第29話 風猫の蹂躙 


 ――【深魔の森】中央部


 圧倒的数で制圧を開始したケッツァー伯爵の領軍。

 その領軍は、気性が荒くコントロールに難のある兵士や、高額の報酬で雇った傭兵や裏社会のゴロツキ共で構成されている。機動的な軍隊運動には難があるが、ゲリラ的な密林での白兵戦には尋常ではない強さを示す。

 だからこそ、こんな息を拭けば飛ぶような村にも満たない集落を制圧させるなど目をつぶってもできる。そう誰もが信じて疑わなかった。

 だからこそ、風猫の住民と思しき老若男女数十人が隊列を組んで姿を現したとき、最前線の兵士たちは、ターゲットが諦めて降伏したと判断していたのだ。


「大人しく出てくるとは、探す手間が省けたぜ。若い女は楽しむからとっておけ。他は殺していい」


 まさに盗賊のごとき指示を出す部隊長に、嫌らしい笑い声で答える部下の傭兵たち。

 傭兵たちは武器をちらつかせ、風猫たちの恐怖を楽しむかのように迫るが、先頭の白髪で長い髭を生やした老人が無表情で右手を挙げて、


「蹂躙を開始せよ!」


 重い口調で指示を出す。

刹那、風猫たちに迫ろうとしていた数人の傭兵たちの身体が空中に浮き上がる。


「はれ?」


 刹那、傭兵たちの四肢は空中で何かに握りつぶされたかのごとく拉げ、素っ頓狂な声は絶叫へと変わる。

 そして――蹂躙は開始された。

 

            ◇◆◇◆◇◆


「みぃーーーつけたぁ」

 

 次第に近づいてくる若い女の狂喜をたっぷり含んだ声。

 

「き、来やがったっ!」

「バ、バケモノどもめぇ!!」


 百戦錬磨の傭兵たちは悲鳴のような声を上げて、闇夜の木々の隙間から現れた金髪の若い女に向けて全力で切りかかろうとするが、瞬きをする間もなく、振り下ろした武器を含めて全身が氷漬けになってしまう。

 女が歩くたびにその周囲の大地は凍結し、パキパキと音が鳴り響く。


「もう終わりぃ? 凍結されたくらいで何やってんのよ!? 身体を引きちぎってでも攻撃してきなさいよぉッ! だらしないわねぇ!!」


 もはや戦意すらも消失した傭兵どもに近づくと、その胸倉を掴んで怒声を浴びせる。


「ゆ、ゆるじで」


 涙と鼻水でグシャグシャにしながら、命乞いをする傭兵に金髪の女性は舌打ちをすると、乱暴に地面に放り投げる。四肢が砕けて絶叫を上げる傭兵に、侮蔑の表情を向けると森の奥に姿を消した。


            ◇◆◇◆◇◆


「くそ! くそ! くそ! くそぉ!!  どうなってやがる⁉」


長剣を震わせて叫ぶ傭兵のスキンヘッドの部隊長は、もう何度目かの疑問を口にした。

 勝てる戦だった。いや、戦にすらならぬただの一方的な狩りのはずだったのだ。なのに、実際に今狩られているのは、ケッツァー伯爵に雇われている傭兵たち。

 

「ダメです! 隊長、退路は完全に塞がれましたッ!」

「そんなの見ればわかるっ!」

 

 ジワジワと狭められてくる包囲網に、スキンヘッドの部隊長は裏返った声を上げた。

先ほどから、部下は一人ずつ一人ずついなくなり、今やチームは数人程度となってしまっている。


「無理だ……あんなのに勝てっこねぇ。俺たちは悪神の住まう森に踏み込んじまったんだ」


 遂に部下の一人が剣を地面に放り投げて、頭を抱えてガタガタと震え出す。その震える部下の傭兵の身体が、見えない何か不可思議なものにより拘束される。


「い、いやだ――」


 拒絶の言葉を最後まで発することすら許されず、森の闇夜に引きずられるように消えていく。


「……」


 ガチガチと打ち鳴らされる傭兵たちの歯の音がシュールに響く中、木々の間から年端も否ぬ少年がポケットに両手を突っ込んだまま姿を現す。


「な、なんだ、餓鬼か……」


 ほっと胸を撫でおろす傭兵の全身が硬直して浮き上がるとその四肢があさっての方向へと向く。冷たい夜の空気に鳴り響く悲鳴。


「痛がる余裕があるなら、反撃の一つでもしたらどうだっ!? このクソ軟弱な〇×▽がっ!」


 少年の怒声と侮蔑がたっぷり含有した声とともに、傭兵たちの身体は持ち上がり、次の瞬間、夜の森の中に悲痛の声が響き渡ったのだった。


            ◇◆◇◆◇◆


 それは一見して腹の出た脂ぎった中年のオッサン。そのオッサンが紅の被膜で全身を覆いながら、超高速で闇夜の森を疾駆し、ケッツァー伯爵に雇われている傭兵の一人の懐に飛び込むとその頸部にエルボーを放つ。傭兵は空中で数回転すると、顔面から地面に激突し死んだ蛙のごとくピクピクと痙攣する。


「は?」


 現実を美味く処理し得ないのか、間の抜けた声を上げる隣にいた仲間の傭兵の頭部を右手で鷲掴みすると、地面に叩きつける。顔面から地面に衝突し、小規模なクレーターを形成する。


