2-12節「不協和音」
三位一体の人喰い花型ネクサスウィスプ、その一匹がロストゼロの辻本に向かって蔦を放出、わずかな時間差で力強い引っ掻きを繰り出す。
「―――!!」
鞭のようにしなりながら迫り来る右手の蔦を辻本は太刀で受けきり、無理にその力に対抗はせず体の軸をずらし、力を横へと受け流した。続けてくる左手の蔦の攻撃も軽快なバックステップで回避する。そして即座に反撃の構えに移ると。
「“
居合術、二の太刀で相手にとどめを刺す奥義。まるで夜の月を反射する水面から光を掬い上げるような弧を描いた突き上げの刀撃で見事、最初の時と同じように巨大花に致命のダメージを与えた。
「わああ……」
小さな驚嘆を漏らす夜々。流れるような動作で人喰い花たちの攻撃を捌く辻本に思わず見とれてしまう。
何度か攻撃を受け流した後、辻本は一旦ロストゼロの陣形の中心まで退避し、部下達の戦況を確認する。
―――俺が前方の一匹。アーシャ・玲・朔夜が後方の一匹。そしてメアラミス・オズ・シャルロッテで右方の一匹。上手く敵の攻撃を分散し各個撃破の形に持ち込めていた。
(よし……ロストゼロ顔合わせ、要塞で自律機械兵三体を相手にした経験が活きている……!)
まず辻本は後方を見た。
鋭く放たれたツタを玲が先頭に割り込み大盾を構え、受け止めている。ドンっという鈍重な音が響き、衝撃で玲が立っていた場所から半歩ほど後ろに押されたが、問題なく受け止めた。
「うぅ……朔夜さんっ!」
「わ、分かった!てやああっ!」
玲のすぐ隣で朔夜が弓に矢をつがえて射る。照準のブレで狙いとは多少の誤差はあったが、ネクサスウィスプの弱点部であろう胴のてっぺんに突き刺さった。
しかしそれと同時にもう片方のツタが二人に振り下ろされようとする。盾を構え直すのも回避も間に合わない。
「させぬ、おおおぉ!!!」
二対の触手の合間を縫って、大きく跳躍したのはアーシャ。咆哮と共に棒を巨大花に振り下ろすその威力は、岩をも砕くと噂される森羅水滸流の技が真実だと証明。指揮官に遅れる事数秒でこちらも脳天に致命傷を与え敵を行動不能にした。
だがもちろん、それで終わりというわけではない。
三匹目―――手応えからの直感だがおそらく「主」と思われる花弁と戦う三人に辻本は目線を移す。ネクサスウィスプが渾身の蔦の一撃をメアラミスに叩き込む瞬間だった。
「……よっと、はっ!」
しかし流石はメアラミス。すべての攻撃を予測し、無理のない体勢と身のこなしで躱すと得意の脚技で応戦。空を切る速度で放たれる体術をおみまいする。
(彼女がいる時点で心配は無用だったな……)
シュンと風切り音が幾度と鳴り響くなか辻本はメアラミスの戦いを見る。それは辻本だけでなく他のロストゼロも底知れぬ力を宿す少女を見守る。同じ敵を担当していたシャルロッテとオズも驚いていた。
(…………すごい……メア、ほんとに)
(入隊から一月……ネメシスを貫いた時や、模擬戦、たまの実戦訓練などで垣間見てはいたが…………ッ)
殆どの生徒達が抱いた感想を一言に帰結するならば―――
―――美しい。戦闘ではなく狩りと呼べるそれは、ただただ美しかった。
世の中には“剣踏”と呼ばれるものがある。剣を用いての舞踏、あるいは舞踏のような剣の型。どちらにしても優美な動作が練り込まれて観賞性が高い。
だがメアラミスのそれは剣を使わない。動作自体に美しさへの追及など一切感じられない。ただ合理的に、相手を倒すことだけが目的ですべての動きを計算、制御しているように見える。上半身での重心移動や視線での誘導に至るまで、全てにおいて無駄がなく、洗練された。
総てが同じ目標―――敵を殺すという終着点に向かっている。
メアラミスの舞いは有名流派のどれとも違うし、そのどれの神髄を含んでいるようにも見えない。数え切れない程の修羅場を潜り抜けた《朱雀の英雄》辻本ダイキが認める相棒。その力に戦慄すら感じた少年少女は言葉を失い。ただ目の前の光景に圧倒されていた。
……最年少の女の子がここまで。
そんなモノを見せられては祖国の誇り、なにより己自身が機関に身を投じた時の「想い」が馬鹿みたいではないか。無意識の内にシャルロッテが双剣を握りしめ駆け出していた。ほぼ同時にオズも黒魔術の本を片手に魔法詠唱、その目印となる環を体に宿していた。
『ギィアアアエエ――!!!』
ネクサスウィスプがその巨大な花の口を禍々しい程に開いてはこの世の音とは思えない威嚇の声を上げた。それはロストゼロや夜々の心胆を激しく寒からしめたが、シャルロッテの二本の剣は敵の触手を瞬時に切り続ける。
(いける……通用してる……!!)
