第226話

『ねえ、よく分かんナいんだけど……私死ヌかんじ?』

「ああ。直に貴様の意識は失われ、本能のままに暴れる怪物へ戻る。もしダンジョンから出れば大量の人を殺すだろう。放置するわけにもいかん、その前に私がこの世界から消滅させるつもりだ」


 相も変わらず本来伝えにくいであろう話すら、いともたやすく淡々と話すカナリア。


『そウ……なんだ……』


 現実感のない話にどう反応を返せばいいのかとフォリアは首を捻る。


 ちらりと彼女の瞳が、俯く琉希へと向かった。


 なぜ己と敵対していた金髪の少女が琉希と手を組んでいるのか、それはきっと手を組まざるを得ない理由があったのだろう。

 そしてこの破壊された痕、不気味に変異した己の腕、全身へこびりついた泥や雪、あの瞬間から抜け落ちた記憶。


 つまりはそういうことなのだろう。

 理由も分からないが、随分と変な姿になって暴れていた己を止めようと、二人は必死に何かをしていたのだ。

 ……そしてそれはあえなく失敗に終わった、と。


 先ほどまで必死に腕輪を渡そうとしていた琉希であったが、今は何一つ口を開くことはない。

 きっと彼女もこうなることを理解していたから、己が殺される前に成し遂げようとしていたのだろう。


『その消滅っテ、ダンジョンの崩壊と同じ?』

「……っ! そうか、お前は知っていたのだな。いや、貴様の性質を鑑みれば当然であったか」


 驚いたように目を見開いたカナリアであったが、フォリアの言葉を肯定するように深々と頷く。


「ああ、その通りだ。世界から貴様の記憶は消える」


 死ぬ、なんと現実感のない言葉だろう。

 寝起きのようにぼんやりとした脳内で、フォリアはふと思った。


 確かに己は何度も死にかけ、その度に死と生の実感を覚えてきた。

 それはほとんどが強大なモンスター相手のことであり、痛み、苦しみ、様々な絶望を前にしたからこそ、死を意識出来たのだ。


 しかし今はどうか。


 確かに、傷を負っていないにもかかわらず全身を包む痛覚、倦怠感はあった。

 しかし決してそれは死を意識するほどの物ではなく、その上己に死をもたらすのは目の前に輝く小さな魔法陣だというのだから、いよいよもって自覚しろと言う方が難しい。


 だがしかし仕方のないことなのだろう。

 少なくともこちらは友人だと思っている琉希が、目前に立つ金髪の少女の言葉を否定しないということは、きっと本当にどうしようもないことなのだ。


 その時、全く遠くの事に感じていた『死』が、微かだが、フォリアの中で確かな形となって表れた。


『わか……タ……いいよ、私を殺シテ……』


 仕方がない、当然の事。

 そう、いつも通り、これは避けようのないこと。

 虐められていた自分にも悪い所がある様に、この世界に迫る絶望のように、全ては神様が決めた、どうしようもない運命なのだ。


 ゆっくりと雪を踏み締める音を聞きながら、フォリアは固く歯を食いしばった。


 死ぬ。

 私は死ぬ。

 何も分からないけど、何も出来なくて、よく分からない輝きで、死ぬ。

 死ぬ、死ぬ、死ぬ、死ぬ。


「案ずるな、苦しみはない……しかし恐れるなと言うのも無理か」


 苦笑いと共にフォリアへ伸ばしたカナリアの掌へ、眩いほどの輝きが集まっていく。

 フォリアはぼやける視界でその光をじっと見つめながら……地面へ爪を食いこませ、微かに後退りをするも、がくがくと震えながらゆっくりと地面へ座り込んだ。


「いくぞ……」


 伸びていく腕は、フォリアの顔へとゆっくり、ゆっくり近づいていき……



「何勝手に、二人で話終わらせようとしてるんですか……?」



 地面から飛び出して来た巨大な岩に阻まれた。


「本人がこれで良いと言ってるんだ、お前がどうこう言える話ではない」


 カナリアの返答と共に岩が消え、そこには空中から飛び降り仁王立ちする琉希の姿があった。

 顔に浮かべるのは激情。

 目を見開き、ギリリと歯を鳴らして吠える琉希へ、カナリアは表情を消した顔で答える。


 これは全て事前に話して置いた通りで、それは琉希にも承諾させていた話。

 約束を破るのか? と眉をひそめたカナリアは、しかし続く琉希の言葉に対する返答を持っていなかった。


「貴女にはフォリアちゃんが本当にそれでいいって納得してるように見えるんですか!?」

「……っ」


 零れる涙、怯えるような後退り、地面を握る様に食い込む太い爪。

 他人について興味を持たず意識を割かないカナリアでも、魔法をかけるためにごく至近距離にまで近づけば、フォリアの本意など嫌でも理解できる。


「ずっと死にたくないって言ってた人が、十六の子が、いきなり死ねなんて言われて、本気で、自分の意志で頷くわけない……! 貴女だって! 本当は殺したくないから私に協力してくれたんですよね!? 誰も納得してないんですよ……誰も、ここに居る誰一人として! 誰もこれで良いなんて全く思ってないのに、なんでそうやって流しちゃうんですか!?」


