休戦協定

(天空都市群グングニル・中央島南西地区内陸部:排水パイプへと繋がるマンホールの上)






 重い金属製のマンホールをどけて、俺達二人は人気のない路地裏に這いあがった。




 ここまでの道のりは、かなり険しかったといっていい。




 排水パイプの奥地は、光がほとんど届かず、おまけに汚れていた。




 それらを視界の悪い状況で避けながら、天空警察が来るまでに犯行現場からできるだけ遠ざからなければならなかったのだ。




 しかも、肩には重い荷物があったのである。




 かなりの重労働だった。




「ふう。此処まで来れば、SP(sky police=天空警察の略語だ)も気づきやしないだろ。ああ、腹減ったなあ」




 今日という日は、きっと走って逃げる運命を授かっている日なのだろう。




 何気なしに、隣の苦学生に話しかける。




 こいつは一歩も歩いていない(担いだ方が速かった)ので、俺ほど疲れてはいないはずだ。




 まあ、その代わりに、『サーチ』と土地勘で逃走経路の指示をくれた。




 存外、頼りになったりもするようだ。




 そんな苦学生少女キーロは、俺から路地の石畳(※天空都市は古代ローマびいきだ。だから、無粋なアスファルトではなく、威厳ある石畳を街の床に使用する)に降ろされたあと、勢いよく頭を下げた。




「ごめんなさい! あなたがあそこまでするとは思っていなかったの。まさか、氷結ブレスで施設全体を凍らせるなんて……」




 やはり、先の再利用施設での挑発は、意図的なものだったようだ。




 逃げる途中は、ここら辺の詳しい事情は聞いていない。逃げるのに精いっぱいだったし。




「まあ、ここで立ち話もなんだ。どっかで飯でも食おう。そこで、話を聞かせてくれ」




 キョトンとその意味を測りかねていた苦学生キーロは、言葉の意味を理解した瞬間、明るい表情を浮かべる。




「信じてくれるんですか!」




 俺は、輝く紫の両目の前に、人差し指を立てる。




「信じる訳じゃない。完全にはな。だが、実際に飛び降りた思い込みの強さと、俺を本気で怒らせた雄弁さに報いてやるだけだ。勘違いするな。お前に治療してもらおうなんて、俺は今でも思ってない。話を聞いて、お前の成績表を実際に確認するだけだ。真実ならそれでよし。おとがめはなしだ。もし、嘘だったら……」




 眉間に縦皺をつくって、淡々と話す俺の次句を、苦学生少女キーロは生唾を飲み込んで待つ。




「嘘だったら……?」




「今度こそ、お前を天空都市の崖から突き落とす。今度は俺自身の手でやってやる。ペテンを詫びるなら、これが最後の機会だぞ。本当に、嘘はついてないんだな?」




 一瞬、俺の鋭利な視線に、キーロはたじろぐ。しかし、意志の強そうな視線で、こちらを見つめ返してくる。




「はい。嘘じゃありません。信じてください、ザザ選手」




 これで、もう確認事項はなくなった。




「わかった。それじゃあ、どっか適当な飯屋でも見繕って、夕飯にしよう。俺は、肉が食いたい」




 キーロが、肉という言葉に反応する。




「肉ですか! 私、焼き肉が食べたいです!焼き肉が!」




 焼き肉? ああ、地上世界の東アジアで流行ってたあれか。




 生憎、俺はアングロサクソンと北欧系移民の子孫だから、その食文化に馴染みがない。一応、アングロサクソンの先祖にアジア系も混じっていたらしいが、遠い先祖なのでその文化までは教わらなった。




 つまり、俺の食文化は限りなく洋風なのである。




 肉の食べ方って言えば、ステーキだろ、ステーキ。




「ばか。あんな薄くスライスされた肉、ちまちま焼いてられるか。サーロイン食うならな、レアのステーキに限るんだよ。お、ここよさそうだな。入ってみるか」




 折よく、食欲をそそる匂いが漂ってくるレストランを発見する。入店する前に、胸ポケットからサングラスをとりだしてかける。変装は一応必要だろう。落ち着いて食べたいし。




 そして、入ろうとするのだが、革ジャンのすそを掴まれて阻止する。




 俺は憮然とした表情で抗議する。




「……おい、小娘。どうやら俺とお前は、永遠に分かりあえない星のもとに生まれてるらしいな。何故、せっかく、休戦協定を結んだのに、また争いの火種を作ろうする? そんなに俺のやることなすこと全てが、気にいらないのかよ?」




 上目づかいにこちらを睨み、苦学生キーロは端的に指摘した。




「……その店、高い」




「高い?」




 指摘されてメニュー表を眺める。俺が狙いを定めた「岩皿焼きサーロインステーキ350g 日替わり焼き立てパン付き」は、一万八千ミスリルだ。これが、高い?




