それはもはや本能だからあまり責めないでほしい

「レフト!」

 体育館に外野の声が響いた。


 それと同時に、バレーボールが打ち上がる。

 レフトと言われた、E組のクラスメートの一人は、ぎこちない動きで助走をして、外野の出した球に飛びついた。

 しかし、タイミングを誤ったようで、かするような音を出して、フラフラした球が、相手側のコートに行った。

 そこからラリーが続いていく。

 メンバーは全員E組の人間だ。俺もその場に混ざってバレーをしている。

 

 何をしているのかと言うと、突然友人を作ることの大切さに目覚め、休み時間を使ってスポーツを通してクラスの連中と交流を深めようと血迷っている、ということではもちろんない。

 俺がこれを参加しているのは半ば強制されたからで、さして仲良くないメンバーで昼休みにバレーをするという珍妙な催しをするに至った、その大義名分が……クラスマッチである。

 

 出会いの季節は終わりを告げ、大型連休の後頻発する五月病のニュースがテレビを賑わす五月がやってきた。


 そんな、新しいクラスに少し馴染んできたかという頃に、クラスマッチが行われる。……別に実際馴染んでいるかどうかは問題ではなく、決められたスケジュールに従って、期日がやってくれば行われるわけだが。実際、俺とかあまり馴染んでない。……見栄張りました、あまりじゃなくて全然です。もうクラスで浮きすぎてそのうち救命具になれそうな勢い。


 それはともかく。


 クラスマッチというのは、男女別れて行う神宮高校の年間行事の一つである球技大会である。どんなにクラスで馴染んでいなかろうが、浮いていようが、全員強制参加。一日ぶっ通しで行われる。


 クラスマッチの種目は、二年男子はサッカーかバレー、女子はドッヂボールかバレーというように決められており、俺はコンタクトが激しいサッカーは嫌だったから、バレーを選んだ。


 バレーのメンバーが決まった時、外野が教室で

「はい、バレー部手上げて!」

 と周りに尋ねれば、メンバーの誰も反応せず

「はい、バレー経験者は!?」

 と聞けば、やはり誰もうんともすんとも言わない。

 

 俺もぼんやり集まったメンバーの顔を見てみれば青白いのばっかりで、ひと目で、こいつら普段運動なんてしてねえな、と分かるぐらいだった。

 どうやら体育会系の運動センスのある奴らはほとんどサッカーに流れてしまったらしい。

 結成初日にして、E組男子バレー部に暗雲が立ち込めてるんですが。


「……おぅ、そうか。……はい! キャプテンやりたい人!」

 当然誰も手など挙げない。というか顔を上げていない。


「もういいよ、外野、お前がやれ」

 埒が明かないと思った俺は、外野に、押し付けるのが最善と考え指名した。


「えへ? 俺? 参っちゃうなぁ」

 外野は照れくさそうに頭をかいている。周りの連中もこれ幸いと「そうだな」「外野だな」「圧倒的外野だな」と急に団結し始めた。


 外野はそれを聞きニヤニヤしながら

「俺でいいの?」

 と再び尋ねてくる。

 いいよ、誰もやりたくないんだよ。


 そんなこんなでリーダーになった外野を中心に、こうして昼休みに練習をすることになったのだ。


「おっし! ローテや。次花丸がレフトな」

 キャプテン様に命令されたのでは断り様もなく、俺はネットの前まで近づいた。


 外野が適当にボールを打ち上げ、ラリーが始まる。

 ポーン、ポーンと山なりのボールがネット上を行き来するが、ママさんバレーの方がよほど激しそうだななんて、俺は思った。

 他のクラスはバレー部もいるだろうし、なんか滅多打ちにされる未来しか見えないな、なんて先行きを案じていた俺だったが、外野が突然

「レフト! 次トス出すぞ!」

 と声を張り上げた。


 ……普段、一人で運動していたのは別にクラスマッチで活躍してやろうだとか、そんなささいな野望を抱いたからじゃないが、日ごろ持て余している体力を学校の行事のために使うのに、躊躇いを覚える理由はない。


 俺はボールを打つため、高く跳んだ。


 その為に、その後数日、外野と放課後特別レッスンを二人でする羽目になったことは、俺史上最大の痛恨事であったとここに独白しておく。

 


