ツンデレにデレを足したようなエピローグ

私達の千年恋物語

【中学三年の進路】


 パパはどうかしてる。パパは私のママが好きなんじゃないの? それともママのことは忘れてしまったというの? 

 なんであんな女の人なんかに……。


 私はおもむろに首にかけていた、ロケットを開き中の写真を見た。。大切な写真だから電子データで保存もしているし、紙でも数枚予備がある。これはそのうちの一つだ。



「会いたいな。花丸くん」


 ……。そうだ。そうしてしまえばいいんだ。


「木村さん」

 私は家の手伝いをしてくれている人を呼んだ。

「なんでしょう、美幸さん」


「以前私達が住んでいた街に花丸元気という男の子がいたと思うの。今は、私と同じ中学三年生よ。今どこで何をしているか調べてもらえるかしら。進学先とかも全部」


「かしこまりました」


 もうパパなんか知らない。あの女の人と勝手によろしくすればいいんだわ。パパがその気なら、私はグレてやる。大好きな男の子と一緒になるんだから! 

 大きくなったら結婚してくれるって、彼は言ってくれた。私はもうすぐだけど、彼が結婚できるようになるまで、あと二年とちょっと。色々と準備をするにはちょうどいいわ。


 まず会ったら頭を撫でてもらって、そしてぎゅってしてもらおう。そして昔みたいに、楽しいおしゃべりをたくさんするんだわ。

 デートというものもしてみたい。


「どこに行こうかしら?」


 そんなことを考えていたら、自然と苛立ちも引いていった。


【JK一年目安曇梓の証言】


 その日はいつものように部室に行った。

 部室は鍵が開いていたのに、中には誰もいなかった。見ると美幸ちゃんの鞄がおいてあるから、トイレにでも行っているのだろう。


 机の上にノートが置いてある。開きっぱなしで、何やらびっちり文字が書かれてある。

 なんの勉強してたのかな、と何気なく見てみたら


『今日は花丸くんにお姫様抱っこしてもらった。みんなに見られたから恥ずかしかったけどとても嬉しかった。またやってくれないかしら』


『夢で花丸くんにチューされた。現実では手すら握れていないのだけれど』


『今後の目標は、まず花丸くんと相合い傘をすること。早く雨が降らないかしら』


 こ、これは。


「うっす。あれ? 安曇だけか。橘は?」


「うわあ!」

 私は慌ててそのノートを閉じた。これはまるモンに見せたらまずいやつだ。


「……なんだよ」

「ううん、なんでもない」


 こんなの開きっぱなしでどこかに行くなんて、美幸ちゃんも抜けてるとこあるなあ。


 ……もしかしてわざと見せる気だった?


【橘美幸は廊下を疾走中】


 まずい、ノートがああ!!!!

 あんなの見られたら恥ずかしくて死ねる!!

 私の馬鹿あああああ!!!!




十七歳の例のあの日アニバーサリー


「花丸くん大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き大好き」

 私は誰もいない部屋で布団に潜り込み、足をバタバタさせていた。


 昼間のことを思い出しては、むふふと笑い、ひとりでに頬が緩んできてしまう。プロポーズされちゃった。……プロポーズされちゃった!!

 

 彼の声音を真似て、言ってみる。

「俺の人生お前のために使わせてくれ」

 

 なんて分かりにくくて回りくどくて面倒臭い台詞。でもいい。むしろそこがいい。


 ついで私の望む言葉をつぶやいてみる。

「橘、俺だけを見ろよ。……キャッ」


 キャー! 


「もう好き!」


 その時、私は視線を感じた。


 恐る恐る顔を上げて、その方を見た。


 パパが戸口のところに立っていた。


「……風呂、沸いてるぞ」


「うん。分かったわ」


「お父さんは何も見てないからな」

 そう言って、パパは静かに扉を締めた。


 …………キャ──────!!





