第38話 血の濃さは儚く

 脱毛を終えた萌香は喉を押さえながら店を出た。


「あーあー」


 大丈夫、声は枯れていない。


「どうかされましたか?」

 

 サッパリとした表情のゆきひとが萌香を出迎えた。


「脱毛で喉を痛めまして」


 ゆきひとはハテナマークを頭上に浮かべた様な表情だった。

 萌香は男の反応を見て、自分の声は聞こえていなかったのかと落胆した。


 ブラジリアンワックスの脱毛サロンを後にした三人は宿を探す。京都に来てから新都ホテルを利用していたが、今夜は木造でお茶屋風情の残る宿に泊まろうという話になった。足取り軽い男をよそに女性陣は脱毛で疲れ切っていた。萌香は着慣れた紅葉浴衣を身につけていれば何時でもリラックス出来た。しかし今日は別。脱毛の影響で浴衣が肌に張り付いて気持ちが悪い。

 「脱毛の力恐るべし」と萌香は胸に刻んだ。それと毛の大切さを思い知った。

 

 そこは高級旅館京都紅葉堂。空の紅が藍色で満ちる頃に、旅館の入り口で舞い散る紅葉が出迎えた。間接照明が美しさを際立たせている。

 

 ヴィーナはロビーで女将さんと交渉し二部屋を押さえた。夫婦と母役で分けるか、男と女性陣で分けるかは決めなかった。一同は仲居さんに連れられて一室に向かう。磨き上げられた茶色の床。汚れのない白い屏風。狸や狐の置物。萌香は旅館の和の空気に落ち着きを取り戻した。

 萌香がこういう場所に来る時は、必ず自動翻訳機能をオフにしている。日本語を話しているかチェックするのだ。嫌な客だという自覚はあるが、日本語を話さない従業員の宿は利用してこなかった。

 仲居さんは一同を紅葉の間に案内する。

 八畳の部屋の襖(ふすま)には紅の木が描かれ、屏風の開かれた風景も紅一色だった。萌香は感激し、デッキテラスまで駆けて行った。舞い散る紅葉は間接照明の光だが、作り物とは思えないその美しさや華やかさに萌香は心奪われた。

 落ち着いた所で三人は懐石料理を楽しむ。

 ちまき、鯛、豆ご飯や漬物、苺のムースなどが次々と運ばれてくる。

 高級な料理を食べ慣れていないゆきひとは戸惑っていた。脱毛サロンの時とは真逆の反応だ。萌香はそんな不器用な男を微笑ましく見ていた。

 一方のヴィーナは慣れた様子で食べている。橋の持ち方も合格点。萌香はヴィーナをライバル視していたが、和の嗜みや日本語で話していることには好感が持てた。ただ結局の所、ゆきひとやヴィーナを意識しているのは萌香の方で、二人は萌香のことを相手にしていない。萌香は孤立感を拭えなかった。

 

 萌香とゆきひとを残してヴィーナは別室に移動する。

 ゆきひとは無言で布団を二人分敷いた。そのまま片方の布団に入って横になる。

 萌香の胸が高まった。心臓はドクンドクンと血を騒ぎ立てる。男と二人きり。萌香の頭に一筋の閃きが瞬いた。「わたくしもゆきひとさんも、デリケートエリアは脱毛済み。お互いに準備万端じゃないか!」と。メンズ・オークションで青髪の弁護士の性知識の無さを批判したが、萌香自身も知識は乏しく経験も無かった。その為、男との結婚生活までに性の知識や見聞を広げた。抜かりはない。

 萌香は両手を上げながらゆきひとに近づいた。そして男の肩に手をかけた。


「ん?」


「はひぃ」

 

 野性的な男の表情を見て、萌香は冷静さを取り戻した。


「飲み直さないか?」


「い、いいわよ」

 

 二人は缶ビールを空けてグラスに注いでいく。そして静かにグラスを合わせた。

 ゆっくりと飲むゆきひとに対して、萌香はゴクゴクと一気飲みをして数分もしない内に酔ってしまった。


「ゆきひとさんは、普段ビールとか飲むですかぁ?」


「アルコールは筋肉を分解するから、あんまり飲まないんです。大会後は少し飲みますが。でも今はナノマシンとやらでそれも抑えられるんですよね。便利な時代だと思います」


 知的で冷静な答えだ。飲み慣れていないと言いながら、ビールを飲む男の様子は妙に色っぽい。内容はともかく、男が早く酔ってしまえばいいと萌香は思っていた。やはり空回りしているのは萌香だけ。


「ゆ、ゆきひとさんわぁ……好きな人とかいるんですか?」


 萌香の酔った勢いの言葉。

 ゆきひとは意表を突かれたと言わんばかりの表情をした後、考え込んだ。


「……いないよ」


 嘘だ。それとも自覚が無いのか。


「じゃぁあー。永遠の愛って信じる?」


「……永遠の愛は無いと思うな」


 この男、ヴィーナを好きなことに自覚が無い。

 もし好きだと自覚しているなら、永遠の愛はあると答えるはずだ。


「俺からも質問していい?」


「えぇ……どうぞ」


「萌香は日本人だったら、結婚相手は誰でも良いんじゃないか?」


 図星だ。萌香はぐらついた。しかも突然の呼び捨て。

 萌香は男の顔を見た。赤みがかっている。ほろ酔い状態になっているとみた。


「好きな理由が日本人ではダメですか。ダメなんですかぁ!」


「えっ」


「そんなん言ったら一目ぼれの方が不純な動機じゃない。結局見た目で選んでる訳でしょお!」


「はぁ」


 萌香は何時の間にか腹立たしい感情に飲まれていた。

 自分が男のことを想っても、男は自分のことを想ってくれない。

 鈍い。鈍感。こんちきしょうめ。


「さっき今は便利だとか言いましたよね。今何処を探しても日本製の物が売っていないんです! 洋服にしても! 電化製品にしても! わたくしにとっては不便な時代です!」


「なるほど」


「ちゃんと、ぎけやゴラァ!!」


 萌香はゆきひとの顔面めがけて枕を投げつけた。

 顔面に直撃した枕はパタンと布団に落ちる。


「でもメンズ・オークションであんなに泣くことないじゃん。俺すんごい困った。ハッハッハッハッ!」


 ゆきひとは笑い上戸に移行していた。


「わたくしはアンタと……本気でアンタとの子供作りたかったんだからぁ!」


「……子供ってそんな理由で作るもんじゃないよ。愛されなかった子供は一生苦しむんだぞ」


「純血の日本人いなくなっちゃうんだよ。わたくしの代でいなくなるなんて、寂しすぎるじゃない……」


「それは確かに、そうだけど……」


「まだバンクに日本人のはあるけれど、これ以上は近親になってしまう」


「……」


「……もうわたくしの考え方で生きていくのが難しいのはわかってます。日本語も親から学んだ物ではなく自動翻訳やネットで学んだ物。それにもう世の中はミックスで溢れています」


「ミックス?」


「覚えていたら、後で調べて下さい」


「はい」


「考え方がミックス差別でよくないのもわかっています。でも、女将さんや仲居さんの髪の色は気になるし、言葉使いも気になりました。正直疲れます。……でも、それでも! わたくしはMade in JaPanが好きなのです!」


 そう言いながら萌香は涙を流した。

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