   *


 なんにでも本気になれるというのが高校生の強みであり、また同時に弱みでもあると俺は常々思っているのだが、たとえ無駄なことに時間を費やしてしまったと後で思うにしても、その時本気で取り組んで、いい汗を流せたのなら、それほど悪いことでもないのかもしれない。

 クラスマッチ前の数日間は、休み時間になれば校内のいたるところで、神高生が練習に励む姿が見える。

 進学の成績が一番の評価項目であるような学校でも、なんにでも真剣に取り組む生徒というのが多数を占めているのが真実らしい。クラスマッチ然り、学校祭然り。別の視点に立ってみれば、なんにでも本気になれるからこそ、勉学においても結果を残せる、ということがあるいはあるのだろうか。


 それはさておき。

 各々のクラス、事前の準備に抜かりはない。生徒たちは闘志にみなぎり、にわかに沸き立つ、五月の神宮高校。

 幸い、当日は天気に恵まれ、晴天の下、クラスマッチの開会が宣言された。


 E組バレー部はそもそものレベルが地を這っていた為、準備不足は否めないが、来てしまったものはしょうがない。せめて無様な試合にならないよう全力を出そう。


 俺はグラウンドに設置された、クラスマッチ実行委員会本部テントにいた。なぜそんな場所にいるのかというと、放送委員の仕事として、各種目のクラスの呼び出しと、集計結果の発表を任されてしまったからである。

 だがさすがに委員会を作ったのは無駄ではなく、一人一人が担当する時間は短い。俺は橘、安曇の三人と組み、放送機器の前に座っている。俺の最初の試合が始まるまでが、俺たちの担当時間である。

 残念なことに、俺と安曇の試合時間は重なってしまい、俺と安曇の両方が一回戦で勝たないと、お互いの試合を見に行くという約束は果たせない。それが分かった時、安曇は少し残念そうな顔をした。まったく、俺らが負けるとでも? それは大いにある。


 開会式の後、こうして本部テントにいたわけだが、橘と安曇は大分くつろいでいるようで、楽しそうにおしゃべりに興じていた。それぞれのクラスの威信をかけたガチンコ対決の前だというのに暢気なものだ。

 

「そういえば美幸ちゃんち、子豚ちゃんがいたよね。あれってモトキちゃんだったっけ?」


「……そうだけど」

 橘が安曇の問いかけに応える。安曇はそれを受けて

「……じゃあ橘もときってことにならない?」

 橘は至極嫌そうな顔をした。

「ちょっとやめてくれるかしら安曇さん。そんな言い方をすると、まるで花丸君が私のお家に婿入りしたみたいになるじゃない。モトキはモトキ、ただのモトキよ。餌を食って寝て、私を嘗め回すだけのただの豚だわ」

 俺の方を見て言うから、なんか俺の悪口に聞こえるんですけど。気のせいですか?

 安曇は続けて

「でも苗字なしになっちゃうよ。なんか付けてあげたら?」

 安曇にそう言われた橘は、思案するような表情を見せ

「そうねえ。……もとき、もとき、……ナポレオン・モトキ・ボナパルトとか?」

 やめろ、フランス人が怒るぞ。豚をナポレオンと呼ぶな。

「スノーボール・モトキ・トロツキーでもいいんじゃない?」

 ちょっと安曇さん? 何、動物農場なの? モトキは追放されちゃうの? というか飼い主も追放されることにならない?


「よう、花丸。元気か?」

 女子たちが豚の名前議論に花を咲かせている時に、テントの中に入って、俺に声を掛けてくる人物がいた。各務原だ。


「ぼちぼち。……各務原はどうしたんだ?」

「俺、運動常任委員長なんだけど、言ってなかったっけ? つーか実行委員の打ち合わせの時にもみんなの前で話してたろ。お前寝てたんか?」

「……あぁ」

 そういえば各務原が何か前に立って話していたような。……その時は確か、橘が俺に対し、例のごとくとんでもないことをべらべらと話していたので、彼女に気を取られて上の空だったのかもしれない。というか橘さん、自分が前に立つときは皆に黙れっていうのに、他人の仕事の時は、非協力的だな。典型的なダメな子じゃん。俺が教育してやらないと。安曇が隣にいれば少しはおとなしくなるのだが、あいにくその時は安曇は別件のため欠席していたのだ。



