長い夜の始まり③


 森から現れたを見た私――アローナは困惑した。


「……人間?」


 出て来たのは、一人の女だった。


 こんな森の中に不釣り合いな真っ白いワンピースを着た、細身で背の高い女。くるぶしまである長い夜色のヴェールを被っていて、顔は良く見えない。


 騎士達も、森の中から出て来たのが一人の女だった事に戸惑いを隠せないでいる。


 そんな中で、一人の騎士が女の前に歩み出た。


「お嬢さん、こんな所に一人でどうしました? ここは盗賊が出て危険なんですよ」


 さっき私たちに難癖着けて来た騎士だった。


 ――何ボケた事言ってんの!? 人間だとしても、こんな所に一人でいる時点で怪しすぎるでしょ!!


 難癖騎士が何一つ疑うことなく女に手を差し伸べたのを見たバーンが、慌てて騎士を呼び止める。


「騎士様、待ってくださ……」

「ええい、くどいわ! 後にせよ!」


 バーンの言葉を遮って騎士が吠える。もうこちらの話に耳を傾ける素振りすらない。

 周りに居た騎士たちも、森から出て来たのが魔獣ではなく人間だったからか、私たちを疑わしげな目で見始めた。

 マズい流れだ。今ここで下手な真似をすれば最悪、『騎士たちに歯向かった』なんて言われて罪人扱いされる可能性もある。


「ああ、優しい騎士様。実は森で、仲間とはぐれてしまったのです」

「なんと! もしや、盗賊に襲われたのですか!?」


 場末の安い芝居のようなやり取りに、舌打ちしたくなるのを必死に抑える。

 あの騎士が私の弓の射線に入ってしまっている為、射るに射れない。周りの騎士達も、女に対する警戒を解き始めている。


 バーンも、騎士たちが女に味方し始めた状況に指示を出しあぐねていた。

 

 ――もし騎士たちの言う通り、彼女が本当にただの人間だったら?

 楽な方へ流されそうになる頭に、バカみたいな予想が掠める。


 魔力を感知できない私とバーンには、女の危険度に確証が持てない。


「ギデオン、リオ……彼女、人間?」


 私が小声で問うと、二人は揃って首を横に振った。


「違う」「違います」


「――よし」


 私は改めて、女と騎士たちの位置取りを確認する。


「さあ、森を歩いてさぞお疲れでしょう? どうかご遠慮なさらず」

「ああ、ありがとうございます騎士様……私、ずっと怖くって……」

「おい、本陣に伝令だ! 森を探す準備を!」


 見れば丁度、あの難癖騎士が女の肩を抱いてこちらに歩いて来ようとしていた。その周りに騎士たちが護るように取り囲んでいく。


「騎士は止める。遠慮なくやれ」


 難癖騎士が率いる連中との共闘は不可能と判断したバーンの言葉に、ギデオンは無言で頷いた。リオは私の集中を妨げないように小声で詠唱を始めている。


 細く、長く息を吐き、射るべきに精神を集中する。周りの音が遠くなり、私の中から一切の雑音が消えて行く。


「お、おい! お前何をして……!」


 伝令に向かおうとした騎士が、私の姿を見咎めて叫ぶ声が耳をすり抜ける。

 その声に反応した女が、顔を上げた瞬間。


 ――キュドッ!


 目一杯引き絞った魔鋼オルハリコン合金の弓から放たれた矢は、数人の騎士たちの隙間を掠めることなく、視認できない速度で女の顔に真正面から吸い込まれる。


 神鋼アダマンタイトと双璧を成す、地上で最も硬いとされる金属を含む強弓から放たれた一矢は、的を貫いただけでその勢いを削ぐことはなかった。

 矢を受けた女は頭を軸に上へ半回転して浮き上がり、肩を抱いていた難癖騎士の腕から呆気なく吹き飛んで、数メートル後方の地面に背中から叩きつけられた。


 騎士達の目が一斉に女の方を向くと同時に、ギデオンが動いた。小柄な体躯を活かして、騎士たちの死角を走り抜け、森に吹き飛ばされた女に追撃しに行く。


「貴様らっ!! 何を血迷ったあ!!」


 女を抱えていた難癖騎士が、血走った眼で叫ぶ。奴の罵声をかき消す勢いで私は叫んだ。


「気を付けてギデオン! !」


 森に向かうギデオンの背は、返事の代わりに音もなく木に駆けのぼって姿を消した。死角に身を隠しての不意打ちはアイツの十八番だ。

 頭に矢を受けて致命傷の相手に、身を隠す必要はない。死んだと確信しない限り油断しない、と言うギデオンなりの意志表示だ。


「ええい、コイツらを捕らえろ!」


 難癖騎士は指示を出した後、何人かの騎士を連れて吹き飛んだ女の方に向かう。残りの騎士たちは私たちを制圧しようと武器を向けてきた。


 こちらに敵意を向ける騎士たちの前にバーンが立ちふさがる。


「騎士様! 武器を引いて、話を聞いていただけませんか?」


 質問の形をしているが、実質これは騎士たちへの最終警告だ。


「構うな! 囲んで取り押さえ――っ」


 一触即発。騎士たちが今まさに私たちに飛びかかろうとしたその時。


 騎士たちが一斉に


 それを見た瞬間、バーンは盾を掲げて叫んだ。

 冒険者としての経験からくる咄嗟の反応。が来るのか、多分バーンも理解していなかったのだろう。


 ただ戦いの中で磨き抜かれた彼の勘が、結果的に私たちの身を守った。


「防げっ! 【模倣神盾デミ・アイギス】!!」


 叫んだ瞬間、盾から放たれた光が、半透明の壁となって私たち三人を覆った。


 ――ゴォッ!!!


 バーンが盾の能力を解放したのと同時に、周囲の空気が爆音を立てて揺れる。あまりに大きな音に思わず身を丸めたが、盾の向こうからは目を外さない。


「っ……何、あれ」


 私たちの前で武器を構えた騎士たちから、ピシピシ、パキパキと、乾いた音を立てて色が失われていく。それを見たリオが叫んだ。


「せ、『石化』! 見たものを石にする呪い!」


 石化の呪い。確か、Bランク魔獣のコカトリスや同じくバジリスクが使う能力だ。

 でもどちらの魔獣も、こんな広範囲に居る人間を全員石にしてしまう程の力は持っていなかった筈。


 ピシピシ、パキパキ……


 嫌な予感がして、後ろに停めてある幌馬車を振り返る。


「――っ!」


 私の目に飛び込んできたのは、石になってしまったナルバさんの隊商の一行だった。

 一触即発だった私たちに加勢しようとしてくれたのだろうか。全員が武器を手に取り、幌馬車から身を乗り出した所を、石にされてしまったのだ。


 そして空気の揺れがおさまり、辺りが静まり返った中に、場違いな声が響き渡る。


「――……やだもう。スカートが汚れちゃったじゃない」


 くらい森の奥からゆっくりと、さっきの女が現れた。


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