陛下の事情

 気づけば幾人もの侍従と女官がクランを取り囲んでいた。エレインの合図で四方からクランを抑え込み、御用車両に詰め込んで、呆然とするアディを残して宮殿に連れ去った。

 連行されたのは侍従の控えの一室だ。気づけばクランは蒸気に煙る密室の只中に立たされていた。逃げ出す隙なく周囲を固めるのは、屈強な侍従と怜悧な女官、刃物、巻き紐、針の山だ。

 エレインが命じた。

「始めなさい」

 身包みを剥ぎ、身体中を擦り上げ、カチカチに糊の効いた衣装を充てがう。髪を刈り、固め、顔を隈なく抓り上げて、塗って叩いてこね回す。入れ替わり立ち代わり囲んでは、容赦なくクランを弄り回した。

 抗議の言葉は届かなかった。気づけば呆然自失のまま、抵抗する気力さえ失せていた。何より、部屋の隅から聞こえる黄色い囁きが居た堪れない。ガリガリと心が削られて行く。

 頃合いを見てエレインが右手を掲げた。風に散るように人波が捌ける。彼女はクランの真正面に立ち、冷えた目で全身を検分した。最後に鼻で笑うように、フンと短い吐息を洩らした。

「まあ、よしとしましょう」

「何が、まあよしだ」

 及第点に至らず、とでも言いたげなエレインの視線では、この心労に見合わない。整え、固められた髪も、椀を被せられたようでムズムズする。クランは無意識に頭に手を伸ばした。

「痛っ」

 エレインがぴしゃりとクランの手を刎ね上げた。睨むも、怖くて言い返せない。クランは情けない溜息を洩らして頭を垂れた。ほんの一瞬、エレインに意地の悪い微笑を見た気がする。

「さあ、陛下がお待ちです」

 クランの襟を指先で弾くと、エレインは扉に向かって手を掲げた。侍従、女官が左右に並ぶ。部下には相変わらずの無表情だ。虫を追うように手を払って、エレインはクランを促した。


 賓客には案件と身分に応じた謁見室が用意されている。謁見室で一棟が埋まるほどだ。だが、クランが連れて行かれたのは、私室のような小部屋だった。恐らく休憩室の類だろう。

 豪奢な扉の前には歩哨もいない。伝声板で誰何される様式だ。

 要件は、およその見当がついていた。公人の会談というよりも、これは父兄の尋問だ。取り澄ましたエレインの横顔に肩を竦める。お待ちも何も、王の休憩時間に合わせたに過ぎない。

 ただし、何処にいるかもわからないクランを捕らえ、衣装を引き毟り、女官が騒めくほどに整えた上で、王の僅かな休憩時間に間に合わせるなど、エレインの他にできない芸当だ。

「お待ちなさい、クラン」

 通話の紋に手を伸ばすと、エレインが割り込み、伝声版を手で塞いだ。まだ何かあるのか、と振り返り、クランは面倒くさそうな目を向ける。エレインは冷えた目でクランに忠告した。

「貴方の言葉はぞんざいに過ぎます、それも、高位の方になるほど酷い」

 そっちの言い方のほうが酷くはないか、とも言えず、クランは口を尖らせた。

「俺はこの国の臣民でも部下でもないぞ」

 エレインが表情のない顔を寄せる。

「相応の態度を取りなさい、仮にも今は殿下の教師ですよ」

 凍りつくような目で間近に睨まれ、クランは呆気なく降参した。口で勝てるはずがない。

 エレインが短く息を吐く。笑ったのかもしれない。

「クラン・クラインをお連れしました」

 クラン越しに紋に触れ、エレインは伝声板に告げた。

「宮廷の演壇に立てる恰好に仕立てただろうな、ならば、入室してよろしい」

 低く割れた男の声が応答した。

 リースタン国王ゲルドワース・ラスワードの声だ。面白がっているような響きがある。クランがエレインを振り返り、声にならない声を上げると、彼女は表情を変えずに肩を竦めて見せた。