【お義父さんと呼びなさい】


 両家の家族紹介みたいな雰囲気になっている、その部屋で、俺は気味の悪い汗をダラダラかいていた。


「えっとあのお、質問しても良いですか?」

「なんだね元気くん」


「なぜうちの親父と母親がいるのでしょう?」

 ほんとになぜでしょう? おかしいな。日本とユーラシア大陸って陸続きだったっけ? 最近時空歪んだのかな? テレポートが、俺の飛行機に搭乗していた間に、実用化されたのかな?


「おいおい元気よ。そんなの橘さんがプライベートジェットで、愛知まで迎えに来てくれたからに決まってるじゃないか」

「じゃないかって親父よ、聞いてないんですけど」


「ハハハ、伝えておくべきだったかな。まあサプライズになっていいんじゃないかい」

「ですが橘さん」

「おいおい元気くん。そんな呼び方じゃなくて、お義父さんとよんでくれて構わないんだよ」

「は……ははは」

「それと学費のことは結納金とでも思ってくれればいい」

 ……。それはあれですか。僕は花丸姓を捨てたらいいんですかね。


 橘を泣かせることになったら、確実にドナウ川に沈められることになるな。……わははは。


 生きたい。


【特に意味はない】


「あなた、日本語わかりますか?」

 俺は教室に座っていた同期に声を掛けた。自己紹介ではサトウシュウイチと言っていた人物だ。その名前や顔つきからしても、日系人に違いない。

「……Are you Japanese? Sorry, I don't speak Japanese. I was born in Hungary」(君、日本人? 悪いけど日本語はわからないんだ。ハンガリー生まれでね)


 俺が日本人であるとすぐにわかったのには驚いた。ヨーロッパの人間はアジア人の区別などつかないと聞いたことがあるが、日系人はその点敏感ということだろうか。


 俺は彼のシャツを指し示し尋ねる。

「……How do you pronounce those letters?」(なんて読むんだ?)

「エルプサイコングルー」

「What dose it mean?」(どういう意味だ?)

「特に意味はない」

 ……。

「お前、日本語わかるだろ」


【解剖実習にて】

 医学生は解剖実習が必修である。俺は例の日本語ペラペラ疑惑があるサトウシュウイチと同じ班になっていた。


「Hey Hanamaru, find intercostal nerve」(おい花丸、肋間神経を見つけてくれ)

「……神経って肉眼で見えるのかよ」

 俺が日本語でポツリと呟いたところ

「Of course visible. Are you OK?」(見えるに決まってんだろ。お前大丈夫か?)

 すぐさま返答してきた。……。

「お前やっぱ日本語ペラペラなんだろ」

「……Oh, here it is」(あ、あったわ)

「無視すんなや」


【薔薇色のキャンパスライフ?】


 大学時代は人生の春休み、薔薇色のキャンパスライフとはよく言う。

 けれど私にとって入学してから今まで薔薇色だなんて感じたことは一度もない。忙しすぎてそれを楽しむ余裕がなかったのだ。


 私、安曇梓は高校を卒業し地元の国立大学に進学した。

 

 他の学科だったらあるいは、薔薇色のキャンパスライフというものを享受できたのかもしれない。けれど私が在籍する建築学科は、ブラックだった。

 今もポートフォリオに加える図面を書くため、学内のカフェでパソコンとにらめっこしている。


 ふとそんな私に近づくものがあった。


「安曇さん?」


 声を掛けてきたその男性の顔を、訝しむように見上げた。

 その人は構内のカフェという場所には不釣り合いな格好、サッカーのユニフォームらしき服に身を包んでいた。

 でも私は、その人の顔を見たとき、一瞬で何かが記憶の底から蘇った気がした。


 そしてパチンと電気がつく感覚。

 