「各務原君、こんにちは、久しぶりね」

 橘が小さく頭を下げた。

「……いやだから、橘さんも打ち合わせにいたよね?」

 各務原はあきれたような声を出す。

「……そうだったわね。ごめんなさい。花丸くんが私にちょっかいを出してきたので、その対処に気を取られて、注意散漫になっていたわ。今度からはしっかり教育しておきます」

「お前、何俺を悪者にしようとしてんの?」

「だって、花丸くんが、私の隣に座るのがいけないのよ。どれだけ私の事が気になるのって話だわ」

「同じ委員会の委員として出席したんだから、席が隣なのは俺のせいじゃないだろ」

「それに私は花丸くんが、隣にいた女の子にちょっかいをかけるのを注意しただけだわ」

「俺は消しゴム拾ってやっただけだって、あの時何度も言っただろうが!!」

「だからといって、手を握りこむように手渡すのはおかしいわよ。馬鹿なの?」

「そいつがぼーっとしとって、消しゴムをまた落としそうになったからって、説明したろ」

「そんなの、ただの口実じゃない。あなたは女の子の体に触りたいだけなんだわ。恥を知ればいいのに。やめて卑猥な視線で見ないで」

 そういって体操着に包まれたスリムな体を守るように腕を組んだ。俺は橘の胸のふくらみも、すべすべした太ももの白さにも目をくれず

「俺はお前に気なんてないんだからな!!」

 と叫んだ。

「つまり私の身体だけが目当てという事ね。いい加減くたばればいいのに」

「だから、体にも興味ないって言ってんだろ!」

「嘘よ。今、私の身体を上から下まで舐めるように見たじゃない」

「ちげっ、今のは偶然だっつうの。何だあれか? お前は人と話すとき、ずっと空見あげてるか、ずっと地面見つめてるしかしないのか?」

「人と話すときは、相手の顔を見るものよ。ほら、私の顔をよく見てみなさいよ。そしてかわいい顔だねって言ったら許してあげないでもないわ」



「ああ、お茶がおいしいなあ」 

 とすっかり俺と橘のやり取りに慣れている安曇さんは、気にも留めずいたって平静でお茶をすすりながら、おばあちゃんじみたことを言っている。


「……あの、ちょっと」 

 しかし各務原は俺たちのまくしたてるような会話についてこれず、たじたじしている。


 そんなとき

「おい、お前ら」

 一人の体育教師から叱声が飛んできた。


 俺たちの声はそれでピタッとやむ。

「校長先生の前で痴話喧嘩すな!」

 俺も橘も叱られて、しゅんとした。


 校長先生はというと

「いえいえ。文彦先生。私は全然かまいませんよ。若いというのは素晴らしいものです」

 とニコニコしながら、礼儀正しく本部テント中央の椅子に座っていた。

 

   *


 橘と話していたら、なんだか力が抜けてしまったが、憎たらしくも、リラックスはできたからそれはそれでよかったのかもしれない。

 とうとう一回戦の時間がやってきたから、俺は屋外にあるバレーコートへと向かった。

 既にほかのメンバーも集まっている。

 

「来たな、花丸!」

 外野が俺を見つけ、嬉しそうな顔をした。


 俺は無言で手を挙げて応えた。


「よし! 円陣でも組むか!」

 ええ、なにそれ。


 俺が暑苦しいなあ、と思っている中、皆さっと輪を作り、外野が中心に立った。


「うおおおおお! やるぞ!!」

 外野の声に呼応して「おお」と掛け声が上がる。

 

 そこで審判のホイッスルが鳴った。

「整列!」


 コートのラインに沿って立ち、相手と相まみえた。相手の目はギラギラしていたが、こちらも負けていない。

 みんなもやしみたいだと思っていたのだが、この数日に外野の暑苦しさが皆に伝染したらしい。練習が始まる前とは大違いだ。屋内で練習していたはずなのに、なんだかみんなの肌が少し茶色く焼けているようにすら見える。


「礼!」

 両チームの声が重なった。

「しやす!!」


 さあ、試合開始だ。


   *


 最初のうちは、うちも相手も遠慮していたのか、ぽーん、ぽーんと緩やかなラリーが続いたが、向こう側のバレー部員らしき人物が前衛に上がってからは、E組はスパイクの猛撃を食らっていた。ひょろひょろのくせに鋭いスパイクをうちやがる。さすがはバレー部員といったところ。

