閑話17 カラスミと冷蔵庫

「お館様! お館様はいずこに?」


「ローデリヒさん、どうかしましたか?」


「お館様を探しているのだが、一向に見つからなくて……。今日も仕事があるのだが……。果たしてどこに行かれたのか?」


「ヴェルなら、このところ『瞬間移動』で毎日ミズホ公爵領に通ってますよ。なんでも、新しい食品を試作しているそうで……」


「んなっ! それを止めるのが、お館様に近しいエルヴィンの仕事ではないか!」


「そうは言いますけどね。ヴェルの場合、『瞬間移動』でいきなりいなくなることも可能なわけで……。なかなかに難しいですよ。もう少ししたら戻るそうです」


「新しい食べ物って……。いったいなにを試作しているんだ?」


「さあ? 完成するまでのお楽しみだって、ヴェルは言っていましたよ」


「ううむ……」





 またヴェルが、仕事をサボって勝手に出かけたんだが、もう恒例行事というか、『瞬間移動』を使われるともうお手上げだ。

 それにヴェルは、これは絶対にサボってはいけないという仕事はちゃんとこなすからな。

 実際、ローデリヒさんもそこまで深刻そうにしていない。

 本当にヤバイ仕事をサボられたら、もっと大騒ぎしているはずだ。


「しかし、どうしてミズホに?」


「なんでも、バウマイスター辺境伯領の気候ではいいものができないそうで……。材料も、北の海で手に入れたものが最適だって言っていました」


「謎だ……」


「言い出したら聞かないし、どうせすぐに戻ってきますよ」


「まったく、お館様はこれがなければ……」


 とはいえ、こういうことしないヴェルはヴェルじゃないし、今さら領主としての仕事のみに集中するようになるとも思えない。

 こんなものだと思って、諦めるしかないな。


 それにしても、いったいなにを作っているんだか……。






「おおっ! 新鮮なボラの卵じゃないか。しかもこのボラは、北の海の砂地で獲れたものだとか?」


「へい、海底が砂地の場所で獲れた寒ボラはとても美味しいんですが、卵を持っていると、栄養を取られていて身が美味しくないんですよ。卵も煮付けたりしますが、特段美味しいとも……」


「そのボラの卵を、これから美味しいものに加工するぞ」


「なにか新しい食べ物ですか? それにしても、バウマイスター辺境伯様は随分と博識なのですね。どこからそのような知識を?」


「古い文献からさ(まさか、前世の知識とは言えない……)」


「おおっ! もしや、古代魔法文明時代の食べ物ですか?」


「詳しい年代はわからないなぁ……」


 俺がよく利用しているミズホの食品加工工房は、イカをスルメにしたり、塩辛を作ったり、昆布を干したり、佃煮を製造しており、魚介加工品の老舗として有名であった。

 今では帝国や王国にも輸出しており、両国のミズホ食品ブームを支えている存在だ。

 新興であるフジバヤシ乾物店も頑張っているけど、まだここには及ばない部分が多いかな。

 そんな工房において、俺はミズホ人の職人たちと一緒にひたすら細かな作業に没頭していた。

 塩水の中で、ヘソの部分がついたままのボラの卵を下処理する。

 この時期は手が悴むが、これも美味しいもののためだ。

 