 ここで断っておくが、あの間抜けな顔、あの気の抜けた声のトーンで

「あ」

 と言ったのは、後にも先にもその時だけ。


【二十歳の午後のお茶アフタヌーンティー


 街のカフェで気分転換にお茶を橘と飲んでいた。東欧のお茶と日本で飲むお茶にどれくらいの違いがあるか、正直言うと俺にはわからないが、それでもこういうのはなかなか風情があるものだと思う。


「今はどんなことを勉強しているの?」

 ふと橘が俺に尋ねてきた。


「発生とかだな」

「発声? お医者さんってボイストレーニングの勉強もするのかしら?」

「そっちの発声じゃなくて、赤ちゃんができる方の発生」

 そしたら橘は至極納得したような顔をして

「つまり私との子供の作り方を勉強しているということね」

 ……なんでこの子はそういう恥ずかしいことを、真顔でさらりと言えるんだろうか。


「違う」


「じゃあ作らなくてもいいということ?」

「……そういうわけでもない」


「元気くんのエッチ」

「えぇ……」


 続けて橘は若干頬を染めながら

「ねえ、花丸君。あなた私のこと好き?」

 と躊躇いがちに尋ねてきた。

 

 初心な頃の俺だったら「ばっ、ばかこくでねえよ」だなんだと、照れていたに違いないが、こうも定期的に聞かれれば、慣れないほうがおかしい。

「ああそうだ。好きだな」

 あくまでクールにサラリと言ってのける。それが大人の男というものだ。


「……つまり、大好きではないということ?」

 ……まあ、それを平然と叩き潰してくるのが俺の惚れた女だけどな。


「……いや、大好きですけど」

「つまり、私をべろべろ嘗め回したいということね」

「そこまでは言ってませんが」

「私のこと大好きなんでしょう?」

「……べろべろ嘗め回したいくらい大好きです」

「そう。気持ち悪いわね」

「えぇ」


【組織学実習にて】

 医学生には肉眼での解剖に続き、顕微鏡を使った解剖、組織学実習もまた必修である。

 今日はその授業で舌を観察することになっているのだが、先程から探せど探せど目的の構造物が見つからない。隣にいたサトウ(この間ついに日本語が話せるということをゲロった)に尋ねてみた。

「おい、サトウ。味蕾みらいが見つからないんだが」


 そしたらサトウは

なんて誰にも見えんさ。だから面白いんじゃないか」

 と答えてきた。


「……いや、あのな」


【帰国しました。どうも俺です】


 無事にハンガリーの大学を卒業し、そこで免許を取り、それから日本の国家試験になんとか受かり、今日は日本におけるキャリア初日だ。

 地元の大学病院で研修をすることになっている。ようやく帰国できたことに喜びを噛み締めながら、担当者に迎えられ、病院の入口をくぐった。

 

