第3話
ひまわりはいつものように目を覚まし、そうして驚きました。まず一つには、やかましいくらいに蝉の大声で鳴くこと。いつも聞いている静かな虫の声とは断然に違います。
次に、生き物達が数多く動き回っていること。ひまわりの見知らぬ動物達があちらこちらを飛び回っております。そして、ふくろうの姿もこうもりの姿もありません。
何よりも空には、月よりも格段に眩しくて大きな、お日様の光が輝き、木陰にも惜しげなくその光を届けていることでした。
「いったい、これはどうしたことだろう」
夜に生きてきたしろがね色のひまわりにはあまりに理解しがたい状況に、その大輪をきょろきょろと動かしました。やがて、チチチという声がして、一匹の小さな雀がひまわりのそばまで飛んで参りました。
「おはよう、ひまわりさん。今日は朝に起きたのね。以前から一度、お話をしてみたかったの」
「初めまして、小鳥さん。おれとしたことがどうやら、寝る時間を間違えて、朝に起きてしまったようだ」
照れ隠しに笑って見せるひまわりを、雀はじっと見つめやがて首をかしげます。
「間違っていないんじゃなくて? だってあなたはひまわり。太陽を仰ぎ、太陽と共に生きるお花でしょう。間違っていたのは、今までの方でしょう」
「……」
ひまわりが何も言えないでいると、雀は楽しそうにチチチと笑います。
「ふふふ。私は雀。昼の世界へようこそ! 私、眠る前のふくろうさんから少しだけお話は聞いていたのよ。大丈夫、怖い場所なんかじゃないわ。きっと太陽と一緒に生きるうち、そのしろがねの花弁も黄金に染まり、群青の芯も焦げ色になるわ。安心して」
「あ、ああ……」
本当は今日の夜までにしっかりと考え、昼の世界に生きるか夜の世界に生きるか決心を固めるつもりでおりましたから、ひまわりは大変戸惑いました。
しかし一方で、昨日のこうもりやふくろうの言葉も思い起こしていました。
(こうもりもふくろうも、真剣におれのことを心配して、昼の世界で生きるよう勧めていた。こうしてきちんと話をせずに別れてしまったことは心残りだが、しかしこの昼間に生きることが彼らの望みでもあるのだろう)
いつも賢く、優しい彼らがああも心配してくれていたこと。長く一緒に生きてくれた彼らが、自分と喧嘩してまでも昼の世界を勧めてくれたこと。
ひまわりは二人に報いるため、戸惑う気持ちを抑えて顔を上げ、きっと太陽を見据えました。
「さあ。僕は今日から太陽を仰ぐひまわりだ。お日様よ、どうかよろしく」
細いしろがねの茎は少し震えておりましたが、太陽はそれすらも包み込んでくれるようです。
じゃあじゃあと蝉の鳴きじゃくる中、ひまわりは太陽のひまわりとしての一歩を踏み出しました。
実際、本当は昼に生きる植物であるひまわりにとって、昼の世界は大変楽しいものでありました。
「おはよう、雀。今日も太陽がきれいだね」
「ええ、そうね。美しいでしょう」
ひまわりは以前、夜にふくろうと交わしていたような会話を雀と交わします。
夏の空は今日も晴れ、青々とした世界の中に真っ白な雲が悠々と流れてまいります。
あれから、幾日かが経っておりました。その間にも雀は、まるでふくろうのように昼の世界のあれやこれやを導いて世話を焼いてくれました。
話に聞いて恐れておりました大鷹も、口調こそぶっきらぼうなものではございましたが、ひまわりのそのしろがねの花弁が珍しいのか何くれと話しかけ、遠くで見た景色のこともひまわりに教えてくれます。
「向こうの方には、黄金色のひまわり畑があるんだぜ」
「へえ。僕も一度見てみたいなあ。何せ今までしろがねのひまわりしか見たことがないものでね」
「ははは。何も向こうに行かずとも、お前の体が昼になじみ、黄金に染まりさえすればいいではないか。普通のひまわりになれるぞ」
「あははは……」
昼の世界は楽しく、また優しかったのであります。
笑いながら、ひまわりは「自分は今まで全く、普通のひまわりではなかったのだなあ」としみじみ思いました。
太陽を浴び、青空に向かって伸び、月が出れば首を垂れる。それが黄金色の、普通のひまわりの一生なのであります。
「ああ。ふくろうやこうもりは、だからおれに、いや、僕に昼の世界を勧めたのだなあ」
これが、常のひまわりが感じる幸せなのだと心より感じたのであります。
