第七話 〇勝十五敗一引き分け

 ただいまの勝率〇勝十五敗一引き分け。


 ご覧のとおり、圧倒的に南山みなみやまさんが勝ち越している。ただし十六回もデートをしたわけではない。そのうちのほとんどは、仕事が終わって病院の通用口から出たところで、南山さんがニコニコしながら、私のことを待っていたことによるものだ。


「今日は急に時間が取れたので寄っただけです。アヒルは持ってきていないので、これで勘弁してください」


 そう言って、問答無用で押しつけられたボールペンが十数本。時間が取れたと言っても、時間は十時近く。偶然にしてはできすぎている。念のために守衛さんに確認してみても、病院の敷地付近を不審人物がうろついていたという話はないようだし、南山さんの異常なタイミングの良さの謎は深まるばかりだ。私の私物に盗聴マイクでも仕掛けられている?と一瞬怖いことを考えて、あれこれ家探ししてみたけれど、もちろんそんな物は出てこない。


「あの、南山さん。どこか体の調子が悪くて、通院しているわけじゃありませんよね? それとも、どなたかお知り合いが、うちに入院されているんですか?」


 五本目のボールペンを渡された時に質問をしてみた。


「そんなことありませんよ。お蔭様で僕は健康ですし、知り合いも皆、元気にしてます」

「だったらどうして、私が仕事を終えて出てきた時に、何度もタイミング良く居合わせられるんですか?」

「まあ強いて言うなら、愛の力ですかね」


 私の質問に少しだけ考えて、ニッコリと微笑みながらそう言った。


「愛、ですか……」

「はい、愛です」


 こうも自信たっぷりの様子で断言できてしまうのは、何故なのか。


「あの、こんなにアヒルのことしか考えてない私に、愛なんですか?」

「そうなんです。自分でも不思議なぐらい、愛なんです」

「そうなんですか……恋とかじゃなく」

「愛なんです」

「……」


 しかも「恋」ではなく一足飛びに「愛」らしい。


雛子ひなこ先生は、僕に対する愛よりもアヒルに対する愛の方が強いみたいなので、最近はへこみ気味なんですけどね。五回も顔を合わせているんだから、少しぐらい僕に対して思うところがあっても良いんじゃないかって、思うんですよ?」

「だって、きっかけがアヒルなんですもの。しかもいまだに返してもらえてないですし」


 そしていつの間にか呼び方が「北川きたがわ先生」から「雛子ひなこ先生」に変っていた。これもどうやら「愛」のせいらしい。南山さんの行動について何か疑問があって質問すると、大抵がそれが原因ですと答えられてしまうので、最近ではそうなのかと納得してしまう自分がいた。そんなわけで私の手元には、可愛いと言うかちょっと不思議なボールペンが増える一方だ。


 そして今日も、病院から出たところに南山さんが立っていた。スーツ姿のことが多いのに、今日はラフな格好だ。ああ、そう言えば今日は、土曜日でお役所はお休みだっけ。


「こんばんは」

「夜は随分と冷え込むようになってきましたから、こんな所で待っていたら風邪をひきますよ?」

「そんなに待っていませんよ、今、来たところです」


 お決まりの返事だ。


「雛子先生は明日も仕事なんですよね。ですから、食事だけでも一緒にどうかなと思って」

「あの……」

「もちろんアヒルはいますよ」


 ジャケットのポケットから取り出されたのは、私のアヒルちゃん。最近ではすっかり南山さんに馴染んでしまって、彼が持っていても違和感も感じなくなっている。


「なんだか、たまにしか子供に会えない、単身赴任中の父親の気分になってきましたよ」

「ってことは、このアヒルは僕達の子供ですか、なるほど。男の子かな、女の子かな」


 手にしたアヒルを見下ろして、首をかしげている南山さん。


「単身赴任をしているのが雛子先生ってことは、アヒルはずっと、僕がお預かりしていても良いっことですよね?」

「何そんな嬉しそうな顔をして言ってるんですか。それとこれとは別です。いい加減に返してください、私のアヒル」

「僕が渡している、他のボールペンでは御不満ですか?」

「ハコフグもウミガメも飽きました」

「このアヒルの方が、もっと付き合いが長いでしょうに」

「お気に入りっていうのは、それなりに理由があるんです」


 そうなんですかと言いながら、相変らず返してくれる気配は無く、アヒルは再び南山さんのジャケットのポケットにおさまった。


「今夜は何処に行きましょうか」

「……まったくもう。じゃあ、前に話していた、地鶏が美味しいお店に連れて行ってください」

「分かりました」

「あ、連れて行ってくださいとは言いましたけど、割り勘ですからね」

「分かっていますよ」


―― これってやっぱりデート、だよね…… ――


 並んで歩きながら考え込んでしまう。ボールペンのことはさておき、南山さんとこうやって会うようになって数ヶ月。ボールペンの数が増えるだけで、特に大きな進展は無いんだけれど、隣を歩いている人は、そんな足踏み状態のデートのようなそうでないような宙ぶらりんな状況で、はたして満足なのだろうか?


