第21話 夜見坂 凪は命が欲しい
「うん?」
言葉の意味が理解できないのか、夜見坂くんの眉毛が片方だけ跳ね上がる。
夜見坂くんは人が殺したいのだから、喜んで受け入れてくれると思ったのだけど、さすがに拙速すぎたのだろう。
「ごめん、なさい。えっと、考えたうえでの結論なの」
「うんうん、そうなんだろうけど、さすがに順序立てて説明してくれないと分からないかな。僕は別になんでもいいってわけじゃないんだ。特に満たされてる今はね」
ライオンはお腹がいっぱいだと目の前を草食動物が通り過ぎても襲わないっていうのと同じ感じなのだろうか?
ちょっと私には夜見坂くんの思考が理解できないので想像でしかないのだけれど。
最初に話しかけて来た時の、誰かを殺す理由を心底ほしがっていた夜見坂くんとは大違いな気がする。
「……夜見坂くんは、鬼……だよね」
「うん」
夜見坂 凪は殺人鬼だ。
人を使って人を殺す、人でなし。
人間を堕落に誘う悪魔。
でも、それは夜見坂くんだけが悪いのだろうか。
悪魔が人間を誘惑するのが悪いのだろうか。
悪意をという餌を
宮苗瑠璃が殺されたのは、彼女自身の悪意と偶然、そして稲次浩太の短慮があったからだ。
湯川大陽が殺されたのは、彼自身の行動と上良栄治の
これから中水美衣奈が起こす事件にも、彼女の中に原因がある。
夜見坂くんは確かに背中を押したかもしれないが、動くのは全部当事者であって夜見坂くんじゃない。
悪いのは夜見坂くんだけだろうか。
責められるべきは夜見坂くんだけなのだろうか。
「夜見坂くんは、悪くないよ」
夜見坂くんからの返答はない。
黙ったまま、光の宿らない瞳で私のことを眺めている。
「悪いのは私たちだよ。理由を持っている私たちなんだよ」
みんながみんな、誰かに悪意を抱いている。
誰もが誰かを殺したいと考えている。
それが原因。
そしてそれは、私だって同じだ。
宮苗瑠璃を。
崎代沙綾を。
中水美衣奈を。
ずっと心の中で殺してきた。
殺したいと願い続けて来た。
それは、とってもとっても、目を背けたいほど醜悪で、目を覆ってしまいたくなるほど下劣な感情。思考。
「……そっか」
ああ、勘違いしていた。
夜見坂くんは、ずっと私のことを利用して人を殺していたんじゃない。
私が夜見坂くんを利用して、クラスメイトを殺していたんだ。
そしてこれからも……その継続を望んでいる。
なんて、なんて醜い存在なんだろう。私は。
「そうだったんだ……」
私は世界が嫌いだった。
生きるのが苦しかった。
助けてといくら叫んでも助けてくれない世界が憎かった。
どれだけ頑張ったところで報われない世界に絶望しか抱いていなかった。
こんな悪意にまみれている世界に生きていたくなかった。
だから都合よく現れてくれた殺人鬼である夜見坂くんに
でもよく考えたら――。
「私も、憎い世界のひとりだったよ」
「…………」
夜見坂くんは、嗤わなかった。
いっさい表情を変えずに私の話を受け止めてくれて、その上で、
「ふ~ん」
と、つまらなそうに呟いた。
「君のその死んだ魚みたいな目は素敵だと思うよ」
「……うん」
夜見坂くんは褒めてくれているのだろうけど、まったく褒められているようには思えなかった。
「でも、自分から望んでくる態度が気に喰わないな」
ぞくりと、総毛立つ。
私は今、初めて夜見坂くんの悪意を向けられた気がしていた。
「なに? そう言って僕の興味を無くそうっていう作戦?」
「…………そんな、ことは」
ない、はずだ。
私は本気で私とこの世界が嫌になっただけ。
見ていたくなくて。
私が私であることが嫌で。
だから夜見坂くんを受け入れて、死を受け入れて、なにも感じない存在になりたかった。
