第52話 試験後のバベルの事情
――【
その見晴らしの良い一室でクロエはもう何度目かになるため息を吐く。
あの一件はバベルにとってあらゆる意味で変革という衝撃を与えた。
まず、副学院長のクラブ・アンシュタインとその側近たちが忽然と失踪し、その後、無残な死体が発見される。同時に副学院長が、今回の試験でいくつかの勢力からの要請を受けて受験生を殺害しようとしていたという事実が暴露される。まさにバベル中が上に下への大騒ぎとなり、大規模な調査チームが設置される。
結果、ある王族から受験生の抹殺を依頼されていたという前代未聞の不祥事が浮かび上がった。
非公開とされている情報ではあるが、ある王族とはアメリア王国の第一王子ギルバート殿下。どうやら、以前、公衆の面前でカイ・ハイネマンに恥をかかされたことを根に持って策謀したらしい。むろん、あの怪物を少しでも理解すれば、暗殺しようなどと夢に思わないわけだが。
ともあれ、子兎にかみつかれた程度であの怪物が怒り狂うはずもない。激怒したのは、その殺害にライラ・ヘルナーまで巻き込んでしまったから。そして、ソムニ・バレルを初めとする少年少女の受験生まで犠牲にしようとしたと知り、怪物の怒りはあっさり臨界を突破し大幅の粛清がされ、黒幕たる副学院長たちは無残な死体となり果ててしまう。
これだけなら、最近、傍若無人な振る舞いが目立っていた副学院長一派を粛正でき、イネア様達学院長派にとって実に都合がよい結果となっていたことだろう。
しかし、観測史上最強の超越者、カイ・ハイネマンを激怒させたことの責任を取る形で、イネア様は学院長の座からの引退を表明。今まで不動の座だと思われていた学院長の座が突如空席となったのだ。バベルの塔は一時混乱の極致となる。
バベルの塔を二分する勢力であり、副学院長派とも称された『魔道学院会』は不正の責任をすべてクラブ・アインシュタインの独断専行であり、自分たちとは無関係であると発表。
結局、学院長派も副学院長派の間で激しい政争が繰り広げられ、臨時学院長選挙で決着をつけることとなる。
その選挙の結果は、学院長派からの圧力で立候補を余儀なくされたクロエが僅差で勝利し、バベル学院長の座に就く羽目になってしまった。
「イネア様、引退なら私の方がしたかったですよ」
あれからイネア様はあの一件で完璧に牙を抜かれたようで、対峙しているだけで肌がヒリヒリするような以前の覇気がなくなり、別人のように穏やかになってしまわれた。
郊外にある屋敷で今までしたかった研究漬けの生活をすると妙にすっきりとした顔でおっしゃっていた。ある意味、それはクロエが最も望む未来だったはずだった。少なくともこんな胃が痛くなる決断をする必要はなかった。
一枚の用紙を掴み、
「カイ・ハイネマン、その他一部の者は実技試験が零点のためDランク学園――オウボロの入学を許可するですか……」
読み上げてテーブルに放り投げる。
本来、カイ・ハイネマンの実力からすれば、『塔』に在籍してもらうのが筋だが、試験の結果は実技試験零点。適性試験の成績も中ほどであることもあり、どうやっても最低ランクであり、オンボロ学園とも揶揄されるオウボロ学園への入学を認めざるを得なかったのだ。
何よりただでさえカイ・ハイネマンの信頼を失っている状況で不自然な試験結果の操作など怖すぎてできない。今は彼に基本、バベルがまっとうな教育機関であることを理解してもらうことが先決なのだ。
まあ、この処置には、ブライとシグマはかなり不満のようだったが、押し通らせてもらった。
あの超越者の性格からも、このような方法をとる方が一番無難で不快にはさせない。それが確信できていたから。
それに、近年のランク付けの学院の風潮には嫌気がしていたのだ。第一、入学試験の成績で将来が決まるなら、このバベルという教育機関の存在意義などありはしないだろう。それゆえに、この度の一連の処置には一種のカンフル剤となるとクロエは踏んでいる。ま、行き過ぎて心停止を起こしてしまわないように細心の注意を払う必要があるわけだが。
もっとも、いまだにカイ・ハイネマンの悪質性を理解すらしてない『魔道学院会』の介入もあるだろうし、前途多難なのも確かだ。
だからこそ、クロエにはある考えがある。
「イネア様、散々引っ掻き回したんですから、最後まで責任はとってもらいますよ」
遥か下の街並みを眺めながら、口角を持ち上げてクロエはそう呟いたのだった。
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