 病院内を巡りながら、軽くオリエンテーションを受けているとき、廊下で声をかけてくる人物がいた。


「え、あ、先輩?」


「……ぉえ!?」

 俺はその人物の顔を見て、心臓が止まるかと思うほど驚いた。


「やっぱり先輩じゃないですか! お久しぶりですね! どうしてこんなところにいるんですか?」


 彼女の名前は、蒲郡茉織。自称世界一の後輩である。俺の目の錯覚でなければ、この病院の看護師のユニフォームを着ている。


「……お前こそ、なんでこんなところにいるんだよ」

「え、だって、ここ私の母校ですし」

「……その格好は?」

「白衣の天使ですけど、何か?」

「……」 

 嘘だろ。


【あなた医者でしょ】


 夜中、家で本を読んでいたときのことだった。


「あなた大変!」

 身重になった美幸が、血相変えて部屋に来た。

「どうした⁉」

「破水した‼」


「なななななんだって⁉ と、とりあえず、きゅうきゅうきゅう車だ!」


「あなた医者でしょ‼ しっかりしてよ‼」

「そ、そうか。救急車だとたらい回しにされる可能性がある。俺が運転して、直接救急ERに行こう。医者には応召義務というのがあってだな」


「だから、あなたが医者でしょ‼ なんとかしてよ‼」

「無理無理無理。俺産科じゃねえし!」

「役立たず‼」


【あなた医者でしょ!】


「ねえ、この子熱があるの。ぐったりしてるし、顔も赤いし。どうしよう。大丈夫かしら」

 美幸がもう少しで乳離れするというころの、愛すべき我が子を腕に抱え、俺のところにやってきた。

 確かにぐったりしている。


「いつからだ?」

「今朝からよ」

「うんちは? 下痢とかあるか?」

「……それはないけれど」


 俺は我が子を受け取り、服を引っ剥がした。見たところ皮疹はない。髄膜刺激症状もなさそうだ。

 口の中を見ても咽頭部は特に腫れていない。

 多分風邪なのだろうが、子供の場合髄膜炎の所見は出にくかったりするから、なんとも言えない。

 抗生剤を入れるにしても、病院に行かなければどうにもできない。

 ……うむ。


「えぇ……。分かんねえ。俺小児科じゃねえし。とりあえず病院に……」

 俺が大事をとってそう提案したら

「あなた医者でしょ! ほんと、肝心なときに役に立たないわね」

 子育て中の母の気が立っているのは、鳥だろうが、獣だろうが、人だろうが変わらないようだ。


【あなた医者でしょ!!】


「急患が発生しました。お客様の中にお医者様はおられませんか?」

 CAが機内放送をかける。


「ねえパパ、呼ばれてるよ。なんで寝たふりするの?」

「ぐうぅ」

「ねえパパ」

 可愛い俺の天使が、俺の服を引っ張っている。


 俺は医者だ。だが俺はまず何より俺の家族を守らなければならない。


「静かにしとけ。俺は救命医じゃないんだ。善きサマリア人法ができるまで俺は動かんぞ」


「ねえパパったら」


「あなた医者でしょ。なんのために六年間も大学行って勉強して免許取ったの?」

 長女を間にはさみ、その隣で生まれたばかりの長男、たつきを胸に抱える美幸が冷めた声で言った。


「……わかったよ。行きゃいいんだろ。あのう……すみません」

 俺は手を上げて、キャビンアテンダントに合図した。

 最悪、免許剥奪とかになったら、美幸の実家の手伝いでもさせてもらおう。それがいい、そうしよう。というかそれしかない。


【パパは病気なの】


 僕のパパとママはとても仲良しだ。パパはいつでもママにデレデレしてるし、ママはパパに冷たい態度を取るけど、いつだってべったりだ。

 今だって、パパのコートのボタンをつけてあげている。


「ねえママ、どうして僕にはボタンつけ自分でやりなさいっていうのに、パパのはやってあげるの?」

「パパはね一人じゃできない病気になってしまったのよ。たっちゃんはいい子だから、お嫁さんにこんなことやらせちゃ駄目よ」


「パパ病気なの? 僕が大きくなってお医者さんになったら治してあげるね」

「治さなくてもいいよ。むしろ治らないほうがいい。我々の業界ではご褒美です」

「あなたは、教育上悪いから少し黙っててくれるかしら」


【パパは病気なの!】


 トイレに行きたくなり、夜中に目を覚ましたら、パパとママの部屋から、騒ぐような声が聞こえてきた。


「ちょっと! 汚いんだからそんなところ舐めないでよ!」

「おいおい。お前の体で汚いところなんてないんだぜ」

「違う! あなたの口が汚いって言ってるの! その顔を踏みつけるわよ」

「むしろご褒美だ。踏んでくれ」

「変態」

「もっと言って」


 喧嘩をしているのかなと不安になり、仲裁に入ろうと僕は扉を開いた。

 ……。


 二人とも僕の方を見て固まった。


「パパ何してるの? なんでママの足舐めてるの?」

 

