第28話 白山菊理は死んでいる

「あ、もう殺し終わったんだ。もっと苦しめてから殺すかと思ったのに」


 中水美衣奈の言い方は、まるで普通のクラスメイト同士がする何気ない日常会話のようで、どこか現実感がなかった。


 今、ここで行われたのは殺人なのに。


 人間が社会生活を営む中で、決して行ってはならない行動なのに。


「で、次は私たちってわけ?」


 上良栄治からの返答はない。


 代わりとばかりに立ち上がり、稲次浩太の胸からバタフライナイフを引き抜き行動で応えてみせた。


「なんか言えよ」


 バタフライナイフの切っ先から、赤黒いねばついた液体が滴り落ちて床を汚す。


 一歩、また一歩と上良栄治が歩を進めるにつれて、点々と。


 彼の殺意は未だ萎えてはいなかった。


「あ、あの……上良、くん。け、怪我の手当てをするのは……」


 響遊の言葉は常識的だ。


 それ故に現状、ズレにずれてしまっている。


 今は異常こそが正常で、正常こそが異常なのだ。


「ばーか」


 そもそもを言うならば、中水美衣奈も崎代沙綾も、響遊でさえも凶器になり得るものを手にしている。


 上良栄治からすれば、今更なにを言っているのか、といったところだろう。


「や、やめましょうよ」


 響遊の静止を無視して上良栄治は三人組へと近づいて行く。


 目的は、中水美衣奈と崎代沙綾の殺害だろう。


 上良栄治は血まみれのナイフを逆手に持ち替え、肩の辺りにまで持ち上げる。


 彼の膂力りょりょくでもって振り下ろされれば、中水美衣奈のか細い体など柄まで貫通してしまいそうだった――が。


「響ぃ、さすがに空気読めし……」


 崎代沙綾が数メートルにまで迫った脅威を鼻で笑いとばす。


 数分前に大慌てで上良栄治から逃げ出したとは思えないほど強気だった。


 理由は、それこそ


「…………」


 上良栄治が持っていたナイフから滴り落ちていた血液。


 あれは稲次浩太のものだけではなかった。


 体のいたるところを刺された上良栄治自身の血液も混じっていたのだ。


 顔色は青を通り越して土気色になり、呼吸は肩を大きく上下させてもまだ間に合わないとばかりに荒く、激しい。


 踏み出す一歩も、いつもの半分以下と明らかに小さかった。


 もはや虫の息と言ってもいいだろう。


 上良栄治はなんとしてでも成し遂げたい復讐のために、文字通り自身の命を投げ捨てたのだ。


 気持ちは更なる殺戮を求めようと、体の方がついて行かない様であった。


「うっわ、受ける。そんなに瑠璃のことが好きだったの?」


「それで太陽まで殺してさぁ、次は稲次でしょ? ストーカーじゃん、キモっ」


 自分たちの方が優位な立場にあると自覚すれば、少女たちに怖がる理由はない。


 上良栄治への侮蔑を隠すことなくいつもの調子で嘲りだした。


「相手にされてないって分かってたでしょ。なのにあんなにみっともなく付きまとってさ~」


「なっさけな~」


「…………お前、らっ」


 腹に据えかねたのか、上良栄治は怒気を纏いながら大きく一歩踏み出した。


 しかし、中水美衣奈と崎代沙綾はネコのように素早く反応し、安全圏へと飛び退すさる。


 体力のすり減っている今の上良栄治では距離を詰めるどころかむしろ双方の距離は開いてしまっていた。


「ま、待って……!」


 抱えていた消火器をその場に落とし、一拍遅れて響遊も後ろへとさがる。


 だが、そもそも響遊は上良栄治の獲物ではなく、視界に入れてすらいなかった。


「アハハッ、マジになるとか自分で認めたようなもんじゃん」


「動くんじゃ――」


 ねぇっ。と怒鳴りつけようとした瞬間、転がっていた消火器を踏んづけ、その場で転倒してしまう。


 上良栄治は先ほどまでは容易に人を殺せる存在であり、恐怖そのものであった。


 でも今は違う。


 少なくとも中水美衣奈と崎代沙綾はそう受け取ったのか、互いに目くばせを交わすと、どっと大声で笑いだした。


「ねえねえ栄治。今どんな気持ち? 凄んだのに馬鹿みたいにコケちゃってさぁ」


「プッ、惨め~」


 押し込められていた感情のタガが外れてしまうと、その反動で人はより大胆になる。


 ちょうど、今のふたりのように。


 中水美衣奈は笑いながら近づくと、上良栄治の頭をボールにみたて、無遠慮に蹴り飛ばす。