「フシュルルル!」


 オッサンの口から真っ白な息が吐き出され、ギロリと大きくも血走った眼で次の狩りの対象である傭兵の一人に狙いを定める。


「うわああぁぁぁぁぁっーーーーー」


 ようやく悪夢のような現実を認識し、一斉にたっぷり恐怖の含有した悲鳴を上げる傭兵たちに、オッサンは一瞬で間合いを食らい尽くし両手で二人の傭兵の頭部をはたく。傭兵たちは数回転空中を舞って、地面に叩きつけられピクリとも動かなくなる。


「ひっ!!」


 逃げようとする傭兵の鼻先スレスレの距離に移動すると、その頭部を両手で鷲掴みする。


「ぎひいいぃぃぃっ!」

 

 悲鳴のコーラスをバックミュージックにオッサンの膝が傭兵の顔面に叩きつけられた。

 オッサンは猫背気味に、さらなる獲物を求めて闇の森を疾走していく。


            ◇◆◇◆◇◆


 夜の森を煌々と照らす超高速で飛翔する発光する球体。それらは次々に、今回の戦に参加しているケッツァー伯爵の雇った傭兵たちに衝突し、その腕を、脚を、耳を、鼻を吹き飛ばす。


「きひゃひゃひゃひゃ! 見ろよ! どこをみても周りはまとばかりだっ! 索敵すら必要ねぇ! どこを撃っても当たりやがるぅ!!」


 夜空に舞う血飛沫。まさに阿鼻叫喚の地獄絵図の中、虫も傷つけられぬ温和だったはずの金髪の青年は両腕を掲げて、天を仰いで歓喜の声を上げる。

 それはまさに全方位的な動く移動砲台。必死の形相で蜘蛛の子を散らすように逃げ惑う傭兵たちは、金髪の青年が動くたびにバタバタと地に伏して絶叫を上げていく。

 それはまさに御伽噺の中の悪魔の行進だった。


            ◇◆◇◆◇◆


「く、来るなッ! バケモノがぁっ!」


 闇夜の木々の奥から現れた黒髪おかっぱの少女に、百戦錬磨の傭兵たちは、悲鳴のような叫び声を上げて、弓や炎弾丸を放つ。

しかし、矢は全て黒色の炎により燃え上がって塵となり、炎弾は黒髪の少女に当たると弾け飛ぶ。


「そ、そんな……」


 唇を震わせながら、僅かに後退ろうとした金色の髪を長く伸ばした部隊長の男。しかし、その部隊長の四肢が燃え上がり、一瞬で炭と化す。部隊長から絶叫が上がり、肉が焼かれる痛みからのたうちまわる。


「あぅ……」


真っ白に霧のかかった思考に、視覚と分析というオイルが注がれ、脳は通常運行を始める。

 そして、部隊の中でも最強であるはずの部隊長が芋虫のごとく、無様にのたうち回る姿をはっきりと認識した。


「嫌だぁぁッ!!」

「た、助け――」


 蜘蛛の子を散らすように逃げ惑う兵士たちの行く手を塞ぐように火花が走り、黒炎が包囲する。そして、兵士たちの両腕は瞬きをする間もなく一瞬で炎滅してしまった。


「ゆ、許じて……」


 黒髪をおかっぱにした少女は、両腕、両脚を失い、涙と鼻水を流して懇願する部隊長に近づいていく。


「降伏じます! だがら、たずげでくださいっ!!」

 

 掠れた声で必死に命乞いをする部隊長に近づき、


「助けろぉ!? あんたらの領主はそう懇願したお父さんとお母さんに何をした!? 何の力もない弟に何をした!? 泣いて頼んだのに、よってたかって笑いながら、焼き殺したんじゃないかっ!!」


 黒髪の少女はその胸倉を掴んで激高する。


「ヒイィィッ!」


甲高く泣き叫ぶ部隊長を地面に突き飛ばし、黒髪をおかっぱ頭にした少女は、暫し身を震わせて佇んでいたが、下唇を噛み締めて森の奥に駆けていった。

 

「ルーカス、どうやら、貴様の杞憂だったようだな」

「そのようで」


 九死に一生を得たと安堵のため息を吐く兵士たちを尻目に、二人の男が音もなく姿を現す。


「貴様が唯一奴らに課した¨戦意のないものは殺すな¨のルール、本当に必要だったのか? 我は皆殺しにした方が手っ取り早いと思うんだがな」

「ええ、それは彼女が彼女でいるためには必要なことです」

「それは、御方おんかた様のいう戦士の誇りという奴か?」

「いーえ、逆ですよ。彼女たちは本来戦士ではない。だからこそ、無抵抗なものを殺してはならないのです」


 炎の魔人は眉をしかめると、


「やはり、我にはよくわからん」


 さも残念そうに肩を落とし、ため息を吐く。


「はは! あくまでこれは矮小な私の騎士道のようなもの。あの御方とは大分異なっていると思います。がっかり為されることはありませんよ」

「そうだ。そうだよな! 偉大なる御方おんかたを理解するのは我らだっ!」


 右拳を強く握りしめる炎の魔人に老紳士は口端を上げると、


「さてと、では処理を開始しましょうか」


地面に転がる領軍兵士に近づいていく。


「申し訳ありませんがね。貴方たちは我らを根絶やしにしようとした。貴方たちの行き先は既に決まっているのです」


 老紳士の瞳が闇色に染まり、口角は吊り上がっていく。そして全身から漏れる闇色の闘気オーラ

 そのまさに人とは言えぬ形相に、領軍の兵士たちから漏れる掠れる悲鳴。それらは次第に大きくなっていく。


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