第85話 ヘルムート兄さんの婿入り(前編)

「家を出てから苦節五年、俺もようやく結婚かぁ……」


「まさに言葉通りだった……」


「そうだよなぁ……」




 とある日の夜。

 今日は、エーリッヒ兄さんの案内でブラント邸において夕食会が開かれていた。

 参加者は俺を含めたいつもの五人と、エーリッヒ兄さんを含めたブラント騎士爵家の面々。

 そして、今度結婚する事になった三男のパウル兄さんが婚約者と共に。

 さらに、四男のヘルムート兄さんも参加していた。

 パウル兄さんのみならず、ヘルムート兄さんも近々婚約をする予定だそうだ。

 お相手は、パウル兄さんと同じくエドガー軍務卿が紹介をする予定らしい。

 近々、お見合いを行う予定だと聞いた。

 お見合いのなので、『今回は、縁がなかったということで……』という可能性があるのは現代日本でのこと。

 このお見合いは決して破談にならない点が、まさに封建主義というか……。

 ヘルムート兄さんが、貴族としての未来を投げ打つ覚悟があるのなら話は別であろうが、当然そんなわけはなかった。


「エドガー軍務卿によると、寄子で娘さんしかいない騎士爵家があるんだと」


「とんでもない好条件だな」


「その分、ヴェルが悲惨な目に遭っているからな」


 屋敷を買うだけの予定が、ホーエンハイム枢機卿と彼と懇意にしているインチキ不動産屋のせいで、何軒もの悪霊付き瑕疵物件の浄化をさせられたり。

 手に入れた屋敷も、怖い八つ裂きメイドの幽霊が標準装備されていたり。

 一瞬、可愛いメイド付きなのかと思って喜んだ、俺の純情を返してほしいくらいだ。

 念のために言っておくが、俺は別にメイドに手を出そうとかそういうことを考えているわけではない。

 自分の屋敷で働いているメイドが可愛いければ、それは心を潤す一服の清涼剤となると考えただけだ。  


「教会でも手に負えない物件ばかり、なぜ俺にばかり押し付けるのか……」


「魔力が多いのも考えものだね。ここぞとばかりに、未来へ丸投げしていた案件を片付けようとしたんだね」


「ヴェルが年取って死んだら、また浄化できなくなるかもしれないからな」


「貴族の屋敷なんて、定期的に事件が起こって瑕疵物件化するからな。俺たちの見回りのコースにも入っていたけど、新入りの頃に上司に事情を聞いても口を濁してな。暫くすると、噂で瑕疵物件化した理由がわかるんだよ」


