういう役目」

 何を言いたいのかわからないでいるうちに、ノヤは話を先に進めた。

「私の両親はすでに二人ともが亡くなっています」

 不思議な話が始まったな、と考えていた。命のやり取り、剣を向け合うのとどう関係がある話なのだろう。

「私たちの母親は遊女で、女郎屋で働いて日々の糧を得ていました。美しい女人だったと聞いています」

 やっぱりよくわからない展開だった。しかし黙って聞くしかない。

「父親は剣士で、今、私がいる道場にも出入りしていたとか。腕前のほどは知りません。流れの剣士で、なぜこの町に来たのやら、気がしれません。しかしこの町に来たことで、彼の運命は一変した」

「よくわからないのですが、何をお話ししたいのですか?」

 こらえきれずに問いかけたけれど、こんなことで痺れを切らすのも大人気ないかもしれない。しかしそんな迷いを圧倒するように、何のそぶりも見せずに、真剣そのものの顔でノヤは本題を切り出してきた。

「私たちの母は、マサエイ様の前妻の妹です」

「……それで?」

 途端にきな臭くなったのを感じながら、話を聞かないという選択肢はすでに選べないと悟った。

「マサエイ様の言葉では、前妻の女性はその、亡くなられたような感じでしたが」

 実際にはヒロテツに思いを向け、放り出されたと言っていたが、なぜかその女人が生きている気はしなかった。

 不思議な確信だ。

 ノヤがわずかに顎を引く。

「生きているという噂もある。お屋敷の地下にある牢屋で、飼われていると申すものがいます」

「飼われている……」

 やはり穏当な話ではない。

「あなたにとっては叔母にあたる方に、どのような遺恨があるのですか?」

「私が子供の時ですが、マサエイ様の命で、その前妻であるタキ様という方に連なるものを皆殺しにするように、という触れが出ました。それで私の母は命を失ったのです」

「皆殺し? 穏やかではないですね。なぜですか?」

 狭い部屋で他に誰もいないし、壁もしっかりしているが、すっとノヤは間合いを詰めた。間近で向かい合う。

「マサジ様の生母であるイト様は、タキ様を恐れたのです。結果、タキ様は自分と関係のあるものが殺されるのに耐えきれず、心を病み、それもあって地下牢に入れられたとまことしやかに口にされています」

「ノヤ殿の母君も、その虐殺の中で殺されたとおっしゃる」

「まさしく」

 よくわからなくなってきた。

「父君も、ですか?」

「おそらくそうでしょう。本来なら私も妹も、斬られるはずでした。それをマサエイ様が助命してくださった。あの方をお慕いする理由です」

「マサエイ様を慕うとおっしゃるからには、マサジ様には敵意があるとおっしゃりたい?」

「マサジ様はいずれ、私が切るつもりです」

 やっぱりよくわからない理屈だった。

 自分の両親を殺したものの息子を殺すことで、何が取り戻せるだろう。死んだ両親が蘇るわけではない。若者を一人殺したり、老人の唯一の後継者を殺したりして、それでどうなる?

 ただ憎悪と怨念が連続して続いていくだけだ。

 ただ、その運命の輪はすでに回転を始めている。

「マサジ様を切れば、ノヤ殿も生きてはいけないでしょう」

 そう告げると、そうでしょうね、とノヤは笑みを浮かべた。悲壮さがないのが、悟りのようなものを連想させた。

「マサエイ様は許さないでしょう。しかしやはり私も、彼らを許せないのです」

 マサエイを慕っているなどと口にしても、それに対して実際にすることは、恩を返すという形ではない。奪うものは奪い、取り返すものは取り返し、あとはお好きにどうぞ、という具合か。

「それで、マサジ様に剣を教えているでしょう、ノヤ殿は。もしや、マサジ様を誰かにけしかけて、それで自然と抹殺するつもりでしたか?」

「あの男の剣術はまったく弱い。誰にも勝てないでしょう。しかし常に助っ人がいるのです」

 助っ人と聞いて誰のことかはすぐにわかった。

「リイ殿ですね」

「あの男の剣術の冴えは、異常です。本来はマサエイ様がヒロテツ殿を切るために招き、しかしその腕を見込んで護衛としたのですが、マサジ様のことも把握している。抜け目のない男です」

「マサジ様は手勢を大勢連れているのですか?」

「懐刀と言っていいのは二人。つまりリイ殿を含めて三人が、手強い」

 これではまるでオリカミ邸に襲撃をかける相談のようだ。

「スマ殿のご助力があれば、少しは変わる。マサジだけは、切らなくてはいけない。それが私が生きている意味です」

 そういうことか。

「ヒロテツ殿に卑怯な手段を用いたのも、生きるためですか」

「何としても生きる。それが何よりも大切なのです。殺すしかない相手を殺すのが、願望なのですから」

 ヒロテツは執念で負けたのか。

 そう思えれば、あの初老の剣士の敗北も、理由付けが出来るような気がした。

 臆病の克服の仕方にも、いくつかある。ヒロテツのように鈍感を極め、痛みさえも受け入れるものもいれば、ノヤのように最後の最後で、死にたくないという臆病から生まれた一念で決断できるものもいる。

「どうだろう、スマ殿。協力していただけるか」

「少し、考えます」

 小さく、ノヤが顎を引く。

 どれだけ想いを巡らせても、今、考えていること、始発点を言わないわけにはいかなかった。

「これでもヒロテツ殿と関わり、タルサカ殿やミツ殿とも関係がないわけではないのです。あの二人からすれば、ノヤ殿は仇です。ノヤ殿がマサジ殿を切りたいように、あのお二人も、ノヤ殿を切りたいでしょう」

 わかります、とノヤは無表情に頷いた。

「救いのない世界です」

 ぼそりとそう言って、彼はずっと手をつけていなかった茶碗に手を伸ばした。

 その手は迷いなく、茶碗に触れた。



(続く)

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