第19話 超越者たち ルーカス・ギージドア



カエサルだったものの大剣とルーカスの長剣が打ち合わさり、夜空に火花を散らす。

猛炎がカエサルだったものを襲うが、億劫そうに被りを振っただけで吹き飛ばされる。


(これは、マズいな)


 歯を食いしばって長剣を叩きつけながら、もう長くは持たないことを実感していた。

 技量はカサエルそのもの。だが、その膂力が人外にものと化していた。辛うじて打ち合えているのは、ケットが器用にもルーカスに防御壁を展開しているからに過ぎない。

 カサエルをここまで強化しているのだ。あの兵士たちもそれなりの猛者となっていることだろう。 

 何より最悪なのはあの黒色の骸骨だ。先ほど、ルビーはあの黒色の骸骨に生命力マナをやると言った。つまり、それはあの骸骨がと同種の超越種だと言う事を示している。もはや、人が勝てる領域を超えているのだ。

 つまり、あとは人外どもに委ねるしかないということ。


「【タイタン】! 盟約だ。もう起きているんだろ!」


 大地が不自然に盛り上がると、10歳ほどの少年が両腕を組みながら、顕現する。

あの不敵な笑みを浮かべているブラウン色の髪の少年こそが、姫様の真の切り札。土の精霊王――タイタン。この精霊こそが姫様がアメリア王国を去った一因だ。

 

『うん。ついさっきね。でも、随分と面白い事になってるみたいだね』


 このクサレ精霊! 面白そうにはしゃぎおって!!

 内心で壮絶に悪態をつきつつ、歯を食いしばる。ここからが勝負だ。タイタンでなければ、この危機を潜り抜けられぬ。


「私たちの生命力マナをやる。だから、一週間、姫様とこの風猫を守れ!!」

『僕としてそれで全く構わないんだけどさ。でもいいのかーい? あの骸骨は強い。僕も命を懸ける必要があるほどに。必要な対価は半端じゃないんだけどぉ?』


 腰に両手を当てて悪質な笑みで見上げてくるタイタンに、薄ら寒いものを感じて、


「具体的にどれくらいです?」

『僕の宿主以外の君ら全員の命』


 姫様以外のすべての死。それでは意味がない。この風猫を救えなければ姫様はまた独りぼっちだ。それだけは、絶対に避けねばならない。


「私の生命力マナは全てやろう。それで許して欲しい!」

「ダメダメ、ダーーーーメ! これは僕としても絶対に譲れない一線だよぉ。うんうん」

 

 わざとらしく何度も頷くタイタンに、憤怒が胸の底から湧き上がってきた。

 この悪質な精霊は、多量の生命力マナを対価に人でも到底成し得ぬ願いを叶える。本来、生命力マナなど得なくても、タイタンの活動には支障などない。あくまで対価は超越者に対する供物に過ぎないのだから。

 だが、タイタンはここぞというときにこの供物を要求し、姫様の心を幾度も裏切り、絶望のどん底に叩き落としてきたのだ。

 

「ルーカス様、もういいですじゃ。姫様さえ助かるなら、儂らの命を捧げます」


 背後を振り返ると、風猫の長老たちを始めとする全住民が集まっていた。


「ああ、姫様には今までよくしていただいたし、今こそ恩を返すときだ」

「そうね、私たちも十分幸せだったしさ」


 妙に納得したような諦めの言葉を次々に吐き出す住民たちに、グツグツと煮えたぎった熱い感情が湧き出していく。

 この者達はまったく分かっちゃいない。消える方が遥かに楽なものだ。単に運命に抗わず、成り行きのままに委ねればいいのだから。

 だが、そうして残されたものがどれほど絶望し、いかに辛いかを想像できちゃいない。


(そうか、あの子もこんな気持ちだったのかもしれまんせね)


 親の責任を投げ捨てて親戚に預けてしまった息子を唐突に思い出し、下唇を噛み締める。 

 ここで楽な道に逃げるのは簡単だ。何も思考せず、このタイタンの甘言に委ねればいいのだから。

 一人で欠けず救おうとした姫様の事だ。きっと一人残されたと知れば、姫様の心は壊れてしまう。それはもはや生きているとは言わない。そんな悲劇を大切な主人に負わせるつもりか? いや、負わせる事ができるのか?


