第二話 〜マスク〜

 サヴァナシティは油断ならない都市まちである。

 力こそが全てであり、それを失うことは己の全てを失うに等しい。


 サヴァナにおける力。

 それは獣面マスクの一言で表される。

 端的に言って、獣面を持つ者は強いのだ。


 最強の獣面である獅子を頂点とし、トラ、サイ、クマ、バッファロー、他にもイタチやネズミといった小動物まで、ここサヴァナには、実に様々な獣面が存在する。

 この獣面を身につけた者は、不死の炎――エターナル・フォース――の加護を受け、超人的な力で戦えるようになる。


 現在、サヴァナシティに存在する獣面の数は10万と少し。

 それに対して都市の人口は150万。

 およそ15人に1人が獣面を所持出来る計算になる。


 マスクを持たぬ者は面無ゼブラと呼ばれ、その多くが惨めな生活を余儀なくされる。

 尊厳などもとから無く、力ある者達に媚び、残飯を漁り、泥水をすすって生きるのが常道だ。


 一方、最強の獅子面を手に入れた者は、都市の全権を握る王となる。

 サヴァナシティの生きた法律となり、一等地を専有し、好きなものを好きなだけ入手して、栄華を極めた暮らしを送る。


 そこまでいかずとも、ある程度の力を持つ者であれば、恵まれた環境を得られるだろう。

 豪勢な住居を建てるもよし、美男・美女をはべらすもよし、己の趣味趣向をとことん極めるもよし。

 とかく力さえあれば、大抵のことが出来てしまうのが、ここサヴァナという場所なのだった。


「……なんでついて来るんだよ」


 ポケットに手をつっこみ、憮然とした態度で歩いていたロンは、後についてくる少女に言った。

 彼の被っている獣面は狼。

 面無の力を1、獅子の力を1000として定められる戦闘力指数において、130という中位の数値を示す。


「もちろんミーヤはロンについてくんだにゃ」


 ロンの問いかけに、少女はにべもなく答えた。

 その口元には早くも、悪戯な笑みがこぼれている。


「ったく……なんでだよ、さっさと館に帰れ」

「つれないこと言わないにゃあー。どうせこのあと食べなおすに決まってるにゃ!」

「店に戻って寝るだけだ」

「にゅふふ……マスターに肉のこと言うにゃ?」

「……ふがっ!?」


 ロンは顔を青くする。


「ツケが一杯たまってるのに、ステーキなんか食べてたーって言ってやるにゃ!」

「て、てめえ……この上まだ俺をゆする気か!?」


 全然懲りてねえ――。

 胸のうちに怒りをたぎらせながら、ロンは耐えるように拳を握り締めた。


 彼の年齢は24。

 その体つきは凛々しく、まさに闘士としての最盛期を思わせる。

 しかしながら彼は、長いこと獣面を巡る争いに加わっていない。

 普通に仕事をして日銭を稼ぎ、知人が経営する店の二階を借りて暮らしている。


「にゃふふー、チャーシュー1枚で黙っててやるにゃーん」

「ぐぬぬ……」


 これまた絶妙なさじ加減であった。

 マスターに小言を言われるのと、チャーシュー1枚失うことを天秤にかければ、ぴったり釣り合いがとれるだろう。

 どこまでもしたたかなミーヤに対し、ロンは怒りを通り越して呆れ果てるのだった。



   * * *



 獅子の雷によって破壊されたスラムから7区画、500mほど歩いた場所にその店はある。

 大通りを一つ折れ、そこからさらに小路に入ったところに建つ、朽ちた三階建てビルの一階である。

 壁はコンクリート製だが、砂をたっぷり混ぜ込んだ安物で、屋上から基礎の部分までアリが食ったようにボロボロだ。


 扉の上に掲げられた木の看板にかかれている文字は『インスタントMEN』。

 良い具合に傾き、ある種の侘び寂びを醸している。


「マスター! チャーシュー頂きにきたにゃー!」


 両方の壁に二つずつ、計4つ並べられたテーブル席は思いのほか清潔。

 中途半端な時間なので客は一人もいない。

 ロンとミーヤがカウンター席に座ると、奥で雑誌を読んでいたイノシシ面の男は、その重い腰を持ち上げた。


「やあおかえり、ロンってばまたミーヤちゃんに弱み握られたの?」


 良く言えば恰幅が良い――悪く言えば小太りな――イノシシのマスターは、からかうように言った。

 その獣面はすっかりくたびれ、獣毛の殆どが抜けてしまっている。

 そのツルリとした表面はまるでブタ肌のようで、口元についている小さな牙だけが、イノシシであることの証だ。


「べ、別に大したことじゃねーぜ……チキン味チャーシュー入りで」

「あいよ、150サヴァナね。一応聞くけど、ツケとく?」

「……たのむ」


 いつになったら返してくれるのかなーと、どこか愉快げな様子で、イノシシは台所の下から片手鍋を取り出す。


「ミーヤちゃんもいることだし、今日はチクワを一本サービスしておくよ」


 言いつつ、半分に切ったチクワを鍋に放り込む。

 それは、遥か東国の産物であるはずの食材。

 一体どういう筋を通してサヴァナに流れてくるのか、その一切が謎だ。


「にゃああん! マスター愛してるにゃー!」


 しかし、あからさまな声で店主に甘えるミーヤ。

 一方、ロンはため息。


「こいつを甘やかしても良いことはねーぜ」

「いいのいいのー。こんな場末に、女の子が寄り付いてくれるってだけでもありがたいんだから」

「ふんっ、相変わらず甘いなおっさんは……」


 ミーヤはぐつぐつと煮える鍋を覗き込み、早くも口端から涎をたらしている。

 チャーシューとチクワ以外の物も、ちゃっかり頂くつもりだ。

 ロンの食べものを横取りして楽しむのは、この少女の趣味のようなものだ。


 サヴァナシティの食料事情はお世辞にも潤沢とはいえない。

 直径15kmの狭い円形の土地に農地は少なく、150万もの人口をまるで養いきれていない。

 獅子長が現在の人物になってからは、さらに悪化している。 


「できたよー」

「んにゃあー!」


 その貴重な食料をかすめていくネコは本来、厄介者でしかない。

 しかし三人は、敵対者である以上に、生存領域を共有する利害関係者だ。

 そういった住民間の力学もあり、ここサヴァナでも、食料を分かち合うといった光景は成立する。


 マスターは何も言わずに小鉢を取り出した。

 そして約束のチャーシューとチクワとともに、いくらかの麺とスープを注ぎ入れる。


「いっただきまーす!」

「むうう……」


 遠慮なく麺をすすり始めるミーヤ。

 その様子を見て、マスターは満足げな表情。

 チャーシューと麺を取られたロンだけが仏頂面だ。

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