第77話 スターライズカミングO

 豪邸に入る前に靴を脱ぐ一同。中の玄関に天井まで伸びる靴箱スペースがあり、そこに靴を入れていく。観葉植物の裏に置いてあった脚立を使い靴を入れる女性や、専用ケースに入れる女性など対応は様々。玄関で靴を脱ぐ習慣は日本と同じだ。他の国でもそうだが、デジタルとアナログが混在している。ナノマシンを当たり前の様に活用しているこの時代でも、こういったアナログテイストな生活スタイルは残っており、それを日常的に行っている人間にとっては、違和感という言葉が当てはまらない様だった。

 ゆきひとはクレイの親戚達の後をついて行く。廊下の右手側に二階への階段、そのまま進むとダイニングスペースになっていた。ダイニングはとにかく広い。大きな四角形テーブルの周囲を、アバカ材を編み込んだソファがいくつも並ぶ。食卓はここだけではない。カウンターテーブルあり、業務用に近い大きな冷蔵庫あり、キッチンスペースも豪華。サンデッキのくつろぎ空間や、プールの癒し空間も確認出来る。至れり尽くせりである。

 ゆきひとはテーブル傍のソファに座った。日を焦がす暖かい香りがする。とても座り心地が良く、心身共に落ち着く仕様だった。

 フリージオとセラもそれぞれ着席。

 クレイはカウンターテーブル近くの親戚と話し込んでいた。

 数分後、タイ定番の料理が次々とテーブルに並べられていった。スパイシーな香りのガパオライス。甘辛いタレで煮込んだ鶏肉のガイ・ヤーン。辛味、甘味、酸味が交じる赤いスープのトムヤムクン。部屋に充満する香りは胃を唸らせ口の中の唾液を充満させるほどの破壊力があった。


「この近くで、走れる所あります?」


 ゆきひとは言う。


「走りたいなら、庭を走ればいい」


「よっし!」

 

 席に着くクレイの親戚一同。

 出迎えの時よりも人数が増え、二十人近くになっていた。五歳ぐらいの少女から、八十歳ぐらいお婆ちゃんまでと、年齢の幅はかなり広い。

 ゆきひとが「いただきます」と大声で言った瞬間、何事もなかったかの様に親戚達は食事を始めた。「えっ?」といった感じで、ゆきひとは周囲をキョロキョロと見る。

 隣の席のセラはマスクを外してオロオロしている男に声をかけた。

 

「ゆきひとさん。私達の国では食事前に「いただきます」のような挨拶はありません。食べていいんですよ」


「な、なるほど。それはわかったけど……セラちゃん、風邪はもう大丈夫?」


「実家に帰って来たら、少し具合がよくなった気がします……。何だかんだ言っても、住み慣れた家は落ち着きますね」


「……よかった。ちなみに、ひいひいお祖父ちゃんの誕生会って何処でやるんだ?」


「バルムーンラード病院です。今は体調が優れないようなので、当日しか会わせられないみたいです」


「そっか」

 

 食事の時間が終わり、クレイの親戚一同は片付けの準備に入った。キッチンの流し台が女達で溢れかえる。ゆきひとは手伝おうとしたが、客人扱いなのか断られてしまう。腹筋を摩りながら洗い場の様子を見る。至って自然な大家族といった所で可笑しな様子はない。あえて気になる点を言うならば、クレイやセラと親戚達との間での会話の少なさぐらいか。


「そういえば私達の本名を教えていなかったですね」


「セラちゃんの名前はセラじゃないの?」


「それはニックネームです。私の名前はセラフィック・ストリティックエンダーロールって言います」


「ながっ!」


「姉はクレイモアル・ストリティックエンダーロールという名前です。私達タイ人の名前はとても長いのでニックネームで呼び合うんですよ」


「親戚に名前を聞くなって、そういう意味か」


 そのままの流れでタイや首都バンコクの正式名称の話になった。

 タイの正式名称は「ラート・チャ・アーナーチャック・タイ」。

 バンコクの正式名称にいたっては「クルンテープ・マハナコーン・アモーンラッタナコーシン・マヒンタラヤユッタヤー・マハーディロック・ポップ・ノッパラット・ラーチャタニーブリーロム・ウドムラーチェニウェートマハーサターン・アモーンピマーン・アワターンサティット・サッカタッティヤウィサヌカムプラシット」と非常に長い。タイ国民ですら覚えられず、最初の「クルンテープ」で覚えられている。

 セラはナノマシンのオンラインウェブ機能を見ながら解説。

 無論ゆきひとは覚えられなかったが、腕を組みながら頷いて感心していた。

 そんな仲のいい親子の様な二人にクレイが声をかける。


「ゆきひと、ちょっといいか? 話したいことがある」

 

 クレイに連れられて、ゆきひとは二階のデッキに出た。

 目に映る光景は果てしない群青に流れる星空の運河。幻想的で現実を忘れてしまいそうなパノラマが広がり、紡がれていた。夜空のシアターに圧倒されながら、ゆきひとはデッキの手すり腕をかけた。


「これは凄いな。タイに来てよかったよ」


「そうか」


 クレイは落ち着いていた。

 セラ同様、実家は落ちつくものなのだろうか。


「話したいことってなんだ?」


「……来る前に言っておけばよかったが、私はトランスジェンダーだ」


「トランス……? 何か聞いた事があるような」


 ゆきひとの背中に何かがぶつかり、ゆきひとは「うわっ」と声を出す。ぶつかった主はフリージオで、抱き付いてから手すりの前に身を乗り出して、ゆきひとの顔を見た。


「トランスジェンダーだよ。ちなみに僕はジェンダーレス」


「LGBTって奴か」


 フリージオはLGBTの事、セクシャルマイノリティの事、トランスジェンダーと性同一性障害の事、ジェンダーレスの事を事細かに話した。ゆきひとは様々なセクシャルマイノリティについて何とか理解しようとしたが、ジェンダーレスの話に入ったところで、内容が頭から飛んでしまい混乱してしまった。


「まぁ、少しずつ理解していけばいいよ」


「ある程度はわかったけど……クレイがトランスジェンダーだということは、つまり……」

 

 クレイはため息を吐く。


「私は自分の事を「男」だと思っている。だから……貴殿とは夫婦というか、夫夫というか……そういう関係ではなく、友人でありたい」


 親戚が出迎えてくれた時のクレイが発言した「友人」という言葉。

 その意味を理解したゆきひとは納得した表情で頷く。


「俺は友人という関係で構わないよ」


「ありがとう、感謝する」

 

 クレイは胸を撫で下ろし、ホッとした表情になっていた。

 「少し心の負担を減らせたかな?」とゆきひとは嬉しそうにした。

 デッキに佇む青年達は暫く夜空を眺めていた。

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