「たっちゃん。パパは病気なの。あなたはお嫁さんにこんなことしちゃ駄目よ」

 そういうママはよほどパパに怒っているのか、顔を真っ赤にしている。

 ママは見たことのないパジャマを着ていた。よく外国の映画の女の人が着ているような、ドレスみたいなパジャマだ。

 そして寝る前なのに、パパが舐めていない方の足には、ベルトのついた長い靴下を履いていた。


「お前にもいずれ分かるときが来る」

 パパが僕にそういったところ、

「来ないから。あなたは少し黙っててくれるかしら」


【お前、だから来るなよ】


「せんぱーい、今日お昼おごってくださいよ」

 俺が医局に詰めて、午前の患者のカルテを確認していたところ、甘ったるい声で話しかけてくるやつがいた。


「……先輩って呼ぶのやめない?」

 俺はその女、蒲郡茉織に対し、そう告げた。


「あ、確かに、この病院だと私のほうが先輩ですもんね。だったら、後輩くんって呼べばいいですか?」

「違うそうじゃない」


「あ、もしかして、先生って呼べってことですか? 先輩、ナースプレイ好きそうですもんね」

「おい。みんないるから。やめて。大体、他の病棟のナースが、こんなところにやってくるなよ。お前が事あるごとに俺のところ来るから、噂になってるんだけど。ホント勘弁して」


「え? 噂ってなんですか」

「……だから、その、……お前が俺の愛人なんじゃないかって」

「えーなんですかそれ。冗談きついですよー」

 そう言って蒲郡はバシバシ俺のことを叩いてくる。


 俺はうめきながら、それをよじって避けた。


「おまえ、今日は何の用だよ?」


「だから、お昼おごってもらうのと、ついでに結婚報告しようと思って」

「え?」

 蒲郡は、言いながら薬指に光る指輪を見せてきた。


「……相手は?」

「救急の専攻医の先生です」

「あ、ふーん、そうなんだ。おめでとう」

「あ、先輩今、ちょっと悔しそうな顔しましたね。逃がした魚は大きいぜって」

「いや全然」

「えーなんでそんな素っ気ないんですか」

「だって俺、お前に惚れてないし。嫁も子供もいるし」

 言ったら蒲郡は昔みたいに、頬を膨らませた。


【もしもし俺だけど】


 スマホに電話がかかってきた。番号を見てなんか嫌な予感がしたけれど、しぶしぶ電話に出る。


「はい、こちら花丸ですが」

「もしもし、俺だけど」

「……誰だよ」

「俺だって。俺。高校の同期だろ?」

「……だから名前を言え。名前を。なんだ、オレオレ詐欺か? 平成時代の人ですか?」

「だから俺よ。お前の竹馬の友、外野守だよ」

「お前と竹馬で遊んだ記憶がござらんのだが」

「一緒にキャッチボールした仲ではないか」

「あっそう。で、なんか用か?」

「金貸してくれ」

「切る」

「あーーーーー!!!!!! まって、お願い、ちょっとでいいから。先っちょだけでいいから!!」

 俺の記憶違いでなければ、外野は高校の数学教師になったはずだったが、俺の見る限り、精神的に全く成長していないように思える。彼奴に習わなければならない生徒が不憫でならない。


「ほんとに切るぞ」

「大変申し訳ございませんでした」


【金返せよ】


 久しぶりに外野と夜飯を食べに行くことになって、名古屋の飲み屋で程々に酒をなめながら、飯を食っていた。


 俺は外野の頭をまじまじと見つめ


「……お前、いつまで丸刈りにしてるんだ? いい加減やめたらどうだ。今どき高校球児でさえ丸刈りなんてしないだろう」

「だって嫁が丸刈りじゃなきゃやだって言うんだもん」

「……お前の嫁さんほんと変わってるな」


 そういえば金を貸していたことを思い出して、俺の嫁もうるさいので一応催促しておくことにした。

 

