第14話 元カレと主人

年が明け、学校が始まった。

今年は通学路で事故に巻き込まれることもなければ始業式中にぶっ倒れることもなく、平和に一日が過ぎていったその帰り道。文佳が何とはなしに切り出した。


「そういや明日さ、他校と交流試合があるんだけど…」


「おー。バレー部?」


「そう。南高校」


文佳はそう言うと、私の表情を伺うようにちらりと目配せをした。しかしなぜまたそんなことを急に打ち明けられるのか分からなかった。

確かに南高は、同じ中学からの友達も何人か行っている馴染みのある高校だ。


「何、南高のバレー部、誰かいるっけ?」


「やっぱそうだよなぁ」


「え、なになに」


勿体ぶるような引っ掛かりのある文佳の態度が気になって聞き返すも、それ以上その話は続かなかった。


――で、翌日。

私は見慣れない他校の黒いジャージを着た一人の男子と対峙していた。なるほどね、この人も南高校だったというわけか。前日の文佳とのやり取りがふと思い出された。


「二見。久しぶりだな」


「そうだね。それにしてもちょっと近すぎやしない?」


「そんなことはない」


ずいっと近寄るこの人――もとい、鈴代すずしろから距離を取るように一歩引く。

今日は部活がないから一人で帰ろうと教室を出た瞬間これだ。廊下を行く人々がちらちらとこちらを気にしながら通り過ぎていく。他校の人が校舎にいるのが珍しいからか、それとも私がカツアゲに遭っているように見えるのか。どちらでもおかしくはないと思う。

バレー部というだけあって背丈が高く、それだけで威圧感は十分だというのに加えてめちゃくちゃ険しい顔をしている鈴代。もしこいつがDomならglareでも出していそうな勢いだけど、この通りきっかり一年分の記憶のみが頼りの私は中学の同級生のダイナミクスなんて知る由もない。


「会いたかった」


「それはそれは…ってか君、部活だよね?ここにいていいの?」


「付き合ってくれ」


「え、ちょ…!?やめてこんな場所で!?」


「好きだ」


ああ、今更思い出したけれどこの人にTPOを弁えろと尤もらしいことを期待しても無駄だ。すぐ周りは見えなくなるし、今もそうだろう。目の前の廊下をちょうど通り過ぎていく同級生、それから後ろの教室にはまだクラスメイトが残っている。羨ましいことにこいつには見えていない。

――かつて付き合っていた頃から、元カレこいつはこんなだった。


「えっと…ごめん、私はもうその気がないし…」


「でも今、付き合ってる人いないって真山さんが」


文佳――!何余計なことを!


「とりあえずほら、場所変えよう。ね?」


人通りの多い廊下でする話でもないし、友達がいる教室内でする話でもない。現に私が出入り口を塞いで邪魔になっているせいで、「ちょっといい?」と言われてしまった。


「二見は逃げるだろ。卒業式の日だってそうだった」


「逃げない逃げない!だから――」


鈴代は不意に私の手首を掴み、教室の中へ押し込めた。何事かと思う間もなく、気づけばピントが合わないほどの近距離に鈴代の顔があって、それから唇を塞がれる。


――見られてなければいいけど。少なくとも口の軽いノアと、それから…相馬くん、とか。


そんな呑気な思考は一瞬で消え去り、私は慌てて鈴代の身体を押しやった。しかしそのしっかりとした体躯はびくともせず、情けないことにむしろ私の方が後ろによろめいて壁に頭を打った。


「だ、大丈夫?」


何が『大丈夫?』だ。恥ずかしげもなく人前でそういうことができる鈴代の神経の方がよっぽど心配だわ、なんて憎まれ口はすんでのところで控え、ただ黙って睨むように視線を向けた。


「あはー、堂々といちゃつくねぇ。君ら」


その声にパッと横を見ると、中村くん――それに相馬くん。

鈴代は気まずそうにしてやっと私の手首を解放しながら、驚くべき言葉を口にした。


「……相馬?」


どこか不機嫌そうな表情の相馬くんは、鈴代の顔を数秒見つめてから「鈴代か」と言った。

中村くんは相馬くんと鈴代の顔を交互に見る。


「なんだそこも知り合い?俺だけ仲間はずれかよ。先部活行ってるわ」


その場に私を含めて三人が取り残される。

相馬くんも鈴代も一言も発しようとしないし、これは一体どういう状況かと途方に暮れていると、入れ替わるようにして鈴代と同じ黒のジャージの男子がやって来た。


「鈴代お前、何やってんだ。校舎は一応立ち入り禁止って……!」


「…っ!すんませんっ」


彼は鈴代の先輩なのだろうか。私たちの方を見て「ご迷惑をお掛けしました」と頭を下げると、鈴代を引き連れて行ってしまった。


「私も帰ろっかなー…相馬くんもあるでしょ、部活」


「サボる」


「え、そんな急に」


相馬くんはついてくるよう私に目配せをすると、教室を出て廊下をどんどん歩き、階段を上った。そこまですればどこへ辿り着くのか分かってくる。思った通り、私たちはいつもプレイをする校舎の端っこの空き教室にやってきた。

入るように促されて、続いて教室に足を踏み入れた相馬くんは後ろ手でドアを閉めて手早く鍵をかける。


「えっと…」


私は相馬くんを見上げて、遠慮がちに沈黙を破った。少し怒っているように見えた。

ノアとの一件でお仕置きを受けたあの日のことを思い出して、もしかしたらそういう流れかもしれないと思い始めていた。

相馬くんは私の思考を読んだかのように言った。


「お仕置きは…しないよ。っていうかできない。あいつノーマルだもん、二見さんは約束を破ってるわけじゃない」


Kneel〈おすわり〉と命じられ、私は言われた通りの体勢を取った。相馬くんも目の前の床に腰を下ろす。


「僕はただの親切心で、プレイに付き合ってる訳じゃない」


クリスマスの日にも聞いたような台詞をそのまま、相馬くんは口にする。私もまたあの日のように、その真意を問い返そうとした――が、できなかった。

相馬くんは両手を私の頬に添え、身を乗り出していた。


唇が重なった。私は拒むこともせず、相馬くんから離れるまでじっとしていた。

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