第七話 〜夜明け〜
サヴァナシティの中枢、キングタワー。
その一階にある巨大なエントランスホール。
大理石が美しく輝くその空間には、分厚い強化ガラスに覆われた、巨大な都市のジオラマが飾られている。
「ふむ……」
時刻はまだ夜明け前。
タワーの入口は閉ざされ、周囲はひっそり静まりかえっている。
「ううむ……」
そんな中、ガラスケースの中に立つジョーは、しきりに首をひねっていた。
彼は今、都市のジオラマに最後のタワーを付け加えるところだ。
重機のような肩に担がれているのは、鋭い円錐形をしたユニコーンタワー。
それだけで常人の背丈ほどもある。
巨大なジオラマの中央に据えられているのは、巻き貝のような形状のコロシアム。
八つの高層タワーはそれを取り囲むようにして配置されるが、最後の一棟の位置が定まらない。
どうやら、歴代獅子長の中でも最強と謳われる彼をしても、『美』という概念の前には苦戦を強いられるようだ。
「迷っておられるのですかな?」
不意に声が響く。
ジョーは、ガラスケースの外に顔を向ける。
そこにはいつの間にか、小柄な老人が立っている。
「早いな、カメ爺」
「ほほほ……貴方ほどではありません」
老人はカメの甲羅を頭に載せていた。
兜のようにも見えるが、これも列記とした獣面。
戦闘力指数は50もあり、獣化したときの防御力は他の追随を許さない。
故に奪われにくく、実際その老人は60年以上もカメの地位を守り続けている。
さらには、先々代の時代から都市設計の助言を行なってきた、熟練の風水師でもあった。
「かつて、宇宙は四角いと考えられておりました」
老いたカメが、若き獅子に言う。
「古代の都市の多くが真四角に作られているのは、その宇宙を模そうとしたためなのです。そうすることで時の皇帝は、世界を制しようとしたのですな」
言いつつ老人は、手にしていた杖を上に向けてくるりと回した。
「しかし現代の科学はこう申しております。宇宙は『おおむね丸い』と」
「ふふ……おおむねか」
にやりと口角を上げるカメにつられて、獅子もまた微笑を零す。
「いっそ真球であれば、迷うことなどなかったな」
「左様ですな……フォホホ。まん丸であれば何も迷うことはありませんでした。都市の中心に、その都市の象徴シンボルを配置し、それを取り囲むように真円を描けば良いだけなのですから。しかし、ここサヴァナにおいては、それだけでは宇宙を御することは出来ないのです」
サヴァナシティが存在しているこのゲート内世界も、発見された当時はその大地の円形構造のために、宇宙の縮図であると考えられてきた。
しかしその円形の大地に、同じく円形の都市を築いたとしても、不思議とうまく機能しないのだった。
時の為政者がどんなに都市の姿を整えようとしても、都市はそれ自体が意志を持つかのように、その姿を歪めてしまう。
カメの老人が言うには、それはこの地に定まった龍脈が存在しないためだという。
サヴァナ世界における竜脈は、まさに人々の意識、その集合体によって形作られる。
都市が自然と歪になるのは、人の魂に、一つとして同じものが無いことの証なのだ。
その事実を胸に留めつつ、ジョーはジオラマの周囲をゆっくりと歩く。
そして、最後の一棟を配すべき場所を見定めた。
「美しく歪んだ円を描くのです……正解はあなた様の胸の内にこそ」
「うむ……」
都市の地形は、長年にわたって堆積した瓦礫によって、中心部分がゆるやかに盛り上がっている。
その最も盛り上がった場所に建てられているのが、サヴァナシティの象徴たるセントラルコロシアムであり、現在その殆どが完成している。
さらにはキングタワー、フェンリルタワー、エルフタワー、オーガタワーの4棟が完成しており、現在5棟目のゴルゴンタワーと、6棟目のチーリンタワーが建造中だ。
全てキングタワーの立つ位置から、その反対側の湖がある方向へと、順次建造されている。
つまり最後の一棟であるユニコーンタワーは、必然的に、湖に最も近い位置に配置することになるが。
「むう……」
「ホホホ……」
そこは、牛館の者達が支配している地域であった。
強制的に立ち退かせることは可能だが、牛館は都市内でも五指に入る勢力。
さらには所有する農園によって、悪化の一路をたどるサヴァナシティの食糧事情を、幾らかではあるが改善してくれている。
湖に向かって大きく突き出す形で配置すれば、彼好みの先鋭的な輪郭になるだろう。
しかしながら、そのリスクは大きい。
夥しい血が流れ、富が失われ、想像を絶する怨嗟が獅子の頭上に注がれるだろう。
これは実に悩ましい問題であるが――。
「……ふっ」
――ゴトリ。
考慮時間は思いのほか短かかった。
剣のような輝きを放つ模型が、ジオラマの上に配される。
その位置は、農園の目と鼻の先という、何とも挑戦的な場所であった。
「ほほっ!」
思わず声を上げる老人。
こうして10棟のタワーが描く楕円は、限りなく先鋭的なフォルムを形成するに至る。
「何ともあなたらしい……」
その言葉に、ジョーは満足げに頷いた。
* * *
ロンの生活は完全な夜型だ。
眠りにつくのは昼の2時頃。
それから6時間ばかり眠って、夜の9時までには仕事場に入る。
それから12時間ほど農園の見張りをする。
一日の稼ぎは500サヴァナ。
これはサヴァナ市民の感覚では中の下に位置するものだ。
もしその仕事をすっぽかすとどうなるか?
