救出

(天空都市群グングニル・中央島南西地区沿岸部:資源利用施設 崖の傍)




 衝撃的な事件が起きた。




 苦学生少女が飛び降りたのである。




 まさか、ただの「構ってちゃん」ではなく、「思いつめた構って以下略」だったとは。




 予想外もいいところである。




 なんてこった。




 ――――どうする!? どうすればいい!?




 俺は崖のところで軽いパニックに陥る。




 ――――落ち着け、冷静沈着になるんだ、ザザ。元氷息帝ザザ・ムーファランド。




 アニマ―ガスの俺なら、飛竜に変身して、あいつを助けることができる。




 六枚ある翼のうち、一枚怪我をしてるが、それ以外は健康体だ。




 やってやれないことはない。しっかりしろ、するんだザザ。




 元インペリアルリーガーだろ。プロスポーツ選手だったろ。




 あとは、時間との勝負だ。




 天空都市の底面部には、不法投棄されたゴミなどを焼却処分するレーザー掃射装置がついている。




 天空都市の現在地や情報を、地上階に与えないため、ポイ捨てされたゴミだろうが、投身自殺した失業者だろうが、真っ黒焦げの隅にされちまう。




 レーザーで数秒すれば、消し炭の出来上がりだ。




 一時期、この仕打ちが非人道的だとして非難する動きもあったが、天空都市の理念と安全を守るため、反対派を賛成派が抑えた政治上の出来事もあった。




 そんなことは、どうでもいい。




 あの少女をなんとか助けなければ。




 レーザーに焼かれる前に。




 イメージは、何となくできる。あいつを空中で拾い、ツバメ返しでこの岸に帰ってくればいいのだ。




 だが、懸念材料として、傷めた第一右翼が気がかりである。




 だが、四の五の言っていられる状況じゃない。




 やるしかない。やらねば。




 俺は、プールの飛び込み台から水面に指先から入るような動きで、島の崖から飛び降りた。




 飛び降りた瞬間から、空の浮遊感が俺を包む。久方ぶりの感覚だ。




 ブランクはあるが、完全に忘れたわけじゃない。




 怪我をする前は、毎日この空を飛びまわっていた。我が庭のように。




 冷たい天空の大気と、凄まじい風に晒されながら、俺は目を閉じ、深呼吸をする。






 ――――オーケー。ザザ、お前ならできる。まず、いつものように、変身後の姿を思い浮かべるんだ。白銀のブリザード・ワイバーン。それが、変身したあとの姿だったな。……いいぞ、期間が空いてた割には、明確にイメージできる。鱗や羽毛の一つ一つまで、刻銘に俺の全身だ。次は、全身に力を入れるんだ。そう。ただし、筋肉を硬直させ過ぎるな。緊張と集中は別物だからな。よし、あとは短い天空術の呪文を唱えろ。まさか、忘れてないよな? まさか。いうべき言葉は、「あるべき鏡の巨躯よ、我が真の姿となれ」だ。よし、噛めずに云えた。やっぱりお前は粋なアニマ―ガスだぜ。変身の閃光が消えれば、お前の姿は翼長27メートル、体調17メートルの氷息帝だ。さっさとあの馬鹿を回収して、今晩の寝どこを見つけてやる。




 変身は、無事に成功した。




 さっきまでの身長1.8メートルの少年の姿は、何処にもない。




 代わりに、翼の端から端までが27m50㎝、鼻先から尾の先端までが17m23㎝のブリザード・ワイバーンがそこにいた。変身した俺だ。




 アニマ―ガスという上級天空術の凄まじいところは、変身後の姿になると、身体能力が大幅に強化・強靭化されるところにある。




 変身後の視力は数キロメートル。さっきまで胡麻粒みたいだった苦学生少女の姿を、鮮明に捉える事が出来る。




 はん、泣くくらいなら、最初から飛びこまないでほしい。あと、胸の前で手を組んで目をつぶるな。そんな恰好と表情のまま消し炭にされたのを目撃しちまったら、この上なく寝付きも目覚めも悪くなる。