「ボラの卵を覆う皮の表面に血管が走っているだろう? ここを的確に針で突いて穴を開けてから、血管の部分を指でそっと押して、血管の中に入っている血を押し出していく」


「この作業の意味は?」


「仕上がりに差が出る。ボラの卵の表面に血が残っていると、見栄えが悪いし、生臭さが出てしまうのさ」


「なるほど。丁寧に血を下処理することが大切なんですね」


「そうだ」


「いやあ、こういう作業があると職人冥利に尽きますわ」


 さすがは、気質が日本人に似ているミズホ人。

 俺が教えたとおりに……とはいえ、実は前世で取引先だったカラスミを加工するメーカーで作業を見学しただけなので、かなり適当だけど。

 そう。

 俺が作ろうとしているものは、カラスミであった。

 実はこの世界、南方にはボラが生息しておらず、ヘルムート王国西部、東部のボラは味がイマイチで人気がない。

 泥地に生息している個体が多く、泥臭いのだ。

 そこで北のフィリップ公爵領内の海で産卵期のボラを獲り、ミズホ公爵領で加工することになった。

 フィリップ公爵領では、卵を持ったボラは身が痩せているので人気がない。

 その卵も、特に人気がある食材というわけではなかった。

 最近では、ミズホ公爵領の醤油で卵を煮付ける料理が漁師の間で普及しつつあると聞いたが、どうしてもタラコには負けてしまう。

 セリで価格がつかないことも珍しくなく、そこで俺が大量に安く買い付けてきた。

 これでカラスミを作れば、高級珍味として高く売れるはず。

 高く売れなくても、自分でカラスミを作ると面倒なので、ミズホから購入できるようになればラッキーというわけだ。

 カラスミの作り方は思ったよりも簡単だが、とにかく時間がかかる。

 綺麗に作ろうと思えばいくらでも手間をかけられ、高価な理由がよく理解できる食べ物なのだ。

 前世の俺の安月給では、安価な代替品しか手が出なかった。

 だが、この世界の俺ならカラスミを沢山食べても文句は出ない。

 ところがミズホにもカラスミは存在せず、ならば最初は自分で作ってしまおうと思ったわけだ。


「あっ! 卵の袋が破れた!」


「破れたら、そこはなるべく触らないようにして。針で血管のみに穴を開けることに集中だ。血管の上から指でなぞって血を出す時も、強くやり過ぎると、皮が破れて中の卵が出てきてしまうから要注意」


「わかりました」


「これは手間がかかるな」


 最初は失敗することも多かった、ボラの卵の血抜きであったが、さすがは魚介類の加工に慣れている職人たち。

 すぐに作業に慣れて、ボラの卵は次々と加工されていった。


「実は、まだ血管の中に血が残っているので、一晩冷たい水に漬けて残りの血を抜く」


「ボラの卵の上を走る血管の中に残った血を、残らず抜くのですね」


「そうだ。では、また明日!」


 俺は忙しいので、今日はこれで屋敷に戻ることにした。

 そして翌日、冷たい水から取り出したボラの卵を、大量の塩に漬ける作業の監督をした。


「あっ、本当に残っていた血が抜けていますね。容器の底に結構溜まってますよ」


「だろう? これが、生臭さの原因になるのさ」


 ボラの卵を漬けていた水は、少し赤くなっていた。

 容器の底にも、固まった血が沈んでいる。

 美味しいカラスミのためには、こういう細かいところも手を抜いてはいけない。


「塩には一週間ほど漬けるが、塩の量はケチらずに。ボラの卵から水が出るので、それは毎日取り除くのを忘れないでくれ。ではまた明日!」


 塩漬けの作業が終わるのを見届けてから、俺は『瞬間移動』で仕事に戻る。

 俺はバウマイスター辺境伯として忙しい身だが、毎日ボラの卵のチェックは欠かさないようにしないと。

 もし失敗したら嫌だからな。

 ミズホ公爵領は遠いが、『瞬間移動』があれば距離と時間などないに等しいのはラッキーであった。

 たとえ大きな変化はなくても、俺は塩漬けしたボラの卵のチェックを忘れない男なのだ。

 職人たちがカラスミの作り方を完璧に覚えたら、あとは買いに行くだけで済む。

 たとえ忙しくても、彼らがカラスミ作りを完璧に覚えるまでチェックを忘れないようにしないと。

 

「ようし、順調に水が抜けているな。この水を取り除きながら、あと六日塩漬けにする」


「わかりました」


 そして一週間後。

 塩漬けしたボラの卵は水分が抜け、大分縮まったように見える。


「塩漬けしたボラの卵は、水に漬けて塩抜きするんだが、この時に真水ではなく、薄い塩水を用いた方がほどよく塩分が抜けるぞ」


 なんか浸透圧の関係だったと思うが、俺は根っからの文系人間。

 詳しい理屈は忘れたが、ようはちゃんとボラの卵にほどよく塩分が残った状態のまま塩抜きできればいいのだ。

 

「ああ、呼び塩ですね。塩蔵品の塩抜きと同じなんですね」


「そう、それ!」


 さすがはミズホ人。

 すでに呼び塩を知っていたとは。

 その割には、カラスミは作っていなかったけど。


「塩抜きは三日間ね」


「わかりました」


 まあ、毎日『瞬間移動』でここに来てボラの卵の様子を見に来るけど。

 そして三日後。


「今度は、ミズホ酒に一週間ほど漬けます」


「ほほう、これは高級品なんですね」


「そうだ。高級な珍味になるんだ」

 

 カラスミは、日本酒や焼酎に漬ける方法が主流? 

