第180話
夜の港に漢の叫び声が響いた。
「うおおおおおッ! ダカァァァァァルッ!」
冷たい潮風が吹き荒れる中、剛力が『アイテムボックス』から取り出したのは名もなき大剣。
彼の巨体すらも凌ぐ無骨な武器を担ぎ上げた剛力は、目にもとまらぬ速度で少年の身体を縛るものを切り裂くと、彼の腕に巻き付けられたハンカチを二人の下へ放り投げた。
唐突に表れた影へ驚愕する二人。
しかし即座にクラリスはダカールの前へ身を滑り込ませ、二人の全身を覆いこむように結界を張り巡らせた。
地面へと転がる少年を片手でがっしり受け止めた剛力。
そのままダカールから大きく距離を取るように地を蹴り飛ばし、二人の姿が指ほどの大きさに見える程の間隔を取り、小脇に抱えた彼へ視線を落とす。
ずり落ちた眼鏡と乱れた髪。
腰が抜け息も荒く地面へとへたり込む姿は哀憫を誘うが、見たところ怪我はなく、これならば走って逃げられそうであった。
「おい、立てるか……っ!」
クラリスが手にした杖で地面を二度突き、展開された魔法陣から何かを射出する。
不吉な予感。
戦いの中で積み重ねていった経験こそが感になる。
それは決して当てずっぽうなどではなく、空気や状況などから脳が判断する、言葉に表すことが出来ないだけの確かな裏付けであると剛力は考えていた。
事実『予感』を信じ幾度となく命を拾ってきた。そしてその予感が言っている、あの投げられた物は余程のものであると。
弧を描きこちらへ向かってくるナニカ。
建物の影から飛び出し一瞬月明かりに照らされたのは、先ほどの不気味な虹色を零す黒く小さな石ころ。
もしあれが爆弾の類であるのなら、下手に武器などで迎撃した場合、後ろの少年にまで衝撃が及びかねない。
剛力自身に耐えられようと彼を救うことが出来なければ何の意味もない、彼を救うためわざわざ飛び出して来たのだから。
試作というからには数はさほど揃えておらず、加えて恐らくあれはスイッチ式、でなければ先ほど剛力に投げ返された時反応しているはず。
――ならば……!
「うおおおオオッ!」
全身の筋肉を
空を舞う石ころへ飛び掛かった剛力は、右腕でしかと握り締め全身で覆うように胸元へ手繰り寄せた。
かつて剛力は実験のため、いくつかの兵器を直接身に受けたことがある。
結果は悉くが無効。化学、生物、爆弾から火砲の類までそのほとんどが彼の身に傷一つつけることなく、反応兵器などの極端な破壊力を持つ物を除けば、個人へ向けることの出来る
仮に未知の技術が詰め込まれているとはいえ、この身を吹き飛ばし少年まで害することはできないだろう。
そう、甘い考えを浮かべた剛力を嘲る様に、月明かりに照らされダカールがニタリと嗤った。
「これは……っ!?」
初めに
痛覚や触覚、たとえその身に傷がつかないとはいえ、剛力の身体構造が人間である限り、外的なものに対して必ずなんらかの反応はある。
だがしかし今己の身体には衝撃やコンクリートの焼ける臭い、轟音……いや、それどころか
世界から遮断されていた瞳を見開き地面を睨むと、そこに広がっていたのは虚無。
魔石を中心として展開されるナニカが痛みすらなく、瞬く間に自身の右腕を分解と消滅の連続反応によって砕き、飲み込み、塵一つ残さず消し去る姿。
「何……ッ!? これはっ、爆弾なんて甘いもんじゃあ……!?」
衝撃や熱で破壊するのではない、正に世界から消し去る兵器。
未知の技術だが、などと侮っていた。これは決して石ころなどと呼んでいい代物ではない、既存の兵器など輪ゴム鉄砲と大差ないと笑えるほどの存在。
決断は一瞬であった。
目を剥く速度で分解と消滅を繰り返す己の右手。
放っておけば数秒で己が身すらもを食らいつくすのは目に見えており、それを避けるための選択肢は唯一つしかない。
鉄塊が空気を切り裂き雄々しく啼き叫ぶ。
飛び散る鮮血、重なる絶叫。
剣を叩きつけた衝撃で立ち上がった剛力は、空中で今なお浮かび消滅の範囲を広げる魔石の中心へ狙いを定め、肘から綺麗に寸断された己の右腕を全力で蹴り飛ばした。
それは世界でも有数の力を持つ男から繰り出される蹴撃。
強烈なエネルギーを付与された彼の右腕は錐揉み、消し去られるより速く魔石の下へとたどり着き、共に海上方向へと吹き飛んでいく。
海すら飲み込み、見る間に不可視の消滅範囲を広げ海面を大きく抉り取る謎の兵器。
吹き荒ぶ潮風の中後ろの少年へ今すぐ逃げるように伝え、傷口に手を当てながらそのあまりの威力に剛力は唇を固く噛み締めた。
「で、も……」
少年は躊躇うように手を出し、震える視線は逃げ出していいものかと逡巡している。
「クソ、気にするなっての……知らないかもしれんが俺は最強なんだよ、邪魔だからさっさと消えろ!」
ちょっと強く睨みつけ声を荒げた程度だが少年は息を呑み、呼吸も忘れて走り出す。
自分で言いながらその逃げっぷりに傷付いたのだろう、悲し気な瞳をした剛力は『アイテムボックス』からポーションを取り出し、バシャバシャと乱雑に傷口へ注いで眉をしかめた。
痛みが消え盛り上がる肉。
違和感からか普段より一層額の皺を寄せ集めた剛力は、彼の姿が全く見えなくなったことを確認するとすっくりと立ち上がり、遠くで高みの見物とでも言わんばかりに腕を組むダカールへ鋭い視線を向ける。
剛力は怒りに歪む顔へ冷静を保つための笑みを張り付けると、再生しかけの右腕を地面へ擦りつけ、掬い上げる様に大剣の柄を掴み上げた。
「おう、随分余裕に待ってくれたみたいじゃねえか……!?」
しかし柄は彼の右手をすり抜ける。
いや、すり抜けたのではない、
「な、に……っ!?」
虚を突かれたようにすべての表情を失い、ただぽかんと口を開く彼。
目を落とせば、途中まで再生しようとした雰囲気を纏わせていたはずだというのに、腕は肘から先を再生させることなく、まるでここで完了だとばかりに断面へ皮を張り始めている。
そして終ぞ前腕、そして手のひらを再生させることなく肉や骨の蠢きは終わり、煙を微かに揺らめかせ変化が止まった。
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