シャルロッテはやがて前方の敵本体に向かって一直線に駆け寄りながら自分の双剣術に手応えを感じていた。メアラミスもシャルロッテと交代するよう後衛へ、サポートに徹するとともにトレジャーハンター少女の守りを優先した。
通常ではここでオズの《零光剣》の攪乱攻撃に移行し、最後の止めをより確実なものとする。機関で行った対中型モンスターの実技授業でも辻本やイシスにはそう習っていた。最も効率的でリスクの少ない戦術だと。
しかし、オズが取った行動はフォローではなく。
「《
「えっ!!?」
シャルロッテが振り返り確認した途端、オズは大声で魔術の名を呼び指示した。口笛の旋律によって剣達は攪乱ではなく直線的に巨大花へと飛ぶ。その速度は射線上に仲間のシャルロッテがいることなどお構い無しの速度だった。
結果、シャルロッテはギリギリのところで速度を緩め紙一重でオズの零光剣に道を譲る形に。すさまじい金属音と大量の火花のなか突き抜ける剣の弾丸。
だが……ずばんという衝撃音が一帯を震わせる。瞬間移動にも等しい勢いで振り切られたツタは、巨大な黒い影になってオズの魔法を吹き飛ばした。
「なに……!?」
「うそ……きゃあ!!!」
横切ったツタに弾かれた二人。ごおおおおっと地響きを立てて空気が焦げるほどの勢いでの直撃。咄嗟に受け身の防御姿勢は取っていたシャルロッテとオズだったが、激しく地面に打ち付けられ薙ぎ倒されてしまう。
「くっ!君達は夜々と一緒に安全地帯へ退避していろ!」
辻本は呆然と倒れた身体を起こそうとする二人の下へ飛び込もうとする前に部下達に短く叫んだ。玲が蒼白な顔で頷く。
「ッ……!シャル!オズ!」
今度はメアラミスが左へと向き直りながら叫ぶ。
巨大花型のネクサスウィスプはぽたりぽたりと赤い雫が粘っこく垂れ落ちる二人の血で塗れた蔦、凶悪に湾曲する刃を放っていた。
「ぁ…………」
シャルロッテが掠れた声を漏らす。まっすぐこちらに伸びる蔦の先を見た。その途端純粋な恐怖に心臓を鷲掴みにされたような悪寒が全身を貫く。オズも息を呑んで体を強張らせる。
(ダメだ……この距離じゃ絶対に間に合わない……!!)
ロストゼロの統制が崩壊し、死者すら出かねないこの状況。辻本は凍りついた表情で“ある決断”を下す。
―――“ゼロ”。頼む、お前の力を借してくれ!!
