永久なるサヴァナ

エピローグ１ 〜願い〜

　遠い昔、まだ人類がこの地に誕生していなかった頃。

　ようやく二本足で歩き始めた類人猿の一種が、ゲートをくぐり、ここサヴァナ世界へとやってきた。

　原初のサヴァナは、外の世界となんら変わりない場所だった。

　猿人達はそこで絶え間ない縄張り争いを繰り広げ、どこにでも見られるような原始的生活を送っていた。

　そんなある日、頬に金の髭を生やした猿人が現れた。

　いわゆる金の山羊であるが、その不思議な猿人の配偶者となった個体は、交尾の後にその相手が消えて無くなってしまったことに大変驚いた。

　震えるような畏敬に打たれた彼は、そこに大いなる存在を見る。

　そして居なくなってしまった配偶者の所在を知りたいがために、こう願ったのである。

　知恵をください――。

　と。

　これが人類の起源であることは今なお知られていない。

　その後も多くの山羊が生まれ、それと同じ数だけの願いが叶えられてきた。

　湖ができ、肉が腐らなくなり、ゴミは自然と片付き、難病は消え、怪我もすぐ癒えるようになった。

　そして夥しい数の力――獣面――が生み出され、それを巡る悲喜交々の物語が、この直径１５ｋｍに満たない狭い大地の上で繰り広げられていったのである。

　悠久に紡がれ続ける獣たちの営為。

　今また一つ、その物語が幕を閉じようとしていた。

　　　＊　＊　＊

　オオカミはそれから三日眠り続けた。

　コロシアムのフィールドになだれ込んできた、およそ８００人の暴徒。

　目的は金の山羊を強奪することだったが、それはもちろん獅子が許さなかった。

　ジョーは巨大な獅子へと変身すると、その背に金の山羊を乗せたまま悠々と戦い始めた。

　そしてその驚異的な戦闘力によって、またたく間に全ての暴徒を鎮圧したのである。

　その後、ロンとカプラを背に乗せてキングタワーへと移動したジョーは、もっとも警備が厳重な居住区に二人を運び入れ、医師を呼んでその治療にあたらせた。

　骨は砕け、肺は潰れ、脳内にも夥しい出血が見られた。

　外の世界であれば、すでに命はなかっただろう。

　だが、ここはサヴァナ世界。

　処置の甲斐もあって、ロンは一命を取り留める。

　そして三日後、ロンはようやくその重たい目蓋を開くのだった。

「……んん」

　眩しい光が目に飛び込んでくる。

「ここは……」

　気がつけば、海みたいに広いベッドの中にいた。

　こんなバカでかいベッドは見たことがない。

　まるで王様が寝るようなベッドだ。

「ロン……！？」

　周囲の状況を気にしていると、突然何かが、横からバサッと降ってきた。

　顔をそちらに向けると、そこには『インスタントＭＥＮ』で暮らしていた時と同じ粗末な服を着たカプラが、寝転がった姿勢で覗き込んできていた。

　カカポの面までつけている。

「目が覚めたのねっ！　気分はどう？」

「ううん……」

　その問いかけには答えず、ロンはゆっくり身体を起こす。

　そして、部屋の内部を見渡した。

　見たことの無い部屋だ。

　やたらと天井が高く、いかにも頑丈そうな柱と壁で出来ている。

　金装飾がされた縦長の窓ガラスから、外の光が溢れてきている。

「ここはキングタワーの６６階よ」

「……あ？」

　何でそんなことになってる――。

　反射的にそう思う。

　至近の記憶は、あのコロシアムの唸るような歓声だ。

「獅子長さんが全部良くしてくれたわ。とてもいい人ね。ああいう人を紳士っていうのよ」

　その説明でおおむね理解した。

　おそらく自分は、精魂尽き果てて気を失ったのだ――。

　そう推測しつつ頭をかく。

　脱ぎ捨てたはずのオオカミ面は、しっかりと被せられていた。

　まったく律儀なライオン様だ。

「……どこがだよ、あんな無神経野郎」

　だがつい、そんな言葉を漏らしてしまう。

　僅かではあるが、彼に対する怒りが胸中に残っていたのだ。