「どうかしましたか?」

「なんでもないです。南山さんお薦めの、焼き鳥丼が早く食べたいなって」

「あそこの炭火焼は本当に美味いですよ。保証します」


 そして南山さんの言葉に嘘はなく、私は地鶏の焼き鳥丼に舌鼓を打つことになった。


「研修の方はどうなんですか? 今は内科にいるんでしたっけ?」


 食後に頼んだクリームあんみつを食べていたところで、そんな質問をされた。


 最近の私はと言えば、外科の西入先生の下から内科の川北かわきた先生の下へと回されていた。業務的には大差はなく忙しい毎日なのは相変わらずだけど、大掛かりな手術に参加することがなくなったせいで、少しだけ自宅でゆっくりできる時間が増えたのがありがたかった。お蔭でこうやって、南山さんと一緒に晩御飯を食べる時間ができている。


「相変わらず患者さん達からは、アヒルのことで質問攻めですよ」

「それはそれは」

「笑い事じゃないです。いい加減に返してもらわないと、まともな回診もできないじゃないですか」


 愉快そうに笑う南山さんを軽くにらむ。


「患者さん達の意見はどんな具合なんですか? 頑張ってアヒルを取り戻せと?」

「結果だけ聞いて、ニヤニヤしているって感じです。南山さんにやられっぱなしの私のことを、面白がっているみたい」

「僕を応援してくれている人が多いってことか。それは心強いな」

「どうしてそうなるんですか」

「誰も取り戻せとは言ってないんでしょ?」

「まあ、確かに……言われてみればそうかも」


 どの患者さんもどちらかと言えば、次はどんなボールペンがやって来るんだろうと楽しみにしている様子で、誰も私のアヒルが返ってくることを、期待していないように見える。それはそれでショックかもしれない。


「大丈夫ですよ、ちゃんとアヒルは返しますから」

「だったら、今ここで返してもらっても良いですよね?」

「イヤです」

「即答とか」


 ブツブツ文句を言いながら、クリームあんみつを食べることに専念する。本当にいつになったら返してもらえるのだろう、私のアヒル。


 そして食事をした後は、南山さんが私をアパートまで送ってくれるのが、お決まりのパターンになっていた。最初の頃は、駅から近いから大丈夫だと言い張っていたけれど、ここ最近は、アヒル奪還の最後のあがきをするのが駅からアパートまでの恒例行事だ。とは言え、今夜も取り戻せそうにない。


「ああ、そうだ。年末近くまでは僕も忙しくなるので、当分は会えなくなると思います」


 アパートを前に、なにかアヒルを取り戻す上手い言葉は無いものかと考えていると、南山さんが急にそんなことを言い出した。


「また会合の準備ですか?」

「その延長ですね。大臣に随行して、海外に行くことになると思います」

「そうなんですか。あ、行くところが前に話していた国だったら、予防接種が必要だと思うので、ちゃんと接種して行ってくださいね」

「分かっていますよ。そのあたりは先生よりも上がうるさいので。もしかしたら全員で、雛子先生の病院にお邪魔するかもしれませんから、その時はよろしく」


 南山さんはそう言ってニッコリと微笑むと、ジャケットの内側に手を入れた。


「で、会えない間は寂しいと思いますが、これを僕だと思って我慢してください」


 そう言った南山さんに渡されたのは、招き猫のボールペンだった。そろそろネタ切れなのではと思っていたのに、まだまだ渡せるものはあるらしい。


「つまりはまた、アヒルは返してもらえないと」

「僕がこいつを雛子先生だと思って頑張るには、少しばかり長く一緒にいすぎましたけどね」

「だったら返してもらっても問題ないのでは?」

「イヤです」

「断言なんですか」


 招き猫のボールペンを見下ろしながら溜め息をつく。


「それで、僕の方はお預かりしているアヒルだけでは、寂しさをまぎらわせる効果が薄そうなので、追加して、いただきたいものがあるんですが」

「これ以上、お渡しするものなんてありませんよ……」


 それに、患者さん達にこれ以上あれこれからかわれるのはごめんだ。


「大丈夫ですよ。今回、僕が欲しいものは、目に見えるものじゃありませんから」


 南山さんは私のアゴをいきなりつまむ。ま、まさか?!


「ほ、欲しいものってそれなんですか?!」

「はい、それなんです。本当はもう少し大人の時間をすごしたかったんですが、お互いに休みが取れなくて難しそうなので、今回はこれで我慢しておきます」


 そう言っていつもの微笑みを浮かべると、南山さんは体をかがめて私にキスをした。



+++++



「先生、また負けちゃったのかね」

「そうなんですよ。もう腹が立つのを通り越して、それに付き合っている自分に呆れてます」


 朝の回診から患者さん達のチェックは厳しい。本来ならこちらから容態を尋ねるべきところなのに、まず最初に質問されるのは私の方で、それは必ずと言って良いほど、ボールペンの所在についてだった。外科から内科に回されて一ヶ月、業務内容はあれこれと変わったのに、この点だけが相変らずだ。


「そろそろほだされてきたんじゃないのかね?」

「私がですか? まあ確かに、会って食事したりするのは楽しいですけどねえ……」


 そう答えたところで、昨夜の別れ際のキスのことを思い出してしまった。とたんに顔が熱くなる。


「おや先生、顔が赤いよ。風邪でもひいたんかね?」

「え? いえいえ、大丈夫ですよ。最近は寒くなってきて病院も床が冷えますからね。冷えのぼせだと思います」

「肝心の先生が風邪をひいちゃったら、患者のワタシ等は困ったことになるから。若いからと言って油断しないで、気をつけないといかんよ」

「ご心配ありがとうございます」


 私の言葉にお婆ちゃんは、なにもかもお見通しだよと言わんばかりに、ヘニャリと笑った。

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