 だがここはミズホなので、ミズホ酒に漬けることにする。

 お酒につけると殺菌にもなるし、熟成が進む……のだと思うことにしよう。

 俺は大体の作り方しか知らないので、どうしてその作業が必要なのか詳しい理屈がわからないし、もしその方法が駄目なら、その時々で違うやり方を模索するしかない。

 カラスミの作り方って、細かな部分で色々と違う方法があるから、どの方法でやるのかは完成度を見ながらだな。

 

「毎日様子を見に来るけど、ボラの卵の管理は頼む」


「わかりました」


 さらに一週間後。

 ミズホ酒に漬けたボラの卵には水分が戻り、まるで最初の状態に戻ったかのようだ。

 

「これを天日で干すわけだが、まずは重しを載せて形を整える」


 カラスミ特有の平ぺったい状態にする作業だけど、あくまでも見栄えの問題なので、これは別にやらなくても構わない。

 ミズホの職人たちは売り物にする気満々なので、ボラの卵に丁寧に重しを載せ、天日で干し始めたけど。

 スルメや魚の干物を干している隣で、大量のボラの卵が干されていた。

 この時期のミズホは寒いが空気が乾燥しており、干し物には最適な季節である。

 

「干物、美味しそうだな。お土産に買って帰るか」


 カラスミの隣で、のどぐろと金目鯛に似た魚の干物が干されているので、お土産として買って帰るのを忘れないようにしないと。

 夜に、七輪で焼いて食べよう。

 そしてカラスミだが、昼間は干して夜は冷暗所に仕舞う。

 なぜなら、夜霧でカラスミが濡れるのを防ぐためだ。

 

「どのくらい干せばいいのでしょうか?」


「それも色々と試してみようと思う」


 まずは、一週間くらい干したカラスミを切って試食してみることにした。

 薄くカットしてから表面の薄皮を取り、まずはそのまま食べてみる。 

 さほど熟成は進んでいないが、適度な塩気とねっとり触感の美味しい魚卵といった感じか……。

 ご飯が欲しくなるな。

 強めの塩気と、干す前に念入りにミズホ酒に漬けたおかげでお酒の風味も残り、見事な酒のツマミにもなっていた。

 これなら、酒飲みたちも大満足するはずだ。


「ただ、ボラの卵の中心部の熟成が不十分なので、干す作業を続行しよう」


「わかりました」


 そして、カラスミを干し始めてから二週間後。

 その表面が、段々と濃い飴色になってきた。

 試しに切ってみると大分熟成が進んでいたが、中心部の熟成はもう少しといった感じなので、もう少し干すとしよう。

 そして一ヵ月後。


「中心部まで熟成が進んだな。ここまで熟成が進んだのなら大丈夫」


 一ヵ月の乾燥を経て、見事カラスミが完成した。

 大分硬くなったため、カットしてから表面の薄皮を取るのに難儀するな。

 確か、お酒に数分漬けると薄皮が取れやすくなるんだっけか?

 試してみると、ちゃんと薄皮を剥くことができた。


「中心部まで、見事な飴色ですね」


「これなら大丈夫だ。早速試食しよう」


 完成したカラスミを薄く切り、薄皮を取って大根の薄切りと合わせる。

 現代日本だと、定番の食べ方だな。

 

「薄く切っただけのカラスミと、表面を炙ったカラスミの味の差を見てみよう」


「炙るのですか?」


「美味しくなるはずだ」

 