「あら……」

　だがそれは、完全に不用意な言葉であった。

　それを好意的な感情と解釈したカプラは、金色の毛がゆれる頬をぱっと赤らめる。

「あの時ロンが急に強くなったのは、そう思ったからなのね……」

「む、むぐ……？」

　そして、尻がムズムズするほどの笑みを浮かべてきた。

　まずいことを言ってしまったことに気づいたロンは、誤魔化しついでに咳払いをする。

「げ、ゲフンッ……俺はただ、あの野郎が気に入らなかっただけだ……」

「うふふふ……そんなこと言っちゃって。わかっているんだから……本当は」

　照れくさいだけなのよね――？

　口にこそ出さなかったが、カプラの顔には、そのような文字が書いてあった。

　ロンは何とかしてその文字を否定したかったが、実際それが真実なのでしようがなかった。

　あの時、頭が真っ白になるほどに腹が立ったのは、ジョーがカプラを泣かせたからであり、つまりはロンがカプラを慮ったという図式は、どうやっても崩しようがないのだ。

「とにかく……元気そうでよかった」

「むむむ……」

　赤くなったり青くなったりを繰り返すロンを見て、カプラはそう言った。

　そしてそのまま、ニコニコと笑い続けた。

　元気なのはそっちだろう――。

　ロンはそう言ってやりたい思いに駆られる。

　見くびらないでと叫んできた時の、あの切羽詰まった様子は何処へ行ったのか。

　そんなに助けてもらったことが嬉しかったのか。

　姉さんの言う、乙女ってやつなのか……。

「どうしたの？　何か気になる？」

「ぐ……」

　どこか心を読まれたように言われて、ロンはさらに顔をしかめた。

　やはり、相当な手練手管を持つ女である。

　何をどう取り繕っても、こちらの考えを見抜いてくる。

　それこそ、ロン自身にもわかっていないような本心まで。

「ぐう……」

　ついに匙を投げたロンは、さっさと横になってシーツを被ってしまった。

　だがそれでも、食い入るように見つめてくるカプラの視線からは、けして逃れられないのだった。

　＊　＊　＊

　ロンの怪我が回復するまでのおよそ一週間。

　診察に来る医師と様子を見にくるジョー以外に来客は少なかった。

　部屋にベッドは一台しかないので、当然二人は同衾することになる。

　始めは、海のように広いベッドの端と端に分かれて眠っていたが、その距離は縮まる一方。

　うっかりすると、朝には重なり合っている始末だった。

　ある日、エスカーが訊ねてきた。

　農園のことで酷く獅子長と揉めていることを懇々と語り、『私が男だったらよかったのに』……と、かなり真剣な目をしながらカプラに言ってきた。

　そして去り際に、大量の採れたて野菜を置いていった。

　喋ることと寝ること以外に、することは少なかった。

　ロンが立って歩けるようになってからは、リハビリのようなこともしたが、二人は多くの時間をとりとめもない会話に費やした。

　そして喋ることが無くなると、カプラはギターを弾いて歌を歌った。

　いつだったか耳にした、あの『カカポの歌』も歌った。

　外来種の襲来に脅える一番。

　絶滅寸前に追いやられる二番。

　どちらも酷い歌詞だったが、カプラは三番の歌詞だけは『まだ未完成なの』と言って歌おうとしなかった。

　二人の時間は、このまま無限に続いていくようにも思えた。

　しかしある日の夜に、とうとう終わりを告げた。

「そろそろ、責任を取ってもらおうかしら……」

　カプラは、ロンの腕にすがりつつ言った。

　二人はベッドの中央に身を横たえ、隙間なく身を寄せていた。

「……な、なんのだよ」

「あら、しらばっくれるの？　私に中指立ててきたじゃない」

　言われた途端、脳裏にスケベコール蘇ってきた。

　どんどん頭に血が昇っていく。

　何で、あんなことになってしまったのか。

　俺は山羊を取り戻しに来たんじゃない。

