第158話
秋の正午、突然響く軽快な音楽。
「おん?」
どうやらそれは筋肉のスマホだったらしく、近くの木に掛けられていた小袋からそれを取り出した彼は、耳を当てながら何度か頷いた。
「どしたの?」
「すまん、ちょっと用事が出来た。フォリア、ちょっと地面均しといてくれ」
「ええ……めんどくさい……」
「俺の分も食っていいから、ほら」
有無を言わさぬ笑顔と、同時ににゅっと伸びてくる腕。
なんと汚い奴なんだろうか。
べこべこに凹んだ地面を均す手伝いもせず、私の口へ無理やりマトリョシカみたいな名前のパンを押し込み、止める暇もなく走り去ってしまった。
「ねえ園崎さん」
「あ、私仕事があったんだったー忙しいなー」
「あああ! ずるい!」
◇
「相変わらずきったねえ部屋だなぁ」
「ちょっと、勝手に弄らないでくれるか!? あああ、剛力君には分からないかもしれないが。全部私が分かるように置いてあったんだって!」
「だったら最初から綺麗に整頓しとけよ……」
紙の山が散乱した研究室へ二人の声が響く。
フォリアとの練習試合の後、剣崎に呼び出された剛力は彼女の研究室へ訪れていた。
「よっこいしょ」
「おい、全部どこに分かるか置いてるんじゃなかったのか」
「これもどこに置いたのか覚えているんだ!」
机の上に重なる山を適当に持ち上げ、右へ左へと雑に重ねて言った彼女は軽く一息入れ、さあそこへ座れとばかりに椅子を引っ張り出して来た。
剛力も慣れたもので、何度も繰り返された軽口を飛ばしながらどかりと腰掛け、客が来たんだからもてなしくらいしたらどうだと肩をすくめる。
「ほら、ウルティマックスコーヒー。沢山あるから好きに飲みたまえ」
激甘だと界隈では有名なコーヒーを彼へ放り投げた彼女。
プルタブを押しこまれる気の抜けた音に目を瞑ると、一転鋭い目つきを顔に浮かべ右手で顎肘をついた。
「ねえ、本当に話してしまったのかい? もう少し様子見することも出来たんじゃ……」
「お前があの人を心底嫌っているのは知っているさ。だがほとんど手詰まりの現状、あの人の力なしで前に進めるのは流石に無理だ。個人で集められる情報なんてたかが知れてる」
「私は正直あの男を信用していないんだわ、何度も言うけどね」
「完璧に追えてるわけじゃないけど、あの男が姿を消してる日が時々ある」
「そりゃ人間なんだから時々どこかへ出かけたりってのは普通にあるだろう」
「そうね。ただ……」
唐突に体を縮めた剣崎は、机の下から何やらパソコンのモニターほどはある大掛かりな機械を取り出し、机の上へ手荒に乗せた。
構造としては至極単純、下から強烈な光を当てることで、上に乗せた紙を透過させ、絵などを複製することが出来る仕組み。
そう、一般的に言う……
「――これはトレース台……か? 絵とか描くときに使う奴だよな?」
「そう。漫画研究してる知り合いの教授からうば……借りてきたんだわ」
「後でちゃんと返してやれよ、菓子折りかなんかもちゃんと持って」
「あーうんうん、やるやる」
絶対やらねえだろうなと剛力は思いつつも、突っ込めば話が進まなくなるのは目に見えていたのでぐっと唇を嚙み締める。
剣崎はさらに机の引き出しへ鍵を突っ込み、何やら紙の束を取り出すと交互の二列へ並べ始めた。
これは美羽君にメモしてもらった、『人類未踏破ライン』や、それに準ずるダンジョンが崩壊した日程。
そしてこっちは現状可能な手段で調べ上げた、あの男……クレストの行動において空きのある日程。
勿論すべてを追えた訳ではないのよ、全く関係ない日も混じっているでしょうね。
剣崎が並べぺちぺちと叩くのは、薄い紙に印刷された二色のカレンダー。
薄紅色の紙はダンジョンが崩壊した日、そして水色の紙はどうやらクレストの行動表を調べ上げ、どこにいるのかが分からなかった日のようだ。
各月ごとに一枚ずつ彼女は丁寧に重ねていき、ぱちりとライトをつけた。
各カレンダーにはいくつかの日程に丸が付けられており、下から照らされたそれらは薄い紙を突き抜け、丸の影だけがくっきり浮かび上がる。
そして二つのカレンダーの影は……
「見ての通り、大規模な消滅が起こったタイミングは、全てあの男の後が追えない日と一致しているの」
「つまりクレストさんが『人類未踏破ライン』のダンジョン崩壊になにか関与している、と?」
「そうなるね。正確に言うなら『塔型』の『人類未踏破ライン』かな」
ダンジョンには二種類ある。
九割九分のダンジョンは小さな扉型であり、潜り抜けることで不思議な空間へたどり着くもの。
しかし並みのものとは隔絶した難易度を誇るダンジョンだけは塔型をしている。最も身近な例が、フォリアのいる町からでも見ることの出来る蒼の塔……碧空だろう。
あくまで水準としてレベル百万以上を人類未踏破ラインとして設定しているが、塔型のダンジョンはその中でもさらに飛びぬけてレベルが上がる。
これはそもそも一般には周知されていない。
そもそも百万レベルなんてのは世界に存在せず、百万だろうがニ百万だろうが大して変わらないのだから。
「仮に派手に動いたとして、人々の記憶からダンジョンが崩壊した事実は消える。ダンジョンによる世界の消滅を認識していないこの世界の人間では、誰一人として違和感を覚えることはない、って訳か」
強引な仮説だ。
しかし既に剛力は彼女の言葉を疑っていなかった。学生時代から長い付き合いのこの女は、くだらない嘘はついても嘘で人を陥れるようなことはしない人間であると知っていたから。
むしろ気に食わない相手は正論で叩き潰してくるタイプの人間だ、正直普通に生活していたら関わり合いになりたくないタイプである。
「これに気付いたのはいつだ?」
「うん、一か月くらい前だったかな。あの澄ました笑顔が不愉快で仕方ないから、なんか弱み握れないかって時々探ってみたの」
「お前いい年こいて何やってんの?」
「知らないのか? 成果ってのは時として失敗などから偶発的に生まれる物なの。これをセレンディピティといって、現在君たちが日常生活で享受している物の多くにもこれが……」
なぜ研究職へ付く人間というのは、こう蘊蓄を垂れ流したがるのか。
剛力はそれへ適当に頷きながら、己の失敗に臍を噛んだ。
せめてもう少し早く話してくれれば良かったんだが、それこそ見つけた日に直ぐ言ってくれればまだ変わったかもしれない。
「はぁ……勘弁してくれ」
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