第十八話 猿酒

「エルフ族の特産品ですか? そうですね……猿酒は豊富ですよ」


「猿酒って美味しいのかな?」


「ええ。天にも昇る酒、天国酒とも呼ばれています。造り方がちょっと特殊なんですね」




 無事世界樹に住むエルフ族が臣従したが、アームストロング伯爵たちは世界樹周辺の偵察や長滞陣用の陣地作りのため、測量で忙しいそうだ。

 そのため俺たちは、エルフ族の村に厄介になっていた。

 早速アーシャさんにこの村の特産品を聞いたのだが、やはりというか先に聞いていた猿酒だそうだ。

 地球では創作物に出てくるか、噂には聞くが実体がよくわからないお酒であった。

 野生の猿が、偶然果物の糖分がアルコールに変化したものを発見し、それを楽しんでいたので、それが猿酒と呼ばれたに過ぎないとか。

 少なくとも、俺のいた商社で扱ったことはなかったな。


「飲ませてほしいのである! 金ならあるのである!」


「俺にも飲ませてくれ!」


 で、当然導師とブランタークさんは、なにがなんでも猿酒を飲みたいわけだ。


「某、兄上にお土産を頼まれたのである!」


 アームストロング伯爵も、彼のマッチョ軍団も、お酒が好きだし、沢山飲むからなぁ……。

 導師は、猿酒をお土産として持ち帰るよう頼まれたわけだ。


「いいですよ。交換……ああ、うちももうザンス子爵領なので、お金の使い方を覚えた方がいいですね。我が領が一番欲しいのは金属製の道具や武器ですけど」


 実は、エルフ族が腰に差している山刀と矢の鏃は、世界樹に棲む動物の骨を加工したものだそうだ。


「大リスの大腿骨を削ったのが、この山刀です。鏃は他の骨を削って作っています」


 山刀と鏃の材料は、動物の骨なのか……。

 それでは、金属製の武器や道具を欲しがって当然か。

 木の上だと、金属の精錬も難しい。

 木の上に鉱山なんてないし、まさか火事を出すわけにいかないのだから。


「辺境伯様!」


「バウマイスター辺境伯! きっと持っているはずである!」


 おっさん二人は、俺がなにか金属製の製品を魔法の袋に貯め込んでいると思っているな……。

 出すように催促してきたが、持っているな。

 包丁、ナイフ、鍋、フライパンなどの調理器具。

 剣、ナタ、小型の斧、金属製の鏃などの武器。

 その他、この村にはないであろう、多くの金属製の製品を取り出した。


「おおっ! すげえ!」


「俺はこの剣が欲しい!」


「この斧は枝を切るのにいいな」


「金属製のお鍋はいいわね。葉っぱを加工した紙のお鍋は一回で駄目になってしまうから」


 俺が魔法の袋から取り出した金属製品に多くの村人たちが群がり、あっという間になくなってしまった。

 大して高額なものもないので、滞在費と思ってもらえば。


「貴重な品をありがとうございます」


「そんなに貴重じゃないかな? そこは気をつけた方がいいよ」


 これから外部から商人たちがやって来るはずで、彼らに騙されないようアーシャさんに注意しておいた。


「王都やバウルブルクでは、このくらいの価値ですよ」


「わざわざご丁寧にありがとうございます」


 大体の相場を書いた紙をアーシャさんに渡すと、彼女はとても喜んでいた。

 エルフ族が変な商人たちにボッタクられると、ガトル大陸開発に重大な支障をきたすからな。


「我らエルフ族は受けた恩を忘れません。いただいた金属製品と交換で猿酒を提供しましょう」


「やっほーーー!」


「やったのである!」


 ようやく猿酒が手に入るので、異常なまでに喜ぶおっさん二人。

 交換した金属製品は俺のものだとか、そういうのは別にいいが……エリーゼたちが呆れているんですけど。


「案内しますね」


 アーシャさんが案内してくれたのは、下手な巨木よりも大きな枝のウロであった。