「おい。お前、そろそろ金返せよ。ていうか、一体何買ったんだよ。高校教師が嫁さんにも言えないようなものか?」

 と俺がつっついたら

「あーあれな。ありがたく使わせてもらったよ」

「……だから何に使ったんだよ」

 

「高校にトレーニングルームあったの覚えてるか?」

「……ああ、筋トレマシンな」

「それが老朽化で、使えなくなったんだが、新しいのを買う余裕なんてもちろんない。だからOBOGに寄付を募ろうって話になったんだが、そう簡単に集まるものでもない。だから同窓会長であるところの、この俺が一人ひとりに頭下げて金をかき集めたというわけさ。ちなみに花丸が一番多く寄付してくれたことになってるから、壁に貼り付けた寄付名簿の一番上にでっかく名前書いてあるぞ。マシンを使う生徒は必然的にお前の名前を覚えることになる。ガハハ」


「……お前。なんてもんに金使ってくれてんだ。返せって言えなくなったじゃないか。大体、そのための金だったのなら、最初からそう言ってくれれば、普通に寄付したのに」

 だが、恩着せがましいのは嫌いなので、匿名で寄付しただろうが。


「でも、そう言ったら、花丸のことだから、匿名で寄付しただろう。そしたら名簿に名前が載らないではないか! せっかくだから、お前の名を半永久的に学校の壁に刻んでやろうと思ってな! 感謝しろ」

 ……本当に何なんだこいつは。

 

【母校での講演会】


「本日は我が神宮高校出身でもある、お二方の医学博士をお招きしました。花丸先生と深山先生です。お二人とも、第七十期卒業生で皆さんの大先輩に当たる方々です」


 私の紹介の言葉に続いて、生徒たちの方からパラパラと拍手が聞こえてくる。

 今日は文化講演会のために、私の旧友たちを呼んでいた。


 深山太郎は私の幼馴染であり、今でも親友だ。

 そしてもう一人の花丸元気とは、若かりし頃、合宿に一緒に行ったという縁があった。


 

「──というわけです」

 太郎の説明に補足する形で、花丸先生が説明する。


「え〜、深山先生の説明は学生さんにはわかりにくかったと思いますが、今のは、口から食道に至るまでの間でも、脳の神経が活性化する場所が異なるという意味です」


「──ということになります」

「え〜、深山先生の説明は学生さんにはわかりにくかったと思いますが、外からの刺激を受けても、脳の高度な処理を行う場所から、刺激を受け取る領域まで逆向きに情報の伝達がなされる、つまり情報の伝達は両方向性を持つということになります。これが私達人類の記憶の根幹にあるのではというのが、今私たちが研究していることです」


