第31話 いつまでもいつまでも、その手を握っている。
目を覚ますと、そこは暗闇だった。どれくらい眠っていたのだろう。もう日は沈んでいるらしい。少し目が慣れてくると、そこが見覚えのある場所であることが分かった。
病院だ。
僕は病室のベッドに寝かされていた。あの頃と変わり映えのしない部屋。香り。あまりいい気分のするものではない。
(入院なんてしたことなかったのにな……)
大きな病気もなく、怪我もなく、身体だけは健康そのものに生きてきた。少しだけ、申し訳ない気持ちが湧く。
身体を動かそうとすると、鈍い痛みが走った。そういえば、リンチにされたんだった。なぜか、すごく遠い記憶に思える。
ふと、左手に感じる温かさに気づいた。まるで、誰かが握ってくれているみたいな。顔を向けてみると、そこには他でもない幼馴染の顔があった。眠っているらしい。見た瞬間、涙が溢れそうになった。彼女がここにいるということが、眠るに着く直前の記憶が間違えでないことを教えてくれる。
僕は僕にできる最低限を果たしたのだ。
「……優月」
「うにゅ……ううん……翡翠くん……?」
思わずつぶやくと、優月が起きてしまった。ゆっくりとその顔がこちらを見る。
「ごめん。起こしちゃったかな」
「翡翠くん……。――――翡翠くんっ! 良かったぁ……良かったよぉ……」
「うわ、ちょ優月!? 痛い痛い痛いって!」
「あ、ご、ごめんね。痛かったよね。ごめんなさい」
いきなり抱き着いてきた優月は慌てて謝り出し、しゅんとなってしまう。
「いや、いいよ。大丈夫。それより僕の方こそごめん。たくさんごめん」
「ううん。それこそ大丈夫だよ。翡翠くんが無事ならぜんぶ、大丈夫だよぉ」
今度はふんわりと優月が僕を抱きしめた。優しい香りに包まれる。すごくすごく安心した。もうすべて終わったんだと、また実感した。
優月が離してくれるまで、僕らはそうしていた。
「怪我、やっぱり痛いよね」
「うん、それなりに。あ、優月の方は……」
「わたしはぜんぜん! ちょこっと検査して、湿布を渡されただけでした~」
「そっか。よかった」
僕の方は少しだけ入院することになるらしい。あれだけ殴られ、蹴られした割には怪我はたいしたことないという話だ。
「あ、優月それ……もしかして……」
「ああこれ? 翡翠くんからのプレゼントだったんだよね? ありがとう。大切にするね?」
「え、でもそれ……壊されて……」
「ちょっとだけね、壊れちゃってたからささっと直しちゃった。だから、ちゃーんと付けられるよ?」
優月は手首に付けられたそれを僕によく見えるようにかざしてくれる。
それは色とりどりの綺麗な石で作られたブレスレット。優月のために用意していた誕生日プレゼントだ。
本当に良かった。完全に壊れていなくて。優月の手に無事渡ることが出来て、よかった。
「優月」
「なあに?」
「誕生日おめでとう」
「うん、ありがとう。これでしばらくはわたしの方がお姉さんだよ?」
「そうだね。でも、すぐ追い付くよ」
「待ってるね」
優月は少し大人びた笑みを見せた。
そういえばパーティーはどうなったのだろう。予定通り行われたということはさすがにないだろう。優月に聞いてみようかと思ったが、やめた。他の誰かに聞いた方がいいと思った。
それから僕が眠っていた間のことを少しだけ聞いた。
一番気になっていたのは黒木さんのこと。彼女は僕の怪我の状態を確認すると、いち早く病院を去ってしまったらしい。
それから僕を痛みつけた三人。彼らはしっかりと警察に連れて行かれた。その他、リサたちも含めて相応の報いを受けるだろう。
そんな話をしていると、セイジの言葉が脳裏をよぎる。
――――これはおまえが招いた結末ってわけだ。
実際、やつの言ったような結末にはならなかった。でも一歩間違えればそうなっていた。
やつの言葉を、すべて否定しようとは思わない。
だから。
「僕は――――俺は、強くなるよ」
「え?」
「ちゃんと優月を守れるように。強くなる。もう決して、傷つけさせない。こんなことはもう二度と起こさせない」
言葉を失うように、優月は俺を見つめていた。
もう一度、繰り返す。
「強くなって、俺が優月を守って見せる」
そう、俺が。守るんだ。
泣いているばかりの日々はもう終わりだ。泣いて、嘆いているだけでは何も変わらない。
この世界に屈することなどないように。俺はみんなを守れるくらい強くならなければならないんだ。そうして、この世界と戦っていく。もう二度と、膝を折ることはない。
優月は僕の言葉を咀嚼するように、そっかそっかと繰り返していた。その声は少しずつ、涙声に、震えを帯びてゆく。
「……翡翠くんを守るのはわたしのつもりだったんだけど……なぁ」
「それがそもそもおかしいんだよ。女の子を守るのは男の仕事だ」
「そういうの、もう古いんだよぉ? 偉い人に怒られちゃうんだからね?」
「違うよ。これはそういうのじゃなくて……なんていうか、男としてのプライドみたいなものでさ。小さな俺が最後に抱えるべき矜持なんだよ」
「やっぱりよく分からないかも……でも翡翠くんも男の子、なんだねぇ」
「そうだよ。俺は男だ。だから、優月を守る。助ける」
「えへ……なんだろう。嬉しい。なんでかな……涙、止まんないね……」
涙を拭う優月の頭に手を伸ばす。なんとか、それくらいは腕が上がってくれた。
「また、……撫でられちゃった」
「何度でも撫でるよ。優月が許してくれるなら」
「うん……うん。ありがとぉ……」
なぜ優月がそこまで泣くのか、僕には推し量れなかった。
でも、今まで張りつめていたものが決壊したかのように優月は泣き続けた。もしかしたら、情けない俺の存在が優月にとっての重荷になっていたのかもしれない。
引きこもりをやめる朝、寝不足になっていた彼女を思い出す。俺のことを心配して、夜も寝付けなかったんだ。俺はずっと、優しい彼女の負担になっていた。彼女の優しさに甘えていた。
やがて、優月が泣き止む。泣き晴れた目元はちょっとだけ不細工で、でも可愛い。愛おしい幼馴染の顔だ。
「ねえ、翡翠くん」
「なに?」
「いつか、助けてくれると嬉しいな。とても、とっても嬉しいな。頼もしいな」
「必ず、助けるよ」
何かあったら、ぜったいに。
もう一度、つよく優しく、その手を握る。小さくてフニフニとしたその手はとても暖かかった。その手をもう、離さない。
俺は強くなる。そしてそれと同じくらい、優しくなる。
俺を助けてくれた彼女たちのために。優月のために。
そうやって、やっと見つけた大切を抱えて。彩りを映しながら。この世界を生きていくんだ。
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