 弱った殺人犯になど、欠片も恐れを抱いていなかった。


「美衣奈やるぅ~。一応人殺しなのに」


 結局のところ、彼女たちはそういう存在なのだ。


 常日頃から私に対してそうであったように、弱者を踏みつけ、自分たちの優位性を確認するのが当たり前。


 例え相手が殺人犯であったとしても、弱いと思ったら平然と足蹴にできるのだ。


「……ねえ、栄治さぁ」


 中水美衣奈は上良栄治の後頭部を踏みつけ、そのままぐりぐりと顔面を床に擦なすり付ける。


「私にあんだけ暴力ふるったんだからさ、なんかないわけ?」


「こっ――のぉっ」


「そんな言葉が欲しいんじゃねえってくらい分かってんだろ」


 ペッと吐き捨てた唾が上良栄治の背中を汚す。


「早くしろよ。気に入ったらあんまり痛く殺さないでやるからさぁ」


 体を数回刺され、右腕を抉られ、うまく歩けないほど弱っていたとしても、まだ上良栄治には殺意が残っていた。


 不用意につつけば痛い目を見るのは簡単に予想がついたのに……。


 中水美衣奈は近づきすぎた。


「ざけんなっ」


 上良栄治は残る全ての力を振り絞って中水美衣奈の足を払い、引きずり倒す。


 そして体勢を崩した少女へと覆いかぶさるようにして、刃の先を遮二無二しゃにむに押し付けた。


 血風が舞い、血潮が跳ねる。


 また死んだ。


 殺した。


 そう、思ったけど――。


「ここまで執念深いとか、マジ異常者じゃん」


 いつの間に拾っていたのだろう。


 中水美衣奈は、上良栄治が投げ散らかしていた包丁を隠し持っていて、それで上良栄治の胸を刺し貫いたのだ。


 恐らく転んでみせたのも演技。


 近づいたのもわざとだろう。


「か……は……」


「これで正当防衛ってね」


 上良栄治が最期の力を振り絞って振るったナイフは、中水美衣奈の右二の腕あたりを浅く傷つけている。


 間違いなく、上良栄治は中水美衣奈を襲った。殺そうとした。


 中水美衣奈は反撃として包丁を拾って刺した。


 欲しかったのだ、理由が。


 過剰防衛とは判断されないだろう。


 崎代沙綾や響遊が有利な証言をすれば、中水美衣奈の正当性は確実に立証される。


「あ、それからこの傷の慰謝料、あんたの親に払ってもらうから」


「……な、に」


 まさかここで親の話が出てくるとは思わなかったのか、上良栄治の瞳に困惑の色が混じる。


「怖かったぁ、一生モノのトラウマだよね。金もらって当然だよねぇ」


「お……ま、え」


 夜見坂くんは人でない。


 上良栄治は人殺し。


 では、中水美衣奈はいったいなんなのだろうか。


 こんなにも浅ましく、見苦しいことを平然とできる強欲な彼女は、なんと例えればいい存在なのだろうか。


 もしこれが人間であるのならば、私は人間であることをやめたいと思うほど、中水美衣奈は醜かった。


「お前じゃねえよ、クソ野郎」


 中水美衣奈は手を捻り、言葉を使って傷口を抉る。


 ただ殺すだけでは足りないとばかりに、痛みと後悔を刻みつけた。


「いいから死ねよっ! 自分がとんでもなく頭の悪い間抜けだって自覚しながらなぁっ!」


「くそ……く……そ……」


 稲次浩太は後悔しながら死んだ。


 そして、上良栄治も。


 ただ、上良栄治についての後悔は、目の前の相手を殺せなかったことなのだろう。


 憎くて、憎くて、ただ憎くて。


 ああきっと、上良栄治の中身は私と似ているのかもしれない。


 周りの誰もかれもが憎かった。


 学校、社会が憎かった。


 理不尽を押し付けてくるこの世界が憎かった。


 私もそうだから。


 ……それだけ。


「うっわー……制服超汚れたわー……」


 ブツブツと文句を垂れ流しながら中水美衣奈が上良栄治の下から這いだしてくる。


 とにもかくにも全て終わった。


 夜見坂くんの仕掛けた通りにクラスのほとんどが死んだ。


 殺された。


 終わったのだ。


 もう私には、関係ない。


「あ、沙綾さー。頼みがあるんだけど」


「なに?」


「そこでボーっと死体抱えてる白山連れてきてくれない。殺すから」


 関係、ない。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る