それはそれは大変な事態に陥るのだ。
雇い主であるエスカーは、凶悪な角を頭上に冠したアメリカバイソンであり、その戦闘力指数は300もある。
遅刻した時のペナルティーは、立ち上がれなくなるほど踏みつけられた上で、一週間給料抜きのタダ働きだ。
故に今朝は、けたたましい叫び声が響くことになった。
「仕事サボっちまったじゃねーかあああああ!」
ハイエナ達との一戦と、その後に判明したカプラの正体。
それら事件のために、すっかり仕事のことを忘れていた。
かなりの疲労もあって、昨夜はぐったりと眠りこけてしまった。
ベッド代わりにしているソファーから転げ落ちたロンは、ウェスタンハットをひったくりつつ、大急ぎで一階へと駆け下りる。
「やっちまったぜ、おっさん!」
「ふあーあ……」
イノシシのマスターもまた、眠い目をこすりながら起き出してきたところだ。
ロンは、気の抜けたその獣面を、しばし呆然と眺める。
そして、いまさら焦ってもどうにもならないことを悟り、力なくテーブル席の一つに腰をおろした。
「おはようロン、何をそんなに慌てているの?」
隣りにはカカポの獣面。
膝にクラシックギターをかかえて、弦の調整中。
「……あんたのせいだ」
ロンは帽子をくしゃくしゃに丸めて言う。
「あんたのせいだ、あんたのせいだ! あんたのせいだああああー!!」
「あっー、ロン! 仕事すっぽかしちゃったね!」
「気付くのおっせーよ! おっさん!」
ようやく気づいたイノシシに一喝し、ロンは自分の獣面をわしわしとかき回した。
「……このままじゃ、姉さんに半殺しにされちまう!」
「どういうことなの?」
「あのなぁ……俺は昨日、仕事に行く途中だったんだ!」
「まあ、そうだったの! つまりサボっちゃったってわけね?」
「そういうこった……」
バンッとテーブルを叩いて立ち上がり、カウンター裏のポリタンクに手を伸ばす。
そのまま直接口にあて、荒々しく飲み干す。
「……くはぁ!」
「怖い人なの? ロンの雇い主さんって」
「この街に怖くない雇い主なんていねえよ……」
カプラはボロボロだったドレスを、器用に仕立て直して羽織っていた。
下にはマスターがゴミ溜めから見つけてきたデニムを穿いて、何とも涼しげ表情だ。
ロンは相変わらず常識知らずな女に苛立ちつつも、今となっては、その怒りを素直にぶつけることが出来ない。
「……ちっ」
結局、ロンとマスターは、彼女をしばらく店においておくことにしたのだった。
どういう心変わりなのかと首を傾げるカプラに、マスターは『最近お客が減ってきたから、何か新しいことをやってみようかと……』という、妙に苦しい説明をした。
疑問はもちろん残っただろうが、彼女にとっては願ったり叶ったりであった。
――ポロロン。
カプラは指先で弦を弾く。
ロンは店内を行ったり来たりしながら、ひたすら頭を抱える。
「まあ、サボっちゃったものは仕方ないよね。早めに行って頭下げるしかないよ」
「そうだな……はあ……気が重いぜ」
「…………」
しばし様子を見守っていたカプラだったが、やがてギターを置いて立ち上がる。
「私の……せいなのよね?」
「……ああそうだ、どうしてくれるんだよ」
「なら、私も一緒に謝りに行く!」
「はあっ?」
思わぬ提案に、ロンは思わず足を止める。
正気か――?
一瞬、そんな単語が頭に浮かぶが。
「お前は追われている身だろ?」
「あらっ、心配してくれてるのね。嬉しいわ」
「そ、そんなんじゃねえ! あんたにウロチョロされるとこっちがな……!」
「うふふふ、大丈夫よ。昨日一晩かけて練習したの。見てて」
そう言うとカプラは、胸の前で両手をギュッと握りこんだ。
眼を閉じて集中力を高め、鋭い気合とともに声を発する。
「はっ!」
――ボンッ!
直後、破裂音が店内に響いた。
萌黄色の光とともに、カカポの羽が宙に舞う。
「どう? 中々やるもんでしょう?」
「おお……」
「ぶへええ……」
ロンとマスターは呆けたように口を開き、信じられないと言った様子。
なんとカプラはたった一晩で、瞬間獣化を身に着けたのだ。
「死ぬ気で練習したのよ! これで私を連れて行けるでしょ?」
「そ、そうだな……」
「すごいね……」
ロンほどではないが、相当なセンスである。
その大きさは人の頭ほど。
これなら確かに、隠して移動させることは容易だ。
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