転生悪役令嬢は200回目のループで近衛師団長に恋をする

矢作九月

第1話 101回目の婚約破棄

 宰相令嬢ヴァレンティナ・グレンテスの厭な予感は、よく当たる。


 今日は、ティナことヴァレンティナの18歳の誕生日だ。

例年この日―…、国家宰相カリスト・グレンテス伯の一人娘であるティナの誕生日には、父所有の絢爛な館にて大がかりな誕生パーティーが催される。だが、今年は特別な年だった。

 王国では、18歳で成人を迎える。今年は、王太子レオンシオの婚約者であるティナが成人を迎えるのに合わせ、王宮の大広間で、大々的な婚約披露パーティーが行われる…はずだった。


(厭な予感がする…やはり、今日なんだろうか。)


 王宮の大広間へ続く控えの間で、婚約者である王太子レオンシオの迎えを待ちながら、ティナは一人そわそわしていた。


 身に着けた深紅のドレスは、今日のためにあつらえられた特注品だ。胸元に飾られた、さらに深い紅色の薔薇は、艶やかな深緑の髪と瞳によく映える。

 宰相でもある父は、緑髪緑眼のティナのことを、「王国一の美女」とよく褒めてくれる。親バカぶりについ笑ってしまうが、自分でも、内心では、それなりの美貌ではあると自負はしていた。


 コンコン、とノックがあってから、控えの間の扉が開く。ティナは王太子を出迎えるため、腰を浮かしかけた。

 だが、おずおずと入ってきたのは、王太子レオンシオではなく、王宮つきの侍女だった。


「王太子様より、至急、大広間へお越しになるようにと…。」

「分かりました。向かいます。」


 ティナはため息をつき、立ち上がった。


 普通こういった婚約披露パーティーでは、未来の夫が未来の妻をエスコートして大広間に入り、客人たちにお目見えする。ティナ一人で大広間に入場しなければならない時点で、なにか「普通ならざること」が起きている、そう考えるのが妥当だった。


(厭だな…。)


 とにかく、王太子に呼ばれている以上、行かねばならない。

 侍女が大広間へと続く重厚な扉を開き、押さえてくれた。ティナはできるだけ背筋を伸ばし、呼吸を整えた後、大広間に足を踏み入れた。

 まばゆいシャンデリアの輝きがティナの目を射た。目を細めて見ると、すでに王国の有力貴族たちが居並び、立食パーティーが始まっている。大広間の奥まったところ、一段高くなった場所に設えられた玉座には、国王はおらず、王太子レオンシオが座っていた。

 …そして、彼の傍らには、美しい女性。しかも、ティナがよく見知った顔だった。


(白銀の聖女、エミリア…。)


 銀の髪と水晶色の瞳を持つ聖女エミリアが、純白のドレスに身を包み、レオンシオの隣に侍っている。

 ティナとエミリアの視線が、交差した。エミリアの透き通った瞳から、表情を読み取ることは難しい。がやがやと世間話に興じていた貴族たちが、ティナの姿を目にとめると、ふっと押し黙った。

 ティナはエミリアから目線を外し、2人の前へと進み出た。

 

「ヴァレンティナ・グレンテス、ここに参りました。」


 ティナが、王太子の座る玉座の前に膝を突く。それを見るや、レオンシオはおもむろに口を開いた。


「ヴァレンティナよ、よくも長年にわたって、俺を…いや、王家を謀ってくれたな。」


 そう言うレオンシオの眼は、憎悪と怒りに燃えていた。その隣でエミリアがクスッと笑ったように見えたのは、気のせいだろうか…。


(やはり予想通り、か…。)


 レオンシオの言葉も、エミリアの反応も、何一つティナの予想を裏切るものはなかった。ティナは筆舌に尽くしがたい虚脱感に襲われながらも、何も言わないわけにもいかず、淡々を反論と試みる。

 

「恐れながら王太子殿下、わたくしが国王陛下、および殿下に背いたことなどは一度もございません…何かの間違いではないでしょうか。」

「背いたことはない、と…?ふざけるな!お前の父とお前が結託し、国庫の財を我が物顔に使い込み、あまつさえ謀叛を企てていたことは、とっくに露見しているのだぞ!」


 レオンシオは興奮のあまり、怒鳴りながら立ち上がった。その剣幕に、会場が水を打ったように静まり返り、緊張感に包まれる。だが、一切ティナは表情を変えなかった。

 

