薬師の本領③


「マズいなこりゃ……」


 机の上に映し出された光景に、エベルト殿が苦々しく呟きます。


 森を背に騎士を捕らえて盾にするゴルゴンと、対峙する王国騎士団。両者の中間には盾を構えたバーン様。彼らの足元には、先程までなかったはずの白い破片――『石化』の呪いで石にされた騎士達だったものが散らばっていました。


「隊商の人たちは逃げてるね。盾持ちのお兄さんは武器が壊れて攻撃できないっぽい。

 天幕の陰に魔術師の女の子がいるけど、人質と周りの騎士が邪魔で攻撃できない。

 森にいる弓のお姉さんとホビットさんも同じ、かつ蛇に睨まれて身動き取れない」


 ジャンニーノ殿が告げる詳細な状況に、エベルト殿の眉間に深いしわが刻まれます。


「何で騎士に『石化』を使わないんだ? 遮蔽物しゃへいぶつもないし恰好の的だろ」

「冒険者たちを警戒してるんじゃないかな。お兄さんの盾は呪いも防ぐ模倣遺物デミファクトだし、背中から矢を三発も撃たれてる。このまま騎士を盾にして、まず冒険者を片づけるつもりじゃない?」

「生かしてあるのは、盾の予備ってことか……」


 すると坊ちゃまが、何かに気付きました。


「先頭に居る騎士の方が、ゴルゴンと何かしゃべってませんか?」

「オルランド殿か。ジャンニーノ、流せ」

「了解!」


 ジャンニーノ殿が宝珠オーブに手をかざすと、年嵩としかさの騎士の声が聞こえてきました。


『四日前の事件も貴様の仕業か』

『そうよ? すごいでしょう? 私にひどい事する奴は、みんな石にして粉々にしちゃうの! アハハハハハ!』


 ゴルゴンの狂態に顔をしかめながら、エベルト殿はチャールズ坊ちゃまに目をやりました。


「チャールズ殿。憑依は『精神に干渉する術』と言ったが、解き方はわかるか?」

「相手を拘束し、『退去の儀』を行って憑依したものを肉体から追い出します」

「あの女を殺せば解けるか?」


 坊ちゃまは一瞬の沈黙の後、首を横に振りました。


「……憑依は、正確に言えば『精神に干渉して術』です。相手が死亡した場合、死体はそのまま憑依したものに完全に支配されます」


 それに、と坊ちゃまが続けます。


「今回の相手は膨大な魔力マナを持つ地の神。しかも『再生』『変化』といった、自分の肉体に干渉する能力もあります」

「多少傷ついた死体でも、治して使えるってこと?」


 ジャンニーノ殿の質問に坊ちゃまが頷きます。


「最悪、地の神が受肉します」


 地の神の受肉。神が実体を持ち、地上にてその権能を思うがままに振るうことが出来るという事。

 古代精霊ですら、いくつもの街を容易滅ぼせる存在であると言うのに、その始祖なればもう、如何に神誓騎士とはいえ止める手立てはありません。

 国一つで被害が済めば安い方です。


「それは、首と胴を切り離した場合もか?」

「あ、ゴメン。それ無理だ」


 エベルト殿の問いに答えたのはジャンニーノ殿でした。


「頭から肩までを常時『石化』の呪いで覆ってる。多分、剣とかが触っただけで石になるんじゃないかな」

「対策済みかよ……」


 エベルト殿は右手で頭をガシガシと掻きながら、大きくため息を吐きました。


 人質を取られて身動きが取れず、背を向けて撤退しようとすれば『石化』の呪いで一掃される。かと言って殺害してしまうと、神の受肉という最悪の事態を招きかねない。

 重い沈黙が垂れこめた天幕の中で、宝珠オーブから騎士の声が響きます。


『何故、そのような惨い真似をするのだ』

『なんで? アハハハ、決まってるじゃない!』


 机上に映ったゴルゴンは祈るように両手を胸の前で組み、恍惚とした顔で宙を見上げて言いました。


『私を助けてくださった、『あの方』に命じられたからよ』


 この場に居た全員が、ゴルゴンの言葉に動きを止めました。

 あの方に命じられたから。つまり、裏で糸を引く者がいる計画的な行動。


『『あの方』はね、地獄に居た私に手を差し伸べて下さったわ!

 私のように、この世界地獄で誰にもかえりみられずに苦しむ人たちを救いたいって!