 クランは小さく鼻を鳴らした。なるほど、この衣装はゲルドワースの意趣返しだ。盛大な儀典を前に逃走し、宮廷の面子を潰したのは一〇年も前のことなのに。王の癖に懐が小さい。

 エレインの先導でクランは扉を潜った。王女付きの女官だけあって、こうした拝謁には慣れているのだろう。キャスロードの悪童ぶりがどう報告されているのか、少しだけ興味が湧いた。

 部屋には窓がなく、壁は書架とタペストリと彫像がある。奥には大きな執務机、向いには二脚の椅子。暗く落とした灯のせいで手狭に見えるが、それでも官舎の三部屋分はあった。

 気づけば彫像が睨んでいた。ぎょっとなって二度ほど見返す。人だ。ゲルドワースの従騎士に違いない。まだ研鑽中のマリエルとコルベットに比べ、気配を絶つ術が完璧だった。

 大男だ。筋肉が暑苦しい。しかも何故かクランを睨んでいる。側仕えなら少しは見目に凝ればよいものを。有名な後妻を得て以来、王は傍に置く従騎士を男に限ったという。どうやらそれは本当のようだ。

 素地の秀でた者を集め、忠誠と陶冶を徹底する。その最たるものが従騎士だ。それは国家ではなく、あくまで個人に仕えるが、ある意味その分を越えてしまったのが、ゲルドワースの現王妃だ。

 キャスロードの実母、セリア・ラスワードは王の従騎士だった。今もリースタン随一の槍の使い手だ。リースタンは魔術国家で、王族にもその血は濃い。両陛下に魔術の素養がない状況は珍しく、反対もあったらしい。

 実際、病死した前王妃、姉姫エルダリアの母は魔術師だった。嫁いだ姉姫、亡きカーディフも魔術師だが、現王家には魔術師がいない。その辺りにも微かな火種が残っている。

 エレインがクランの袖を引いた。従騎士が動かないのをよいことに、クランは男の顎の下に手を伸ばそうとしていた。クランの悪戯心を気配で察したらしい。振り返りもしないのに、よく気づく。

 クランはおとなしく王の前に出た。

「陛下におかせられましては、ご機嫌麗しく」

「殊勝だな」

 クランの言葉をにべもなく遮り、ゲルドワースは言い捨てた。

「寒気がする」

 にやりと笑う。それ見たことか、とクランがエレインを振り返った。王は満足気に頷いて、身振りでクランに椅子を勧める。エレインが止める間もなく、クランはさっさと腰を下ろした。

「御前ですよ」

 クランの襟首を掴んだエレインを、ゲルドワースが手を振って制した。着座が無礼と知っていながら、クランは丁寧に尻の沈み具合を確かめている。エレインが傍に立ってクランを睨んだ。

「確かに不相応だな」

 クランは不服そうに呟いた。椅子の見栄えは良いものの、思いの外に座面は硬い。誰も使わないせいか、尻の皮の厚い者しか座らないのか、それとも、これも王の悪戯だろうか。

「どこぞの大公か、売れない舞台役者のようなだな、クラン」

 お仕着せのクランに片笑み、ゲルドワースは堂々と皮肉を告げた。

 深い黄金色の髪や榛色の瞳は、クランの記憶と変わりがない。恰幅がよく、戦士型の体形で、さぞ剣を翳すも映えるだろうが、ゲルドワースは見た目に非ず、賢明な王だった。

 乱世の英雄ではなく、乱世を呼ばない英雄だ。遠い領邦を破綻なく従え、権力の偏りを丁寧に慣らし、常に国家を平穏を保っている。豪放な見掛けに反して、繊細な政治感覚の持ち主だ。

 身内の扱いを除いては。

「それで、どうだ、あれはどんな様子だ」

 加えて少々、親馬鹿でもあるようだ。クランは眉間に縦皺を寄せた。

「跳ね返りで、やんちゃが過ぎる、甘やかしすぎだ」

 クランの直球の物言いに、エレインまでもが息を吐いた。

 背中に尋常でない殺意が突き刺さる。戸口に立った従騎士だ。クランは振り返って顔を顰めて見せた。そういうことか。どうにも、キャスロードはこの手の連中に人気があるらしい。

「今のうちに何とかしないと、そのうち竜退治に行くとか言い出すぞ」

 クランが言うと、反してゲルドワースは破顔した。

「ならば、是非に征竜姫の銘を用意せねばならんな」

 背後からの賛同の圧に、クランはげんなりした表情を隠そうともしない。

「エレインの躾が行き届いているせいか、あれは私たちの前で猫を被るのだ、正直、貴殿が羨ましくも腹立たしい」

 正直すぎる国王の吐露に、エレインは表情を迷った。ゲルドワースの語り口は、諧謔の中に刃を潜ませる。気を抜いて刺されることも多々あった。だが、それはクランも同類だ。

「殿下は姉の猫を分けて貰うべきだったな」

 ゲルドワースは短く笑った。

「姉は大猫であるからな」

 クランの知っているエルダリアは、十七、八歳の頃の姿だ。歳は離れているが、キャスロードは異母姉に懐いていた。クランが国を出た数年後、エルダリアはオーリア領に輿入れしている。

 クランの知る限り、姉妹の性格は正反対だ。ゲルドワースの含みのように、あの嫋やかな振る舞いの裏に、別の姿も確かにあった。大人びて物静かだが、強い目をした娘だった。

「だが、元気であるのは、それでよい」

 ゲルドワースは広い机上に身を乗り出した。

「しかし、幽霊捜しなどと楽し気なことは、根無し草の忌語りなぞより、まず父を誘うべきではないかな」

 そうは思わぬか、と子供のように拗ねる。クランはぞんざいな溜息を吐いた。

「あんなもの、寝床を追われて見る価値もない代物だ」

 嘯くクランに、ゲルドワースは芝居がかった仕草で目を剥いて見せた。

「何を言う、サルカンの化け姿なぞ、見ものであろうが」

 クランが舌打ちした。王の御前で、となるところが、エレインも無礼に慣れ始めている。よもや、クランの術中に嵌って感覚が麻痺したようだ。エレインは内心、身を引き締めた。

「誰に聞いたかは知らないが」

 派手な捕り物だった。あれが王の耳に入るのも仕方はない。こちらもパルディオの報告だとすれば、憶測も一緒くたなのは想像に難くない。幽霊の台詞も自分で当てるほどの男だ。

 だが、ゲルドワースがカーディフの遺児を知らぬはずがない。むしろ、モルダスの管理下に置いたのは王の指示だろう。パルディオが何を告げたにせよ、アディに影響はないはずだ。

「化けて出るほどサルカンが世を儚むものか、あれは十分、好きに生きている」

 クランが惚けて応えると、王は微かに目を細めた。ゲルドワースの関心はその先にあるのだろう。

「では、何をしに出たと考える」

 アーデルトとは逆に、モルダスの目的を憂慮している。ゲルドワースは魔術を得手としないが、魔術の可能性は柔軟に捉えていた。それは手酷い教訓に基づいた懸念でもあるのだろう。

「あれはサルカンじゃない」

 クランは気乗りしない声で告げた。

「カーディフの亡霊だ」

 エレインや彫像の如き騎士までもが頬を打たれたように仰け反った。ゲルドワースには予想の内だったのだろう、それでも口許を強く引き結び、クランに穿つような視線を向けた。

「さて、今さらあれが何をしたいのかは、わからないがね」

「確かに、カーディフなのか?」

「カーディフの件だと知っていたら、呼ばれたって来るものか」

 渋い茶を呷った顔でクランは王に噛み付いた。

「やさぐれて、女の尻を追い回した挙げ句、面倒なものに手を出したのは誰のせいだ、兄弟喧嘩に巻き込まれるのは御免だ」

 エレインが咎める隙もなくクランは毒を吐く。しかも、対する王は苦虫を噛み潰しながら、激昂も反論もしない。エレインは呆然とした。こうした叱咤の特例は、王妃だけだと思っていた。

「国も王位も俺の知ったことか」

 本来ならこの場でクランの頸が飛んでもおかしくない。現に、従騎士の震慄が咳き込むほどに立ち込めている。だが、クラン自身は、このひりつく空気を微塵も感じていないようだ。

「俺はただ、あのくそ生意気な娘ためだけに、ここにいる、兄も弟も関係ない」

 皆の鼓動さえ銅鑼のように感じるほどの沈黙が過ぎて、ゲルドワースは根負けしたように息を吐き出した。崩れるように椅子の背を軋ませると、肘掛けに手を突いて、クランに言った。

「我も含め、主だった者が明日には城を空けることになる、クリミアの領王会議だ、五日は戻れぬ」

 淡々と告げて、目を細める。

「有事に備えるとしたら、何が必要だ?」

 問われてクランが顔を顰めた。無意識に髪に手をやろうとして、エレインの視線に気づいた。クランはそっと手を膝の上に戻したが、エレインの視線は彼の思う理由ではなかった。

 外見からは見えないが、エレインは混乱していた。

 王はクランを咎めないどころか、有事の対応をクランに問う。有り得ない。クランとゲルドワースの関係が見えなかった。二人の言葉を解くにも、エレインの知らない要素が多すぎた。

 確かに、亡き大公殿下が関係するなら大ごとだ。だが、それはクランの言に過ぎない。本当だったとしても、政務の裏方である王室事務次官らを呼ぶべき事案だ。相談先はクランではない。

「そうだな、サルカンの有様を見るに、第三市環跡アウグ=ラダの人払いは必要だろうよ、街に何かあったとしても、まあ、天災だと思って諦めることだ」

 投げ出すものと思いきや、適当に思える気安さでクランは淡々と答えた。

「浄水橋の付近か」

第三市環跡アウグ=ラダ全部だ」

「全部だと、西翼端から東翼端までか」

 ゲルドワースも流石に目を剥いた。クランが無責任に告げたのは、内環とはいえ市環全域だ。戯言で済む規模ではない。だが、当の本人は、俺に訊くのが悪い、と澄ました顔でいる。

「ああ、それと」

 思い出したように呟いて、クランはゲルドワースの目を覗き込んだ。

「俺はこのまま殿下の講師を続けるのか?」

 王に微かな懊悩を感じたのはエレインの見間違いだろうか。それも、自分の知らない理由があるのだろうか。一〇年前、モルダスの連れて来た、いい加減な貧乏学士は、いったい何者なのだろう。知らないことが腹立たしい。

 講師としても、遊び相手としても、クラン・クラインはキャスロードに悪影響しか与えない。エレインがそう注進したにもかかわらず、王はキャスロードの行動を楽しんでいる節さえあった。王の信頼さえ腹立たしかった。

「続けてくれ」

 ゲルドワースの言葉をフン、と曖昧に受け流し、クランは肩を竦めた。ふと、エレインを振り返り、意地の悪い目を向ける。その惚けた眼差しに、エレインの理性がささくれ立った。

「なら、粗相の際は、ぜひ寛大な処置を、」

 パン、と小気味のよい音がして、クランが椅子から転げ落ちた。頭を押さえて、おうおうと呻く。ゲルドワースとその屈強な従騎士が、呆気に取られてエレインを見つめた。心なしか、無意識に姿勢を正している。

「聞かなかったことにいたしましょう」

 何事もなかったかのように、エレインはそう言った。

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