 カラスミは、表面を軽く火で炙っても美味しい。

 俺は指先からバーナー状の火魔法を出して、薄く切ったカラスミを炙った。

 この『バーナー』の魔法は、とても便利である。

 ブリュレの仕上げを手伝ってエリーゼに重宝されたり、お寿司で炙りネタを作る時には、もう必須と言っていいだろう。

 チャーシューを作った時、半分を普通のチャーシュー、もう半分を炙りチャーシューにすると、とても贅沢な気分になれるのだから。

 令和日本なら、携帯ガスボンベを用いる炙り器があるけど、この世だと、魔法か高価な魔道具にするしかないからなぁ……。

 魔道具版炙り器の試作はしたけど、高価だから高級レストランくらいしか購入してくれなかったという。


「おおっ! 熟成が進んだカラスミの濃厚な味と、瑞々しいダイコンがよく合う!」


「根気よく干した甲斐がありますね。カラスミを軽く炙ると、こんなに美味しいなんて」


 そういえば、俺が事あるごとに『カラスミ』って言っていたから、この世界でもカラスミと呼ばれるようになってしまった。

 この世界に唐天竺はないと思うんだが……俺からしたら紛らわしくなくていいか。


「そのまま食べながらお酒のツマミにするのもいいけど、こういう食べ方もある」


 俺は、魔法の袋からパスタ、最近西部やバウマイスター辺境伯領でも特産品になりつつあるオリーブオイル、ミズホで手に入れたニンニク、鷹の爪を取り出し、それらを用いてペペロンチーノを手早く作った。