 その為に戦う力を、私に授けて下さったのよ! アハハ、アハハハハハ!』


 『あの方』とやらがさも素晴らしい存在のように喚き散らすゴルゴンの言葉に、最初に反応したのは坊ちゃまでした。


「――……暴力で何もかも救えるわけないだろ」


 今までに聞いた事がない程の冷たい声でした。


 禁術に手を染めた事への侮蔑ぶべつ、他人に手を汚させている事への怒り、それらをない交ぜにした『あの方』とやらへ対する嫌悪。


 ゴルゴンに憑依されたあの女性に何があったかはわかりません。ただ何かしらの理不尽な目に遭い、今まで誰からも助けを与えられずに過ごしてきたのでしょう。


 そこに『あの方』とやらが現れ、手を差し伸べた。


 誰にも顧みられなかった自分を救い、更には力を与えられた。『あの方』に依存し、妄信するには十分な出来事でしょう。救われた、なんて思うのも無理はありません。


 けれど、彼女は助かったのではありません。


 のです。


 被害者を加害者に仕立て上げ、自分の代わりに手を汚させる卑劣な行いを『救い』と呼ぶのならば――……『あの方』とやらは、坊ちゃまとは決して相容れない存在に違いないでしょうね。


「生け捕りにする理由が増えたが……さて、どうしたもんかな」


 独り言ちるエベルト殿に、ジャンニーノ殿が言いました。


「要するに王国騎士が邪魔なんだよね。エベルト、どうする?」

「どうもこうもねえだろ、坊や」


 エベルト殿はそう言うと、宝珠オーブが映し出した騎士団を指さして言います。


「俺の神誓術しんせいじゅつでまず人質を救出して、王国騎士を撤退させる。

 制圧は石化に対する防御と遠距離攻撃ができる冒険者たちに任せる。冒険者の手に余る、或いは殺してしまいそうなら、俺が頑張る……と言いたいところだが」


 問題が一つある、とエベルト殿が言います。


「この大人数に神誓術を使うと、神気エーテル枯渇で俺がぶっ倒れる事だ」


 そこまで言い切って、エベルト殿は再びチャールズ坊ちゃまに言いました。


「チャールズ殿、さっきの強化回復薬ハイポってまだお持ちですか?」

「ありますよ」


 そう言うと坊ちゃまはすぐに強化回復薬ハイポーションを取り出します。


「大規模な神誓術を行使するのであれば、先に飲んでおけば枯渇を防げます」

「頂戴します。謝礼に関しては、ジャンニーノの分も合わせて出来る限りの事をすると、俺の信じる神に誓いましょう」


 エベルト殿はそう言って、坊ちゃまの手から小瓶を受け取りました。


「エベルト。騎士団は何処に逃がすの?」

「俺らの詰め所。確か今日は副団長が詰めてる筈だ」

「うわあ、副団長かわいそう……」

「ボサッとしてんなジャンニーノ坊や。副団長に連絡と報告入れて、座標設定しとけ」


 そうしてお二人が準備に入ったのを見て、坊ちゃまは私に言いました。


「カンタリス。『黒鹿の角』の皆さんがゴルゴンを殺しそうだったら止めてくれ」


 後ろで強化回復薬ハイポーションを飲んでいたエベルト殿が噎せました。大丈夫でしょうか?


「カンタリスも戦うの?」

「いいえ。生かして捕らえる必要があるので、万が一の時に止めてもらおうと思いまして」


 宝珠オーブをもう一つ取り出していたジャンニーノ殿が私に顔を向けます。目隠バイザーの向こうの好奇の目が隠しきれていません。


 そんなジャンニーノ殿に向かって、坊ちゃまは迷いなくこう言い切りました。


「それに、彼女に人は殺させないと決めていますから」


 ――ああ、これだからこの主は堪らなく好ましい。


 あらゆる毒と病を司る私の主となっても、決して私を暴力に使わない。

 それこそが、チャールズ・アドルナートという人間の持つ無二の強さなのです。


 坊ちゃまは私に向き直り、凛とした声で言いました。


「頼んだぞ」


 ――はい。我が主チャールズの望むままに。


「ニャーン」


 私はひと鳴きして、天幕の外に出ました。


 野営地の入り口近くに張られた、ナルバ殿たちの天幕の前に居並ぶ騎士達の姿を見つけると、その向こうからけたたましい笑い声が聞こえてきます。


「私が殺してきた奴らが、助けなきゃいけない人じゃないのかって? ――冗談じゃないわよ!!」


 直後に、これまでにない怒声が響き渡り、暴風のような魔力マナが私にも届くほどの勢いで立ち昇りました。


「私が傷ついていた時は、誰も助けてなんかくれなかったわ。誰も、誰も、誰も誰も誰も誰も!!」


 そうでしょうね、と思いながら騎士たちの足の間を早足にすり抜けます。


 誰にも顧みられない人間は確かにいます。

 手を伸ばす事も、声を上げることも出来ず、誰の目に留まることなく死んでいく人間は確かにいます。


 世界は、人は、残酷です。誰も、自分が残酷であると自覚できないからです。


 「助けを求めればいいのに」と言う人間は、自分で助けようなんて考えません。

 「弱い奴が悪い」と言う人間は、弱い立場になった時「自分が悪い」とは言いません。


 世界は、人は、残酷です。誰も、自分が残酷であると自覚したくないからです。


 だから、世界の仕組みに苦しめられる人たちは直視されません。

 自分が誰かを傷つけて生きている現実なんて、誰も認めたくないからです。


「私を苦しめて来たこの世界で幸せに生きてる連中なんて、みんな死ねばいいのよぉーーーーー!!」


 そう思うのも仕方のない事でしょうね、けれど――


「ニャーン」


 ――それは、あなたが人を傷つけ、殺していい理由になんてなりませんよ。


 私は騎士達の間から、ゆっくりと彼女の前に進み出ました。


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