「身に覚えがありません。証拠はあるのですか?」


「証拠なら、ここに…。」


 何枚かの書状をティナに向かって掲げたのは、エミリアだった。


「貴女のお父上と、その弟君である辺境伯との書簡です…お父上が謀叛を起こした暁には、それに呼応して、辺境伯が大軍を以て王都に進攻すると…。」



 勝ち誇ったように書簡を見せるエミリアに、ティナは疲れ切った目線を向けた。


「…その書状が、貴女の拵えたまがいものではない、という確証は?」

「やめないか、ティナ。」

 

 ティナとエミリアの間に、レオンシオが割って入った。


「エミリアは神殿に仕える聖女…嘘などつかない。むしろ、邪悪な者たちが王家に危害を加えようとしていることをその聖なる力で察知し、各地の神殿の人脈も使って、調べを進めていてくれたのだ。」


 レオンシオが、エミリアを庇うようにその腰を抱き寄せながら、静かに言った。エミリアの唇が薄く歪む。

 その瞬間、ティナの疑いは確信に変わった。

 …父も叔父も自分も、この女に嵌められたのだ。


 一体自分は、何度この女に邪魔されれば済むのだろう。

 ティナは心中毒づいた。


「それにしても、身に覚えがないというわりには、ずいぶんと落ち着いているな、ティナ。まるでこの日が来ることを予期していたかのようではないか?」

「…。」


 レオンシオの問いに答えようと、ティナが口を開きかけたそのとき、大広間に、一団の兵士たちが突入してきた。

 一際目を引く赤髪の男が王太子の前に立ち、さっと手を挙げて合図をすると、銀の胸当てと籠手に身を包み、腰には剣を帯びた一団が、ものものしくティナを取り囲む。胸当てには、国王直属の精鋭兵集団である近衛師団の紋章が光っていた。


「王太子殿下に申し上げます!宰相カリスト・グレンテスが…館より私兵を率いて王宮に向かっています!目的は、国王陛下および王太子殿下の襲撃かと!」


 朗々と、赤髪の男…近衛師団長エドガルドが報告する。レオンシオは、勝ち誇ったかのように叫んだ。


「これでも背いておらぬと申すか!ヴァレンティナ!」

「…。」


 宰相である父の、武装蜂起の報せ。それでも、ティナは、動じなかった。

 ふう、と諦めたようにため息をつき、目を閉じる。


(やはり今日だったか…。なぜだかお父様は、毎回この日に謀叛を起こす。)



 …宰相令嬢ヴァレンティナ・グレンテスの厭な予感は、よく当たる。


 いや、予感などというものではない。


 ティナは幾度となく経験してきた。今日という、破滅の日を。

 ティナの諦念のため息を、反乱者が罪を認めた証と捉えたのだろう。王太子は、侮蔑するように言った。


「ついに尻尾を現したな…この、女狐め。」


(今度こそは、うまくいったと思ったのに…本当に愛してくれたと、思ったのに。)


 ティナは、レオンシオをまじまじと見た。一度はティナに永遠の愛を囁いてくれたはずの男は、別の女の腰を抱き、まごうことなき悪意をティナに向けていた。何かを言い返そうにも、ここから挽回の余地はほとんど残っていない。ティナは、何もかも億劫になり、もう一度、大きなため息をついた。

 ティナの内心を知ってか知らずか、王太子は高らかに続けた。


「今ここに、王太子レオンシオの名において宣言する!カリスト・グレンテスの爵位および宰相職を剥奪し…ヴァレンティナ・グレンテスとの婚約を破棄する!」


 王太子の宣誓とともに、じりじりと近衛兵たちが、輪を縮めてくる。


 おそらく抵抗したところで、自分自身は地下牢獄に囚われ、父宰相率いる私兵団も、辺境伯たる叔父の率いる反乱軍も、ほどなく鎮圧されてしまう。そうなれば、王家への反逆者の娘として、首謀者の父、叔父ともども公開処刑の憂き目に遭うのは目に見えている。

 広場のギロチンにかけられて死ぬのは、かなり怖いし、痛い。ティナは知りすぎるくらいよく知っていた。だからこんなときのために、楽に死ねる毒薬を用意し、常に携行していた。


 …何せこれは、ティナにとって、101回目の婚約破棄なのだから。


(今回は、ここまでか…。)


 ティナはドレスの右手首に隠していた毒薬の小瓶をこっそりと取り出し、袖の中に隠したまま蓋を開けた。


「…ヴァレンティナ様を死なせるな!捕らえろ!」


 ティナが自害しようとしていることに目ざとく気づいた赤髪の近衛師団長が怒鳴る。ティナは近衛兵たちに捕らえられる前に、即効性の毒薬を、一気に飲み干した。


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