「──という意味ですね」

「はい、深山先生の説明は学生さんには……」 

「ねえ、花丸先生。いちいち、俺の説明が分かりにくい、という枕詞まくらことばをつける意味を教えてくんない?」

枕詞まくらことば? あ~はいはい。一句できましたよ。


 足引きの


 深山の説明


 意味不明


 この場合、枕詞まくらことばが、で、かかるのは深山の山ですね。つまり深山先生の説明が意味不明で、私の足を引っ張っているという意味です」


「おいてめえ、ちょっとこっち来い。文句あるなら、腕相撲で勝負しろ」

「はあ? 望むところだ。やってやろうじゃないか」


 ああ、あの二人またやってるよ。私は小さくため息をついた。


「あの、先生方、生徒の前で喧嘩するのやめてもらえませんか?」

 私が昔みたいに注意したら、


「「あんたは黙ってろ!」」

「……」

 昔と同じように返された。


 ああなったら私にはどうにもできないので、後ろに下がって、彼らが子供みたいに腕相撲をするさまを見学していた。


 若い先生がこちらに近づいてきて、耳打ちをした。

「ねえ、山本先生。お二人とも山本先生の同級生なんでしょう。昔から仲悪かったんですか?」

「いや仲は悪くないと思います。むしろいいんですよ。よく、朝まで一緒に飲んでいるらしいですから。……口論しながらですけど」

「それにしても、先生の世代、優秀な方が多いですよね」

「あー、そうかも知れませんね」

 壇上の二人もそうだし、他にも社会的に活躍している同級生は何人かいるようだ。


 私達がそんな話をしていたら、向こうから外野先生がひょこひょこやってくるのが見えた。


「なになに、呼んだ?」

 と嬉しそうにニコニコしながら話しかけてくる。


「あ、外野先生は呼んでないです」

「ひどい! われ甲子園投手!! 頑張ったのに!!」

「え!? 外野先生甲子園出てたんですか?」

 彼と話していたその若い先生は驚いた顔をした。


 外野先生は得意げな顔をしている。

 確かに、私が高校三年生のとき、野球部が甲子園出場を果たしたのは事実だったが、その年は色々と事件のあった年で、強豪校の棄権が重なった事情もあった。もちろん実力がなければ、勝ち上がるのは難しいことはわかっている。  

 ただ、奇跡の出場を果たした本大会の第一回戦で、我が神宮高校野球部が歴史的大敗を喫したのは、……まあ、強いて言うべきことでもないか。うん。


 壇上に目を戻した。

 まだ彼らは顔を真っ赤にして腕相撲をしている。

 

 生徒たちは二人のパフォーマンスだと思ったみたいで、手を叩いて喜んでいる。


 ……でも、本気でやっているんだよなあ。

 

 ああ、お医者さんがあんなことをして、怪我でもしたらどうするのだろう? 彼らはいつになったら大人になるのだろう?


 私は小さくため息をついた。彼らを諌められるのは多分、彼女たちだけか。

 今度呼ぶときは絶対夫婦で来てもらおう。



【まさかあの子供が】


「パパったらまた泣いてるの?」

 ウェディングドレスに身を包んだ娘、愛花まなかを見ていたら、自然と涙が溢れてきた。愛花まなかはそんな俺を見て、笑いながら言う。


「だって俺の可愛い天使が……」

 やばい。もう色々溢れすぎて言葉にならない。

 

 そしたら、隣にいた美幸がハンカチを俺の目元に当ててくる。

「ほらあなた泣かないでよ。今日は祝いの日よ」


「分かってるよ。……それにしても、飛行機の中で俺にゲロを吐きかけた子供と、俺の娘が結婚することになるとは」

 もう遠い日の、あの飛行機の中。美幸に言われて仕方なく急患の手当をした。……ただの食い過ぎで気持ち悪くなって、俺の顔面に吐いたらスッキリしたみたいだったが。

 その男児がまさか義理の息子になるとは。


「人生塞翁が馬、とはよく言ったものね」


【マイ・プリンセス】


「おお、俺のプリンセスに似て別嬪さんになるぞ、この子は」

 俺は愛花まなかの子、つまり俺の初孫を腕に抱いてあやしていた。


「プリンセスって姉貴のことか? 親父よ」

 俺の次男、まなぶが尋ねてくる。


「あん? プリンセスつったら、マイワイフに決まってるだろが」

「……いつまで惚気るつもりだよ」

 まなぶは呆れるように言った。


「無論死ぬまで。否、死んでも惚気け続ける。というか来世でも添い遂げる所存」

 隣の美幸が笑って言う。

「お父さん、私のこと大好きだものね」

「お前もそうだろ」

「ええもちろんよ」

 

「……今世紀最大のバカップルだな。親父とおふくろは」

「そうだよ。文句あるか?」


【あなたああ言ってたのに】


「みんな出ていってしまって寂しくなったわね」

「だが、お前と二人きりになった。それも悪くない」

「……そうね。二人きりになるのは随分久しぶりだわ。あなたは若い頃あんなに人嫌いだったのに、子どもたちに囲まれて、孫たちに囲まれて、そして救った患者さんに囲まれているわ。みんな笑顔で、あなたのことを見ているわ」