「タイタン、どうしてもですか?」

『君もくどいねぇ。僕に二言はないよ』

「そう……ですか」


 決断すべきときだ。対価を差し出し主人の命を守るのか。それとも、主人の誇りをとり、タイタン抜きであの絶対的強者に挑むのか。その二者択一。

姫様や風猫との幸せな生活と、今まで幾度も同様の悲劇に姫様が憔悴しきって項垂れている姿が脳裏をかすめる。


(考えるまでもありませんね)


 元より、他力本願で何かを掴めた事などありやしない。それはとうに思い知っていたはず。

 最近、あまりに立ちはだかる壁が高すぎて、肝心なことが見えちゃいなかったのかもしれない。


「皆の者! 武器を取れぇいッ!!」


 面白そうにこちらの様子を伺えっているルビーと、カエサルだったものに向き直ると喉が潰れんばかりにそう叫ぶ。


「し、しかし……」

「命まで奪う盟約など論外だ。君らは姫様に、我ら家族全員の殺害の罪まで背負わせるつもりか?」


 顔を悲痛に歪めて身体を震わせる住民たち。


「もう一度言う! 武器を取れ! 君らの家族への想いは、そんなものか!」


 俯き震えるだけで動かぬ住民たち。これは、読み手に都合のよい御伽噺ではない。そもそも、鼓舞されたくらいで、戦を知らぬ者が武器などとれるはずもないのだ。

 わかっていたはずだ。なのに、なぜだろう。このただ諦めて項垂れる住民たちの姿がルーカスには、ひたすら腹立たしく、ただただ悲しかった。


「で? どうすんの? 君以外、やる気すらないみたいだけどぉ?」

「そんなことはない! 私たちは風猫! フェリス・ロト・アメリアの家族は、お前らなどに屈しないっ!」

「ふーん、そこの大精霊様も僕らに手出しないみたいだしぃ、もうどうでもいいや。やちゃって」


 ルビーの緊張感のない命に、ゆっくり動き出す、カサエルと兵士だったもの。カサエルだったもの一体にどうにか互角だったのだ。一斉に襲われれば勝てる道理などない。

 だが、ルーカスは、フェリス・ロト・アメリアの第一の家臣。精々、最後まで足掻いてやるさ!