「僕は目の前に料理を出されたら食べる気が無くなるんだよ。ほかの人が持ってるから美味しそうなんだよ。特に大事にしてるからこそ輝いて見えるんだよ」
「……それは本当にろくでもない考え方だね」
「ありがとう。そんなに褒めなくてもいいよ」
褒めてないけど。
ただ、夜見坂くんは嫌いじゃない。
夜見坂くんは自分がねじ曲がっていることを自覚して、人でなしとして存在しようとしている。
彼は彼なりにまっすぐ生きているのだ。
人を殺すのは彼にとっての生態で、人でなしという存在なのだ。
それに対して私たちは違う。
ねじ曲がっているのに、汚れているのに取り繕って、綺麗なふりをする。
人によってはねじ曲がっていることを自覚しようとすらしない。
無自覚なまま、他人を害していく。
なんて汚いのだろう。
自分に正直な夜見坂くんと比べると、よっぽど私たちの方が穢れていた。
「ダメだよ~、自分は大切にしなきゃ。ひとつしかない、かけがえのないものだからね」
夜見坂くんの言葉には、いつものような軽薄さは無かった。
言っていることは薄っぺらなのに、それを殺人鬼である夜見坂くんが言葉にすると、全然重みが違った。
「ん~、誤解されてるかもしれないけどさ。僕は
私は結局、なにも理解していなかった、理解しようとすらしていなかったんだと、その言葉で気づかされる。
私は夜見坂くんが殺人鬼であるというだけで思考停止して、彼がなんのためにそれを求めるのかを知ろうともしなかった。
……本当、私ってバカだ。
「上良栄治の行動は、彼が生きたいから
それに対して私はどうだろう。
考えるまでもない。
真逆だ。
「ほかの人たちだってそうだよ。みんなみんな、生きたいからなんだよ。選ばれたい選びたい好きなことをしたい嫌われたくない面白い嬉しい楽しい悔しい妬ましい憎い苦しい悲しい……」
生きたいなんて思ったこともなく、ただ逃げるだけの毎日だった。
生きることが辛いから死んだ方がマシだなんて考えたから、夜見坂くんに殺してほしかった。
楽になりたかった。
きっと、こんなのは生きているとは言わない。
心臓が動いているだけの形骸。
生きる価値も、生きる意味すらない。
だから、殺す価値も無いんだ。
生きていないから、殺せない。
ただ命を奪うことが、殺すことではないから。
「……なんて、ね」
夜見坂くんがヒューっと音を立てて息を吸い込んでいく。
それはまるで、私がなにか言うのを待っているようで……。
でも、私には何も言うべき意見が無かった。
だから、待つ。
黙って夜見坂くんが再びしゃべり始めるのを、待った。
「……なかなか君もドSだね」
どうやら互いに話し出すのを待っていたらしかった。
「そんなことは思ってなかった、かな」
「あ、そ」と、夜見坂くんは呟いて、軽く肩をすくめる。
夜見坂くんはわりとおしゃべりな方だとは思うけれど、あいづちもなしにしゃべり続けるのは辛かったのだろう。
……やっぱり私、ダメだなぁ。
ひとのことを全然考えられてないなぁ。
「ま、もし僕に
ちょっと妙なニュアンスで責任という言葉を使ったのは、近くに警察官がいるから、殺すという具体的な言葉が使えなかったのだろう。
「もっと魅力的な
今の私は殺すに値しない。
そう言われて残念な気持ちが大半だったけれど、ホッと胸を撫でおろしている自分も確かに存在していた。
「……努力するって、言えばいいのかな?」
「あっは~~」
答えを言ってくれないのは実に夜見坂くんらしかった。
そのかわりとでもいうかのように、夜見坂くんはうっすらと微笑みの形に歪んだ唇を私の耳元によせ、
「それじゃあさ。にんげん、殺してみよっか」
誘惑の言葉を口にした。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます