第9話 白山菊理は告白する
「君、やめなさいっ」
いつの間にか開いていたドアから入って来たのは、スーツ姿の刑事さんと下園先生だった。
刑事さんは教室に足を踏み入れるや否や、血相を変えて私たちの下まで駆けつけると、中水美衣奈の肩を掴んで私から引きはがす。
「邪魔しないでよっ。コイツ殺人犯だろっ!」
「それを決めるのは法であって君じゃないっ。いいから落ち着きなさい!」
「うるさいっ。お前警察だろ! 警察は犯人捕まえんのが仕事だろうがっ! 仕事しろよっ!!」
「分かった分かった」
罵倒を止めず、必死になって私に掴みかかろうとする中水美衣奈を、刑事さんは適当にあしらいつつ楽々羽交い締めにしてしまった。
「先生」
「は、はいっ」
勢いに圧倒されて、入り口で立ち尽くしていた下園先生が刑事さんに呼ばれて我を取り戻す。
「あっちの
刑事さんは首を振って目線を私にちらりと向ける。
なぜまた事情聴取をされるのか、もしかして私のついた嘘がバレたのかと一抹の不安が頭をよぎった。
「ほら、やっぱり警察も疑ってるんじゃないっ。早く捕まえて死刑にしろよっ!」
中水美衣奈が得意げな顔で私を責める。
それだけじゃない。
教壇に立っている上良栄治も、彼に反論していた響遊も、崎代沙綾も。
クラスの全員が、まるで私が犯人であるかのような目で見つめてくる。
刑事さんの一言は、それだけの流れを作り出してしまっていた。
「全員に話を聞くつもりだっ」
その空気を敏感に感じ取ったのか、刑事さんは慌てて周囲を見回しながら否定し始める。
「ここに居る全員から、順番に話を聞かせてもらうっ! その娘が最初なのはトラブルの原因になりそうだからだっ。次はもちろんこの子に聞く」
首を左右に振り、キッと鋭い視線でクラス全員を薙いでから、最後に下園先生へと視線を移す。
「いいですね、先生っ」
「は、はいっ」
「そういうわけですから、あっちの娘が帰ってきたらこの娘を音楽室に。ほかの子たちは先ほど決めた通りそれぞれ図書室と美術室に振り分けてください」
「わ、分かりました」
下園先生の頼りない返事を受けて、刑事さんは小さく、しかし深いため息をついた。
「ひとつ言っておくが……」
刑事さんは中水美衣奈を離し、再びクラスのみんなを見回す。
「警察は関係者全員から話を聞いて、物的証拠を探し、絶対の確信を持ってから逮捕をする」
彼の視線はただのひとつも嘘や捏造を許さないとでも言うかのように、鋭く、強い。
「そこに間違いがあってはならない。だから予想や言いがかり、ましてや流言飛語の類で動くことは絶対に無い。分かったかね?」
そんな刑事さんに逆らおうと考える人は、教室の中に誰一人として居なかった。
刑事さんは満足そうに「けっこう」と呟いてから私を手招きする。
「来なさい」
私の心中は決して穏やかではなかったが、首を縦に振ると、歩き出した刑事さんの背中を追ったのだった。
「さて、と」
私は昨日と同じ様に音楽室へと入る。
昨日と同じ机、同じ配置に同じ刑事さんたち。
違うのは、目の前に座る強面の刑事さんが幾分砕けた表情をしていることくらいか。
刑事さんは伸びでもするかのように顔を後ろに逸らし、後方でノートパソコンに向かって構えていた警官へ声をかける。
「ちょっと教室でトラブルが起きたみたいだから緊急避難だ」
「はい?」
「学生たちの頭が冷えるまで時間潰すぞってことだ。調書は取らなくていい」
これには私の方が驚いてしまう。
だってこんなこと、私の人生では一度も無かったことだからだ。
いや、正確には夜見坂くんに続いて二度目。
でもあれは、自分の目的のために私を利用しているだけで、純粋な善意で助けてくれたのは、初めてだった。
「大変だったな」
刑事さんは胸ポケットから手帳を取り出してパラパラとめくり、穏やかな声で「
「あ、えっと、はい……」