心の中で失った力にそう叫びながら、辻本は太刀を両手で空に掲げる構え。メアラミスは即座にそれが意味するものを理解した。彼が強引にゼロを引き出そうとしている事を。
「っ!?そんなことをすれば最悪キミが死ぬ!旅立つ前マナにそう言われたでしょ、バカ!」
叱るような口調の相棒の声が酷く遠くに聴こえた。
しかし辻本は意に介さず、対内から限界までの「紅と蒼」の魔力を練り上げる。身体は悲鳴をあげるように張り裂け、血管が破れ血が噴出する。
赫い閃光。衝撃。
辻本は自分がぐるぐると回転するのを感じた。数十キロ圏内にいる「何か」と共鳴したような鼓動の後、呼吸が止まりかけ、視界が混沌に染まる。理性のタガが外れるあの感覚。
「……“零へ”……グゥ……グオオオッ』
朦朧とした意識を殺戮に任せるような辻本ダイキの雄叫び。の直前。オズとシャルロッテが危機に晒されてからここまで僅か数秒の出来事だった一連の流れに終止符を打たんとする者の声が響いた。
「その必要はありません―――舞え……蝶たちよ!」
透き通るような可憐な少女の言葉と同時に、信じられないことが起こった。丘上の広場一帯に百近くの「漆黒の蝶」が何処からともなく顕れ、ふわりふわりと宙を飛び回っている。
「うわぁ!?何が起こってるの!?」
朔夜が叫び玲やアーシャも愕然とその光景を凝視する。すると次の瞬間、宙に黒髪の娘が体を浮かせる姿で蝶の嵐のなかから姿を見せた。黒蝶を操り、また自身の背中にも幻想的な蝶の羽をはためかせる少女―――。
「まさか、キミは」
『―――シエラ!!!」
ギリギリの所で踏み留まった辻本が、メアラミスに続くようにして彼女の名前を呼んだ。最後に夜々も安堵からか涙ながらに宙を舞う救世主に泣き言。
「う"えええんシエラざぁぁん!!!間に合ってくれたんすねえぇ!!」
ぐちゃぐちゃの形相で感謝されたシエラはニコッと花が咲いたような笑みで安心させると、舞い踊る蝶たちによって動きを止めていた巨大花に視線をやった。花の化物は踊り狂う百の黒蝶に戸惑うかのように眼球をぐりぐりと動かす。
直後、ロストゼロを更に驚愕させる現象が発生した。
ごうっ!という響きと共に、ネクサスウィスプを中心に蝶達が
「今です……!辻本さん、刀を地面に!本体は地中ですがそれが弱点でもあります!」
激しく炎上する巨大花。途方もない熱量と無限に小爆発を続ける蝶たちの攻め手だ。時折飛び散る巨大な火花や制服が千切れんばかりの勢いでたなびく熱風のなかで。辻本が指示通り剣を地面に突き刺した。
「ああ……!燃え盛れ!」
ありったけの炎の魔力を太刀に込め、それを地中に流し込む。いままて蓄積していたエネルギー全てが一点に集中したその瞬間、紅蓮の渦は地面に隠れていた本体を炙り出す。
やがて―――。
轟音の裏で、かすかな断末魔の悲鳴が響いた。辻本も酷使した体をゆらめさせ片膝をつく。
火炎と爆発のあまりの眩さに数瞬閉じてしまってた目をシャルロッテ達が開く。そこにはネクサスウィスプの姿も魔圧もなかった。丘のそこかしこに小さな残り火が揺らめき、火の粉がぱちぱちと音を立てて……蝶に成る。一匹の蝶はその真っ只中に立つ少女の白い指に乗った。
「うふふ……ご苦労様、ゆっくり休んでて……?」
感謝の微笑みを受けた蝶は炎を発して消滅した。蝶を自在に操る異能を持つシエラにようやく一同は、力の戻った体を起こし数歩歩み寄る。わずかに遅れて辻本も太刀を支えに立ち上がった。
「あの、危ないところを助けて貰っちゃって、ホントありがとうございます!ええっと……」
「もしかして貴女は……《零組》の方じゃ!」
ツインテールを揺らしてぺこりとお辞儀したシャルロッテだったが初対面のため言葉を詰まらせる。そこに玲が、もしやといった期待を孕んだ表情で問い掛ける。シエラは照れながらにも強く頷いてみせた。
「まさかこんなところで再会できるなんてな。助かったよ、ありがとうシエラ」
さいごに辻本がそう言って、旧友に話しかけた。互いにひとしきり微笑み合うとシエラは姿勢をただして、優雅にレースのスカートを摘まんでお辞儀する。
「―――は、初めまして。新しいゼロ組の皆さん」
「前の零組に所属していた『シエラ』といいます、どうぞよろしくお願いします」
大人しく控えめな性格である事が伺える、幸薄そうな佇まいとどこか儚げな容姿。悟ったようなクールな瞳の色はスカイブルーだ。セミロングの黒髪を後ろで一つ三つ編みにし、先を赤いリボンで括っている。
服装は動きやすさを重視した仕事用で肩を露出させたノースリーブに真っ白な羽織りをしていて、漆黒色のスカートと合わさる清楚系コーデ。たすき掛けに魔導カメラを下げているのは彼女の今の職に関係しているのだろう。
(すごい可愛い人だね!しかも零組ということは辻本指揮官の同級生ってこと?あの人よりも幼く見えるけど)
(シエラ先輩はダイキ先輩の2つ年下だったかと。お会いしたのは初めてですけど……あれが噂の「死を喚ぶ」黒蝶を使役する異端の力……ステキです!)