 完成した熱々のパスタの上に、魔法で瞬時に冷凍したカラスミを摺り降ろしたものをタップリかけると、『カラスミパスタ』の完成だ。

 パスタを茹でたお湯の塩分と、カラスミの味だけで勝負する料理だが、試食したミズホの職人たちは気に入ってくれたようだ。


「ちなみに、熱々のご飯の上に載せて『カラスミご飯』にしても美味しい。さらに、ここに熱々の昆布出汁を注ぐと『カラスミ茶漬け』にもなる」


「これは、至高の味……」


「美味しい! これは是非継続して作らなければ」


「しかし、これはバウマイスター辺境伯様のアイデアだから……」


 ミズホ職人たちは、カラスミがいい商売になると思ってくれたようだ。

 だが、俺のアイデアなので勝手に作っていいものなのか、悩んでいた。


「バウマイスター辺境伯である、この俺が許可しよう。これからも頑張ってカラスミを作ってくれ。ロイヤリティーなどはいらないぞ」


「本当によろしいのですか?」


「構わないさ。俺は忙しい身で、今回のように自分でカラスミを作るなんてそうそうできないから、俺が買いたくなるカラスミを、君たちが作れたらね」


 ここであえて、自分たちの仕事に誇りを持っているミズホの職人たちを挑発する。

 カラスミは自由に作っていいけど、俺が気に入る品質のカラスミを作れたらねと条件を出した。

 ここまで言われて、長年魚介類の加工品製造で生活してきた彼らがやる気を出さないわけがない、という計算の元にだ。


「必ずや、バウマイスター辺境伯様が買いに来たくなる、カラスミを作らせていただきます」


「そうなれば、俺は作るのが面倒なカラスミを買えるようになるから、万々歳さ」


「北の海の、ボラの卵を買い占めるぞ!」


「あっそうそう、このカラスミは色々な魚の卵でも作れるんだよ。サワラとか、ブリ、タラ、マグロとかでも試してみるといい」


「なるほど。それらの魚の卵も漁師や地元の住民が煮つけて食べるくらいなので、カラスミにして売れればいい商売になりますね」


「いやあ、さすがはバウマイスター辺境伯様だ」


「こんなに美味しいものの作り方を無料で教えてくれるなんて」


「こういうお方が、歴史に名を残すんだろうな」


 職人たちが俺を褒めてくれるが、俺は別に聖人ではないし、カラスミの作り方を無料で教えても、ちゃんと元を取るどころか、大儲けできるので問題ないさ。

 今から、その手法をお見せしよう。





「バウマイスター辺境伯、これはなんなのである?」


「濃い飴色で、随分と平ぺったいし……少し魚臭いような……」


「古い書籍に記載された、『カラスミ』という魚卵の加工品です。とても美味しい酒の肴ですよ」


「試食したいのである!」


「俺も!」


 カラスミを普及させるにあたり、まずは高値で定期的に購入してくれそうな層を狙い撃つことが大切だ。

 初期ロットのカラスミの完成から数ヶ月。

 ミズホ職人たちはボラのみならず、北の海で獲れる魚の卵を材料に、様々なカラスミを試作し、すでに商品になるものを作れるようになっていた。

 設備投資にも積極的で、巨大な冷蔵庫を購入し、完成したカラスミの保存にも手抜かりはない。

 その冷蔵庫は、バウマイスター辺境伯領の工房で作られた最新型の業務用冷蔵庫で、魔族の国から中心部品を輸入して製造されたものだ。

 最近、アキツシマ島で産出する黒硬石を材料とした、魔導ギルド製造の魔法陣板を魔王様に販売するようになり、代わりに高品質な周辺部品をゾヌターク共和国から購入。

 これらと、バウマイスター辺境伯領で生産されている外装部品などをバウマイスター辺境伯領の職人たちが組み立てた、最新型魔道具の販売が好調だった。

 非常に高価だが高性能なので、長い目で見ると得という評価を得ていたからだ。

 ミズホの職人たちは、カラスミのみならず、魚介類の加工品の品質を安定させたり、在庫の品質を落とさずに保存できる高性能業務用冷蔵庫を購入してくれた。

 カラスミで儲けなくても、俺はというか、バウマイスター辺境伯家は儲かっている。

 彼らの紹介で、同業者たちもバウマイスター辺境伯領産の高性能業務用冷蔵庫を購入してくれた。

 まさに、『損して得取れ』というやつだ。

 ミズホの職人たちは、カラスミの作り方のお礼として無料で試作品を沢山くれた。

 そこで今こうして、導師とブランタークさんにカラスミの試食をしてもらっているところだ。


「薄くカットしたカラスミを炙り、同じく薄切りにしたダイコンに載せて食べる。ミズホ酒とよく合いますよ」


「確かにこいつは、ミズホ酒とよく合うな! ぷはぁ! 珍味だけど、うめえ! イカの塩辛よりも高級感あるな!」


「カラスミをチビチビと囓りながら、ミズホ酒を飲むと、口の中がリセットされていくらでも食べられるのである! 美味いのである!」


 酒飲みである二人は、カラスミとミズホ酒の組み合わせを心から楽しんでいた。

 

