第29話 小さな御家騒動
「現在、このバウマイスター騎士爵領では、水面下で領民たちの不安と不信が増大しているのです」
朝、いつものように『瞬間移動』でブライヒブルクへと移動しようとした俺は、周囲に複数の人間の気配を感じてそれを中止する。
見られているような感覚が嫌で、俺は気配を感じる方向に向かって『気が付いているぞ!』叫ぶと、そこには本村を治める名主と、その娘である父の妾と俺の異母兄姉たちが姿を見せた。
すぐに用件を聞くが、クラウスの口から出たのはとんでもない爆弾発言であった。
「聞かなかったことする」
俺としては、そうとしか言えなかった。
バウマイスター騎士爵家には父が健在で、しかも彼は長男のクルトを後継者にするとすでに内外に発表している。
さらに四年前には、無事に結婚して子供たちまで生まれているのだ。
しかも、その子たちは共に男の子だ。
普通に考えれば、バウマイスター騎士爵領を相続するのは、クルト、その子たちの順番なのは誰の目から見てもあきらかであった。
「しかし、ヴェンデリン様」
「あまりに脈絡がない頼みで、話にもならん」
いきなりそんな話をされても、俺は困ってしまう。
まだ十一歳で味噌っかすの八男坊をこの場で唆かしてその気にさせたとして、はたしてこれからどうしようと言うのであろうか?
「今の当主は父上だし、父上は子供が生まれた長兄クルトを後継者として発表している。しかも、俺の上にはまだ継承順位が高い兄たちが三人もいるんだ。クラウスの提案を荒唐無稽と呼ばずしてなんと言えばいい?」
現在のバウマイスター騎士領の継承順位は、一位が長兄クルト、二位がクルトの長男のオスカー、三位がクルトの次男のカール、そしてようやく四位が俺となっていた。
なお、家臣である分家の当主になっている次男のヘルマンは、すでに継承権を放棄しているし、現在王都で警備隊に勤めている三男パウルと四男ヘルムート、下級官吏をしているエーリッヒ兄さんこの領地を出る際に、相続権を放棄する代わりに支度金を貰ったのでもう継承権はない。
もう少しで上司の実家に婿に入る予定のエーリッヒ兄さんだったら、間違いなく頭を抱える提案であろう。
他二人の兄さんたちも同じで、俺だってだって今非常に困っている。
確かに俺の継承権は四位に繰り上がっているが、来年にはこの領地を出てしまう俺を次期当主にするのは不自然すぎる。
どうせ俺も成人したら、相続権を放棄してしまうというのもあった。
なにより、最大の難関である父の説得すらできないで、なにが当主になってほしいだ。
ひょっとするとこのクラウスは、誰かに頼まれて俺を御家騒動の主犯として処分するつもりなのかもしれない。
そんな陰謀論までもが、頭に浮かんでくる俺であった。
「もしかして俺は、クラウスの良識を上に見すぎていたのかな?」
「おい! お前は!」
「控えよ! ヴァルター!」
「でも、お祖父様!」
「お前はヴェンデリン様の兄ではあるが、身分が違うのだ! 控えよ!」
俺の発言に六男ヴァルターが激怒するが、すぐにクラウスによって抑えられていた。
前世では考えられなかったが、なるほどこの正妻と妾の子供の身分差というのは難しい。
ヴァルターは俺よりも八歳も上なのに、彼は俺に兄貴面など決してしてはいけないのだから。
「荒唐無稽なことを言っているのは自覚しています。ですがここで手を打たないと、バウマイスター騎士爵領は将来確実に衰退するでしょうな」
「衰退?」
俺には、なぜこのバウマイスター騎士爵領が衰退するのか理解できなかった。
すぐ隣に、開発をすれば莫大な富を生み出す未開地があり、もし魔の森の一部でも拓くことに成功すれば、海とも接することが可能な領地なのだから。
「そう、開発できれば未来は明るいでしょう。ですが、それは現状では不可能なのです。そしてこのまま行けば、このバウマイスター騎士爵領は徐々に人口が減って過疎化するでしょう」
クラウスは、俺に自分の想定するバウマイスター騎士爵領の未来を含めた、十一年前に失敗した魔の森への出兵事件以降の裏事情を説明し始める。
「十一年前の出兵は、痛恨の失敗でした」
「それは知っている。目の前にこれほどの未開地が広がっているのに、なぜ遠方の魔の森の開放を急ぐのか理解できなかった。海がよほど欲しかったのかと思っていたが。あれはあきらかに、ブライヒレーダー辺境伯が魔の森で採れる成果を期待していたのだと」
「それに今のお館様も乗った。道案内に兵を出しましたからな。考えてみてもください。いくら同じ領内でも、我らは行ったこともない未開地や魔の森の地理になんて詳しくありませんよ。あきらかに兵力として期待されていたのです」