 だが、今の俺は巨大な飛竜だ。あんな小娘、すぐに回収して安全な陸地に戻ってやる。




 変身後の俺には、三組六枚の翼がある。二組四枚が主翼、一組二枚が補助翼だ。




 怪我をしているのは、主翼の大きい方の一組、その右側(右翼)だ。ここは使わずに、他の翼だけで風を掴んで、急降下することにする。




 一番大きい第一対翼を使えないから、多少パワーとアジリティに欠けるかもしれないが、それでもただ落下する奴に追いつくくらい、訳ない。




 主翼の小さい方(第二対翼)と補助翼の四枚を利用して、一度だけ大気を後ろへ押し出す。




 それだけで、爆発的な推進力が生まれた。




 落下するミサイルのように、一直線に俺はあの苦学生少女のところまで肉薄する。




 距離が縮まってきた。此処までは問題ない。




 むしろ、難関は此処からだ。




 下方向へ滑空するのに、筋力はほとんど使わなくていい。




 使うとすれば、寧ろ上昇するときだ。




 特に、下へ向かう運動エネルギーを上方向へ切り替える瞬間、身体に大きなGがかかるだろう。




 その負担に、怪我持ちでかつなまった体が何処まで耐えられるか、正直不安ではある。




 こういうとき、巨躯ではない鳥とかのアニマ―ガスが羨ましい。体が軽ければ、受けるGも少ないからだ。体重数トンのワイバーンタイプでは、そうもいかない。




 健康体ならば、自分の体重以上の負荷にも、飛竜の肉体は堪えることができるが、今は主翼の一枚を怪我しているのだ。やはり、神経質にならざるを得ない。




 いよいよ小娘が鼻先まで迫ってきた。




 此処でも注意すべき点がある。これからあのチビ助を口で捕まえる訳だが、いうまでもなく肉食獣の飛竜には獰猛かつ鋭利な牙がずらりと生えている。




 噛む加減を間違えれば、間違いなく口内が血の海になるだろう。飛竜の顎の力からすれば、少女の肉体なんてミニトマトみたいなもんだ。




 くしゃみ一つで、人一人を殺傷できる状況だ。慎重かつ迅速に掴めなくては。牢屋には、まだ入りたくないし。




 そっと、最新の注意を払って、小娘を咥える。咥えるというより、はためいていたスカートに牙で穴を開けた。このほうが確実だ。セクハラ? レーザーにでも焼かれてしまえ。




 最大の難所がやってくる。下降から上昇への反転だ。主翼を使わない状態で、どれくらい舞い上がることができるか。






 そのとき、俺の尻尾を何かがかすめた。強烈な熱だ。レーザー照射のエリアにとうとう入ってしまったらしい。




 悠長なことは、もういってられない。覚悟を決める時がきたようだ。




 のんべんだらりとターンを決めていれば、その隙に消し炭にされてしまうだろう。




 落下したあとの残像に、レーザーが容赦なく発射される。




 勝負は一瞬だ。しくじる訳にはいかない。




 もし失敗すれば、投身自殺に巻き込まれて焼死体になっちまう。そんなのご免だ。




 呼吸を整えろ。刹那の間に、上昇へ転じるんだ。ザザ、お前ならできる。




 その瞬間はやってきた。六枚すべての翼に、全力を込める。周囲に、大型台風のような嵐が吹き荒れた。




 俺の身体は、一瞬で安全地帯まで浮上していた。レーザー光線が捉えたのは、吹き荒れる残り香のような風だけだ。




 上昇に転じた後は、また四枚の翼だけしか使わないようにして、島の崖に戻ってきた。




 崖の真上に来たとき、アニマ―ジュを解除する。




 解除するとき、第一主翼に不気味な張りがあった。たぶん、ターンの際に傷めたのだろう。傷が悪化してしまったかもしれない。とんだ災難だ。




 苦学生少女を両腕で抱えたまま、島の岸に着地する。足がきちんと何かにくっついていることを、今ほどありがたく思ったことはない。




 大きなため息をつく。とんだ厄日だ。とんでもない奴に出会ってしまった。それも、人生で二番目に惨めな日にである。(※無論、一番の厄日は怪我をしたその日だ)






 恨めしげに腕の中へ視線を落とすと、静かに呼吸するが反応のない小娘の姿がある。気絶しているようだ。






 さて、この小娘、どうしてくれようか。








 とりあえず、ほっぽり出して夕飯を食べに行くわけにもいくまい。(本当はそうしたくてたまらないけれど……)






 とりあえず、この苦学生少女を、そこらへんの柔らかそうな場所に寝かせて、気がつくのを待とう。




 理不尽に巻き込まれた怒りとモヤモヤをぶちまけるのは、それからでも遅くない。






 それにしても。やっぱり腑に落ちないな。




 何故、見栄を指摘されたくらいで、こいつは飛び降りたんだろう? 解せない。




 もしかして、本当に大天才とか? 俺の怪我を直せる凄腕の天獣師なのだろうか?




 まさか。そんなことはあり得ない。






 兎に角、この身投げ苦学生が起きるのを、待とう。

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