「しかし、このカラスミってのは、酒飲みの心を射貫く素晴らしい食べ物だな」


「〆で、カラスミパスタと、カラスミご飯、カラスミ茶漬けも最高である! 是非購入したいのである!」


「ミズホで売ってますよ。これ一腹で二百セントですけど」


「辺境伯様、随分と高いな!」


「いやあ、それが……」


 まさか、こんなに早くカラスミの価格が暴騰するとは思わなかったのだ。 

 真面目にカラスミを作りを極めたミズホの職人たちは、毎年恒例の謁見だそうで、ミズホ公爵家に出来のいいカラスミを献上した。

 すると、ミズホ公爵自身がカラスミを大いに気に入り、ミズホ公爵家主催の宴会で家臣たちに提供したら彼らも大いに気に入り、積極的に買い求めるようになった。

 さらに、つき合いのある帝国貴族にも贈答品として贈られ、気に入った帝国貴族たちが帝都で他の貴族たちにも振る舞い……。

 俺が思っていた以上に早く、高級珍味としての地位を確立してしまい、あとは俺が王国貴族たちに広げれば終わりと、いう状態になっていた。

 俺としては、手間が省けて助かったけど。


「まあ、作るのにすげえ手間がかかるみたいだし、妥当な価格かもな。買えない金額でもないしな」


「是非、兄上やエドガー侯爵にも贈りたいのである! バウマイスター辺境伯、ミズホに買いに行くのである!」


「まあ、いいですけど……」


「あっ、俺も欲しい」


 俺がブランタークさんと導師をミズホの工房まで『瞬間移動』で連れて行くと、彼らはこれまでに稼いだお金を惜しみなく使って、カラスミを大量に購入した。

 よほど気に入ったようだ。


「ただ、二人は魔法の袋があるからいいですけど、常温保存だとそんなに保たないので、冷蔵した方がいいですよ。冷蔵しておけば、さらに熟成が進みますから」


「うぬぬ、カラスミ自体が高価なだけでなく、冷蔵庫も必須な食材なのであるか」


 ミズホ公爵領産の魚介を加工した品は、輸送にも時間がかかるので、賞味期限の問題が常につきまう。

 だからそれがない、乾燥コンブや海藻類、スルメ、ワカメの塩蔵品が人気だった。

 イカの塩辛なんて、常温保存可能な品はとにかく塩辛く、チビチビ食べるか、保存性に目を瞑って薄塩にするか、調味料代わりに使うしかなかったのだから。


「魔法の袋に入れるとカラスミの熟成が進まないので、今の状態を保ちたいのなら、魔法の袋での保存は最適です。カラスミの熟成を進めたければ、冷蔵庫での保存は必須ですね」


「なるほど」


「ならば、これも購入するのである!」


 お金がある導師とブランタークさんは、バウルブルクの工房で製造された小型冷蔵庫を購入した。

 重要部品の多くがゾヌターク共和国からの輸入で、魔導ギルド製の魔法陣板を用い、その他の部品と組み立てがバウルブルクの工房という、将来に向けた課題が多い製品だけど、今は徐々に自作できる部品を増やして技術力を上げるしかない。

 それにゾヌターク共和国としても、重要部品を大量に輸出できた方が若者の失業率が下がって万々歳だろうから。

 

「(うちも儲かるしな。富裕層にバウマイスター辺境伯領産の小型冷蔵庫を販売する戦略ってことで)」


 カラスミや、冷蔵が必要な珍味、お酒、お菓子などを小型冷蔵庫に入れて自室に置く。

 これまで、貴族の屋敷にある冷蔵庫は大型の品ばかりで、必ず調理場に置かれてた。

 調理人が、食材を取り出しやすいようにだ。

 ところが、バウマイスター辺境伯領産の小型冷蔵庫は個室にも置ける小ささだ。

 燃費も、魔法陣板のおかげで大分よくなっている。


「(お金がある人が、自室に食べ物や飲み物を冷やしておける小型冷蔵庫を購入するって寸法だ。カラスミのおかげで、導師もブランタークさんも……)」


 一台二万セント以上もする小型冷蔵庫を、すぐに購入してくれた。

 どうして俺が、無料でカラスミの作り方をミズホ人たちに教えたのか。

 それを冷蔵する小型冷蔵庫を売るためでもあったのだ。


「(勿論、カラスミも食べたかったんだけど。カラスミパスタとカラスミご飯、最高!)」


 自室に小型冷蔵庫を置いて、お酒、飲み物、ツマミ、デザートを好きに楽しむ。

 新しい生活スタイルを貴族や金持ちに提案して、高価な小型冷蔵庫を買ってもらうためのステマというわけだ。

 

「(バウマイスター辺境伯領産のカカオで作られたチョコレート、生チョコレート、フルーツ、お菓子も。冷蔵庫があればもっと売れるはずだ)」


 自室で一人、小型冷蔵庫に入れてあるお酒、ツマミ、お菓子などを楽しむ贅沢。

 まさに、富裕層だけの贅沢と言えよう。

 将来的には価格を下げて、裕福な平民にも売っていきたいけど。


「(うちの小型冷蔵庫、高く売るために表面の装飾には拘っているからなぁ。デザインのオーダーメイドも受けるし。技術力で魔族に勝てない以上、今は色々と工夫しないと……)」


 実は、小型冷蔵庫はゾヌターク共和国にもあるし、かなり安かった。 

 最近一人暮らしで料理をしない魔族が増えており、彼らには大型の冷蔵庫なんて不要だからだ。

 お金がないので、安い小型冷蔵庫を購入するケースも増えており、その気になればいくらでも小型冷蔵庫を……と思ったら、冷蔵庫を買える人間の金持ちは同居人数が多く、効率のいい大型冷蔵庫を欲しがる。