 E組は防戦一方だった。

 それでも訓練のおかげか、必死にボールに食らいつき、また相手側のミスもあって、点差が大きく広がることは無かった。

 

 ところがである。

 整列した時点で気付いていたのだが、一人、向こう側にあいつジャングルから来たんじゃねえの? ってぐらいムキムキな男がいた。 

 その男がフロントレフトに上がった時のことである。


「ミノル! 行くぞ!」

 バレー部員がマッチョマンに掛け声を出した。マッチョマンは手をあげ、跳びあがった。


 そして……


 ドゴンッという衝撃音が響いた。


 須臾にして、E組メンバーの一人が「ごふぅっ」という声をあげながら、後ろに吹っ飛んだ。マッチョマンの放った殺人スパイクが直撃したのである。ボールは高く跳ね上がり、後ろのフェンスに大きな音を立てて当たった。


 会場はざわめいた。

 そのスパイクはバレー部員のスパイクがかすむくらいの威力だった。

 隣のコートで試合をしている連中も打撃音に驚いたのか、こちらを見て手を止めている。

 

「審判! タイム」

 外野が声を張り上げた。

「……一分だけですよ」

 審判はしぶしぶタイムを許してくれた。


 メンバーはさっとコート中央に集まり

「おい、今の見たか。ドゴンって言ったぞドゴンって。あれはバレーボールの音なのか?」

「やばかったな。ていうかお前大丈夫か、直撃してたけど」

「まじ痛いんだけど」

「どうすんよ」

「無理無理。あんなん取れっこない」

「てかバレー部って一人までだろ。どういうことだよ」

「あのマッチョマン、体操部らしいぞ。中学の時はバレーやってたらしいが」

「そんなんあり?」

「ルール上セーフらしい」

「こりゃ負けだわ」

 とあーだこーだ言い始める。


 そんな情けないメンバーに喝が入った。

「落ち着け、お前ら!」


 一同、声をあげた外野に注目した。


「……まだ諦めるのは早いだろ。向こうだって素人が混じってる。そこを狙えばいい」

 外野がそう言ったら一人が

「だってあのバレー部に至っては後衛におっても、ジャンプしてスパイクしてくるぜ」

「だまらっしゃい!」

 情けない声にまた喝が飛ぶ。


 外野はそれから俺の方を向いた。

「……花丸。お前は背が高い。あれを止められるのはお前だけだ。E組のため死んでくれ」

「部下を殺す前にまず司令官が死ね」

 俺は威勢のいい部下だから言い返してやった。

「お、俺は、祖国に戻って報告せにゃならんから」

「おっま、ふざけんなよ」


 そこでホイッスルが鳴った。

「時間です。E組、早く戻ってください」


 フロントセンターについた外野を見たら、俺に顎でやれと指示を出している。


 ここを墓場とするのは大変不本意なのだが、無傷で教室に帰ったとして冷水を浴びせられるだろうから、ここでくたばったほうがいいのかもしれない。

 とかなんとか自分を騙して、絶望的な気持ちで相手側の攻撃に備えた。


 サーブのレシーブの後、ボールが向こうに渡り相手のバレー部がトスを出し、またマッチョマンがステップを踏んで、跳び上がった。


「くそっ」

 俺もタイミングを合わせてブロックを試みる。

 

 ドゴンという打撃音の後、掌に衝撃が走った。

 ボールは幾分か勢いを失ったが、バレー初心者しかいない我がクラスのコートに突き刺さるのにはそれで十分な威力だった。 

 

 俺は後ろを振り向き転々と転がるボールを見ながら

「……てぇなおい」

 と呟く。

 見れば手のひらは赤くなっている。


 二度目の殺人スパイクに、わが陣営は完全にシンとしてしまったが、外野が檄を飛ばす。

「ドンマイ花丸!」

 え、今の俺のせいなの?

 外野に引き続いて他の連中からも思い出したように声が上がる。

「ドンマイ、気にすんな花丸!」


「……お、おう」

 

 俺は今悟った。


 こりゃ勝てんわ。


 向こう側の陣営の中に、F組の圧倒的なプレーに沸き立つわけでもなく、澄ました様子で静かに立っていた橘の姿を認めた。彼女が口元に笑みを浮かべていた理由を考えるのは、とりあえず後にしておこう。

 

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