古城

「合理的な策だと思いますよ、殿下」

 ラエルの口調は至って真面目だったが、その目許に浮ぶ笑みを見て、キャスロードは怒ったように頬を逸らした。マリエルとコルベットはそんな王女を眺めてにやにやと笑っている。

「このまま旧王城の儀式堂へ行くぞ、門は開かない、通廊を使う」

 拗ねて目も合わせず、キャスロードは奥に続く石造りの廊下を駆けて行く。決められた言葉が嫌なくせに、勝手に喋って後から身悶えした。キャスロードはいつも、後先を考えない自分を恥ずかしがっている。

 隔壁を隠した幾つもの柱を抜け、使用人の小道に入る。廊下の両側に延々と並ぶのは、見分けのつかない支度室だ。端から数え、覗いて確かめ、キャスロードはようやく目当ての扉を見つけた。

 部屋には王権通廊の入り口が隠されている。マリエルが先に滑り込み、コルベットが皆を呼び寄せた。だが、エレインは戸口でキャスロードを留め、身を屈めてケープの襟を結び直した。

「殿下、顧みるのはご自身もです、貴方を失くして迷う者も多いのですから、お忘れなきように」

 そう告げて、エレインは廊下に一歩下がった。

 エレインは集会堂に戻る手筈だった。以降はキャスロードの代弁者となる。彼女は自分の役割りを弁えていた。キャスロードの意志と立場を、他の誰かに任せることなどできない。

 エレインはキャスロードに頷いて見せると、コルベットを促して部屋の中に入れた。誰かが無謀な冒険者たちの備えにならねばならない。王女の告げた言葉の通り、城を檻に変えるなら、檻ごと獣を殲滅するまでのこと。この国にはキャスロードと旧王城が残ればよい。

 これもあの人の後始末だろうか。

「ラエル、ラエル・アル・フラム」

 戸口で擦れ違う間際、エレインは呼び止めた。一瞥したアディが察して先に行く。ラエルは立ち止まり、エレインに顔を向けた。

「こうして話をするのも久しいですが、貴方とは、はっきりしておかなければ」

 閉じた目で頷き、ラエルは口許に小さな笑みを浮かべた。

「君にしては非効率的な物言いだね」

 理屈っぽさに変わりはないが、今のラエルにはあの頃の気弱さは何処にもない。自身も含めて、世界を遠目に見ているような、そんな冷めた落ち着きがあった。これが、かつてのあのアディだろうか。まるで、そう、クランの似姿だ。

「君はあのとき決めたんだ、そうだろう、僕も同じだ、気にすることはない」

 エレインが口を開く前に、ラエルは言った。

「僕たちはね、ラルクもクランも揃いも揃って、みな不器用すぎるんだ」

 エレインは微かに頬を固くした。

「貴方は失った目の代わりに、もっと良いものを手に入れたようですね」

 ラエルは一拍の間を置いて、皮肉を返した。

「とてもね」

 部屋に耳を傾けるような仕草をして、エレインに向き直る。

「君の殿下はまだ小さい、僕もそうだとよかったんだが、ほら、すっかり変わってしまった」

「ラエル」

「殿下は任せて、僕にもこの国にとっても、彼女の力はまだ必要だ」

 ラエルは一方的にそう言って部屋に滑り込むと、エレインの前で扉を閉じた。


 キャスロードが扉を潜ると、青い光のひと筋が、足首の高さを走って行った。冷え固まった通路の空気が、人を迎えて微かに揺らぐ。半階ほどの階段を下りれば、馴染みの地下通路が続いていた。

 キャスロードたち三人の後ろで、アディがラエルに段差を囁いている。

「この路で直接、旧王城まで?」

 マリエルが訊ねた。道筋が判るのはキャスロードだけだ。黒い獣が宮廷環アルフの奥まで入り込んでいるとは思えないが、古城壁ゼムスを越えるまでは気を抜けない。可能な限り、地上は避けたかった。