 俺は、エーリッヒ兄さんから慰められていた。

 パウル兄さんとヘルムート兄さんは……ようするにそう簡単に浄化できないから放置されていたってわけか。

 例の『血塗れ王弟屋敷』の浄化に、それ以降舞い込むようになった王都各地にある悪霊付き物件の浄化と、暫く仕事が増えて大変だった。

 魔法の修練にはなるけど、苦労している自覚はあった。

 そのせいで、俺がいきなり上級貴族街に屋敷を構えても批判はされず、逆に浄化の腕前で評価は上がっているそうだ。

 上級貴族からすると、今まで悪霊のせいで住めなかったり購入できなかった屋敷が使えるようになるのだ。

 悪霊たちを浄化した俺を、役に立つ奴だと思っているのであろう。

 ある意味、ホーエンハイム枢機卿の思惑どおりでもあったのだ。

 それにしても、人を使える奴かそうでないかで評価しやがって。


「挙句に、あのヘルター公爵に引導が渡されるとは思わなかった。不快に思う人は多かったけど、陛下も処罰していなかったから」


「あの……エーリッヒ兄さんもやっぱり知っていたんですね」


「当然知っているさ。あの人は悪い意味で有名だったから」


 あの、かなり考えが足りなさそうな公爵様の件は、どうやら陛下が取り扱いに疲れて、暴走する機会を待っていたらしい。

 以前から、主にお金と女性の問題が多かった人だが、エリーゼの件もあって必ず俺をターゲットに……すると思っていたんだろうな、陛下は。

 そして、壮絶に自爆してくれたというのが真相だと思う。

 あの妙に多い謝礼金は、ヘルター公爵家が潰れて国家財政的に助かったお礼もあるのであろう。

 一応は迷惑料と、あまり真相を言いふらさないで欲しいという口止め料的な理由もあるのだろうけど。

 俺への謝礼は一度で済むし、ヘルター公爵家を潰しても新しい公爵家は立ち上げられず、長期的に見ると国家財政的には助かっている。

 どうせまた、王族たちにせっ突かれて、新しい公爵家を立ち上げる羽目になりそうだけど。

 公爵への年金は、年に二千万セントである。

 あのヘルター公爵に、もう二度と毎年二千万セントを支払わないで済むと考えると、俺に一度五千万セントを渡すくらい安く思えたのかもしれない。

 それに加えて、十数家のヘルター公爵家の寄子たちが、取り潰しを避けるために多額の罰金も支払っていた。

 今回の事件で、王家は損をしていないかもしれないな。


「そういえば、バルシュミーデ男爵家も潰されたんだよね」


 ただ他の寄子たちとは違い、ヘルター公爵の腰巾着であったバルシュミーデ男爵以下三家は取り潰されてしまった。

 最初はオマケの類かと思われたのだが、実はバルシュミーデ男爵はろくでもないことを考えていたようだ。

 それは、次第に増える公爵家への借金を減らすために、俺から大金をふんだくる計画であったらしい。

 決闘に俺が負け。

 陛下が認めた婚約者を手放すのは不忠ですよねと言って、その代わりに身代金ではないが大金をふんだくる。

 肝心のヘルター公爵であったが、あの人は女好きでもあまり一定の個人には執着はしないらしい。

 説得は容易なはずだと、のちの取調べで話していたそうだ。

 あまりにヘルター公爵家の借金が増えてしまうと、タカることもできないだろうからな。


『エリーゼ嬢との交換で纏まった金額と、残り二人の婚約者でも差し出させればいいかなと……』


 賭けの胴元くらいで、あの公爵家の膨大な借金が消えるとは思わなかったのだが、そういう意図があったようだ。

 勝手に交換材料候補にされたイーナとルイーゼはとても怒っていたし、そもそも二人はまだ未成年なので、ブライヒレーダー辺境伯の陪臣の娘のままだ。

 地方の有力貴族の係累に手を出すなんて、そこが自称知性派であるバルシュミーデ男爵の限界だったのであろう。


「そのヴェルの多大な苦労のおかげで、俺たちは結婚できるか」


「その代わり、エドガー軍務卿なんてお偉いさんに目をつけられたわけだ」


 俺のせいで二人の兄さんたちは、順調にエドガー軍務卿に囲われているようであった。


「警備隊勤務だからな。一応は軍人の下っ端ではあるわけだけど……」


「普通に考えれば、俺とパウル兄貴なんて、死ぬまでエドガー軍務卿から名前すら覚えてもらえなかったはずだ」


 王国全土に騎士爵家だけで二千家以上も存在しているので、大物貴族が全員を、さらに言えばその子供を覚えているはずもなかった。

 人間の記憶力には限度があるからな。


