スチーム・タートル 機械仕掛けの亀とひとりぼっちの少女

巫夏希

第1章 機械仕掛けの亀 Steam_Turtle.

第1話 機械仕掛けの亀 Steam_Turtle. 01

 ゴウンゴウンという音でぼくは目を覚ました。

 ベッドから起き上がると、頭をぶつけないようにねじりながら――ぼくの部屋は屋根が低いのだ――床に足をつける。

 カーペットを敷いてはいるが、基本的に床は金属である。建物にも等級グレードがあって、ぼくのような三級市民サードの住居には安い合金の資材が提供されている。そのうえ継ぎ接ぎで出来ているため、このように小刻みに揺れていることが多い。

 机上に置かれた電子時計スマートウォッチを手首に巻き、タンスから服を取り出してそれに着替える。着替えるといっても服はいつもと変わらない。政府ガバメントから支給されている三級市民専用の衣服だ。幾つかのカラーリングが用意されているとはいえ、三級市民はこの服以外着ることは殆どないのだから、見た目で判別するのが難しい。政府としては、この服装で三級市民であるかを判別したいのだろう。

 厨房キッチンに着くと、年代物の冷蔵庫から卵とベーコンを取り出す。貴重品であることは間違いないが、消費期限というものがある。それを考えると、定期的に使っていかないと勿体ないという訳だ。続いて、その下に設置してある冷凍庫から袋詰めされた食パンを取り出すと、それをそのままコンロに置いてあった――昨日から放置していた訳ではなく、卵とベーコンを取り出す際に棚から取り出していた――フライパンの上に置いた。

 二級市民以上になるとパンを焼くための機械が家に置いてある、なんて話を耳にしたことがあるけれど、ぼくからしたらそれはナンセンス。パンを焼くだけの機械なんて、置き場所に困るし、勿体ない。

 そういう価値観だから、一生三級市民から這い上がれないのかもしれないけれど。

 パンから良い香りが漂ってきたタイミングで、パンをひっくり返す。焦げ目が良い感じについている。これなら今日の朝ご飯は完璧かもしれない。百点満点中百二十点をあげても良い。

 自分に甘めの評価を下しながら、パンを金属で出来たプレートに載せると、油を引いて、今度は卵を割り入れた。味付けはシンプルに塩と胡椒だけ。正確に言うと、今我が家にある調味料がそれしかないので、それ以上の味のバリエーションは出しようがない。

 白身が色が入ってくる段階で、ベーコンを焼き始める。こうするとちょうどベーコンと白身がくっつかない。ベーコンと目玉焼きを別々に食べたいけれど、ベーコンの脂を目玉焼きに移したい――そんな贅沢な人間だってこの世界には居るのだ。

 目玉焼きとベーコンをプレートの空いたスペースに載せて、直ぐ隣にあるテーブルに置いた。椅子に腰掛けて、冷蔵庫から取り出したコーヒー豆が入っていない人工コーヒーを手に取り、ぼくはようやく朝食にありつけた。

 人工コーヒーを飲もうとしたその矢先、小刻みに揺れ始めた。

 地震ではなく、これはこの世界では良くあること。

 そう、この街は――。

 ドガガガ!!

 ――そんなモノローグに浸っている時、背後から何か音がした。

 具体的に言えば、何かを突き抜けたようなそんな音。

 振り返る。そこには、かつてベッドだった物が無残にもへしゃげていた。


「ぼ、ぼくのお気に入りのベッドが……」


 拉げてしまったそれは、最早ベッドとは言い難い。鉄くずと布団で構成された、かつてベッドだった何かと言っても良いだろう。一級市民ファーストならば直ぐに捨ててしまうのだろうけれど、三級市民たるぼくはそんなことしない。勿体ないし、仮に捨てたら直ぐ同じ三級市民が持ち去ってしまうだろう。

 ともあれ、何故ベッドが拉げたのか。

 先ずはその原因を確かめなければならない。

 ベッドの中心は凹んでいて、布団に何かが包まっている。偶然と言えば偶然なのだけれど、その布団で上手くクッションのような役割を担っていたようだった。仮に機械が落ちてきたとしても、クッションがあれば少しは傷ついていないかもしれない。

 でも、何が落ちてきたんだ?

 落ちてくるとするなら、この街の中心にある上層街アッパーからだろうけれど、そこから出るゴミは決して下層街ダウナーの上空に落とすことはなかったはずだ。上層街と下層街を繋ぐ中央塔セントラルタワー昇降機エレベーターの役割を担っているためだ――なんて何処かの噂で聞いたことがある。ぼく達三級市民には、一生乗ることの出来ない代物ではあるだろうけれど。


「……いや、それは良いんだ」


 布団に包まっている物は、丸い形をしていた。完全な球体ではなく、何処か楕円の形をしているような感じだ。

 そして、それがゆっくりと蠢き出したことで――それが機械などの無機物ではなく、何かしらの生物――つまり有機物であることを理解した。


「……え? 何処から落ちてきたのかは分からないけれど……生きているのか、これ」


 仮にそうであったとして、大分失礼な物言いをしているような気がする。

 しかしながら、何処から落下してきたか分からない以上、その何者かについては疑念を抱かざるを得ない。


「……ええい、ままよ!」


 こうなれば、どうなったって構わない。

 意を決して、ぼくは布団を捲った。

 そこに居たのは――一人の少女だった。

 輝いて見えるほどの銀髪に、絹のような肌。

 一番の問題が、その身体を隠す物が――とどのつまり衣服が――何一つないという点。

 かろうじて長い銀髪で隠されているとはいえ、それは最早三級市民の間で出回っているようなポルノ雑誌に近い。今時こんなグラビアも見たことない。

 しかし――どうして自分はこうも普通じゃない状況で平然と居られるのだろうか。

 普通、こういう環境においては困惑するなりあたふたするなり慌てるなりしてもおかしくない。しかしながら、今のぼくは何故だか平静を保っている。それはそれで問題なのかもしれないが。


「……う、うん」


 目を覚ます。それを見てぼくは冷静に視線を落とした。

 少女はぼくの方を見て、ぽつりと呟いた。


「ここは……どこ?」

「……ここは下層街だよ。まさかとは思うけれど、それすらも知らないなんてことはないだろうね?」

「……だう、なー?」

「駄目だ、全く情報を受け入れてくれていない」


 予想は出来ていたが、まさか記憶喪失だとは。

 そうなるとこちらの選択肢も色々と失われてしまう訳だが。


「あなたは……だれ?」

「…………先ずはそちらが名乗るべきじゃないか?」

「わたしの……なまえ?」

「まさかとは思うが、ほんとうに何も知らないのか? いや、下層街のことを知らない時点で何となく想像はしていたとはいえ……」

「?」


 ふと、そこで彼女の胸に目が行った。

 いや、正確に言うと胸元。そこには黒色の線が幾つか縦に並んでいる。線の太さは均一ではなく、細かったり太かったりしている。そしてその上には、一つの単語が書かれていた。


「……プネウマ?」

「あ、あの……」

「うん?」

「ふくが……ほしいです……」


 服を着るという概念はあるのか――とは突っ込まずに、取り敢えず服を調達しなければならない、そう思ってぼくは深く溜息を吐くのだった。

 空から落ちてきたこの少女について、調べる必要があるのは間違いないことなのだから。

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