「こっちだ、が、その前に」

 向けた指先をくるりと回して、キャスロードは駆け出した。マリエルとコルベットがついて走る。何となく意図は察したが、あれが必要な事態だろうか。二人はこっそり視線を交わした。

 足許の照明に頼る王権通廊は、視線が自然と下を向く。距離を保って走るのも、慣れとコツが必要だ。振り返ると、ラエルはどうにかついて来る。むしろアディの方が遅れがちだった。

 走っては立ち止まり、辺りを見回しては、また走る。しばらくそれを繰り返し、キャスロードはようやく目的の場所を見つけた。地図も目印も見えない他の者は、ひたすら振り回されている。

 暗がりに意味のないラエルだけは、魔術の知覚で触れた周囲の構造を頼りに、別の開口の近くだろうと見当をつけた。キャスロードが弄る特徴的な柱は、たいてい階段の傍にあったからだ。

「そら見ろ、持ち帰って正解ではないか」

 そう小さく呟いて、キャスロードは柱の影から布を払った。マリエルの小さな吐息は、その埃よけが彼女のケープだったからだ。キャスロードは、自身の背よりも長い斧槍を通廊に掲げた。

「ラエル、これが判るか?」

 ラエルに駆け寄ると、キャスロードは手にした斧槍を差し出した。

「探検で見つけた武具だ、施術されているのだが、コルベットではまるで読み解けないのだ」

 名指しされたコルベットが口を尖らせる。

「未熟者で悪うございましたね」

 通廊の光を弾いているが、斧槍の地は白銀色の一体物だ。柄や刃に刻まれた装飾は、紋章化された術式らしい。ラエルは柄を取り、片手の指先を滑らせた。アディには馴染みの、魔術書を読む仕草だ。

「これを、どちらで?」

「ここで見つけたのを隠しておいたのだ、こんなこともあろうかとな」

 問いに応えて、キャスロードがラエルの顔を覗き込む。

「これであの黒い獣は斬れるだろうか?」

「殿下」

 獣と戦うおつもりか、と声を上げたのはマリエルだ。斧槍を取り上げられると思ったのか、キャスロードはラエルから斧槍を奪って飛び退いた。ラエルの指が名残惜し気に宙をなぞった。

「万が一だ、案ずるな」

 斧槍を抱いたまま、キャスロードがマリエルを睨む。ラエルを振り返り、問いの続きを繰り返した。

「斬れるのか、どうなのだ」

「多少は効果もあるでしょう、術式が複雑すぎて保証はできませんが」

 ラエルは困惑したような微苦笑で応えた。

「ですが、そもそも殿下が直接手を下される時点で事態は積んでいると思われます、つまり意味がない」

 キャスロードの頬がぷう、と膨れた。

「貴様まで言うか」

 マリエルとコルベットが揃って、それ見たことかといった表情をする。キャスロードは膨れたまま下唇を突き出した。ラエルは所在のない手を名残惜し気に下げると、キャスロードに忠告した。

「術式をもう少し見てみたいところですが、殿下、それは古魔術の類です、持ち出さぬ方が宜しいでしょう」

 当然、キャスロードは聞き入れなかった。

 地下通路に斧槍を閃かせながら、キャスロードが駆けて行く。時折り立ち止まっては、匂いを辿るように宙に鼻先を向けてひくつかせる。それは、瞳の中の小さな地図を確かめる仕草だ。

「殿下は何をしようとしているのかな」

 アディがコルベットに囁いた。そもそもアディとラエルには、禁忌を冒してまで旧王城を目指す理由を知らされていない。ラエルは何か察しているのかも知れないが、アディには皆目だ。

「なに、文句あんの、畏れ多いわよあんた」

 コルベットは無下に突き放した。王女に同行を求められた、理由はそれだけで十分ではないか。吐息まじりに諦めて、アディはふとコルベットの表情に気がついた。並んで駆けながら覗き込む。