「三男以下になると、よほどコネと才能がないと貴族になんてなれないのさ」


 どうにしかして娘しかいない貴族家に婿入りするか、子供がいない貴族家に上手く養子に入るか。

 この時点で奇跡に近い確率であった。

 または、大物貴族の陪臣家に婿入りするか。

 これも普通なら、主君の次男以下を婿として貰うか、陪臣同士で融通し合うので難しい。

 最後に、同じ境遇の次女以下と結婚し、人生を賭けて出世を目指すか。

 大抵は駄目で、子供の代で平民に落ちてしまうそうだ。

 もう最初から貴族になるのを諦めて、平民の娘と結婚してしまう人もいる。

 その利点は、無駄に見栄を張る必要がないので、あまりお金を使わないで済むという点にあった。

 結婚後には、豪農や商人などを目指す人向けらしい。

 あとは、意地でも貴族に拘って結婚しないで人生を終えてしまう人。

 実は、少なからず存在しているそうだ。

 パウル兄さんもヘルムート兄さんも、そうならないで済んで胸を撫で下ろしていた。


「俺なんて、名前が駄目だから余計に……」


「この国で一番沢山いる、ヘルムートさんだからな」


 パウル兄さん曰く、ヘルムート兄さんの名はこの国の名前を冠している。

 不敬な気もするが、実は子供の名前にヘルムートとつける親は多い。

 平民でも、貴族でも。

 その数は圧倒的だ。

 実際、パウル兄さんとヘルムート兄さんの部下にも、数名存在しているそうだ。

 最近では口の悪い人が、人数が多すぎて『平凡の証』とまで言っている名前であった。

 勿論、各分野で業績を残している人も多かったが、歴史の本を見ると、ややこしいことこの上なかった。

 全員がヘルムートさんなので、結局ミドルネームや姓で個人を区別する羽目になっていたのだから。


「名前負けだよな。きっと親父のことだから、名前のストックが切れたからつけたとか言いそうだけど」


「ヘルムート兄さん、俺のヴェンデリンは?」


「わからん。あの親父の命名基準ってのが、そもそも不明だし」


 最近ではよく話をするようになった上二人の兄たちと、エーリッヒ兄さんも含めて四人で一斉に溜息をつく。

 あんな僻地を継ぐのは嫌だが、それでもバウマイスター本家の当主になれるクルト兄さんが羨ましくもあり。

 上の兄さんたちの感情は、色々と複雑であるらしい。


「でも、もう戻りたくないでしょう? 兄さんたちは」


「そうだな。一度王都で暮らしてしまうとな」


「決して裕福とはいえないが、暮らせないわけではないし、実家でいくら働いても給金なんて出ないからな」


「そんなもの出ないでしょうね。僕ももう、バウマイスター騎士爵領で暮らすのは無理だと思う」


 俺も含めて、兄さんたちにバウマイスター騎士爵家への未練は欠片もないようだ。

 あったら逆に凄いと思うけど。

 確かに、王都で働いていたら安くても給金は出るが、バウマイスター騎士爵領で暮らしても食事と寝るところしかない。

 外食もできるので、あの薄い塩スープとボソボソの黒パンだけの生活はよりははるかにマシであった。

 今はさすがにあのメニューではないと思う……思いたいが、どちらにしてもなんの娯楽もない不便な田舎生活は勘弁してほしかった。


「非番には、郊外の森で部下たちと狩りもできる」


「実家での生活が、そんなところで役に立っているのは皮肉だけど」


 実家が未開の田舎なので、バウマイスター騎士爵家の男子には弓を上手く使える者が多い。

 上の兄たちも、非番の日にピクニックも兼ねて王都近郊の森で狩りなどをするそうだ。

 空気は美味いし、食料を得られて、売ればお金になる素材が手に入ることもある。

 生まれのおかげで狩りは苦にならないし、無駄なお金も使わないで済む。

 こんなにいい趣味はないそうだ。


「今度、ヴェルも一緒に行くか?」


「いいですね。エーリッヒ兄さんも行きましょうよ」


「そうだね。四人で狩りにでも勤しもうか」


 兄弟四人で狩りの相談をしていると、そこにエルが加わってくる。


「なあ、ヴェル」


「なんだ? エル」


「いつの間にか、家を出たバウマイスター騎士爵家男子の派閥ができているぞ」


「人は二人いると、派閥ができるからな」


「それはよく聞くけどな」


 とは言っても、実家がこちらを放置しているので、こちらは出て行った者たち同士で固まるしかないわけだ。

 確信犯的に、エーリッヒ兄さんの祝儀を出さないような手まで使う実家なので、またおかしなことをしないか警戒する必要もあった。

 

