第2話 一宮信吾という男

「一宮君! 今君が面倒を見ている大下君だが、もう少しなんとかならないかね?」

「課長、もう少しとは?」

「なんかこう、覇気が足りないというか……。私が誘っても飲み会にまったくつき合わないし、 大下君には我が社の一員であるという自覚があるのかね?」


 そんなこと言われても困ってしまう。

 俺だって忙しいのに、急に課長に呼び出したと思ったら、あまりに具体性のない感想を述べているだけだったのだから。

 入社三年目で新入社員の面倒を見るというのはなかなか大変だと思うのだが、これは決して俺が出世頭だからというわけではない。

 人手不足で、俺にも教育係の仕事が回ってきただけというのが実情だったからだ。

 成績は同期の中で真ん中よりも少し上という自覚があるが、次世代の教育を担うほど優秀だとはとても思えなかった。

 それに今俺が預かっている新人君は、教育係の俺よりもよほど物覚えが早いし優秀だろう。

 なにより出身大学が、俺よりも圧倒的に偏差値が高いところだったのだから。

 ただ彼は今時の若者というか……同じく二十五歳の若造である俺が言うのもどうかと思うが……仕事とプライベートをきっちりと分ける後輩なのだ。

 ちゃんと仕事はしているのだから俺は構わないと思うのだけど、就職氷河期世代と呼ばれる年代の課長からすれば、終業後の飲み会を断る後輩などという存在が信じられないのであろう。

 今までにもそんな人が一人もいなかったわけないと思うのだが……。

「今度は責任を持って、君が大下君を飲み会に連れて来るんだ」

「教育係というのはあくまでも就業時間中のことでして、就業時間外の飲み会に強制で参加しろとは言えませんよ」

 それが労働基準法というものだからな。

「たとえ就業外でも、先輩と酒を酌み交わしながら色々な話を聞くことも大切な仕事なんだ! いいか! 絶対に大下君を飲み会に連れて来るんだぞ!」

「課長が言ってもダメなら、自分が言ってもダメだと思いますよ」

「そこを首に縄をつけてでも連れてくるのが、本当の教育係ではないのかね?」

 勿論そんなわけないのだが、典型的な長いものに巻かれてしまう俺は強く反論することもできず、長時間課長の無駄な怒鳴り声を聞いて残業時間を増やす羽目になってしまった。

 その後、念のため大下くんに聞いてみたか、俺に誘われたぐらいで酒癖が悪くて評判の課長が主催する飲み会に参加するわけがないことは伝えておこうと思う。

「今日は彼女とデートなので。一宮先輩も大変ですね」

 後輩に同情されてしまった。

 それにしても彼女とデートかぁ……羨ましい限りである。

「そんなしょうもないことに気をかけてる暇があったら、もう少し課長らしい仕事をしたらいいのに。あれで就職氷河期を潜り抜けた精鋭とは笑えますね」

 確かに、採用が少なかった年代の社員にしては課長は……であった。

 噂によると、彼が課長になれたのは他に課長にできる年齢に達した社員がいなかったからだそうなので。

 長年不景気なのに、年功序列に拘る日本の会社ってある意味凄いのか、それともなにも考えていないのかどちらかだな。

「一宮先輩、指示された仕事はすべて終わっています。お先に失礼します」

「お疲れ様」

 大下君は非常に優秀だ。

 この会社で出世できるかどうかわからないけど、彼なら独立してもやってけそうだしな。

 先輩である俺の前で、課長の悪口を公言できてしまう度胸は羨ましい限りだ。

 俺はそこまで才能がないから、課長の暴言という台風が過ぎ去るまで待ち、終わらなかった仕事を残業して片付ける。

 サラリーマンの悲しい現実というやつだ。

「ふう……終わったな」

 家に帰ると日付が変わってしまう時刻だな。

 明後日は土曜日だから、あと一日頑張れば……コンビニで適当になにか買って帰るとしよう。

 帰りにお店による気力もない。

「あーーーあ、王侯貴族の家にでも生まれてくればよかったのに」

 明後日からお休みだけど、また家の中で過ごして終わってしまいそうだな。

 そんなんだから彼女ができないんだよな、きっと。

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