ブライヒレーダー辺境伯領は、その気になれば三万人以上の兵力を動員可能であるらしい。
とはいえ、領内の治安維持や、周辺には領地境で揉めている貴族も数名いるし、もっと現実的な予算や兵站の問題もある。
いくら兵站を魔法の袋を持っていた師匠に依存したとしても、万単位の兵を富士山と同じくらいの標高の山脈越えで進軍させるのは無謀でしかない。
いくら寄子とはいえ、バウマイスター騎士爵領の領民たちも自分たちよりも圧倒的に数が多い他領の軍勢に不安を覚えるだけだ。
「それで、二千人という中途半端な軍勢だったのか……」
「お館様が出した百人でもありがたかったようですな。そして、ブライヒレーダー辺境伯様の真の目的ですが……」
先代のブライヒレーダー辺境伯には、二人の息子がいた。
長男のダニエルと次男のアマデウスで、先代ブライヒレーダー辺境伯は頭脳明晰な長男ダニエルを溺愛し、彼を後継者として期待していたらしい。
「ですが、彼は不治の病に犯されてしまいました」
ブライヒレーダー辺境伯はありとあらゆる手を尽くしたが、彼の死期は間近まで迫っていたようだ。
そして、そんな彼を治せるかもしれない僅かな希望。
それが、伝説の魔物古代竜の血か、これまで前人未到の魔の森でのみ採れる特殊な素材から作られる霊薬……魔法薬の別の呼び方で明白な違いはないそうだけど……であったらしい。
「魔の森には、その古代竜が住んでいる可能性が高かったのです。同時に、未知の魔物の領域ゆえに、なにかこれまでに誰も見たことがない薬草なり、魔物の素材なり、あると思った。いえ、思いたかったのでしょうな。ブライヒレーダー辺境伯様は」
これまで、すでに冒険者が出入りしている魔物の領域から手に入れた素材で作った魔法薬では効果がなかったのであろう。
だから、ブライヒレーダー辺境伯は未知の領域である魔の森に賭けた。
魔の森に古代竜がいたとしても、師匠がいれば倒せると踏んだわけだ。
死病に侵された最愛の息子を想う親の愛情で、多くの人が死ぬという矛盾。
師匠はどういう気持ちだったのか……。
「冒険者に頼めばよかったのに」
「失礼ながら、そんな命知らずはおりません」
まず苦労してバウマイスター騎士爵領まで長旅をし、そこからまるで人間が住んでいない未開地を何百キロも横断する。
そこまでしてようやく魔の森へと到着し、そこから気合を入れて古代竜を倒す。
確かにこんな依頼、いくら積まれても嫌であろう。
「その後の結果は、以前のお話どおりです。先代ブライヒレーダー辺境伯様以下軍は壊滅。五体満足で戻ったのは百人程度でしたな。我がバウマイスター騎士爵家諸侯軍も同じです。生存者は、二十三名のみですた」
当主を失ったブライヒレーダー辺境伯領は、父の死を聞いた直後に亡くなった長男ダニエルではなく、次男のアマデウスが継いでいる。
まったく跡取りとしては期待されていなかったのに、いきなり跡を継がされ、まず最初に優秀な精鋭二千人と、お抱えの優秀な魔法使いを失った状態からスタートか。
現ブライヒレーダー辺境伯は、きっともの凄い罰ゲームだと考えたであろう。
大貴族の軍事行動の失敗は、周囲の領地境紛争などで争っている貴族たちに舐められる要因となるであろうからだ。
現ブライヒレーダー辺境伯の船出は、相当に苦労の連続であったことは想像に難くない。
「そのせいでしょうな。当代のブライヒレーダー辺境伯様は相場よりはいいお見舞い金をバウマイスター騎士爵家諸侯軍の戦死者たちに出しました。かなりお館様にピンハネされましたが……」
バウマイスター騎士爵家の財政を握っている男からの、聞きたくもない事実の暴露であった。
そもそも見舞金だけでは、いくら色を付けてもらっても、残された家族が一生楽をできる額ではない。
しかも、その増額見舞い金を受ける条件として、父はバカな要求を呑んでいる。
この出兵は、父が魔の森を開発したいので寄親である先代ブライヒレーダー辺境伯に懇願し、寄子の頼みは断れないのでと渋々受け入れたということにしてほしいと。
そんなことをしてもなにか状況がよくなるとは思えないが、これも大貴族のプライドというものの一種であるようだ。
「失った諸侯軍の再建もありましたし、当時は少々人口が増加傾向にあったので新規の開墾計画を実施直前だったのです。お館様は、資金が欲しかったのでしょうな」
しかし、失ったのは金と物資ばかりではない。
