第4話 セイレーン


 今回の作戦でも有翼人の討伐は叶わなかった。


 しかし夥しい数の有翼人亜種を駆除したことを一定の成果として、豪奢な馬車に乗ったコロル政府高官メトゥスを護衛しながら第一大隊近衛部隊は戦地を後にした。


 残されたのは、返り血塗れの傭兵たちと、形をなしていない累々の骸のみ。

 生き残った傭兵たちも疲労困憊な様子でその場に座り込む者が多かった。


 しばらくして、事後処理班のコロル軍後方支援部隊が到着した。彼らの代名詞ともなっている灰色の馬車から、同じ色の禍々しい科学防護服を身にまとった兵士がわらわらと現れた。


 有翼人亜種の死骸は腐乱が早い。腐乱が始まると途端に猛烈なガスを発した。大地にそれが染み込むと土をも腐らせる。腐乱が始まる前に、有翼人亜種の死骸を処理しなくてはならなかった。


 フシューフシューと、マスクから漏れ聞こえる独特の呼吸音を響かせて、彼らは遺体も死骸も一緒くたに密閉度の高い袋にどんどん詰めていく。

 それをどこに持って行き、どう処理するのかは誰も知らない。



 一方で傭兵たちは、乗り合い馬車へ乗り込む前に、有翼人亜種や自分達の血で汚れた服を着替えるよう命じられた。

 身体に付いた血などで馬車を汚すことは罰金対象となるため、彼らは御者が用意した小さな水桶に各々タオルや手拭いを浸しては身体を清める。


 その頃には、既に太陽は西へと大きく傾いていた。


 薄暗い中、固く絞った手拭いを片手に、少し離れた位置で服を脱ぎ捨て身体を拭いていたコダの元へ、見知った影が近寄った。長く伸びたその影で何者か察し、コダは苦笑を漏らした。


「なんだお前、生きてたのか」

「いやいや、死なんよ。なんで死んだと思うんだよ。労えよオレを」


 そこにいたのは真っ赤に染まったシバだった。

 シバはわざわざコダの横で汚れた服を脱ぎ捨て、ボロボロに穴の空いたタオルで身体を拭き始める。

 コダは気にする素振りもなく、自身の鞄から着替えを取り出すと袖を通した。そんなコダをチラチラ見ながら、シバが物言いたげにそわそわしているのが視野の端に入る。

 

「コダ、」

「・・・なんだよ。」

「この後、例の花街連れてってくれよ」

 

 シバは鞄に汚れた服を突っ込みながら、ニヤついた顔でコダを見上げた。コダはちらりとそれを見て、嫌だと即答した。


「はあ?何でだよ。連れてってくれよ。奢るからさ、」

「知るかよ。行くなら一人で行け」

「一人で行ける勇気があれば、もうすでに行ってるに決まってるだろっ」


 語気を強めにねだるシバの執拗さに辟易したコダは、溜め息を吐くことしかできなかった。


     ・・・


 その街は、あの日と変わらず甘い匂いを漂わせていた。


 人間を腐らせるのではないかと疑われるほどの甘美な匂い。惑わされているのか、先を行くシバは、あからさまにウキウキと昂揚しているようだった。足取りが軽い。

 一方でコダの足は鉛のように重かった。

 それでも歩を進めていれば、自ずと目的の女郎屋へと辿り着く。


 だが、


「シバ!待て!」

 

 コダは先を行くシバの腕を掴むと、そのまま足早に路地裏へと連れ込んだ。驚き声を上げようとするシバの口を少々強めに押さえる。シバは茶色い目を見開いたが、すぐにコダの視線の先を見遣って苦い顔をした。


 女郎屋から出てきたのは、遠目から見てもわかる上等なスーツを着た壮年の男。コダもシバも、数時間前に見たばかりの顔だった。


「あれは、メトゥスじゃないか」


 コダの手を口から剥ぎ取りながら、潜めた声でシバが言う。

 その言葉を耳に入れはするが、コダの視線は、メトゥスの後ろから出てきた、艶やかに笑う女に向けられていた。


 そしてコダは血が滲むほど奥歯を強く噛み締めた。


(やはり、俺は謀られていたのかっ)


 金色の髪を風にたなびかせ、純白のシルクのストールをゆったりと纏った女は、月の光にさえも煌々と輝く。

 見覚えがあるのに見知らぬ女がそこにいた。

 その女からは、あの薄汚れた女の面影など、微塵も感じることができなかった。


 苦虫を噛み潰したようなコダは、ボサボサの黒い髪を戦慄かせ、路地裏から出ると、女郎屋を背に大股で歩き出した。


「お、おい!コダ!待てよ!」


 ずんずん歩いていくコダをシバは慌てて追いかける。一瞬振り返ったコダは、黄金色の瞳の女と目が合った。女はうっすら妖艶に微笑むと、羽毛のように軽やかに踵を返して女郎屋へと戻っていった。


     ・・・


 酔うためだけに入った酒場で、強いが不味い酒を飲んだ。珍しくハイピッチで飲み進めるコダの、曖昧な記憶の中でシバの言葉がいやに鮮明に焼き付いた。


「お前が女に溺れるとはな。まるでセイレーンに惑わされた船乗りじゃないか。」


 溺れるほど自分はあの薄汚れた女を知っているわけではない。

 だが、あの雨の日に、女が黄金色の瞳一杯に溜めていた涙さえも嘘だったのかと思うと、激情に心臓が抉られる。


(それでも、)


 それでも心のどこがで、見間違いだったのではないかと思う自分がいる。

 コダは酒を一気に煽った。

 そしてドンと大きな音をたててジョッキをテーブルに叩きつけると、


「俺は本当に馬鹿だな。」


 腹の底から己の愚かさを嘲け笑った。


 


 








 

 

 

 



 


 

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