 病気の直接的な解決方法もなく、幾ら言葉を交わそうと意味はない。

 しかし同時に、必死に平然を振舞うフォリアに気付いてしまったが故、カナリアには琉希へ返す言葉を即座には思い浮かべられなかった。


 だからカナリアは黙った。

 黙ってゆっくりと前に歩みを進めた。


 感情を捨て、合理性の下に、粛々と作業・・を進めるために。


「この子は絶対に殺させません……私がどうにか……!?」


 純化した魔石によって魔力が回復した今、カナリアに琉希は力で及ばない。

 しかし両腕を広げ必死に叫び、首を振る琉希であったが、ふと背後に違和感を覚え振り返る。


『あ、あ、あ、あ、うぁ……』


 焦点を失い激しく動き回る瞳。意味不明な羅列を零す、息の荒い口元。


 嫌な予感が二人の背筋を伝う。


「大丈夫ですか、ねえ!?」

『あ、あああああアアアアア!? わ、わ、わ、わた、わたししししシシシシ』

「フォリアちゃん!? フォリアちゃんしっかりしてください! ねえ!?」


 再び始まった精神の崩壊。

 フォリアも琉希へ何かを伝えようと必死になっているが、喘ぎ、悶え、痙攣を始めた彼女の喉はまともに言語を吐き出すことすらままならない。


 フォリアの顔へ縋りつき何度も呼びかける琉希であったが、次第にフォリアの肉体は勝手に動き出し、小さな琉希の肉体は容易く弾き飛ばされた。


「時間切れだ、これ以上はもう! おい暴れるなっ!?」

「うるさい触るなっ! やめろ! 忘れるな! 忘れるなっ! 貴女は結城フォリアなんです! こんなところで死ぬような人間じゃない!」


 自分より小さなカナリアへ羽交い絞めにされながらも、必死に地面を這い、暴走する怪物の元へ近寄ろうと叫ぶ琉希。

 抑えるのも面倒だと思ったのだろう、彼女の四肢は生み出された光の輪によって拘束されていき、遂には声を上げることしか出来なくなった。


『き、り、りゅき、りゅうき、わた、わタ、わたしは……私を……わたしを……わ、た、シは……』

「やめろ! 言うな! 違う! 違う! あたしはこんなのっ、こんなの絶対に嫌!」


 狂い悶えることによって生み出される騒音の中、二人の声は、耳をすませば確かに聞こえた。


 『殺して』、『死にたい』、『もういいよ』、『後はお願い』。

 きっと、フォリアが発するであろう言葉は容易に想像できて……


『――助……けて……!』



 しかし、実際の物とはかけ離れていた。


 我慢と強がりで幾重にも隠された、本当に小さな本音。

 恐ろしくか細く、紙擦れの些細な音ですら消えてしまいそうでも、その声は確かに琉希へ届いた。


「――っ!」


 目を剥いた琉希の視界で、怪物の肉体は、怪物としての振る舞いを思い出していく。

 牙を剥き、爪で抉り、その瞳は無機質で、しかし野性的で粗暴な欲望に満たされる。


「わかり……ました……」

「……それでいい」


 ピタリと暴れるのをやめ、頷いた琉希へ安堵のため息を漏らし魔法陣を消すカナリア。

 再びフォリアを消滅させようと魔法陣を編み直す彼女であったが、何故か・・・諦めたはずの琉希が正面へ立ち、視界を遮ったことに不満の声を上げる。


 しかし妙であった。

 その顔は悲壮や怒りに塗れているわけでもなく、何故か妙な決意に満ちているように見える。


 その手に握られていたのは、使えないと今しがた結論を下したばかりの、真っ赤に輝く腕輪。


 嫌な予感が走った。


「やっぱり、いっぱい拾ってきて正解でした」

「おい貴様……一体何を……!?」


 『アイテムボックス』から何かをつまみ、口の中へ放り込み琉希が呟く。


 友人が死ぬとなって自棄になった? それにしては冷静すぎる。

 それにいっぱい拾ってきた? 何を? どこから?


 疑問がわき出したカナリアであったが、一つ一つ食べるのが面倒になった琉希が一気に握り締め、零れ落ちたそれ・・をみて全てを察した。


 希望の実だ。


「まさか……」

「――『リアライズ』」


 噴き出す閃光。

 己の目の前に生み出された魔法陣へ、琉希は躊躇いなく足を踏み入れ……



 ――同時に、空中から生み出された巨岩は支える力を失い、下にいた琉希を叩き潰した。

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