働き手も一気に失ってしまい、無理に新規開墾や用水路工事の働き手を抽出した結果の、あの毎日の黒パンと塩野菜スープのみの夕食であったらしい。
開墾さえなければ、畑仕事の合間に男性たちが狩猟に出かける時間くらいはあるのだから。
「こんな閉鎖性の強い田舎の農村です。不満は爆発寸前なのですが、暴発するわけにもいかずというわけです」
さらにクラウスからの話は続く。
「現在、お館様に不満を覚える人間は多いのです」
まずは、十一年前に一家の大黒柱や前途有望な若者を失った家族。
しかも父は、愚かにも彼らに渡すようにとブライヒレーダー辺境伯から渡された見舞金をピンハネまでしている。
これで慕われたら、領民たちは相当なマゾであろう。
次に、その援軍を率い、戦死してしまった分家当主である大叔父の親族や家人たちとその家族。
この家には次男ヘルマンが当主として入っているが、彼は相当に苦労しているらしい。
穿った見方をすれば、ヘルマンは本家の影響力を強くするために分家に送られたスパイにも見えるであろうからだ。
「さすがにヘルマン殿は危機を感じ、婿入りで本家との縁も切れたので、今では完全に反本家の立場を表明しています。村落会合でお館様やクルト様の方針に異議を唱えることもあり、お二方は面白くないでしょうな。実は、ヴェンデリン様が次期当主になる件でも賛成してくださいまして」
「本当か? それは?」
いくら分家当主になったとはいえ、ヘルマン兄さんでもそこまで過激にならないはずだ。
クラウス。
時おり、嘘を混ぜてくるか?
「ヴェンデリン様は鋭いですな。ヘルマン様の奥様、ヴェンデリン様の義姉であるマルレーネ様以下、分家の女性陣はかなりのクルト様嫌い。もしクルト様が当主でなくてもまったく構わないと、以前小耳に挟みまして……」
「ふうん」
こっそりと、不満の声を聞いたというわけか。
しかし、それを公言したわけでもないだろうに。
こういうことは、直接父やクルト兄さんに言い放ってこそ決定的になるというもの。
クラウスは。
そんなに御家騒動を誘発したいのか?
「大規模な開墾も終わった。両者の関係が修復するといいな」
俺としてはそうとしか言いようがない。
出て行く家なのであまり気にしていなかったが、現在のバウマイスター騎士爵家はかなりヤバい状態にあるようだ。
「そして、これが一番深刻かもしれませんな」
まだ諦めないか。
ようやく新規の開墾は所定の計画を終えて終了したが、これは当然人口が増えればまた新たに計画されることとなる。
「しかし、お館様やクルト様が指揮する開墾作業は評判が悪いのです」
別に、農民に鞭を打つわけではないらしい。
自ら先頭に立って作業を行うし、食事なども皆と同じものをとって、自分たちだけいい物を食べたりもしない。
だがクルト兄さんはそうでもないが、父が体が丈夫で無理ができるので、それを他の人間にも無意識に強要する癖があるらしい。
しかも適度に休憩を取るとか、効率のいい開墾方法を指揮するとか、いわゆるマネジメント的な能力には欠けるらしく、作業に参加している領民たちからは評判はよくないそうだ。
「クルト様はそんなお館様になにも言えないので、同じく評判が悪いです」
ナンバー2なのに、ナンバー1に意見できないで、普通の農民と同じ仕事しかしないのだ。
それは、嫌われて当然だろう。
「もし将来人口が増えて、あの嫌な開墾作業が再開されたらと、領民たちが不安になった結果……」
開墾の間は食事が嫌でも貧弱になってしまうのもあり、彼らは人口を増やさないように動くようになったそうだ。
「次男以降の男子が、このバウマイスター騎士爵領を出るようになったのです」
一番近い都市であるブライヒブルクに、数ヵ月に一度訪れる商隊に同行して実家を出てしまうことが多くなったそうだ。
そしてブライヒブルクに到着した彼らは、そこで職を探したり、他の領主たちが募集している新規開拓地への募集に応募してしまうらしい。
「しかも、最近は女子まで……」
畑を継げる長男とその嫁になる女子を除き、今度は女子までもがバウマイスター騎士爵領の外に出るようになった。
もうこうなると、人口の流出に歯止めが利かなくなる。
もし長男が嫁が取れない事態になれば、それは過疎化の第一歩であろう。
「さらに悪いことに、ヴェンデリン様の魔法の件がバレました」
「いつまでも、隠し通せるものではないからな(クラウスが漏らした可能性もあるけどな!)」
せっかくの魔法なのだ。
これをバウマイスター領の発展に生かせばいいのに、父は爵位継承の秩序を保つため、俺を極力領民と接触させないようにした。
