21.「夏」はまだ未完成 和泉さん作

「いやー、卵臭い!」


 そう言いながらも啓馬けいまの口調はどことなく弾んでいるので、浮かれているのが俺にすらよーく伝わって来る。しかしこいつの言う通り、もくもくと上がる白い煙、湿った空気に混じって卵……というか、硫黄の臭いが漂ってくる。人によっちゃ臭くて堪らん部類だろう。


 だが、それも自然な事だ。なんと言っても、ここは温泉街なのだから。


 そう、リフレッシュ。これはリフレッシュなのだ。ぼこぼことジャグジーが如く泡立っている足湯を見つつ、歩いて疲れた足を突っ込みたい欲が俺の心にも泡のようにふつふつと沸いて来る。

 しかしながら、忘れてはならないのは――


「あっ、拓也たくや。宿帰ったらレビュー始めるからな!」


 これは、俺のレビュー巡りの旅でもあった。



 吾輩はしがないアマ作家である。書籍化はまだない。

 名前ならあるので名乗ると、俺の名前は静井しずい 拓也たくや。そして、俺の近くで温泉見つつパンフレット眺めて年甲斐もなくはしゃいでるのは、友人の納人のうと 啓馬けいまだ。


 花粉シーズン真っ只中、野郎二人で温泉街、って初めは何の冗談かと思ったが……花粉症が飛び交う季節という事もあってか、露天風呂に割と客の居ない時期だと啓馬が言っていた。居ても爺さん婆さんばっかりだし、人混み嫌いには丁度いいんだと。

 まぁ久しぶりに温泉入るかぁ、なんて考えて付いて行くと言ったら、まさかの県外まで旅行しに行くはめになった。俺はこの男は脳みそで考えたら、とりあえず口に出して見るタイプだという事を失念していた。しかも長期休暇を消費してまで回るタイプなんだと……出不精の俺が果たして歩けるんだろうか。

 温泉は楽しみなんだけどなぁ。あの爪先を入れて、痺れるような熱さが癖になる。長く入り過ぎると、俺はクラクラするんだが。


「宿の地下に温泉があるんだってさ」

「へー」

「まぁ種類は少ないらしいけど」


 パンフ片手に解説している啓馬の隣で、辺りを見渡せば土産屋に美味そうな菓子が並んで、名産をこれでもかと推している旗が道にずらりと立てられ、風に靡いてる。

 しかし、俺は耳に入った言葉を聞き逃しはしなかった。


「……ん? 待て、露天風呂は?」


 確か、花粉症に苦しむ人たちには悪いが、露天風呂に入る客が少ないと聞いたからこの旅行を決めたはずだった。眉を寄せる俺に、啓馬は「あー……」と言い淀んだ後で誤魔化すようにへらへらと笑い始めた。


「今日取った宿、露天風呂無いんだよ。結構小さいとこしか予約取れなくてさ」

「俺、露天風呂って聞いたから来たんだが」

 話が違う、と言外に訴えれば、啓馬はまたしても話を逸らすかのように俺の肩を叩いてきた。


「まぁまぁ! 他にもデカイ所があるし! 代わりに足湯が近くにあって、その真横にあるアイス屋がめっちゃ美味いらしいぜ! それ食おう! なっ!」

「いいけど……何回も肩叩くな」


 納得はいかないながらも、俺達は宿に戻る前に近くの窯焼きピザが有名な店でマルゲリータを食べ、地下にあるという温泉でゆっくりして部屋に戻った後……早速レビューを始める事にした。


 今回のレビューは、和泉さん作、『「夏」はまだ未完成』だ。



「で、感想は?」

 宿に備え付けてあった菓子を抓みながら啓馬が尋ねて来た。


「好き嫌いが若干別れるかもしれない作品だと思ったかな」

「ありゃ?」

「俺がハッピーエンド好きだから、っていうのもあるかもしれないけど、これは評価に関係する部分じゃないから終わりについての選り好みは省くとして……結構引っ掛かりを覚える部分がちょいちょい合った気がする」


「うーん……まぁそれは置いておこうか、まずは作品紹介」

「中学3年生の思い出を振り返る、ひと夏の切ない恋愛模様を繰り広げる作品だな。主人公、そして友人3人でそれぞれパズルのピースを持って、皆が思い出の言葉を書いて持ち合うところから始まるが、亀裂が入って行く」

「なるほどな……で、引っ掛かりって具体的にはなんだよ?」


「バトルアクションと違って、恋愛系っていうのは『どれだけ共感できるか』と『情緒が描けるか』になる。アクションで誤魔化せる部分は、恋愛面だと誤魔化しが効かないと思う」

「えーとつまり?」

「俺としては、ラスト周辺……クラスメイトの二人が協力して、わざと主人公に最悪な印象を抱かせる理由が若干共感が難しいと思ったかな。例えばなんだけど、人が人に辛く当たる行動って『幸せ過ぎて怖い』っていう時に割と出ると思う。どれだけ辛く当たっても愛情が確かなのか、確かめてしまう行動とかな」

「ふむふむ」


「ここまでいきなり変わっていくというか、悩みを二人に打ち明ける時点で追い込まれていて、かなり自暴自棄的な考え方に間違いは無かったと思うけど……それを踏まえても友人二人、しかも片思いの男の子までそれを止めない、しかも告白して振られるっていうかなり勇気の必要な行動をしてまで協力するかな……っていう風には思ったかな」

「でもフィクションだしなぁ、そういうとこ。切ない系を目指すなら自然とバッドな方向に行くんじゃないか? しかもヒロインの転校は止められない訳だし、それお前がハッピーエンド厨だからそう感じるだけなような気もするんだが」


「自分が最低な女の子になるように仕向けたってあるし、実際『確かにこれは最低だな、主人公だけじゃなくて友人に嫌われてもおかしくない』と思ったから、作品としては確かに成功なんだと思うな。ただ、行動は最低でも行動に行くまでが共感できないかなぁ……な感じがした」

「ここまで厳しいけどさぁ、じゃあお前の思う恋愛系って?」


「別作品を引き合いにして申し訳ないが、俺の大好きな作品があってだな。作品名は出さないけどこれと似たような話はあるんだよ」

「どんな?」

「卒業で相手が日本に離れる事をきっかけに恋に気づいて、卒業直前で結ばれて、『まだ子供から大人に成り立てのような、中途半端な僕たちの人生はまだ続く、別れていても』みたいな終わり方のやつ。これも切なくてバッドと言えばバッドな終わりだけど、学生特有の衝動的で大人に振り回される恋は描けてあったんだよな」

「なるほど、終わり方が子供ではどうしようもない、だからこそ衝動的でなおかつ『続き』がありそうな引き方がお前は好きって事か」


「ただこの話は『続き』に浸る事は出来なくて、引っ越しの準備を最初にしてて主人公は思い出にしちゃってるから、ヒロインに会いに行くって想像も難しいんだよな。終わりは読者に任せる形でも良かったんじゃないか……とは思う」

「想像するのが楽しい! って読者も居るもんな。ただ締めるのは自分の手で締めたい人も居るんじゃないか?」

「ここら辺は作者の好みだと思うぞ、あくまで俺の好みの話だしな」


「後、さっき言った作品は二人に焦点を当て続けたから、余計なものが無かったっていうのもあるんだろうけど、人数が増えて関係性が増えると難しいんだよな恋愛系って。上手く動かさないといけないから」

「じゃあ次、お前が拘ってる文体とかは?」


「基本的に突っ込む点は無くて上手くまとまってると思う。短く描かれる思い出の風景も、基本は主人公の一人称視点なのもあって入り込むのは難しくない。だからこそさっき言った共感し難い点が気になってしまうのと、友人2人から説明が合った後で入る、ラストの10行近くある説明的な内容の文はちょっと蛇足感があったかな。振り返らなくても友人2人から説明があったから、これは無くても良かったと思う」


「素の文章自体は全然悪くないって事だな」

「後は思い出の主人公が語ってるのか、学生の時の主人公が語ってるのか、少し曖昧な部分が少し勿体なかったかな。『ある種の恋人を失った時のような寂寥感』は中学3年生はたぶん使わないけど、大人は使うだろうから。俺からは以上かな」



「恋愛系ってそれぞれの好みがハッキリ出るよなぁ。幼馴染が好きとかそういう感じ」

「だなぁ」

 既に菓子がだいぶ減ったのを見て俺も一つ貰った。オレンジを使ったブラウニーと表記してあった。食べると甘酸っぱい味がして美味い。酸っぱい果物が焼いたりジャムにすると丁度いい味になるのは毎回不思議だ。

「そういえば付き合ってるやつ居たんだっけ?」

「だいぶ昔の話だけどな」

 確かに、彼女は居た。

 高校生の時、一つ年上の先輩と付き合ってた。あちらがイラストレーターを目指して東京へ行くと言ってから、俺達は自然消滅となったけど。なんとなく俺はこの作品、どっちの気持ちも分からんでもない。


(そういえば、引っ越す前……しばらくは葉書きが来てたっけ……)

 彼女の名前はありふれた苗字にありふれた名前だったが、デジタル画をプリントして作られたキャラクターだけは彼女の存在感をひしひしと伝えて来る。彼女は線と色で感情を語る人だった。俺は、言葉でしか語れなかった自分を情けなく思ったものだ。


「おーい、拓也?」

「ん?」

「もうちょいで晩飯だから寝るなよ」

「いや眠いって訳じゃないが」

 現実に引き戻されると、古くて寂れた旅館の中、畳の匂い。程良い温度の空間は心地いいから確かに眠ってしまいたくはなる。

「ここの海鮮めっちゃ美味いらしいぜ!」

 啓馬が再びパンフレットを開いて目を輝かせている。そういえば、食に対しての拘りもこいつは強かったんだった。しばらく放って置こう。小説の主人公だったら温泉で思い出に浸るべきかもしれないが、生憎と風呂で思い浮かべるほど身近な過去という訳でもないし、何より――


「拓也、このしゃぶしゃぶに付いてる肉のセット俺にくれよ」

「その肉、絶対に滅茶苦茶高いやつだろ。嫌に決まってんじゃねぇか」

 今は色んな友人も居るし、セピア色の思い出に浸る時間が惜しいと思えてしまう俺はたぶん薄情者だ。

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