第259話
あくる午前七時。
近くに海があるのかもしれない、かすかに潮風の生臭い香りが漂う道を行く。
昨日の夜に様子見がてら近くのダンジョンへ潜り拾い集めていた実を齧りながら、ペットボトルの水を一気に飲み干す。
私の舌が久しく感じていなかった感覚、加えてその味が甘みであることに歓喜した。
「かりんとうみたい」
前までは少し甘いくらいだったのに……
「糖質が進化の過程で生物の必要なエネルギー源として扱われ、『甘味』として好まれるように認識されるようになったのなら、魔力の味を貴様が好ましいと思うことも必然だろう」
「……?」
「体に必要なものは美味いんだよ」
必要なものだと言いながら一瞬で自分の発言と矛盾した態度を取る彼女。
味に顔をしかめながら、彼女もぽいぽいと実を噛み砕き無理やり飲み干していく。
「はぁ……今更これをまた食うようになるとは」
「やっぱりカナリアがこれつくったんだ」
それはダンジョン由来なのだから当然なのだが、今まで気になりつつも聞けていなかったこと。
その豊富な栄養からモンスターの餌にでもなっているのかと思ったが、それにしては食べている瞬間などを目撃したこともない。
しかしどうやらダンジョンと直接な関係があるわけではないらしい。
それは彼女が狭間に落とされた時の事。
「暗闇にずっといるとな、時間も分からないし意識がぼんやりして来るんだよ。しかし周りは濃密な魔力、ちょっとでも気を抜けば自分の一切があっという間に分解される……」
無意識なのか、暗い面持ちで語る彼女の指先で磨り潰され、粉状になって風に流される希望の実。
「自我と記憶の保護、認識の定着、肉体の復元。手軽な食事による精神の安定と同時に色々と盛り込んだものだ。手元へ生み出されるよう魔法式を組み立てておいたのだが、どういう訳かダンジョンにまで組み込まれてしまった」
なんか凄い並べたてているけど、要するに偶然か。
元々この実は彼女が研究の合間に研究していた、飢饉等への対策の一つらしい。
研究の合間に研究とは。
休めば? と思わなくもないが、どうにも暇が出来てしまえば落ち着かないとはカナリアの談。
そして手元にあったそれを基礎として、色々盛り込んだ結果生まれたのがこれ。
「でもわざわざ不味くしなくても良かったじゃん」
「クソ不味いと生きてるって気がするだろ?」
「……さあ?」
心当たりはあるがあえて頷かなかった。
彼女が最初から美味しく作ってくれれば、昨日わざわざあんなやり取りをしないでも済んだかもしれないからだ。
不意に降りる沈黙。
足裏を伝うごつごつとしたコンクリートの刺激、絶え間なく流れ込む視界の惨状は嫌でも思考を現実へ戻す。
予想通りというべきか、翌朝から協会本部へ向かって歩いてみたものの、景色は私の町と大して変わらぬ様子であった。
原因とも言えるあの蒼の塔の根元に協会本部があるので、たとえ道路が無残に破壊され、電柱が根元からへし折れていようと道には迷わないのは果たして幸か不幸か。
道路の状態があまりに悪いせいか、救急車ではなく人の手によって運ばれる痛ましい傷を負った人々。
避難所も埋まりきっているせいなのか、崩れた家の前で瓦礫から道具を引っ張り出して雨露をしのいでいる人もいた。
イライラする。
私には何も出来ない。物語のようにすごい魔法で食べ物を生やしたりは出来ないし、家を作ったりもできない。
せめて回復魔法が使えたら、水を出せていたら、せめて、せめて、せめて……。
正直地震でもあまり物理的に身の危険を感じることはなかった。棚が倒れてきても骨折なんてしないし、巨大な岩が落ちてきても死ぬわけではない。
しかし何かできないことが一つ分かる度、何とも言い難い無力感に襲われる。
「カナリア」
「おい……またか」
無機物の残骸を超える中、まだ朝早くにも関わらず人が集まり忙しなく動き回っている一角があった。
屈んで覗き込んだ瓦礫の奥へ声をかける人、上から数人で鉄筋を持ち上げようと試みる人。
ひょいひょいと地面を飛び越え、息を荒げて休んでいる人へ話しかける。
「大丈夫ですか」
「ああ、奥に挟まれてる人がいてね……君、誰か手の空いてる人をもっと呼んできてくれないか?」
真冬の朝にも拘らず額からたらりと伝う汗。
石片で切れたのだろう、ボロボロの軍手をした壮齢の男性は疲れた声でそう言った。
「私探索者なんで手伝います」
「おい貴様、私たちも急いでるの理解してるよな? 新手のナメクジにでもなるつもりなのか?」
ぐちぐちと足元の石ころを蹴り飛ばす彼女を無視し、小さな塊から順にぽいぽいと弾いていく。
暫くちらちらとこちらを見ていた彼女だったが……
「く……遅い!」
最後には光を纏い、魔法を使ってがれきを浮かべ始めた。
「おい」
「ん」
小さなものは一度に操れる彼女が、柱など大きなものは私が。
二人で動けばものの数分で除去された家。
奥にはうつ伏せで横たわった女性が……いや、胸元に私より小さい子を抱えていた。
抱えられていた子は見た所怪我がないものの、女性の方は酷いものだ。
砕けたガラスや木片が突き刺さり真っ赤に染まった背中、太ももに突き刺さった鉄の棒、犬のように絶え間なく行われる浅い呼吸が痛々しい。
「――もう、大丈夫だから」
返事はない。
ただコクリとゆっくり頷き、彼女は意識を失った。
「おい、さっさと担架を持ってこい! なに暢気に見ている間抜け共!」
途中から混じるだけ邪魔になると気付きぼんやり眺めていた人たちが、カナリアの言葉ではっと動き出す。
鉄筋という奴なのだろう、彼女の足に突き刺さっている凸凹とした鉄の棒は、所々にコンクリートがへばり付いている。
足に刺さった物は下手に抜くと危ないらしいので、軽く端っこを千切ったあたりで、忙しなく担架を抱えた人たちが駆け寄って来た。
担がれ運ばれる二人を見送っていると、先ほどのおじさんが紙コップのお茶を手渡して来た。
「ありがとう……こんな状況で重機も入れられないし本当に助かったよ」
「うん。でも他の探索者は?」
蒼の塔はすぐそこに見える。
本部はあの根元に存在するわけだし、この程度なら数万レベル程度の探索者が一人が二人いればすぐ片付くはず。
しかしどういったわけか、時々出会うこういった瓦礫の撤去をしている人はどれも一般人に見えた。
たまたま出会ったのが全てそうだった、というのは無理があるだろう。
「それが……本部は今空っぽらしくてね……」
空っぽ、とは一体どういう訳か。
私とカナリアは顔を見合わせた。
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