 ウロといってもその大きさは小さな湖ほどあり、周囲にはほんのりと甘い、酒独特の香りが漂っていた。

 俺たちはあまりお酒を飲まないが、これはとてもいい匂いだと理解できる。

 猿酒ってのは、こんなにいい香りがするのか。


「もしかして、このウロになみなみと湛えられた水は全部?」


「はい。猿酒ですね。この池は一年ほど熟成させた猿酒でして、それほど貴重なものではありません」


「なるほど」


「早く試飲をなのである!」


「そうだな。説明よりも実際に飲んだ方がよくわかるってものだ」


 おっさん二人の鼻息が荒い。

 それを見たアーシャさんは、ウロの傍に置いてあった木製の柄杓で酒を掬ってみんなに手渡してくれた。


「ぷはぁーーー! この一杯のために生きてるな!」


「香りよし! 味よし! 甘すぎず! 心地よい余韻が残るいい酒なのである!」


 酒飲みのおっさん二人は、猿酒を絶賛していた。

 みんなも酔わない程度に……特にエリーゼが危険なので……少量を試飲するが。今までに飲んだことがない美味しいお酒だ。

 いくらでも飲めそうな気がする。


「酒精分が強いので要注意だけど……」


 調子に乗って飲んでいると、すぐに酔っ払ってしまうであろう。


「美味しい」


 お酒が苦手なヴィルマでも普通に飲めてしまう。

 ある意味危険なお酒かもしれない。


「これを樽に詰めて進呈します」


「こんなに沢山いいんですか?」


「ええ、我々は世界樹のあちこちに、このようなウロを数千ヵ所も発見、管理しておりまして」


「そんなに?」


「はい。猿たちが頑張ってくれるので、実は貯まる一方なのですよ。猿酒ができる様子もお見せしましょう。ちょうど近くにある新しい巨大なウロで、猿たちがお酒を造っているはずですから」


 アーシャさんは、近くにあるという別のウロに俺たちを案内する。

 するとそこでは、虹色の毛皮を持つ人間とほぼ同じ大きさの猿たちが、ウロの端で世界樹のあちこちになっている赤い実を食べていたが、渋い果肉は食べていないようだ。


「種だけ食べてるのか」


「はい。果肉は渋いので。ですが、赤い実の種は小さい。虹色猿は体も大きいので、沢山食べないといけません」


 猿たちは赤い実を齧って種だけを取り出して食べ、果肉はウロの中に捨てていた。


「いらない実をウロの中に捨てるのか……」


「はい。どういうわけか、虹色猿たちは食べない赤い実の果肉をウロに捨ててしまうのです。虹色猿たちは群れで行動し、同じ場所で赤い実の種を食べ、なぜかウロに食べない果肉を捨てます」


 その果肉が発酵して猿酒になるわけか。


「これだけで酒になるんだ」


「虹色猿の唾液が、赤い実の果肉の発酵を促進させるようですね」


 昔の地球でも、人間が穀物、芋類、木の実を噛んでから吐き出し、それを発酵させて作る『口噛み酒』があるので、それの猿バージョンなのであろう。

 猿酒の味が驚くほど素晴らしいのは、猿が虹色だからか、猿の唾液が特殊なのか。

 猿の唾液なんて汚いと思う人もいると思うが、どうせ猿酒のアルコールで殺菌されてしまう。

 味はいいし、なにより珍しい。

 リンガイア大陸では高く売れるはずであり、ザンス子爵領は順調に統治できるはずだ。


「沢山いる猿たちが、みんなで食事をしていらない赤い実の果肉をウロに捨てるからできるなんて、偶然にしても出来すぎてるわね」


「イーナさん、当然最初は誘導しますよ」


 最初は、これから猿酒を醸造するウロの中に大量の赤い実を集めて入れていくのだと、アーシャさんは説明した。


「ですがそれは、今のこのウロが虹色猿が吐き出した果肉で一杯になってからです。果肉が貯まったウロは毎日手入れもしますしね。そうしないと失敗して腐ったり、発酵させ過ぎて酸っぱくなったりしますので」