「ふくろうやこうもりにも、教えてあげたいなあ。そして黄金の花弁を見せてやって、うんと驚かせるのだ。こうもりなんて、ひっくり返るかもしれない。きっと楽しいことだろう」
楽しいことはいつも彼らと一緒でしたから、昼に生きるようになってしばらく経っても、ひまわりはつい夜の友のことを思い起こしておりました。
ふくろうやこうもりのことを思い出した瞬間、少しだけ葉の裏がちりりと痛んだような気も致しましたが、すぐに蝉のじゃあじゃあという声にかき消されてしまいました。
ひまわりは生来暢気でしたので、本物の太陽を浴びながら、葉の裏の痛みがどうして起きたのかにも気づかず、楽しく過ごしておりました。
「……さあ、そろそろ眠る時間だ」
やがて森は茜色に染まり始め、今日も太陽が落ち始めたのであります。
夏はそろそろ、半ばに差し掛かっておりました。
夜のとばりのすっかり下りたころ、森の中に密やかな声がいたしました。
「ひまわり、ひまわり。森の中で、とびきり美しい月を見たぞ。湖に満月の映るのを知っているか。二つのお月様に挟まれるのは、何とも気分がいいんだ」
このキィキィは、ひまわりの古い友、こうもりであります。
こうもりは、ひまわりがすっかり眠って返事もないというのに、嬉しそうに話しかけ続けます。やがて咎めるような「ほう」が聞こえました。
「こうもり。お前は変わらず毎晩そうしてひまわりのところへ飛んでくるが、もうとっくに、おれたちとは住む世界が違うのだぞ」
「……」
「あれから幾晩あったと思っている。ひまわりはもう夜に起きぬよ」
突き放すような言い方に、こうもりはむっとしたような表情になりました。ふくろうはほう、と息を吐いて続けます。
「諦めるのだ。これがひまわりにとっての幸せなのだ」
「ふくろう。確かにおれはあの時お前に賛成した。そしてひまわりの色にも少し黄金が差してきた。しろがねだった茎も青々としてきて、健康的だ」
こうもりは怒っているようでしたが、やがて、悲しむような顔に変わりました。
「でもおれは、おれは……、ほんとうは」
「言うな、こうもり。これがひまわりの幸せなのだ。ただでさえ短い花の、我らが友の命を少しでも長らえるためなのだ」
こうもりは、ひまわりの葉に吊る下がっておりました。耳の痛いらしいふくろうの言葉を飲み込もうとしてぎゅっと体を小さくし、しかし急に勢いよくバサッと飛び上がってキィーと鳴きました。
そして大声で叫ぶように、キィキィと続けました。
「いやだ。いやだ、やっぱりいやだ。おれは言うね。おれは寂しい。おれはもう一度ひまわりと話したい。そうしてちゃんと、ひまわりの気持ちを聞きたいのだ。あのとき俺たちの誘いに、ひまわりはすぐに花を縦に振らなかった。おれは実は期待していたのだ。夜に生きると言ってくれると、期待していたのだ」
こうもりは一気に言ってしまうと、何か黙りこくって考えているらしいふくろうに一言「すまない」と言いました。見苦しいことだと、こうもりは自覚したのです。
夜の虫がじーじーと静かに鳴いております。やがてこうもりは独り言のように、静かに呟き始めました。
「あちらこちらを飛んで、ひまわりと楽しく話していたのは、あれはおれ一人が楽しんでいたのか。いやきっと、そうではないはずだ。話がしたいのだ。ああ、確かに、確かにひまわりはここにいる。ただ眠るのが夜になっただけだ。しかしおれには、それが大問題なのだ」
「言うな」
「ふくろう、お前は寂しくないのか。双葉の頃より、いいや種の頃より見守ってきたのもお前だろう。はじめてあのしろがねの花弁が開いた時、いの一番にその美しさをほめたたえたのもお前だろう」
「……」
ふくろうはこうもりに答えることができませんでした。ふくろうは、しろがねのひまわりが常のひまわりと同じように生きていくことこそ幸せと考えておりましたが、いざそうなってみると、寂しかったのです。
ただ、きっとひまわりにとっての幸せは昼の中にあるに違いない。だからこの寂しさは、乗り越えなければならない。ふくろうはそう思い、堪えようとしていたのであります。
しかし、賢きふくろうの中に「果たして、これでよかったのか。長く夜に居たひまわりが、果してそう易々と昼になじんで生きて行けるのか」という疑問が浮かんでいるのも、確かでございました。
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