もし本当に領地の発展を望むなら、跡取りを俺に代えてでも領地のために働かせるべきだと。
時にそういう非情な決断をしなければいけないのが、貴族と呼ばれる者の使命なのではないかと。
「領民たちは見切ったのですよ。お館様がこの僻地の農村で貴族様として振舞えて、波風立てずに家が続けば、他はなにもいらないと考えているのだと」
そこまで見切られると、それは厳しいかもしれない。
人間とは、欲を抱えた生き物だ。
過度の欲はよくないが、適度な欲はよりよい生活のために必要なのだから。
「領民全員を最低限食わせるのは重要です。ですが、お館様はそこで止まってしまわれる。勿論それも大切でしょうが、領民たちによりよい未来を見せようとする努力も統治者には必要なのでは? と、思う次第なのです」
クラウスは、ここまで喋ると溜息をついた。
それは、もうこのバウマイスター騎士爵領の人口は頭打ちどころか、このまま減少傾向に突入するとなれば、悩みも色々と尽きないであろう。
「クラウスの気持ちは理解できるが、ここで俺が次期当主になりたいと宣言してなにになる? 余計な騒動が増えるだけだぞ」
どう考えても、本家の人間は一人も支持しないであろう。
父が俺を後継にしなければなにをしても無駄だし、もし後継争いが中央の耳に届けば……。
なまじ距離感があるだけに、中央の官僚が事務的に減封や領地の取り上げを命令する可能性だってあるのだから。
「騒ぐだけ無駄なんだよ。むしろ騒いでは駄目だ。父上を説得して、新規の移住者を増やす産業なり、効率のいい開発を進めるしかないだろう」
「ですが、ヴェンデリン様の魔法があれば……」
「もしここで俺の魔法でどうにかしたとして、俺が死んだらどうするんだ?」
「それは……」
魔法使いの素質は遺伝しないと本に書かれていたし、師匠にも教わった。
遺伝していれば、王族や貴族は魔法使いだらけのはずなのだから当然とも言える。
そのために、王家や貴族たちは大枚を叩いて優れた魔法使いを囲い込もうとするのだから。
話を戻して、もし俺がここで魔法を使ってこのバウマイスター騎士爵領を豊かにするとする。
だがもし俺が死んだあと、それをどうやって維持するのであろうか?
もしかすると、徐々に過疎化するよりも恐ろしい、急激な衰退が待ち受けているかもしれないのだ。
「それに、もし俺が強引に当主になっても絶対に揉めるからな」
クラウスたちは父に不満を持っているようだが、領内にはそこまで父や兄に不満を持っていない人たちだっているのだ。
俺の当主就任後、彼らが俺に反感を覚えたらそれはそれで意味がなくなってしまう。
再び父なりクルト兄さんに家督を戻そうと、逆クーデターを企てる可能性だってあるのだから。
「なので、俺はこの話を聞かなかったことにする」
俺は最後にそう言い残すと、急ぎ森の奥まで走り、すぐに『瞬間移動』で姿を消した。
その様子を、クラウスたちは唖然と見つめていた。
「(というか、どうしろって言うんだよ……)」
クラウスの気持ちはわからなくもないが、まず順序が間違っているのだ。
俺を説得する前に、話を持って行く人がいるだろうに。
まずは父を説得できないと、俺に話をするだけ無駄なのだ。
「(しかし、これはまずいな……)」
父やクルト兄さんが、クラウスの本心をどこまで把握しているのか。
下手をすると、俺にまで謀反の嫌いをかけられてしまうかもしれない。
もしそうなると、色々と面倒なことになってしまう。
いかに出て行く家とはいえ、穏便に継承権を放棄できるようにしないと、実家の継承秩序を乱した者として世間で鼻摘み者になってしまう可能性があったからだ。
そういう嫌な風聞を背負った身というのも、これからの人生なかなか辛いものがあるだろう。
さりとて、これを父に相談するのも憚られる。
もし、それを利用して父が俺の処分を狙っているのだとしたら?
考えれば考えるほど、答えがこんがらがって来そうではあった。
「だーーーっ! これ以上考えてもしょうがない! クラウスは無視! 無視!」
俺は移動先の未開地の平原で、そのまま勢いに任せて大規模爆発魔法をぶっ放す。
魔法を放った先には岩山があったが、完全に消滅したうえに、その跡には大きな穴が開いてしまった。
「ストレス発散のためとはいえ、環境破壊だな」
少し冷静になって反省する俺であったが、まさかこの大穴が人造湖として未来の人々に利用されるなど、まさしく神のみぞ知るというものであった。
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