　ただそのことだけを、必死になってアピールしようとしただけなのに。

「あ、あれは……そういう意味でやったんじゃないぞ」

「でも、周りの人はそうは思わなかったのよ……？　あなたがやる気まんまんだって、みんな思った」

「むぐ……」

「あなたは公衆の面前で、私を穢したの。もう色々と酷い人生を送ってきたけど、あれ程の屈辱を受けたことは無い。だからロンには、きっちりケジメをつけてもらうわ……」

　もはや何も言葉が出てこなかった。

　あのフィールドに立った時点で、完全に詰んでいたのだ。

　金の山羊を取り戻して犯す。

　コロシアムに来ていた連中にとって、それ以外に、どんな解釈の仕方があったと言うのか。

　でも、どうすりゃ良いんだ……。

　ピタリとカプラに密着されて、ロンはひたすら顔を青くした。

　謝れば良いのだろうか？

　いや、そんなことで済まされる話ではない。

　では、命を差し出せば良いのか？

　それはそれで、何かが決定的に違う気がする。

　一体どうすれば……。

「うふふふ……冗談よ」

　そうやって、ロンが目を白黒させていると、カプラの方からそう言ってきた。

　尻が落ち着かなくなるような微笑みとともに。

「本当はね……ロンが来てくれたことが、嬉しくて嬉しくて仕方がなかった……」

　と言って、恥ずかしそうに目をそらす。

「穢されただなんて、思いもしなかったわよ……」

　ただひたすら、ロンの身を案じていただけで。

　だが、そんなカプラの心の機微など知りようもないロンは、露骨に顔をしかめた。

　相変わらず、人をからかうのが好きな女だ。　

　どこまでも自分勝手な女だ。

　そう思いながら。

「でもそれは、相手が私だったからよ？　ロンのことを何もかも知っている……私だったから」

「……随分な自信だな」

「当然でしょ？　私はあの獅子長さんでさえ手玉に取った女なんだから」

「……むう」

　確かにそれは、この上なく説得力のある言葉だった。

　ロンはこの時には、カプラの殆ど全ての過去を知っていた。

　話す以外にやることが無かったのだから当然である。

　虚無に陥っていたジョーを焚き付けた人物のことも知っていた。

　何もかも、手に取るように想像できた。

「本当に……相手が私だったから良かったものを。女の人相手に、もう絶対やっちゃだめよ？　あんなこと」

「しねえよ……」

「絶対に絶対よ？」

「しつこいな……」

「ミーヤちゃんにもよ？」

「……誰がするか！」

　それからしばらく、カカポはオオカミをからかい続けた。

　そしてからかいつつ、その寝衣を脱がしていった。

　戦闘力指数１３０と２。

　本来なら圧倒的な戦力差だ。

　しかし今は、狩る者と狩られる者の関係が、完全に逆転している。

「立派ね……」

　と言ってカプラは、ロンのペニスに口づけをした。

　もはや二人は、獣面しか身にまとっていない。

「貴方の子供が欲しかった……」

　そして、まるで我が子を愛でるように、屹立したそれを手に包む。

――ドクン。

　どうやらそれが、最後の防壁を崩したらしい。

　大きな心音が暗がりに響き、より一層、猛々しく膨張する。

　カプラはしばし丹念にそのものを舐（ねぶ）ると、やがて身を起こしてロンに覆いかぶさった。

「大事に使ってね……」

　股を開きながら言う。

　何を――。

　とは、もはや問わなかった。

　カプラは全てを捧げる決意をかためていた。

　ロンもまた、その全てを受け止める準備が出来ていた。

　互いに見つめ合いながら、顔と顔とを寄せる。

　やがて、オオカミの鼻先とカカポのくちばしが、ポフリと音をたててぶつかる。

　二人は動きを止め――。

「ずっと思ってたけど……獣面（これ）って邪魔ね」

「ああ」

　互いに手を伸ばす。

「困ったもんさ」

　そして脱ぎ捨てると同時に、激しく重なり合う――。