第17話 残酷

     ◆


 夜のイチキの街は静まり返っている。それでもちらほらと営業している酒場があるし、屋台も見えた。

 提灯の明かりの範囲に入り、外れ、また入る。

 ヒロテツが決闘を申し込まれてから当日までの時間で、彼とは色々な話をした。その中に、ノヤとその門人が集まる料亭の話があった。それ以前に、ノヤが道場で生活していることや、ハカリがどこかの遊女のところで寝起きしていることも、聞いているのだ。

 だから、こんなことをする必要はないのだが、とは思う。必要はないのだ。

 しかし何か、道理を通す必要がある気はした。

 料亭の前の通りで待っていると、大きな声が聞こえ、店の中から六人ほどの男が出てきた。全員が刀を腰に帯びている。

「なんだぁ? お前は」

 明らかに酔っ払った声だが、六人のうちの一人がこちらに気づいた。

「ノヤ殿に確認したいことがあり、お待ちしていました」

「スマ殿か」

 はっきりした声がして、六人のうちの一人、ノヤ本人が進み出てきた。

「何用かな? もしや、ヒロテツ殿とのことで、何かご意見が?」

「その点には何もございません。ハカリ殿のことです」

「あの者が、何か?」

「ヒロテツ殿の娘で、ミツ殿という方をご存知ですか?」

 ノヤは薄明かりの中で顔をしかめている。口元が歪み、わずかに歯が見えた。

「ハカリは女好きだからな、話は聞いている。それが何か?」

「ハカリ殿がミツ殿を連れ去り、その件でノヤ殿に確認したい」

 何か、とノヤが低い声で言う。

「ハカリ殿を切っても、よろしいか」

「スマ殿がですか?」

「そうなるかと思います。ノヤ殿の弟弟子と聞いていましたので、了承を頂きたいと考えました」

 いつの間にか五人の酔漢は黙り込んでいる。陽気さはすっかり消え失せていた。むしろ、張り詰めたものがある。

 ノヤが低い声で、応じる。

「騙し打ちでなければ、あの男も本望だろう。スマ殿に切られるのなら」

 これで言質は取ったことになる。

「かたじけなく存じます。感謝します」

「ぜひ、その剣を見たいものだ」

 余計なことを言いそうだったので、もう一度、頭を下げてその場を離れた。

 砂で目潰しをする暇もなく、切り捨ててやりたかった。

 今すぐでもいい。

 この場で切ってやってもいいのだ。

 怒りが渦巻く自分に気づき、それを少しずつ外へ放出する様を想像した。

 剣を教えてくれた老人が言っていた。怒りに駆られて勝つことは誤りだ。それは運がいいだけに過ぎない。

 歩きながら気持ちを鎮め、ヒロテツに教わっていたハカリが生活しているという遊女のいる女郎屋を訪ねた。

「ハカリ様、ええ、ええ、いらっしゃいますよ」

 店先にいる男が怯えた様子でそう言ったのは、不穏な気配にすでに気づいているからだろう。銭を余計に握らせながら部屋の場所を訊ねると、すんなりと教えてくれる。

 ごめん、と口にして上がりこもうとすると、その男が「物騒なのは困りますよ」と声をかけてきたが、無視するよりない。

 階段を上がり、言われた通りの廊下にある襖の一つを開ける。ふすまの上に札があるので間違えることはない。

「な、なんだぁ?」

 そこでは裸のハカリの姿が薄い灯火の中に浮かび上がっていた。外に面する戸が開け放たれ、夜風が吹いている。そこに赤い点が見え、やっと若い遊女がキセルをくわえているのが視界に入った。

 そこから視線は自然と床に倒れ込んでいる裸の女に向いた。

 ミツだ。

 泣いているミツを見て、心が一気に冷え込んだ。

 怒りが心を支配し、頭の中が理論を放棄した。

 ハカリは着物などに構わず、投げ出していた刀に飛びつき、一息にそれを抜いた。

「厄介ごとは困るよ」

 キセルの遊女が低い声で言う。外の月明かりの中に白い煙が漂う。

 ハカリが剣の構えを調整する。こちらはまだ鞘から抜いてさえいない。

「何をしに来た! この女は私のものだ! 全部、全部がだ! 全てが!」

 何をしに来た、か。

 こんなことをするために、来たわけじゃない。そんな思いも、どこか遠くから囁かれているように、微かなもの。

 剣の柄に手を置いた。

 突然のことに彼は冷静さを失っていたのだろう。ハカリが深く踏み込んでくる。

 刀が振り下ろされるのに、すれ違うように部屋の中に飛び込んだ。

 その時にはこちらの手には両刃の剣が抜かれている。

 ハカリがゆっくりと振り返り、自分の体を見る。右肩のあたりから左の脇腹までに赤い線が走っている。しかし深くは切っていない。血が滲む程度だ。

 ニタリとハカリの顔が歪む。

 こちらの力量を勘違いしているのだ。

 意図したことだと気付けないのはいっそ、哀れだった。

 それよりも、こんなことをする自分自身が惨めだ。

 誰かが頭の中で囁く。

 こんなことをするために、剣を学んだわけではない。

 こんな男を切るためにでは、断じてない。

 もう一度、ハカリが声を上げて飛び込んでくる。

 次の一撃は、ハカリの胸を今度は左肩から右脇腹へ走る。

 あとは一方的だった。

 止まることのない連続する斬撃で、ハカリは全身に傷を負っていく。

 翻弄されていることにやっと気づいたハカリが距離をとり、ミツを盾にしようとした。

 だがその手がミツに触れることはなかった。

 その前に手首で手が切り落とされたからだ。ぽかんとした顔の後、絶叫する男のもう一方の手も手首から切断する。さらに両膝を断ち切って、立つことさえもできなくする。

 叫ぶ男があまりに無様で、その両眼を一撃で潰した。手首から血を吹き出しながら顔を押さえるので、まるでハカリは血の滝にでも打たれたような有様になった。

「大丈夫か?」

 いつの間にか泣き止んでいたミツがこちらを見て、首を横に振る。カチカチと歯が鳴っている。

「どこか、痛むか?」

「な、なぜ、このような……」

 そう、それが当然の疑問だ。

 どうしてこんな残酷なことができるのか。

 どうして残酷さに耐えられるのか。受け入れることができるのか。

 普通の人間には、理解できないのだ。

「私もまた、そこの男と同じなのでしょう。ミツ殿、立てますか? 着物は」

 着物を探そうとすると、一枚、こちらへ投げ渡される。投げてきたのは遊女だ。片手にキセルを持って、こちらを見下ろしている。

「凄い剣だわね。初めて見たくらいの冴えよ。その娘の恋人かい?」

「知り合いです」

 知り合いね、と遊女は笑ったようだった。

「さっさとお行き。私もこれで、また男を探さなくちゃ」

 一礼して、着物をミツに羽織らせる。

 ミツはチラッとハカリだったものを見てから、顔を背けた。

 震えが止まらない彼女を連れて女郎屋を出ると、先ほどの店の男が怯えていたが、何も言わない。言えないのだろう。ハカリの悲鳴は聞こえていたはずだし、今も呻き声がする。

 そう、あの遊女と違って、これが普通。

 夜の中を歩きながら、震えるミツの手を放すことはできなかった。



(続く)

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