私は初めて向けられた感情に、どうしていいのか分からず、視線を落として膝の上で絡めた指をもじもじと動かした。
「あ、あの、係長。あまりいち個人に肩入れするのは、あまりよろしくないのではないでしょうか」
「いや、まあ、そうなんだが……」
……やっぱり、そんなに甘い話はないのだろう。
私は容疑者のひとりで、第一発見者で、もっとも怪しむべき存在なのだ。
一瞬浮き上がった私の心は、警官の言葉でもう一度奈落へと沈む。
「俺の嫁さんは少年育成課で働いててな、ちょっと気になったんだよ」
係長と呼ばれた刑事さんは、私へと向き直ると、机に両肘をついて両手の指を組み合わせる。
手によって彼の口元は隠れていたが、とてもやわらかい表情を私に向けていることが分かった。
「白山さん。君は、もしかしたらクラスでいじめられていたんじゃないかな?」
無意識に、ビクンッと肩をすくませてしまう。
いじめられていたことは動機になり得る。
疑われているんだと思うと、呼吸は浅くなり、鼓動はどきんどきんと暴れ始めた。
「そ、それ……は、わた、し……が……うた、が……」
「違う違う、そうじゃない」
刑事さんは顔の前でパタパタと手を振って私の言葉を遮る。
「疑いはこの学校関係者、全員にかかっているよ。君ひとりじゃないから安心してくれ……ってのも変な話かな」
刑事さんは、右まゆだけをあげ、唇をへの字に曲げるという、笑っているともしかめ面をしているとも言い難い、奇妙な表情を作った。
「まあ、君が……大きなものを抱えてそうだったからだよ」
気にしないでくれ、と付け加えられたが、私としては気になってしょうがない。
善意からの言葉であったが、それは私の痛い腹を探られるに等しかった。
「別に……なにも……」
誰の興味もひいてはいけない。
私は背景になり、舞台のそでに隠れていなければならなかった。
でも、もうそれは出来ないだろう。
ならどうすればいいのか。
……答えはいくら考えても出てこなかった。
「話したくなったらでいいんだ。なにか、警察に解決して欲しかったこととかはないかな?」
「別に……ありません」
「そうか。朝はいつも早いのかな? 近くの公園で君の姿を見るって聞いたんだが」
ああ、無理だ。
もうそんなことまで知られているんだ。
つまりこの人の発言は、決して当てずっぽうで言っているわけじゃない。
しっかりとした根拠があるんだ。
私が宮苗瑠璃たちにいじめられていたことは、大勢が知っている。
なんだったら現場を見たひとだって居るだろう。
警察を誤魔化すなんて、無理だ。
「……はい」
「早い理由は、聞いてもいいかい?」
「…………」
私は押し黙ったままうなずく。
「なんでだい?」
「…………」
私はしばらくの間黙ったままだった。
でも刑事さんはずっとその沈黙に付き合ってくれる。
急かすことも、詰問してくることも無かった。
「……お母さんに、心配、かけたく、ないん……です」
「うん」
「だから、言えなくて……」
「うん」
私の意思に反して、瞳からは涙が溢れ出してくる。
悲しくなんてないはずだ。
私の心は切り離されて、感じるべきものが無くなってしまっているから。
感情なんてなかったはずだ。
辛いなんて思ったこと、一度だってなかったから。
どんなことがあっても私は自分のことを傍から見ているだけの観客でしかなかった。
……そう、思っていた。
思い込もうとしていた。
でも、本当は違ったんだ。
「ちが……いまっ……ふぐっ、んんっ」
苦しい。
息が喉に詰まって呼吸ができない。
手で口を押えても嗚咽が漏れ出てしまう。
それほどまでに感情が高ぶってしまっていた。
「わたっわたしっ……はっ……」
ああ、もう……隠せないかもしれない。
でも、もしも私が全てを壊してしまったら――。
私は夜見坂くんに殺される。
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