「君も知らないのか」

「国家機密よ」

 アディが噛み付かれて鼻白む。コルベットを見兼ねて、マリエルが口を挿んだ。

「獣を一網打尽にするのだ、旧王城に手段があるから、殿下にしかできない」

 らしい、とマリエルは小さく付け加えた。

「言ったと思うが、あの獣は、」

 後ろで少し息を切らせながら、ラエルが皆に口を挟んだ。

「本来、単なる都市防衛用の魔術装置だ、未制御なだけでね」

「未制御が大問題なのです、ラエル殿」

 これだから魔術師は、といった吐息と一緒にマリエルは呟いた。

第三市環跡アウグ=ラダに出現したという壁もそうでしょうか」

 アディが訊ねる。

「関連はあるだろうが、わからないね」

 ラエルは答えて思案した。

 集会堂の囁きの中には、件の黒い壁が魔晶石で出来ていたとの証言もあった。市環の大きさの魔晶石などあるはずもないが、いずれにせよ、あれが何らかの魔術装置である可能性は高い。

 例えば、モルダス老の失踪や幽霊騒動など、そこに関わる古魔術の反応が、あれの起動を促した可能性はあるだろうか。だが、そういった知識は破棄されて久しい。ただ、旧王城が防衛装置の中枢であると噂されるからには、制御もあるはずだ、という考えは道理だ。

 運よくそれが制御できるのであれば、壁から出現した噂の黒い獣も、どうにかできるに可能性は高い。

「よし、ここだ」

 キャスロードが手を翳したのは、見た目に周囲と差のない壁の一画だった。継ぎ目のない壁面に二筋の薄い影が生じたかと思うと、それは静かに開口を切り取って行く。沈み込んだ壁の向こう、先に伸びた通路に橙色の燈が灯った。

 そこから先は、呆れるほど幾重も扉が続いた。その度、平らで無機質だった内装が装飾を増して行く。キャスロードについて扉を潜りながら、皆は旧王城に立ち入ることの重みを今更ながらに実感した。

 ここは王族にのみ立ち入りを許された聖地だ。マリエルはそっと汗を拭う。意識するほどに足の感覚が失せた。本来、従騎士が足を踏み入れるのは、キャスロードが王位を継承した後のはずだった。

 マリエルがコルベットに目を遣ると、偶然、視線が合った。ばつが悪くて、互いにふいと目を逸らした。緊張と感慨と不安は共通のようだ。

 視界が開け、天井が失せた。まだ地下のようだが、勝手に灯った燈は遥か高みにある。佇むキャスロードが記憶を手繰る。王と王妃と姉上と、四人で歩いたひと気のない廊下だ。

「こっちだ」

 廊下を駆けて、五人は巨大な扉の前に立った。表面には、大人と同じ大きさの彫像が縦横に並んでいる。人手で押し開けるには大きすぎたが、それは王権通廊と同じく王印に反応した。

 開閉よりも、風の音の方が大きかった。埃や人の匂いのない、冷えた風が吹き抜ける。

 広間だ。見渡す限り何もなく、ただ鏡のように磨かれた碁盤目の床石が、延々と拡がっていた。天井は高く、宝石のような多灯照明の塊が幾つも吊り下げられており、それらが次々に灯って行く。

 キャスロードを先頭に、皆は広間に踏み入れた。奥には集会堂にあったような低い檀があり、この広大な屋内に唯一の備品が置かれていた。人の丈ほどの杖とそれの台座だ。見渡すが、その他には何もない。

 それは、華美と呼ぶには機械的な杖だった。透き通る黒い柄の上に、真鍮色の文様が装飾されている。頭には輪を重ねたような飾りがあって、精密時計を解いたような、無数の仕掛けが垣間見えた。

「あれは、王笏」

 呟くラエルの声に立ち止まり、キャスロードは振り返った。

「そうだ、ここが旧王城の儀式堂だ」

 キャスロードは不意に斧槍を振り、切っ先をラエルの喉に突き付けた。傍のアディは状況が理解できず、きょとんと斧槍を見つめている。

 堪えたものを吐き出すように、キャスロードはラエルに囁いた。

「叔父上、貴方を止めるためにここに来た」

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