シャルロッテと玲が盛り上がる。メアラミスはシエラと話す辻本の様子を何故か不満げに見ていた。他のメンバーも流石に疲れたようでひとまず一行はシエラ・夜々とともに近場の街へ向かうことに。『アルビトル』―――オズの故郷だ。
ちょうど昼前の時刻なため、昼食や今後の特務活動の方針を決めるためにもちょうどいいと判断。早速街道を南下し歩き出す。
「…………」
「……?」
皆が進むなかひとり立ち止まったままのオズにシャルロッテが気付いた。思えば零組の先輩シエラに救われてから一言も口を開いていない。今も立ち尽くし地面を睨み付けている。
見たところ怪我をした訳では無さそうなため、おそらくさっきの戦闘、最後の詰めを失敗した事を引きずっているのだろうと明るく励ます。
「どんまいオズ君、次はもうちょっと上手くやろう!」
シャルロッテが呼びかけると、青年は音もなく振り向いた。
「……!!」
そこにあったのは途方もない憎悪の眼差しだった。大きな漆黒の瞳からはシャルロッテに対して、視界が赤くなるほどの憤りすら感じられる。
「…………ああ、やってやるさ」
オズの声を、ゾクリとするような冷気が包んだ。硬く研ぎあげた氷の刃にも似た、触れるもの全てを切り裂く響き。オズの抑えがたい何かをはらんだ声に威圧されたように、シャルロッテは後ずさった。そしてその顔に張りついた驚愕が恐怖へと変わるのを悟られぬよう、皆の下へと逃げ去ってゆく。
静寂が訪れた。
小鳥のさえずりと小川のせせらぎだけが流れる春の草原。数分前の喧騒が嘘のようなうららかさを取り戻していた。
しかしオズはしばらく動かなかった。メアラミスの戦闘能力の高さを再度認識させられ、元零組の異能力を目の当たりにして、そしてなによりまた自分が何の戦果も残せなかったこと。色々な感情がいっぺんにこみ上げてきて、それが無力感になり、怒りへと昇華する。
いつもの事だ―――僕は誰からも認められない。
あの日……僕の誇りが徹底的に踏みにじられ、奪われた時から。
クロイツ家に残ったのは、絶望と空虚を満たすだけの怒りしかないのだから。
※※※
巨大な水車がゆるやかに回転する心地よい音が、室内のなかまで満たしている。
アルビトル。コーネリア市から十数キロ離れた場所にある田舎町である。紡績や染料を魔術的産業として生業にする人間が多いこの街は前述した通りロストゼロ『オズ・クロイツ』候補生の故郷でもあった。
今、辻本たちはそこの『クロイツ家』にお邪魔している。昔の街並みを残した区域に建つ古い邸宅だ。
「―――あらためて士官ガッコーのみなさん!感謝感激、雨あられっす!!」
夜々が大きなテーブルで向き合って腰掛けている四聖秩序機関の学生5名にお礼の言葉を述べていた。太陽の光が降り注ぐ大きな窓と開放的なリビングでの寛ぎの時間だが、辻本・メアラミス・オズの姿はない。
「フフ、人助けも我らの特務活動だ、気にするでない」
「それにしても、まさか元零組のシエラ先輩が
アーシャが毅然として頷く隣で、玲が興味津々に眼鏡を光らせては対面に夜々のとなりに座っているシエラに視線を注ぐ。
「世界中の歴史に触れたり……今起きていることを記事にして多くの人に知って貰うのは……大変ですけど、やりがいはあるかなって」
「それと平行して人捜しもしているんです……その途中玄武取材のなかで」
「シエラさんはこの夜々ちゃんと出会い、ケーヤクしたんすよ!」
へぇー!とシャルロッテに朔夜。
