第296話
美しい音であった。
その道を歩いたことなどほとんどない私ですら、彼女の演奏の腕が並大抵ではないことが、僅かな子の間聞いただけでもはっきりと理解できるほどに。
だが彼女の掻き鳴らす『音楽』が、普段スピーカーなどから垂れ流される音楽とは全く異なるものであると気付くのは、それから数秒ほどたってからであった。
「今のは一体……!?」
「愚かなことを……っ!」
「カナリアは知ってるの!? ねえママは何をしたの!? それにあのスキルはっ!?」
音のする方向へただ走る。
目の前のモンスターがそちらへ走っているのだから、きっとその先に獲物がいるはず。
ただそれだけの、理論にもならぬ漠然とした思考で動いていたモンスター達の動きに、突如として統一感が生まれた。
犇めく目線の先に立つのは、弓を下ろし静かにほほ笑む己が母。
「マルト・デ・ネーリアス、それは私の世界における双身の女神。象徴するのは生と死だ」
既に演奏は終わったにもかかわらず、不思議とその音楽は流れ続けた。
何度も何度も、残響を繰り返し私たちの心へ、モンスター達の精神へと染みわたる。
根源的な生の喜び、感情の迸りを示す
輝かしき喜びの裏に潜む本能と渇望、即ち
己が味方には生きるための渇望と勇気、そして心の底から湧き上がる力を。
そして立ちはだかる敵には殺意を。肩を並べるものへ向かうはずの悪意すらをも一身へ受け止めると、生物の本能に矛盾した力。
二つを満たす旋律、それこそが彼女の発動したユニークスキルであった。
そしてこのスキルは、かつての世界でママと何度も共闘したであろうカナリアですら驚くほど、彼女は滅多に使わなかったらしい。
「体に力が溢れて……!?」
漲る力。そう、まさにその言葉がふさわしい。
先ほどまで心に掛かっていた暗雲とした感情、不安、怒り、負の感情というものが消えていく。
対価とばかりに溢れ出す勇気、喜びの感情。
恐ろしかった。
これは私の感情じゃない、こんなものは……っ!
「これから周囲のモンスター全ての意識が私達へ向くわ。それにこれなら体力を使わず、今より速くあの塔まで貴女達はたどり着ける」
「そんなことしたら二人はっ!?」
『愚かなことを』
カナリアの呟いた言葉の意味を理解した瞬間、全身を突き抜ける衝撃。
「ふふ、昔は戦えない貴女のお父さんがフィールドワークをしたいって譲らないから、私一人ダンジョンで守りながら戦っていたのよ? 攻撃しながらの回避なんてお手の物だわ」
あっさりとママが笑った。
そんなレベルの話じゃないのに……そんなことわかってるはずなのに……っ!
世界には努力ではどうしようもないものがいくつもある。
津波や地震などの天災、寿命、稀な例ならば隕石。
そして今彼女達が、その身一つで受けようとしているモンスターの群れも、同義語として扱うことが出来よう。
「幼き少女の身を差し出し、安息の地にてのうのうと生きていられるほど、ワシも図太い性格はしておりませんでね。この老骨を敷き詰めて貴女達の希望へと繋がるのならば、幾らでも備えくべて差し上げましょうぞ。無論……」
豪、と噴き上がった炎が怪物たちへ飛び跳ね、燃え広がる。
馬場さんの白く長い髭と頭髪がはためき、ちらついた炎を受け橙色に輝いた。
「――そう易々とくたばるつもりは、毛頭ございませんがな」
なんで二人とも笑っているの?
「お行きなさい。人に役割があるというのなら、我々の役割は今ここで貴女方を手助けする事」
「子供の背を押すのも母親の仕事……なんて、今更だけれど最期くらいは構わないわよね?」
「そんな……!」
いやだ。
二人をここに置いて行けないと、間違いなく見えている死を前にして放っておけないと理解しているのに、心は彼女の旋律によって奮い立たせられてしまう。
悲しみすら塗りつぶされる、怒りすらも忘れてしまう。
これは……最悪の魔法だ。
「それとここに来たのは、忘れていたことがあったからなの」
ス、と近づき、自分の首へ掛けられる一枚の赤い布。
「これ、は……」
「本当はクリスマスに用意したかったの」
それは一本のマフラーだった。
深紅のマフラーは非常にシンプルであり、派手な模様も気取った飾りもついていない。
だが付けた瞬間から感じる温もりは決して体温を逃したりしない、上質な生地で出来ていると理解できる。
「あの時は起きたばかりで、何一つ用意も出来ていなかったから。既製品だけれど、
「えぴふぁにあ……?」
「クリスマスが終わる日、魔女が良い子が靴下に
――だからクリスマスプレゼントを今日渡しても問題なし、万事休すね!
どこか冗談めいたウィンクを飛ばした後、ふと彼女の顔がいつもの笑みへ戻った。
「――行ってらっしゃい、フォリアちゃん。私
「……っ!」
きっともう、何をしても、何を言っても効果は無いのだろう。
それどころかこれ以上私が嘆いてここに留まれば、ママが意を決して行った全ての行為が無駄になる。
貰ったばかりのマフラーを握りしめ、彼女に背を向ける。
頷いた馬場さんが背後から斬撃を飛ばし、目の前の群れに大きな風穴が空いた。
「――行ってきますっ!」
ならば、これ以外に返せる言葉なんてないじゃないか。
.
.
.
「子供って一人で立派に育ってしまうのね……」
フォリア達が駆け抜けた後、じりじりと狭まる輪の中心でアリアが呟いた。
「子供も一人の人間。考え、苦悩し、そして自分で解決する力を持っているものですよ」
「そうね」
銃口が唸り、切り裂かれた空気が呻く。
背を向け己が武器を振るう二人の身体にも次第に傷が増え、しかし何故か二人共笑顔を絶やすことはなかった。
「どちらにせよそう長くはない命。それにこれほど美しい方と最期を共にできるとは、無駄に長生きした甲斐があるというもの」
「ごめんなさい、私には夫が……」
「そういう意味ではありませんぞ」
困ったように馬場が肩をすくめる。
果たしてこれは生まれ育った国の違いか、それとも彼女の天性の性格ゆえか。
しかしアリアは馬場の事をさほど気にせず、黒い群れに囲まれたその先、己が娘の走り去った方角を遠い目で見つめる。
「そろそろ十分かしら?」
「お若いのに限界ですかな?」
「病み上がりなのよ、ここのモンスターは紳士的じゃないわ」
「はっは! もしかしたらモンスターにも、イギリス人の血が流れているのかもしれませんな」
会話の中で次第に馬場の太刀筋は勢いを失い、一撃では屠りきれぬモンスターも現れ出した。
魔力の銃弾はあらぬ方向に飛び、装填のため拾い上げた魔石を取りこぼすアリア。
二人の息は既に上がりきっている。
「ところで」
「何かしら?」
「正しい言葉は万事解決……万事休すでは万策尽きてますぞ」
馬場の手がもはや何由来かすら分からぬ血に塗れ、刀が滑り落ちる。
アリアはもはやトリガーを押し込むことすら叶わぬほどに疲労困憊し、魔石を拾おうと屈んだ瞬間に跪いた。
「あらあら、うふふ。まるで今みたいだわ」
そして二人の身体を、無数の影が覆いつくし……
―――――――――
どうでもいい設定ですが~リアスが女神で~アスが男神です
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