第32話 ならずっと遊べるなぁ
もうどのくらい走ったのだろう。あの砂時計、それなりの大きさがあった。落ちるまでに相当の時間がかかる。ここまで離れれば一先ずは大丈夫だろう。それに、もうそろそろ限界だ。何か食わねばこれ以上、逃げ切れない。
周囲をグルリと確認すると、
「ぎっ!?」
人間と思しきブラウン髪の少年が黒色の服のポケットに両手を突っ込みながらもこちらを眺めているのが視界に入り、思わず小さな悲鳴があがる。
なぜ、こんな場所に子供がいる? まだ周囲は密林であり、民家などあろうはずがない。だとするとこれは――。
『おい、イフリート、こっちによくわからん木っ端カスがかったぞ!?』
ブラウン髪の少年は頭上を見上げつつもそう叫ぶ。刹那、黒色の炎が燃え上がり、黒服を着た額に二つの角を生やした筋骨隆々の男が姿を現す。
「あ、あんたら――」
疑問を口にしようとするが突如、ブラウン髪の少年が目と鼻の先に出現する。
「おわッ!?」
足に衝撃が走り、視界が地面と空を行き来する。シュガーの身体が空中をぐるぐると回っていることに気づいたとき、地面に顔面から衝突した。
視界一杯に火花が散る中、後頭部を踏みつけられる。
『今、ギリメカラ様から連絡があった。そのナメクジとやらが、今、
『それは
先ほどまでのやる気ない様子とは一転、鬼気迫る声色で角を生やした怪物に尋ねるブラウン髪の少年。
『そのようだな』
『こ、こんな木っ端雑魚ごときが、
怒声とともに踏みつける力が増して顔が地面に陥没する。
『気持ちはわからんでもないが、捕まればベルゼ様の玩具だそうだぞ?』
僅かだが筋骨隆々の男の声からは憐憫の感情が読み取れた。
『なら、ここで僕が二度と動けぬようにしてやるさ! 一瞬とはいえ、雑魚ごときが
癇癪を爆発させたような金切り声を上げると、ブラウン髪の子供はシュガーの両腕両足をその子供の小さな足裏によりあっさり踏み砕いてしまう。
(い、い、い、イカレてやがるぅっ!!)
黒髪の怪物と片眼鏡の紳士はもちろん、このブラウン髪の少年に角を生やした筋骨隆々の男。この地の奴らはその思考から何から何まで全てどうかしている!
シュガーは仮にも故郷では有数の力を持つ『凶』のメンバーだぞっ! この原住民の住まう地へ乗り込んでから敵となりうるものなどいやしなかったんだ。それが、この地へ足を踏み入れてから、嘘のように負け続けてしまう。
しかも、最後にはこんな年端も行かぬ子供に制圧され、ムシケラのように、成すすべもなく這いつくばっている。その理由もあの黒髪の怪物のゲームとやらに強制参加させられたことが羨ましいから。こんな理不尽な現実などあってたまるかっ!
「だ、だずげで!」
ブラウン髪の子供に踏みつけられて地面に顔面からめり込んだ状態で、懇願の言葉を吐く。
『できぬな。ギリメカラ様から虫一匹の逃がすなと申し使っている』
角を生やした筋骨隆々の男は、シュガーの
『あたりまえだっ! ナメクジごときにそんな権利があると思ってるのかぁつ⁉』
ブラウン髪の子供のシュガーを踏みつける力が増して、骨が潰れ、血肉が飛び散る。
「ふむ、お前たちに捕らえられていたか」
どこか緊張感に欠けた声が聞こえると、
『『御方様っ!』』
どこか歓喜の含有した声を上げてブラウン髪の子供はシュガーから飛び退く。
恐る恐る顔を上げると、あの黒髪の怪物の前で、地面に片膝を付いて首を垂れるブラウン髪の子供と。額に角を生やした筋骨隆々の男。
「ご苦労。よくやった」
『ありがたき幸せ!』
『恐悦至極……にございます……』
片膝を付いたまま感激にむせび泣く二人。そんな異常な光景に、黒髪の怪物は大きなため息を吐き、シュガーに近づくと髪を鷲掴みにして、持ち上げる。
そのシュガーに向けられるその冷たい氷のような瞳の中には、これっぽっちの慈悲や尊厳といった感情は存在していなかった。
「鬼ごっこは私の勝利だ。したがってお前は滅ぶまでベルゼの玩具になってもらう。ベルゼぇ!」
黒髪の怪物が声を張り上げると、
『至高の御方ちゃま、お呼びでちゅか?』
蠅の頭部をもつ化け物が跪いていた。
「―――っ!!?」
その姿を一目見ただけで、刺すような顫動が背中を駆け巡る。
(なっ、なーーなに、こ、こいつぅぅッ!?)
こんな禍々しいおぞましい生き物は初めて目にした。この魂からくる震え。これはきっと、生きものなら当然覚える最も強い感情。すなわち――捕食者に対する絶対的恐怖!
(こんなのを従えているってことは……)
もうシュガーは魂から理解している。シュガーはどんな最悪な存在に目をつけられてしまったのかということを。
(いやだ……)
そんなシュガーの悲痛な心の叫びなど歯牙にもかけず、
「そいつを好きにしていい。死ぬまでぞんぶんに遊んでやれ」
黒髪の怪物は蠅の頭部をもつ化け物に指示を出す。
「あーそうだ。そういや、お前って死ねなかったんだった。ならずっと遊べるなぁ」
あたかもどうでもいい口調の呟きとともに黒色の塊がシュガーを包む。それがシュガーのこの世での安楽な最後の記憶となった。
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