「おいおい、俺は元インペリアルリーガーだぜ? 年収数億だったんだ。これくらい、ファーストフードくらいのもんさ、お嬢ちゃん。苦学生とは、金銭感覚が違うんだよ」




 鼻で笑って入店しようとするが、




「でも、今は無職でしょう?」




 その言葉が、ぐさりと胸に突き刺さる。




 そうだった。俺、引退したんだった。失職したんだったな。それって、無職って言うのか。




 しかも、来年三月には、膨大な所得税を納めなきゃならない。




 確か、その総額は……。




「……三億五千万ミスリル。駄目だ。この肉は駄目だ。節約しよう。しなければ。……他探すぞ、小娘」




「あっ。ちょっと、何処行くんです!? 私の行きつけがありますから、そこで食事しましょうよ!」




 音速でそこそこお高いレストランから離れた俺に、キーロが追い付いてくる。




「行きつけの店? 安いのか?」




 苦学生は、にっこり破顔する。




「ええ。でもボリュームはちゃんとあるし、美味しいんです。庶民の味方ですよ」




「……なるほど、素晴らしい。庶民の味方か。耳触りのいい言葉だ。案内を頼む」




「……、なんで、急に従順になったんですか? 変なの」




「大人の事情だよ。俺はもう十七なんだ。成人なんだぜ。事情の一つや二つ、抱えてるんだ」




「『週刊天空闘竜』で何度も特集やってたから知ってますよ。『白銀の暴君、ザザ・ムーファランド』とか、『氷息帝のプライベートプロファイル』とか。あなたが現役の頃に色々読みましたから。確か、私と同い年なんですよね?」




 この会話から分析するに、キーロは十七歳。俺と同い年ということになる。教育舎に通っていれば、上等教育舎の二年生だ。




(※天空都市の教育制度は、初等舎六年、中等舎三年、上等舎三年、大学四年、院二年だ。それ以上高度な教育制度も存在するが、ここではこれくらいにしておこう)




 それに、俺の現役時代をよく知っているようだ。『週刊天空闘竜』か。懐かしい雑誌だな。俺がアマチュアやセミプロだった頃から、よく取材してくれていた。最も世話になった雑誌の一つだ。




「ああ。そうだ。でも、俺の個人情報なんて、今はどうでもいい。そんなことより、座る席と温かい夕飯だよ。重い荷物をついさっきまで担いでたから、腹ペコなんだ」




「重い荷物って、私のことですか」




 ジトリと、黒ぶち眼鏡の奥から紫の宝石みたいな瞳が、こちらを睨む。




「さあね。まだつかないの?」




「次、乙女を侮辱するようなこと言ったら、許しませんから。ここです」




 みるみる不機嫌になって、苦学生キーロは隠れ家的な雰囲気の「のれん」をくぐる。そこに染め抜かれた店名は、「東洋亭」。たぶん、オリエンタル料理だな。




 それにしても、あの苦学生、ずいぶん怒ってたな。それに、乙女だって? はっ。ちゃんちゃら可笑しいね。




 だが、これは随分面白いネタを見つけたぞ。あいつはかなり自分の魅力を気にしているようだ。もっといえば、女としての魅力を、気にしてる。




 普段は落ち着いた感じだが、そこを突かれれば冷静でいられないようだ。




 面白い、これは面白い。弱点を見つけたぞ。




 資源再利用施設でいわれたことを、俺はまだ許した訳じゃない。「小鳥さん」だとか、「大臆病者」だとか……。あれには酷く頭にきた。




 だが、好機到来だ。反撃の糸口を見つけたぞ。




 俺はにやりと笑みを浮かべて、「東洋亭」の「のれん」をくぐった。

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