「その加減は、エルフ族の秘伝というわけだ」


「はい」


 それはそうだろうな。

 猿酒という希少な酒の造り方なのだから。

 他人に教えようにも、その他人との接触がなかったという事実もあったけど。


「古酒もあるのですか?」


「当然あります。非常に繊細なので、小さなウロに移したり、樽に入れたりして特別に管理していますけど」


「試飲できないよな?」


「できないのであるか?」


「……伯父様、購入されればよろしいのでは?」


 古酒は、リンガイア大陸にも存在する。

 言うまでもなく非常に高価なので、試飲させてくれと言った二人にエリーゼが苦言を呈していた。

 確かに二人は金持ちなのだから、自分で買えばいいのに。


「それもそうだな。俺、購入するわ」


「某もである!」


「こちらです」


 アーシャさんの案内で、世界樹のかなり高い位置まで登ってきた。

 高度がある分かなり涼しく、この寒さならお酒も悪くなりにくいかもしれない。

 生い茂る世界樹の葉っぱのせいで、直射日光も当たらないのだ。

 ある大きな枝のある方に向かうと、そこには数名の見張りが立っていた。

 その後ろにいくつもの小さなウロがあり、猿酒がなみなみと入っていた。


「これが十年物、これが三十年物、五十年物、百年物、三百年物、五百年物と、看板に書かれているとおりです」 


「二千年物だと!」


「それが一番古い猿酒の古酒ですね。希少なお酒なので、こうやって交代で見張り番に立っています」


 二千年前のお酒かぁ……。

 どんな味なんだろう?


「おおっ! この琥珀色の素晴らしさなのである! 芳醇な香り! 味も深く! 満足な酒精分が、喉と胃を焼くように刺激するのである!」


「これはいいなぁ……。十年を超える古酒は最高だぜ」


 お金のあるおっさんたちが、これまでの人生で稼いだお金を積んで猿酒の古酒を買い占めていた。

 こんなに買って転売でもするのかと思ったら、全部自分用というから凄い。

 二人が言うには、他人に売るなんて勿体ない美味しさだそうだ。

 みんなが引くほどの金貨を積んで、買える限りの古酒を樽ごといくつも購入していた。

 早速購入した古酒を二人で試飲して、ただの酔っ払いオヤジと化していた。


「特産品になりそうですね、あなた」


「大丈夫そうだな」


 珍しくて美味しいお酒なので、きっと高く売れるはずだ。

 エリーゼはそう思いつつも、酔っ払いオヤジと化した自分の伯父を見てため息をついていたけれど。

 この世界の人間に限らず、酒好きとは、美味しくて珍しいお酒があればいくらでもお金を出すものなのだから。


「造れる量に限りがあるのだから、無軌道に売らないで、数を絞って販売して利益を取った方が長い目で見れば得だよな」


「しかしながら、販路をどう開拓したものか……。そうでなくても、我々は商売に疎いので……」 


 商売どころか、今までお金を使ったこともないエルフ族のため、色々と心配な点が多いのであろう。


「商人の知り合いもおりませんし、ここに商人が来るのがいつになるのかという問題もあります」


 商売になれば、商人はどこにでも姿を見せるはず……と言えるほど、まだ世界樹周辺は拓けていなかった。

 商人が来るまで時間がかかるはず。

 御用商人の選定すら時間がかかるはずだ。

 輸送路もないので、せっかくの猿酒も外部で販売できるには時間がかかるであろう。


「バウマイスター辺境伯様に、商人を紹介してほしいのです」


「我らはザンス子爵家としてヘルムート王国の貴族となったわけですが、一つ問題があります。寄親を探さなければいけないのです」


 アーシャさんの発言に続けるように、ザンス子爵自身も姿を現して言葉を続けた。


「確かにそうですね……」


「なかなか寄親が見つからないのですよ」


 ザンス家は新興……できたばかりだから当然か……であり、子爵家なので寄親は必要だ。

 ザンス子爵と王城に行った時、色目を使っていた貴族たちがいたが、王城を住処にしている法衣貴族が寄親になっても、ガトル大陸にいるザンス子爵を手助けできない。

 見栄を張って寄親になったのに、寄子が困っていてもなにもできない。

 こんなに恥ずかしいことはないので、みんなザンス子爵の寄親になるのを諦めていたのだ。

 ただそのせいで、ザンス子爵の寄親のなり手がいない、という現実もあった。


「そこで、バウマイスター辺境伯の寄子となり、商人を紹介してもらいたいのです」


「商人の紹介はできるけど……」


「頼られ、それができるのであれば、引き受けるのが貴族の責務である!」


 珍しく、導師から貴族の正論を言われてしまった。


「どうせ某も兄上も、ガトル大陸の貴族の面倒は見られぬ! しかし、猿酒は惜しい! よって、バウマイスター辺境伯がザンス子爵の寄親となるのが一番なのである!」


「……」


 導師の本音に、全俺が衝撃を受けた。

 清々しいまでに、自分のことしか考えていないという。


「別にいいですけど……商人のあてもあります」


 紹介する商人はアルテリオなのだけど、猿酒は利益率が高そうなので、彼なら上手にやってくれるだろう。

 俺はザンス子爵家を寄子にし、アルテリオを『瞬間移動』で連れてきて紹介したのであった。

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