「……全部お前のおかげだな。俺はずっと生きる意味を考え続けていた。一つの理由は、間違いなくお前という存在だ。もう一つは多分、この人生という素晴らしき贈り物を、与えられたことに感謝し、それを次の子たちにも味合わせてやる、そういう使命のため、なんだと思う。

 だから子どもたちに愛情注いで育て上げ、たくさんの患者を救うために必死になった。

 それもお前がいたから知り得た答えだ」

「……あなた、愛してるわ」

「愛してる」


【千年恋物語】


 僕は今日高校に入学した。僕の家のものが、曾祖父の代から入学している、愛知県立神宮高校だ。

 

 新たな学び舎に入り、席についた。それから隣にいた女子生徒を見て息を呑んだ。

 なんて綺麗な子なんだろう。一体どれだけの徳を前世で積んだらこのような容姿に生まれつくのだろう。

 白く透き通るような肌に、これ以上にないほど完璧な場所に目鼻口がついている。

 まるで絵のような、いや絵にも描けないような美しい人。


 僕は彼女に声をかけた。


「こんにちは。僕、花丸智紀。花丸の花丸に、叡智の智に、紀行文の紀で花丸智紀。君の名前は?」

「私、金本梓。金色の本に、梓川の梓よ。よろしくね!」

 彼女は快活に言う。それが彼女の魅力をより一層引き立たせた。

 

「梓かあ。いい名前だね。梓川って長野にある川だよね?」

「うん。私のひいおばあちゃんの名前なんだ。……ひいおばあちゃんは名字も長野に関係していて、語呂も良かったんだけど、……何だったかな? ど忘れしちゃった」


 長野に関係していて、語呂がいい、か。


「もしかして、安曇野とか?」

「あっそうそう! 野はないんだけど、安曇! 安曇梓あづみあずさ!」

 なるほど。確かに語呂がいいかもしれない。



「どうしてこの学校に?」

「私の家、ネイティブカミノミヤンだから。曽祖父と曾祖母の代から、高校はずっと神宮なんだ」

「へえ。僕んちと一緒だ」

「知ってるわ。あなたのおうち有名だもの。でもあなたは偉ぶってないのね」

「僕が偉いわけじゃないからさ」


「でも、私のひいおばあちゃんもすごいのよ」

「どうして?」


「ここの校舎、去年工事が終わったばかりなの知ってる?」

「うんまあ」

 県立高校の校舎にしては、芸術性に富んだ近代的なデザインのものになっている。たしか著名な建築家の設計によるものだと、高校のパンフレットには書かれてあった。確か、ここの卒業生だったような……。


「……もしかして、君のひいおばあちゃんって、ここの設計図書いた人?」

「当たり!」

「県立美術館の設計もそうじゃなかった?」

「そうだよ。よく知ってるわね」

 そしてこれは単なる推察だが、おそらく美人だったのだろう。ひ孫である彼女を見ればそうとしか思えない。


「ねえ、花丸くん」

「なんだい?」

「今度デートしましょう」

「……君、随分積極的だね」

「いい男は躊躇わずに狙いに行け、が我が家の家訓だから」

 彼女はいたずらっぽく笑って言った。

 彼女なら、何も言わずとも男たちが寄るに違いないのに。


「なるほど。……いいよ。デートしよう。君とは仲良くなれそう」


 運命というものを信じるか?

 僕は信じる。


 僕と彼女は何百年も前から知り合いで、多分これからもずっと一緒にいるんだろうな。

 そんな感覚を訳もなく覚えた。

 迷信など信じない家系で育ったのに不思議なものだ。ご先祖様が聞いたら笑うだろうな。

 まあいいか。

 

 さあ、楽しい高校生活の幕開けといこう!



   *



 ほんとのほんとに終わり


 

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