記者シエラとトレジャーハンター夜々の経緯を簡略だが教えて貰い納得していた。獣耳のような髪を頭を軽く揺らすことでピョコピョコとさせる夜々の様子はご機嫌そのもの。シエラもまるで幼子の保護者のように接している。
そんなリビングの談笑の一方、廊下では辻本が無意識に聞き耳を立てつつも、魔導携帯端末で演習地へ定時連絡の文章を作成していた。
(はは……そういう事だったのか。あの様子だと夜々の天真爛漫で活発な性格に手を焼きつつも……ってところかな。それに)
人捜し。シエラが口にしていたそれは当然、俺にも心当たりがあった。ロストゼロの皆もあえて追求はしてなかったためこれ以上は止すことにするが、どうしてもその人物に対して思いを馳せてしまう。
(…………レオ…………)
胸の奥でぽつりと名前を呟くだけで溢れ出る様々な感情。自分以上に彼を求めているであろうシエラが気丈に振る舞っている姿を見るだけで胸が傷む。
辻本は、思考の流れを断ち切るようにCOMMの送信ボタンを押した。すると……ズキッと今度は足の甲から痛みを感じる。それは締め付けるような精神面の痛覚ではなく、物理的なものであった。
「痛てっ!……メ、メアラミス!?」
知らず間に目の前にいた銀髪の少女が、ヒールで俺の足をぐりぐりと踏みつけている。リビングではしゃぐ夜々とは対照的にかなり不機嫌そうな目付きで睨んできた。
「……シエラが来てくれなかったら危なかったよ。みんなにはバレてなさそうだけど、キミ……一瞬だけ混源を使おうとしたでしょ?」
「混源」―――失った混沌とゼロの残留物のような存在が自分には在ると伝えられたのが2ヶ月前の時宮マナさんとの機能回復訓練の最中。しかしそれはあくまで無くならず残っているだけであり、それを始点に力を強引に呼び出すのは固く禁止されていた。魔女の修行で俺が一度、暴走してしまったためである。
その件については、メアラミスもお目付け役として機関に送られる前日にマナから聞いていたようで。
「ウチの言葉を無視したのがムカつく……いい度胸してるね」
ぐぐぐ……とさらに爪先が辻本の足に押し込まれる。糾弾するメアラミスの眼は理性が衝動に優りかけているようも見えたため俺は首を縮めつつ、小声で答えた。
「わ、悪かったよ……!そんなに怒らないでくれ」
こんな風に怒られたのは果たしていつぶりか。と唖然とする俺を、メアラミスは実に苛立ちそうな目つきで数秒ほど睨み続けた。
「メアー!しきかーん!そんなところで何コソコソしてるんですか?変なことしてたら殴りますよ指揮官だけ」
シャルロッテの声で思考を切り替えるように、メアラミスはようやく俺を解放してから小さく呟いた。
「…………バカ」
胸の辺りで覗く白い顔が、一瞬さっと紅潮した気がする。
ふんっと顔を逸らすと、そのままスタスタとリビングの席に行ってしまう。辻本もまさか部下に叱られるとは……なんて思いながら肩を落とすも後を追う。部下達とは向かいになるシエラの隣に着席した。
(変わりましたね、彼女。随分と違った印象を受けます)
シエラが周囲には聴こえない程度の囁きで俺に言った。
(ああ、でもこれからさ。ロストゼロの上官としてあの子に道を示してやらないとな)
低い声で返す。するとシエラが口許に手を添えていたずらに微笑んだ。
(あら……先生が生徒にお説教を受けていては説得力ないです、なんて……それも含めて辻本さんらしい)
(見ていたのかっ?さすが記者……人間観察はお手のものというわけだ)
(一枚撮っておきたいくらいでした)
情けなく頭を掻いて照れ笑う俺に、シエラはさらに軽口を叩き込む。そんなかつての級友同士の仲睦まじい光景に、シャルロッテはしばらく疑わしそうな眼で見ていたが、やがて右手から現れた者の気配にびくっとしてまう。
