第5話


「ヴァン!」


 誕生日まであと1週間というところで、セインはやっとヴァンの尻尾を掴む。

 いつもは背を向けて逃げるはずなのに、今日の彼はまるで待っていたかのようにのんびりしている。


「大きくなったなあ。セイン。まあ、背はそれ以上伸びないかもなあ」

「うるさい!」


 戦闘態勢の彼に対して、ヴァンは懐かしいという表情を全面に出していた。

 それがセインを余計イラつかせる。

 この4年、裏切られた思いでいっぱいで、苦しかったのに。

 ヴァンは何一つ変わってなかった。

 その態度も、何もかも。

 茶色の一つ目にはこちらを揶揄するような色が見え、口元には笑みが浮かんでいる。


「ヴァン!」


 彼から貰った細身の剣はすでに廃棄しており、現在セインが使っている剣は若干大振りの剣になる。


「その剣、お前にあってない。馬鹿だな」

「うるさい、うるさい!殺す、絶対に!」


 変わっていない彼に対して、懐かしさの気持ちが出てきて、それを打ち消すためにセインは叫ぶ。


 ――ヴァンを殺す、トールとジョセフィーヌを殺す、そしてメルヒを助ける。


 彼の目的はそれだった。

 そのために彼はずっと頑張ってきたのだ。


「……めんどくさいな。やっぱり」


 ヴァンは溜息と共にそう言うと、一気に動いた。

 咄嗟に魔法を放とうとしたが、それも間に合わない。

 気が付くと、セインは地面に投げつけられていた。


「俺を殺そうなんて、100年早い。あ、人は100年も生きれないか」

「くそっつ!」


 必死に立ち上がるが、ヴァンはすでに森に紛れ込んでおり、視界から消えていた。



 ☆


 「なんだ、それは?」


  メルヒーーケリルに与えられた客間に、王妃ジョセフィーヌは毎日訪れる。文字を読めない彼女に文字を教えたり、他愛ない話をしたり。

  ジョセフィーヌはよく笑い、ケリルもつられて笑った。

 湖の傍でみた彼女の寂しい表情はあれから見ていない。それがいいことだと、ケリルはあの時のことを聞くことはなかった。また、ふと何かを思い出しそうになったが、考えないようにもした。


 ーー逃げているだけだ。だけど、思い出してはいけない気がする。


 ケリルはそんな予感を覚えていて、ただジョセフィーヌと静かに毎日を送っていた。

 

 今日はジョセフィーヌが刺繍道具を持ち込んだ。

 魔族であるが、耳と尻尾以外は人間と変わらない。

 なので細かい作業も可能だと、ジョセフィーヌは刺繍をケリルに教えることにしたようだ。

 丸い木箱に入っている色とりどりの糸。

 王妃は白い布を丸い枠に皺がよらないようにに張り、そこに針を刺していく。


「まずは私お手本を見せるわね。ケリルはちょっと見学していて」


 ジョセフィーヌは赤、緑の糸を使って、薔薇の花を白地に刺す。その針の動きは軽やかで、ケリルは見惚れてしまった。


「完成したわ。ちょっと時間かかちゃったわね。退屈だったでしょう?」

「そんなことないぞ。凄いな。私にできるのか?」

「ケリルには簡単な図柄を準備したの。ほら」


 そう言って彼女は白地に小さな花が描かれたものを取り出す。


「この線にそってまずは刺していくの。色も違うからわかりやすいでしょう?」

「王妃さまが用意したのか?」

「ええ。私が図柄を選んで、描いてみたの?おかしいかしら?」

「そんなことはない。さあ、やってみる。まずはどうすればいいんだ?」


 ケリルがやる気を見せ、ジョセフィーヌは嬉しそうに笑う。

 今日も二人は穏やかな日を過ごしていた。

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