第136話
「体調の方は大丈夫か? 昨日は突然倒れたから驚いたぞ、知らず知らずに疲労が溜まっていたんだろう」
「うん……大丈夫」
疲れて……いるのだろうか。
自分で自分が分からない、私が見たものは全部夢だったの?
「本当は今日お前の実力を測りたかったんだが、あんまり調子も良くなさそうだし中止だな」
「あれ……? それって」
「どうした?」
気の、せい?
それって確か今回の崩壊を止めに向かう時に伝えられた言葉じゃ、いや、あれが私の夢だとしたら、実際言われた言葉が夢に偶然出てきただけ?
記憶ではそんな予定ではなかったはずなのに、奇妙な既視感がそうだ、その予定だったのだと肯定する。
私はどちらを、何を信じればいいのだろう、いくら考えても答えは出ない。
ただゆるりと首を振り、彼に気にするなと伝える。
「最近戦ってばかりだったからな、俺も配慮が足らんかった。悪かったな」
立てるか。
突き出されたごつごつとした手のひらを、私は握ることしか出来なかった。
◇
窓の外、アスファルトが陽炎に揺らめく。
流れる雲も、道を行く人々も変わらない、いつも通りの夏景色。
手足を縛り付ける倦怠感に憑りつかれた身体を、協会の机へ枝垂れ掛からせ、何も考えることが出来ず目を瞑る。
何だったんだろう。
「ノンカフェインの栄養剤だ、これ飲んだら今日は帰って休め」
つい、と差し出されたビニール袋には茶色い小瓶とシュークリーム。
どうやら近くのコンビニで買ってきたらしいそれを受け取り、急かされるままにバキリと小瓶の蓋を開ける。
ツン、と鼻を衝く匂いに思わず顔をしかめ、悩んでいても中身が無くなるわけもないので一気に飲み干す。
妙に甘ったるく、ぴりぴりとした辛みと苦みに体が火照った。
美味しくはないが不味くもない。
「元気になったらまた顔出しな」
筋肉の言葉に生返事を返し席を立つ。
いつもなら何の気苦労もなくできていたことが、今日は妙に難しく感じた。
◇
炎天下の道路、ふらり、ふらり。
スマホ片手の帰り道、纏まらぬ思考の迷路を彷徨い続ける。
『県立鹿鳴小学校』
変わった名前だったのでよく覚えていたそれを検索へ打ち込み、何ページもスクロールを繰り返す。
似たような地名、似たような地域、似たような地形。
あれこれと思いつくままに調べ上げても、私の知っている『鹿鳴』はどこにも存在しなかった。
本当に存在しないのだ、あそこは。
握り締めた砂の感触も、大西の頬を殴った不快感も、人々が互いに押し合い踏みつけ逃げ惑う光景も、すべては熱中症が見せた幻だったのか。
あり得ない。
あんなにリアルで鮮明なものがあってたまるか、あれは間違いなく現実だった。
そう言い切りたいのに、世界があれは幻だったのだと突き付けてくる。私の感覚だけが大きな流れから外れて、全てはお前の妄想だと嘲笑う。
昨日私が見たと思っていたもの、そのどれもが存在しない。
ニュースサイトにだってどこにも乗っていない、あんな町一つが壊滅するほどの出来事、決して報道されないはずがないのに。
だってダンジョンの崩壊だぞ? 仮に人の犠牲がなかったとして、昨日見た限りではボロボロの建物だって多かった。
今まで私は何度もそういうニュースを見てきた、崩壊して、なんとか協力によってボスが倒されて……
どうやら本格的に私の頭はおかしくなりかけているのかもしれない。
存在しない記憶を捏造して、あまつさえ他の人がおかしくなってしまったのだと思い込んでしまうなんて、相当ヤバいどころかもう手遅れレベルだ。
苦手な文字を読む行為を終え、キリキリと痛む目元を軽く押さえ空を見る。
「はぁ……」
気持ち悪い。
もうどうしたらいいのか分からない、吐きそうだ。
「あ、そうだ」
ニュース、ニュースといえば昨日同時に起こっていたロシアでのダンジョン崩壊。
一体ロシアのどこで起こったのか見ていなかったけど、あの怯えと狂乱に包まれた空気は中々に、ただ見ているだけのこちらにも来るものがあった。
あれは食い止められたのだろうか、見たいような、見たくないような複雑な気持ちで文字を打ち込む。
きっとネット上はその話題で持ちきりだと思っていたが……今検索していた限りでは、その名前の欠片すらも見当たらなかった。
「うそぉ……?」
タップ、タップ、スクロール。
ない、ない、どこにも見当たらない。
ロシアに関するニュースなんて、ニュースサイトのどこにも乗っていない。
あれだけ大騒ぎになっていたはずなのに、並べられているのはロシアとどこが会談をしただとか、どこがなんちゃら国認定をしただとか、ちらっと見てふぅんと流してしまうようなものばかり。
あれだけの問題があったら、トップは全部その話題に塗りつぶされてしまうはずなのに。
どこにもない。
私が間違っていた、そういうことなのだろう。
検索画面に映し出されたかの国の形に一瞬違和感を覚えるが、自分の記憶を疑い始めた私にはそこまでじっくりと見る余裕がなかった。
ただでさえ勉強から逃げた身だ、国其々の形なんて覚えていない。
もっと長くて広い感じのイメージがあったが、ロシアって案外四角いし小さいな。
右端はまるで何度もコップを被せて切り取ったみたいに丸い、滑らかな円の弧にも見える。
「んあー……疲れた」
外だというのに随分と熱中してしまった。
炎天下に照らされとめどなく汗の溢れる胸元をパタパタと仰ぎ、手と日光の熱を蓄えたスマホを『アイテムボックス』へ放り込む。
どうあがいてもないものはない、間違った記憶は間違っている。
飲み込むことのできない棘はまだ抜けることなく突き刺さっているが、私にそれを取り除く方法は思い浮かばない。
いつか、気が付いたら抜けるのを待つしかない……のだろうか。
ううん、帰ってシャワー浴びたら寝よ。
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