 そのせいで魔族は、人間には小型冷蔵庫が売れないと勘違いしていた。

 人間と魔族の生活スタイルの差に、魔族の魔道具メーカーの営業担当が気がつかなかったのだ。


「(売る相手を間違えず、少数販売で高利益にすれば、小型冷蔵庫も売れるのさ)」


 ブランタークさんもそうだが、導師が屋敷の個室に小型冷蔵庫を置き、お酒やツマミを楽しむようになってからしばらく。

 バウマイスター辺境伯領内の工房に、小型冷蔵庫の注文が殺到した。


「お館様、貴族や金持ちから小型冷蔵庫の注文が殺到しています。オリジナルデザイン品の注文が大半です」


「ただ製品を売ってもなかなか売れないし、魔族の技術力に対抗するのは難しい。使い方も含めた提案をして販売しないとな」


 現代地球なら割とよくある商売方法だが、この世界だとポピュラーじゃないからな。

 きっと職人たちは俺を褒め称えるだろうが、ただのアイデアのパクリである。

 俺に、ゼロから新しいアイデアを思いつく才能はないから!


「なるべく装飾などを簡素にした、零細品も作るか」


「えっ? ですが、魔族の企業は売れないからって諦めましたけど……」


「魔族の国から重要部品を輸入して、魔族も研究中の魔法陣板は、我々の方が安く買える。他の部品と組み立てはこっちでやれば、ゾヌターク共和国からの輸送コストを考えても安く済む。それに魔族は、売る相手を間違っているんだ」