 奇妙なくらいゆっくりと迫るカエサルと兵士だったもの。重心を低くし、奴らに向けて地面を蹴ろうとした、そのとき――。


「うぉっ⁉」


 眼前に凄まじい量の黒色の炎が巻き上がる。黒炎は忽ち四方に広がり、カサエルだったもの、そして兵士を包むと一瞬で塵へと変える。

 そして、中央には赤と黒の炎を纏った筋骨隆々の赤色の肌の魔人が佇立していた。


「な、何だ、お前ぇっ!?」


 ルビーが驚愕に顔を歪めながら焦燥たっぷりな声を張り上げる。対照的にタイタンは友人にも偶然出くわしたかのような気軽な態度で、炎の魔人に右手を上げる。


『あれれ、イフリート、奇遇じゃん! 何でここにいんのよ? 君も人間どもと契約でもしたのぉ? ま、この森からは死の臭いがプンプンするし、僕らも十分な栄養補給――』

さえずるな、汚らわしい、プラナリアめ!』


 炎の魔人はまるで汚物でも見るような目でタイタンを一瞥し、侮蔑の言葉を吐き捨てるとルビーと骸骨に氷のような冷たい視線を送る。


『こ、この僕を、プ、プラナリアだとぉっ!!』


 目を真っ赤に血走らせて激高するタイタンなど意にも介さず、炎の魔人は両腕を組むと、大きく息を吸い込む。


『もうじき、偉大なる御方おんかたがお見えになる!! 一同、跪けっ!!』


 炎の魔人の熱風とともに耳を聾するような大声が、森の中を吹き抜けていく。

 そのあまりの異様な様子に、ほほを引き攣らせるルビー。黒色の骸骨――デイモスリッチも、僅かに仰け反っていた。

 タイタンといえば、先ほどの怒りの様相とは対照的に、一切の表情を消してイフリートを注意深く観察している。


『スケルトン、我は跪け、そういったのだ!』


 据わるに据わった血走った両眼で炎の魔人に睨まれ、僅かに後退しようとしたデイモスリッチの頭上に灼熱の火柱が降り注ぐ。


『ぐぬあああっ!!』


 劈くような絶叫を上げてのたうち回るデイモスリッチに、炎の魔人はゆっくり近づくと、その法衣の胸倉を掴み、


『最後通告だ。跪け』


 低い声で厳命する。

 炎の魔人は小さな悲鳴を上げるデイモスリッチを地面に乱暴に放り投げる。

デイモスリッチも、震えながら地面に跪いて首を垂れた。


「何をやっている!? デイモスリッチッ! 早くこいつらを――」


 それがルビーの最後の言葉だった。黒色の炎が落下し、瞬きをする間もなく骨も残さず炎滅してしまう。

 あまりのあっけない巨悪の退場に、脳がついていかない。


『愚か者がッ! 我は最後通告だといったはずだ!』


 大地に唾を吐くと、炎の魔人は真っ赤な瞳で周囲をグルリと眺め回す。たったそれだけで、ルーカスの身体は実に自然に大地に膝を付いていた。そしてそれは風猫の住民も同じ。

 あのプライドの塊のようなタイタンさえも、滝のような汗を流しながら、大地に跪いているのだ。無理もなかろう。


『ギリメカラ様、一同、拝謁の準備が整いました』

『ご苦労!』


 炎の魔人が恭しく一礼すると、空から落下してくる漆黒の巨大な大剣。それらは次々に二列に綺麗に大地に突き刺さり、剣の道を作っていく。

 そしてその道をゆっくりと歩んでくる異形のもの共。そして異形たちは、剣の道の端に一列に佇立していく。次いで、地響きを上げてこちらに向かってくる漆黒の闇を全身に纏った鼻の長い怪物。

 そんな異様極まりない光景の中、ガチガチと打ち鳴らされる歯の音に眼球だけを向けて、ギョッと目を見開く。

 当たり前だ。あの普段、高慢ちきなタイタンの顔からは真っ青に血の気が引き、両眼からはポロポロと涙が流れ、口から泡のようなものを拭いてガチガチと歯を打ち鳴らしていたのだから。

 咄嗟に、デイモスリッチも確認するとやはり、骨を五月蠅いくらい小刻みに震わせていた。

 正直、タイタン、一柱だけでも全力で暴れれば軍の一個師団を大破できるくらいの強度がある。相対せる者自体、この世界でも限られているのだ。そのタイタンのこの怯えよう。きっとこの者どもは、格が違うのだろう。まさに人という種が抗えぬほどに――。

 

(い、いったい、我らは、何の尾を踏んだのだっ!!)


 鼻の長い怪物は、剣の道の中央で止まると、森を見据えて跪く。次の瞬間、一斉に跪く超越者たち。

 まさか、あの鼻の長い怪物すらも前座だと? そんなの悪い冗談だ。こんなの、もうどうしょうもないではないか!


『至上の御方おんかたの御前である! 皆の者、首を垂れよ!』


 鼻の長い怪物が重々しく叫び、ルーカスの顎はまるでその言霊に命じられているがごとく実に自然に下を向く。

 こちらに近づく足音と気配。ゴクッと喉がなり、発汗器官が壊れたかのようにポタリポタリと地面に落ちる汗。

 まさに生きた心地がしない状況で、


『表を上げよ』


 鼻の長い怪物の声に一斉に顎を上げる。

 そこには一人の黒髪の少年が佇んでいた。


「やあ、こんにちは、風猫の皆さん」


 黒髪の少年は静かに口を開き、風猫は己の導き手と運命的な出会いを果たす。


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