第220話

 琉希とカナリアは、昏々と眠り続けた。

 夢も見ず、寝言も漏らさず、死んだかと思えるほど寝続けた。

 そして明くる日の朝、ホテルの従業員が溜まらず引き攣った笑いを浮かべる程にビュッフェスタイルの食事を平らげ、部屋へと舞い戻った。


 アリアは相変わらず微かな寝息を立て、身じろぎ一つせずに眠っている。


 もしここに戻ってこなければ、彼女はどうなってしまうのだろうか。

 そんな疑問が琉希の心にも去来するが、しかし頭を振って暗い考えを払いのける。


 今は唯、助け出すことだけに集中していればいい。

 かつて彼女が己を助けたように、今度は己が彼女を助けるだけなのだから、それ以上何を考える必要があるというのだろうか。

 隙を見せれば心を埋め尽くす不安に飲み込まれないよう、そうやって唱え続けるのが精一杯であった。


 と、真面目なことを考えている琉希の傍らで、カナリアが虚空から魔石を引っ張り出し、机の上に山ほど積み上げ始めた。

 その姿はまるで小学生が無闇に山にしたがる様子と重なっており、再び張り始めた琉希の緊張の糸が、容易く引きちぎられてしまう。


「なにしてるんですか?」

「うむ、これはな……」


 ひょいと山の上から一つ魔石をつまみ上げ、何か魔法陣を展開する彼女。


 その瞬間、魔石が何か靄のようなものをゆっくりと吐き出し、黒色のそれが、端から蒼へ染まっていった。

 宝石にも炙ったり日の光を当てることで色が変わるものが存在するが、そのどれにも値しない、魔石らしいと言えばらしい変化だ。


 興味津々に眺めていた琉希を尻目に、彼女は徐にそれを飲み込んで見せた。


 琉希の笑顔が一気に引き攣る。


「魔力の補給だよ。体内から生成される分では間に合わんからな、こうやって純化した物を直接取り入れるのだ」

「な、なにやってるんですか貴女!? ぺっしなさい! ぺって! 病気になりますよ!?」


 後頭部をべしべしと叩く琉希の腕を軽々と払いのけ・・・・・・・、カナリアはため息を吐いた。


「犬か! 魔蝕にはならん、魔力に蓄積された記憶や波長などを取り除いたり均一化したものだからな。今は純粋なるエネルギーの塊だ」

「そ、そうなんですか……?」


 お前も一つ食べてみるか?


 カナリアに爛々と輝く蒼の魔石を差し出されるも、流石に無機物(?)を平然と飲み込む勇気はなく、丁寧に断る琉希。

 残念そうな表情を浮かべる彼女であったが、まあ無理強いはせんさと呟き、残った魔石も全て純化した上で飲み込んでいってしまった。


 ――金髪の子はゲテモノ食いの性でもあるんですかね?


 そんなことを頭の片隅で考えながらカナリアの食事を眺めていた琉希へ、カナリアの冷めた目が突き刺さる。

 それはカナリアが幾度となく浮かべてきた、どこか感情などを投げ捨て、全て客観的に確認し、動こうとする観測者の瞳。


 琉希の身体に緊張が走る。


「事前に言っておく。今回の魔道具は、はっきり言って急ごしらえ、完成とは程遠い質の物だ。当然フォリアを必ず助けられる、などと言い切ることは出来ん」

「ええ、ばっちり分かってますよ」


 重々しい口調で語られた内容は、既に幾度となくカナリアが口にしていたこと。


 今のフォリアの状況は、カナリアの考慮していなかった事情が重なりに重なった結果、偶々運悪く起こってしまった事故である。

 ともすれば言い訳がましく聞こえる話であるが、確かに聞いてみればその通りであり、琉希にはそれを今更さらに責める必要はなかった。


「……本当に分かっているのか知らんが、もし駄目だったなら諦めろ。そしてその上で決意しろ」


 だが思ってもいなかった言葉が飛び出し、首を捻る琉希。


「決意、ですか?」

「そうだ、あの子を殺す決意だ」

「はぁ!? 私が? フォリアちゃんを? 何バカなこと言ってるんですか!?」


 治せなかったからと言って殺すとは、あまりに物騒すぎる話であった。


 今治せなくともその内治せるかもしれない、誰かが画期的な治療方法を思いつくかもしれない。

 その可能性を全てかなぐり捨て殺すというのは、フォリアが琉希にとっての命の恩人であり、友人であるという点を外したとしても、まず思い浮かばない選択肢だ。


 ないない、それだけはあり得ません。


 必死に首を振る琉希へ、カナリアは淡々と語りかける。


「私だって本意ではない、だがあれを放置するのは猶の事不味いだろう。あれはダンジョンシステムによって一から生み出されたモンスターではない、従ってダンジョンが崩壊しても、他のモンスターのように消滅するわけではないのだ」


 フォリアは怪物になった。

 意識を失い、体内へ巡る無数の生物の記憶によって、本能のままに暴れ、貪る怪物に。


 だがモンスターではない。

 肉体の変異こそすれど、食事の対象が魔力になろうとも、彼女は何処まで行っても『生物』であった。


「……だからなんだっていうのですか」

「誰も止めることの出来ない怪物が解き放たれるぞ。分かるだろ、音速を容易く超えて動き回り、そこらの建造物などカスのように叩き潰せる化物なんだ。どれだけの人が死ぬと思う?」


 カナリアには基本的に他人を気遣うような心はないが、一般的な善悪の観念は理解しているし、様々な要因で怪物へ変わってしまった彼女を憐れむ程度の人間性は持ち合わせている。

 しかし彼女を放置した場合、きっと大勢の人間が苦しみ悶えることになるということも、当然予想していた。


 ――確かトロッコ問題と言うのだったか。ふん、確かにこれは気分が悪くなるな。


 かつてどこかの雑誌で見た内容を思い返し、不機嫌そうに鼻を鳴らす彼女。


「……だっ、第一私たちに倒せるわけないじゃないですか。貴女ですらタコ殴りだったんですよ?」

「いいや、できるさ。次元に小さな穴をあければな」


 それはダンジョンの崩壊における消滅を、人為的に起こすということであった。


 穴を開けることで生み出される引力は、たとえそれがどれだけ巨大な建造物や広大な土地であっても、一定範囲に存在するのなら無慈悲に吸い取ってしまう。

 それはフォリアとて同じこと。

 もし次元の狭間より魔力密度の高い存在になれば分からないが、少なくとも今の彼女であれば、この世界から消し去ることは決して不可能なことではない。


「約束しろ、どうにもならないならフォリアを殺す、と。でなければ私はここを発たん」


 まっすぐな瞳が琉希へ突き刺さる。


 飲み込むにも飲み込み切れず、彷徨う視線と指先。

 やはり今のはうそだったと、そう言ってくれるのを期待するような目線を琉希は向けるが、カナリアは微動だにすることはなかった。


 時たま見せたおふざけなどではない、どうしようもない事実。


「――分かりました、私が諦めたら・・・・・・それをやってください」

「それでいい。何、気にする必要はない、罪は私が背負ってやろう。今更一人や二人殺したところで大して変わらんからな」


 ダンジョンへ顔を向けたカナリアの背後、琉希は『アイテムボックス』から取り出した希望の実をひとつ口へ放り込み、以前感じ取れなかった微かな甘みに顔をしかめた。

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