オズがキッチンスペースからトレイに人数分のティーカップを用意してリビングのテーブルに運んできた。
「すみません。どうやら姉や使用人が外に出ているようなので僕が淹れさせていただきました。不調法なので時間がかかってしまい……どうぞ」
そう言いながらも、馴れた手付きと作法でひとりひとり客人をもてなすオズ。みんな一斉に淹れたての紅茶の風味や香りを楽しむなかで、機関演習という括りでは部外者となるシエラが申し訳なさそうな口振りで発言。
「あの……ありがとうこざいます。皆さん大事な演習中とのことなのに私たちまでお邪魔してしまい……」
「いえ、気遣い無用です。貴女には危ない所を助けられた恩もあります。それにここはもう朽ち果て忘れ去られた場所ですから、ぜひ自由に寛いで下さい。」
そう話すオズ。「忘れ去られた場所」がどういう意味なのかはこの時点では、担当指揮官としてオズの家系について一通り調べた辻本と、読書家で特に歴史に精通しており、偶然彼の名字に心当たりがあったシエラのみであった。
「……あー、えっと。オズ君!」
唐突にシャルロッテがガタッと立ち上がり、同じ部隊の仲間であるオズと視線を交わす。オズがリビングに来てから大人しかった彼女はずっと声をかける機会を窺っていたのだろう。
伝えたいことは、先ほどのネクサスウィスプ戦での不手際について此方側にも非があった事に対する謝罪だった。それと最後に声をかけた際も無自覚に上から目線でどんまいなんて言ってしまったことも。
全て私が悪かった!まではプライドが邪魔して言えないにしてもちゃんと同じ目線、対等で話したかったから―――。
しかしシャルロッテの想いが口に出る前に、オズが酷く冷たい声で被せてくる。
「なんだい?ああ……君の舌には玄武産カモミールの茶葉は合わなかったか……ククク、悪いね。傲岸不遜な白虎帝国人の好みにまで気が回らなかったよ」
「ちが!そんなこと言ってないじゃない!あたしは……」
「黙れ!!!」
不意にオズが押し殺した声で叫んだ。シャルロッテや一同もびっくりして視線を上げると、眉間に深い谷が刻まれ、口許が震えるほど歯を食い縛った少年の顔がそこにあった。
「オズ……」
辻本は紅茶とセットで出されたチーズクッキーを半分囓っていたところで置いて、宥めるように部下の名前を呼んだ。しかしオズは凍りついた空気のまま続ける。夜々も先ほどまでの優しいオズが豹変したことにただ怯えていた。
「この際だからハッキリ言わせてもらう、僕はキミが嫌いだ」
研ぎ上げられた刃のように鋭い輝きを放つオズの瞳にまっすぐ見つめられ、シャルロッテの心臓は不意にわけもなく早鐘のように鳴り響き始めた。動揺を静めようと意味のない作り笑いで誤魔化そうとするも、オズは続ける。
「朔夜はともかくシャルロッテ、君からは主戦派連中と同じ匂いがする。正直この家に上がらせるのも厭気なくらいに」
「っ!?」
ギッと手を強く握り締める少女。時間差で玲やアーシャ、朔夜も流石に言い過ぎだとオズを窘める。メアラミスもいつもに増して真剣な表情で見ていた。
「―――《クロイツ家》の人間として、僕は断じて君を受け入れられない。いい加減目障りなんだよ……お前の存在が!!」
嘘偽りのない彼の罵倒に今度こそ心の底から驚愕して、シャルロッテはただ絶句した。
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