 豊かな魔族は、まだ人間の平民の購買力が低いことが想像できない。 

 魔族にも社会に対する不満があるだろうけど、人間の貧困に比べたら深刻ではない。

 そもそも魔族は、飢え死になんてしないしな。

 それに、魔道具である冷蔵庫は定期的に魔力を補充しなければならないのだが、そのコストも負担なのだ。

 平民でも、頑張れば魔族の国製の安い小型冷蔵庫を購入できるが、魔力の補充費用がネックになってしまう。

 維持コストのせいで、使えなくなってしまうというわけだ。

 全員が魔法使いである魔族は自分で魔力を補充できてしまうから、魔道具メーカーの営業もそこに考えが及ばないというか……。

 ついでに言うと、魔族で魔法陣板の省エネ効果を評価していない者は多い。

 なまじ自分で魔力を補充できてしまうために、その価値がよくわからないのだ。

 元々魔族が作る魔道具は、長年の研究のおかげで省エネな魔道具が多いせいもある。

 だから魔族が作る魔道具には、魔法陣板が使われていない品も多い。

 王国の魔導ギルドからの輸入になってしまうので高くつくため、コスト削減のため、魔法陣板を用いていない魔族製魔道具が大半だった。


「これは飲食店に売る。業務用だ」


 大型冷蔵庫を購入、維持できないけど、冷やした方がいい料理や食材を持つ飲食店に売る。

 この場合、貴族相手のように派手な装飾などいらない。

 むしろコストを上げる要因になりかねないので、シンプルな作りの方がいいだろう。


「なるほど。売り方なんですね」


「必要とされる性能がなければ、いくら売り方を工夫しても売れないけど」


 俺の読みは当たり。

 安価な小型冷蔵庫は、あまり大商いではない飲食店に大量に売れた。 

 それを知った魔族たちは首を傾げていたけど、彼らには技術力があっても、長年人間と接してこなかったせいで、その生活レベルや気質がよく理解できなかったからであろう。


「とはいえ、上手くいくのは今のうちだけさ。この方法で凌いでいる間に、バウマイスター辺境伯領の、いや人間の技術力を上げないと」


「魔導ギルドのベッケンバウアー氏も、そこは大いに気にしているようですね」


 魔法陣板の発明は、いくら魔族でもそう簡単に真似できないが、いつかは真似されてしまうはず。

 それが理解できるベッケンバウアー氏は、今も毎日元気に魔導ギルドの地下にある研究室で研究に没頭しているはずだ。


「あっ、そうだ。差し入れを持っていくか」


「例のカラスミですか?」


「いやぁ、 研究室だからね。それに見合ったものだよ」


「見合ったものですか……」


 ローデリヒは、それがなんなのか想像もできなかったようだが、魔導ギルドの研究室には小型の冷蔵庫がいくつか置かれている。

 冷やしておくと、必要な時に摂取できる素晴らしい食品さ。

 すぐに、ベッケンバウアー氏に差し入れるとしよう。







「ベッケンバウアー理事、このところ研究が順調なので残業はナシですけど、このところどういうわけか疲労感が抜けないんですよ」


「ならば、このバウマイスター辺境伯殿から差し入れてもらった、『スタミナドリンク』を飲むがいい! こうやって小瓶に入れてあって、冷蔵庫で冷やしてあるのでな」


「スタミナドリンク? どういう飲み物なのですか?」


「体にいい成分が入った冷たいジュースみたいなものだそうだ。お酒ではないので、仕事の合間にも飲めるらしい」


「なるほど。いただきます……。冷たくて美味しくて、なんか元気になってきました」


「効果はあるのだな。どれどれ……。これはいいかもしれないな」


 魔道具ギルドも、人員が大幅に若返ったら大分成果を出すようになったが、なにしろこれからずっと技術力に大きな差がある魔族と、同じように魔導技術の研究に力を入れている帝国、ミズホ公爵家とも競争していかなければならない。

 無理は禁物だが、職員たちも大いにプレッシャーを感じていたのであろう。

 疲労感を訴える職員が多かったので、バウマイスター辺境伯から貰ったスタミナドリンクの試作品を飲んでみたら、確かに元気になったような気が……。

 分析してみたが、特に変な材料は使っていないようだし、バウマイスター辺境伯殿によるとかなり低コストで作れるとか。


「ベッケンバウアー理事、これ、定期購入したいですね」


「大した金額でもないから、経費で落ちるはずだ。しかし、バウマイスター辺境伯殿はよく思いつくな」


 それからしばらくしたら、王都の町中にある商店で、小型冷蔵庫で冷やしたスタミナドリンクが販売されるようになり、朝、仕事に行く前や、帰宅途中の労働者がこれを購入し、一気に飲み干している光景をよく目撃するようになった。

 どうやら、アルテリオ商店が販売に関わっているようだが……。


「スタミナドリンクのさらに上に行く、『エナジードリンク』? 新製品か……。バウマイスター辺境伯殿は本当によく考える」


 バウマイスター辺境伯殿が考案したスタミナドリンク、エナジードリンク、その他飲料を小型冷蔵庫で冷やして販売する商売は大いに繁盛し、スタミナドリンク、エナジードリンク小型冷蔵庫を製造しているバウマイスター辺境伯家は大いに儲かったとか。

 どうやら彼は、商人になっても大成功を収めそうな人物のようだな。


「ぷはぁーーー! お昼の休憩時間に飲むエナジードリンクは体が元気になるな」


 今日もエナジードリンクを飲んで、魔導技術の発展のために努力しようではないか。





「それにしても不思議ですな。わざわざ薬効成分を薄めて甘くしたスタミナドリンクと、刺激的なハーブ類を加えたジュースみたいなものが、冷やすとこんなに売れるなんて……」


「有効成分は少ないけど、甘味と冷たさで疲労感が和らぐってわけさ。毎日、疲労回復の魔法薬なんて飲んでいたら破産するし、ああいうものの飲みすぎはよくない。我ながらいいアイデアだと思うけど」


「お館様は、商人になっても大成したでしょうな。私のライバルにならなくて、ホッとしていますよ」


 街角のお店の店頭に小型冷蔵庫を置き、スタミナドリンク、エナジードリンク、他飲料を小瓶で売る。

 飲み干した小瓶をお店に返すと小瓶代が返却され、空の小瓶は洗浄され、また飲料が補充される。

  日本で昔行われていた商売を試してみたんだが、商売を任せたアルテリオがホクホク顔で感心するくらい売れていた。

 すでに別世界で成功した商売のパクリなので成功しやすかったのだけど、それをみんなに教えるわけもなく、俺は商売人としての評価も上げることに成功したのであったが……。




「お昼は、豪華にカラスミパスタを食べながら、冷たいエナジードリンクを飲む。ハーブ類の含有比率を変えた試作品だが、これは刺激的でいいな」


「次のエナジードリンクの新製品ですよ」


 今日は午後からも仕事が多いので、アルテリオと二人でしっかりと食事休憩してから、作業現場に戻るとしよう。

 たまにはこうしてお遊びもしないと、俺もストレスが溜まってしまうからな。



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