「普通は年長者が纏めるんだけど、うちは逆ですね」


「エーリッヒは頭がいいし、ヴェルは魔法が使えるから」


 家を継げない悲哀を共に経験しているせいで、家を出た兄弟同士は固まる傾向が強い。

 ただ、運よく他の兄弟が婿入りなどで貴族になれたり、出世したりすると、その関係が呆気なく崩壊してしまうことも多いのは、人間の業だな。


「俺たちには並の才能しかないから、無理にリーダーになろうとすると悲劇になるからな」


「それは言えているな」


 とは言うが、二人の兄さんたちは警備隊で部下たちを統率しているし、先の諸侯軍でも無難に兵を率いていたと聞いている。

 軍で中隊長くらいなら、普通に勤まりそうではあった。


「うちは、クルト兄さんが一番微妙だろうな」


「従士長の分家に婿に入ったヘルマン兄さんは、バウマイスター騎士爵家では一番剣に優れていたからな。ああ見えて、領民たちに人気もある」


 兄弟の中で一番体が大きくて見た目は少し怖いのだが、実際に話すと気さくで、領内の警備では上手く領民たちを率いているそうだ。

 自慢ではないが、俺はほとんど話をしたことがないのでよく知らなかったのだけど。


「最近のクルト兄さんは、どうなのです?」


「最近、父上が衰えたと称して、徐々に決定権などをクルト兄さん譲っているって、ブライヒレーダー辺境伯様経由で情報がきているな。継承は順調に進んでいると思う。クルト兄さんは、家を出る前は父上の言うことをよく聞く真面目な人だった。波乱はないんじゃないのか?」


「パウル兄さん、そんなものバウマイスター騎士爵領に限つてあるわけないさ。あんな僻地の領地なんだから、逆にあったら困るんだ」


「それもそうか」


「そうでなかったら、俺たちがなんのために実家を出たのか、わからなくなるだろうに。たとえ、俺たち兄弟の中で一番……それでもクルト兄さんは長男で、バウマイスターの跡取りなのさ」


「ふう……」


 俺からの質問に、パウル兄さんとヘルムート兄さんが答えてくれた。 

 兄弟の中で一番駄目でも、長男なので跡を継げる。

 家と領地の秩序を考えると、これは仕方がないのであろう。

 それに、領内の統治が駄目になるほど無能というわけでもないのだ。

 平凡の平凡。

 これが上の兄さんたちの、共通したクルト兄さんへの評価であった。


「王都在住バウマイスター一族閥ねぇ……」


「そういえば、王都にもバウマイスター家があるって聞いていますけど」


「あるにはあるよ」


「絶縁状態だけどな」


「どうしてです? 会ったこともないはずなのに」


「会ったことがなくても、親戚なんだよね。これが」


 エーリッヒ兄さんの話によると、実家であるバウマイスター騎士爵家の起こりは、王都バウマイスター騎士爵家のいらない次男が、リーグ大山脈を越えて土地を切り開き家祖となったというものであった。


「領民であるスラム住民の選定と送り出しに、当面の資金援助にと」


「大分世話になったらしいけどな」


「ある程度軌道に乗ったら、こっちが連絡を絶ったらしいけどね。嫌われて当然だね」


 酷い話ではあるが、上の兄さんたちも王都でそのことを知ったそうだ。

 パウル兄さんが、警備隊でのパトロール任務中にたまたま屋敷の前を通りかかり、ついでなので挨拶に向かうと、えらくおざなりに対応されてその理由を聞かされたらしい。


「援助した分を、返せと言われるのが怖かったんだろうな」


「酷くて、なにも言えない……。というか、返せよ」


「普通は、そう思うよな?」


 パウル兄さんも同意見のようだ。

 うちの一族には、なにかそういう駄目な血でも流れているのであろうか?


「ヴェルが有名になっても、顔さえ出さないからな。よほど恨み真髄なのかも」


「また実家のせいで迷惑を被るんですね」


「親戚だから優遇しろとか。金を返せと言ってこない分、常識的な人なんだと思う。俺も少し話をしただけだけど、そんな風に感じた」


 その後は、話題をパウル兄さんの結婚に戻して食事会は楽しいままで幕を閉じるが、まさかヘルムート兄さんの婿入り先が……エドガー軍務卿って、案外意地悪なのかも。

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