第70話 勘当

ぽた……


ぽた……


ぽた……


一定のリズムを刻みながら、冷水が額に落ちてくる。


もうどれだけの時間がたっただろうか?


全身は特殊な器具で拘束されている。

それはプラーナで強化した肉体でも引きちぎる事が出来ず、更に俺のギフトで持っても破壊不能な物だった。


目は覆い隠されて何も見えず。

耳にも何かつけられているため、周囲の音も聞こえない。

更に、口にはクツワがはめられ言葉を発せない様にされている。


ただ冷水が額に落ちる感覚が、骨を伝って全身に広がるだけの退屈な時間。

だがそれは同時にとんでもない苦痛の時間でもあった。


眠い。

なのに眠れない。

水滴の音が脳内に響き、意識が嫌でもそこへと集中する。


俺はもう何日も寝ていなかった。


だが何故だろう。

苦しいはずなのに、自然と心は落ち着いていた。

不思議な感覚だ。


「――うっ……」


それは突然の事だった。

口に嵌められていたくつわが突然外され、目と耳を塞いでいた物も外される。

目をあけようとしたが、視界に差し込む光が眩しく、俺は思わずもう一度目を閉じた。


体を縛る拘束具も外され、俺の体は自由になっていく。


「荒木……真央様……」


体を起こし。

やっと光に慣れた俺の目に、その姿が飛び込んで来る。

ギフテッド学園の支配者にして、次期真央グループのトップを約束された少女の姿が。


「どうじゃ?デトックスは出来たか?」


どう考えても只の拷問にしか感じられなかった。

だが、それが本当にデトックスだった事は疑い様がない。

俺がこうして正常な意識に戻っているのが、何よりの証拠だ。


この拷問を受ける前の俺は、明らかに異常な状態だったからな。

そこは認めざる得ない。


「ええ……真央様のお陰で気分爽快です」


何日も眠れていないせいで、体がふらつく。

しかも急に頭まで痛くなってきた。

だがそれでも、俺は無理をして笑顔を作る。


――何故なら、彼女は敵に回してはいけない人間だからだ。


だから荒木真央が白と言えば、例え黒でも俺は白と答える。

デトックスと問われれば、気分爽快と返すのが礼儀だ。


「ほほう、そうかそうか。それは重畳ちょうじょうじゃ。これは新式でのう。お主の前に試した6人は軽く発狂して病院送りになってしまったが、上手く行ってよかった」


彼女はさらりととんでもない事を口にした。

俺になんて方法を使いやがる。

そう思う反面、6人もの人間がダメになった物を耐えきった自身の天才ぶりには酔いしれざるを得ない。


――流石俺。


いや、今は自分に酔いしれている場合じゃないな。

俺にはこれから大事な仕事がある。


それは――実家である四条家への報告いいわけだ。


「真央様。できれば四条家に連絡を入れたいのですが」


なんとか上手く切り抜けなければ。

薬物に手を出した上に、氷部や鏡に負けてしまうという失態まで犯している。

きっと両親はかんかんだろう。


「なんのためにじゃ?」


荒木真央が不思議そうに聞き返してくる。

むしろ何故不思議そうにするのか逆に不思議だ。

彼女も名家の人間ならば、分かるはずだろうに。


「家の人間は、きっと私の事を心配をしていると思いますので」


「家?ああ、そういえばまだ伝えておらなんだな」


俺の言葉に、荒木真央はいたずらっぽく笑う。

その笑顔は妖艶で、とてもローティーンの少女には見えない。

その笑顔だけではなく、言動や能力もだ。


化け物という言葉は、彼女のために存在すると言っていいだろう。


まあそんな事はどうでもいい。

伝えていない事とは言ったいなんだろうか?


「お主は勘当だそうじゃ」


「……………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………は?」


言っている意味が分からない。

聞き間違いだろうか?

変な拷問を受けたせいで、耳がおかしくなっているのかもしれないな。


「恐縮なのですが。どうやら聞き逃してしまったようで。もう一度よろしいでしょうか?」


「ふむ、ではもう一度言うぞ。四条家はお主と縁を切った。お主の父は二度と敷居を跨ぐ事も、名を名乗る事も許さんそうじゃ」


縁を切る?

敷居を跨ぐな?

名を名乗るな?


え?

何それ?


「冗談……ですよね?」


悪質な冗談に違いない。

そうだ、そうに違いない。


だって俺は四条王喜だ。

天才なんだ。

ほんの些細なミスで、その俺を四条家が切り捨てるわけなどない。


きっとこれは荒木真央の悪質な冗談だ。

彼女は性格が歪んでいるから。


「事実じゃよ。証拠もある」


彼女がパンパンと手を叩くと、その陰から茨城恵子が音もなく姿を現した。

一体どこから出てきたんだ?


彼女の手には、一通の封書が握られていた。

それには見覚えがある。

四条家が手紙を送る際に使うものだ。


何故そんな物が……


嫌な予感がしつつ、俺は恐る恐るそれを受け取る。


封書を裏返すと、封蝋が押されていた。

そこに刻まれた刻印。

それは間違いなく、四条家――父・神鉄からの物である事を示す物だった。


そんな訳がない。

きっと普段から努力している俺に対して、父が労いの言葉をしたためた物に決まっている。


――勿論そんな訳がないことぐらいは俺にも分かっていた。


だが、いくら何でも勘当などありえない。

そう、ありえないのだ。

なのに何故か体の震えが止まらない。


息が荒くなる。

俺はごくりと唾を飲みこみ。

震える手で、恐る恐る封を開けて中の手紙に目を通す。


そこにはこう書かれていた。


“能力、思考、全て不適格であるため。四条王喜を勘当する”


と。


これは悪い夢だ……そうに違いない。


全身から血の気が引いていく。

体から力が抜け、目の前が真っ暗になって何も見えない。


そう……これは夢なんだ。


耐えきれない現実に俺は心を強く閉ざし、意識が闇の中へと落ちていった。

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