王都大乱

後悔

 時計のような靴音に、マリエルとコルベットはもたもたと姿勢を正した。背中を壁から離したところで、所在のない表情は取り繕いようがない。

 二人が歩哨に立っているのは、キャスロードの私室だった。王女の警備は本来の任務だが、正確には、誰も立ち入るな、立ち入らせるな、と当人に厳命されていた。それは、マリエルとコルベット自身を含めてだ。つまりは、出て行け、とそう言われた。

 扉の前のしょぼくれた従騎士に、エレイン・オーダーは冷えた目を向けた。

「退きなさい、入室します」

「その、殿下は誰も入れるなと」

 マリエルがもそもそと口の中で応える。

 王女の「風邪」が移ったようだ、とエレインは微かに眉を潜めた。ラルクに連れられ、不貞腐れて帰ったその日、エレインはしょぼくれた二人から事情を聴き出した。どうやら二人の自然治癒は叶わなかったらしい。

「退きなさい」

 叱咤するでも蔑むでもなく、エレインは淡々と告げた。

「殿下の言葉に従うだけなら、ここに貴方たちがいる必要はありません」

 マリエルは床目を見つめ、コルベットはぼんやりと項垂れている。エレインは溜息を押し殺した。私はいつもあの人の後始末だ、と内心で零す。

「言葉を聞くのではない、声を聴きなさい、それが貴方たちの役割りです」

 彼の破天荒に倣えないエレインは、宮廷官吏に許される語彙を用いる他ない。

「殿下と感情を共にするのはよい、悩みを分つのも正しい、ですが、貴方たちは殿下の一部です、人が心の内でそうあるように、貴方たちは殿下と互いを質さねばなりません」

 顔を上げた二人を交互に見て、エレインは本当の溜息を吐いた。

「貴方たち、まずは身形を整えなさい、殿下の騎士が髪と肌に隙を作るなど持っての他、その目がしっかり開くまで、支度室から出ることは許しません」

 竦んだ二人の前で、ぱん、とエレインは手を打った。

「さあ行って、支度ができたら、殿下を迎えに来なさい」

 マリエルとコルベットは顔を見合わせ、指の先まで伸ばしてエレインに敬礼した。踵を返して駆け出して行く。

 二人の背中を咳払いが打った。振り返ってエレインを見ると、微かな顎の動きに気づいて首を竦めた。慌てて速歩に切り替える。宮殿の廊下を走ってはいけない。まだその時ではない。

 エレインは扉を振り返り、叩木を打った。三拍置いて扉を開ける。部屋の奥にくぐもる言葉は、すべて無視した。八つ当たりの嵐が吹いた部屋の惨状を一瞥し、足場を選んで横切って行く。

 天蓋の薄膜を落としたまま、エレインは寝台の傍に立った。丸いキルトの塊が、シーツの真ん中にこんもりと居座っている。キャスロードは丸まったまま動かない。エレインの叱咤を厭わないほど、投げやりになっている。

 キャスロードはずっとこの調子だ。公務はもちろん、日常さえ滞っている。両陛下の不在に塞ぎ込んでいらっしゃるのだという好意的な憶測もあったが、エレインは信じていなかった。

 不貞腐れているだけだ。

「殿下、お加減は如何でしょうか」

 エレインは、もうひとりのキャスロードに向かって話しかけた。建前上、伏せっているはずのこちらの王女は、素直に話を聞いている。寝たふりのキャスロードより、ずっと素直だ。エレインは本物を無視して話を続けた。

 園遊、式典、施設訪問、晩餐の欠席。エレインは淡々と予定の不履行を告げる。頭まで被ったキルトの下で、キャスロードは真っ赤になって行く。その報告を、誰かのせいにすることもできない。

 だけど。悪いのはクランだ。あんな大ごとになるなんて。まさか牢屋に入れられるなんて。ラルクだって酷かった。口を割ればマリエルとコルベットも同罪で、皆も牢屋に入れられる、とキャスロードを脅迫したのだ。

 自分が連れて行けと言ったのに。クランなんて、ただの道案内のくせに。何にも言わないクランが狡い。騙したクランが悪い。自分の責任を奪ってしまったクランが狡くて悪いのだ。

「それと、明日の第二史学は休講です」

 エレインが言った。

「殿下のご予定は先に申し上げた通りです、明日は責任を果たされますように」

 きゅっとシーツに寄る皺で、キャスロードが耳を欹てているのがわかる。エレインは、聞き分けのよい幻の王女から目を逸らし、閉じたカーテンにしばし目を遣った。外はもうすぐ月に覆われる頃合いだった。

「昔の話をしましょう」

 囁くようなエレインの声に、キャスロードは身動いだ。

「殿下がもっと幼い頃のことです」

 ふと、脳裏を大空洞の青い光が過ぎった。心細さと枯れた喉、痛いくらいに抱きしめられた感覚。でも、それが何かを思い出せない。キャスロードはキルトの隙間から、そっとエレインを覗き見た。

「私は以前、迷ったことがあります」

 エレインの言葉はひどく抽象的だ。

「危険を前に身が竦み、選択を誤って動けなかった、あのときの私は、すべてを失ってもおかしくありませんでした」

 それでも、キャスロードはそれを実体験だと信じた。エレインはけして嘘を吐かない。キャスロードにとって、それだけは絶対の真実だ。

「何の迷いもなく、いいえ、恐らく何も考えずに手を伸ばしたのは、あの人でした、それは、私のすべきことだった、私の責任だった、私の役目を奪って行ったあの人が、私の迷いが、今も悔しくてなりません」

 微かな絹の音に、エレインは振り返った。

「我はどうすればよいのだ」

 キルトから覗いているのは、ほつれた黒髪と、笑ってしまいそうなほど赤く腫れた目許だった。顔を半分隠したまま、キャスロードは縋るような真剣な目で、エレインを見上げている。

「叱り飛ばしておやりなさい」

 エレインは言った。

「殿下の罪は御身が負うものです、誰かが奪ってよいものではありません」

 エレインの口にする「あの人」の響きに、キャスロードは何故か微かな苦しさを覚えた。

「でも、その誰かとやらが牢屋に入っていたらどうするのだ」

 拗ねたように口籠る。

 エレインは腰に手を当て、口許に小さな笑みを浮かべた。

「それは好都合です、逃げられる心配をしなくて済むのですからね」

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