いと芳しき

 放課後になり、俺は荷物を持って部室へと向かう。その後ろを安曇がちょこちょこと小走りでついてきた。後頭部あたりでまとめられた髪が、彼女が体を揺らすたびにぴょんぴょん踊っている。体全体の所作から頭の先まで、小動物感が溢れ出している。

 俺はダイナミックな彼女の頭部を見て、髪の毛がどういうふうに動くかというのも式で計算できるのだろうか、とぼんやり考えた。SSHの課題研究の事もあるし、テーマを考えるのにちょうど良い機会だ。


 髪の物理を考えるとしたらどうだろう。

 必要な前提知識として、固体力学はもちろん、空気抵抗なんかを考えるためには、流体力学の知識も必要だし、頭皮の温度や発汗状態も把握しなければならないなら生理学の知識も必要かもしれない。その上、ピンポイントの地点での、風向き、風速、温度その他もろもろ計算する必要もあるから、地球物理学の知識もいる。もちろん地球を閉じた系として考えるのは到底無理なことであり、それはつまり、女の子の髪がどう動くか計算する為には、それこそ全宇宙の粒子の座標とエネルギーを知っておく必要があるということだ。

 ……女の子の揺れる髪は宇宙のように複雑な現象だな。というかもはや宇宙だな。これは俺の出る幕ではない。アインシュタイン先生か、ホーキング先生あたりに解明してもらうしかない。


 どうやら髪の毛というのは、高校生が物理の研究テーマにするにはいささか難しすぎたようだ。空気抵抗まで考え始めると、世の理の深淵をのぞき込むことになるから、空気抵抗を考慮しなくていいある程度質量の大きい物体を素材にすべきか。女子の身体で他に揺れるものといったら……やはり胸か。確かに胸なら風の抵抗をあまり考えなくてもよさそうだ。計算する為には、まず手始めにサイズと質量と弾力性を知っておく必要がある。ひとつ安曇さんにアンケートを取って──。

 いかんいかん。危うくおっぱいの迷宮ラビリンス、略してオッパビリンスに迷い込むところだった。これも全部安曇さんが体を揺らしながら走ってくるせい。もし隣に来たのが橘さんだったら、俺もオッパビリンスに囚われる心配もなかっただろう。

 ……これは別に「夏になると胸にあせもができるから嫌だよね」と安曇さんがうだうだ言っていたとある夏の日に、顔を引つらせて「そ、そうね」と同意していた、とあるご令嬢の胸元の風通しの良さを揶揄やゆしてるわけじゃないから。ほら、大きくても、蒸れるし、走るとき揺れて邪魔だし、そもそも安曇さんが高校生にしてはちょっと大きくて、橘さんが平均くらいか気持ち小さめぐらいなだけで、小さいわけじゃないし、微乳と美乳は表裏一体だよね、みたいなところあるし。まだ高校生だし、これからこれから! と心の中で応援してあげていた俺がいただろ。思い出せよ。というかお前ら、俺がいるんだから、もうちょっと話の内容に気を使えよ。僕一応男の子だからね? 「大きすぎると可愛いブラがないんだよね」とか生々しすぎるから。あと橘さんが「私は選べるデザインがたくさんあるわ」と言いつつ、若干涙目になってたから。


 話は変わるが、そういえば高校主催の講演会で「おっぱいを揉むとオキシトシンと言う幸せホルモンが出るんです」という話を、二時間ほど真面目な顔で説明していた大学教授がいたな。話変わってないな。恐るべし、オッパビリンス。


「話って何なの?」

 オッパビリンスの粘着質な仕掛けに嵌まりかけていた俺に追いついた安曇は、俺の壮大にして厳粛な考え事の中身など知る由もなく、のんきな顔で俺の顔を覗き込んで尋ねてくる。


「部室着いたらな。橘にも話さにゃならんから」

 素面しらふに戻った俺は、いたって真面目な顔で答えた。物理や数学の事を考えている時はにやにやして、助平な事を考えている時こそ真剣な表情をするという、理系男子の真実については今は触れないでおこう。

「……良い話? 悪い話?」

「……どちらとも言えんな」

 別に脅かしたつもりはなかったのだが、安曇は少し不安そうな顔をした。

 

 見方によれば面倒事の依頼と言われても仕方ない。それを受けるとなれば、安曇や橘にとってはお得な話という事にはならないだろう。胡桃にしてみても、ただ単に友人ができて嬉しいという話ではなく、長い間彼女が避け続けてきた人付き合いの再開の第一歩であり、少なからず恐怖のようなものを感じているに違いない。この問題で一番気楽な立場にいるのは、仲介者の俺であるわけだが、そうはいっても、断られたらどうしようとか、女子たち三人の折り合いがつかなかったらどうしようとか言う不安がないわけでもない。

 だから誰にとっても一概に良い話とも悪い話とも言えないのだ。

 無論、胡桃を追い詰めたかつてのクラスメートたちとは真逆で、安曇や橘が善人である事は、俺も保証するところだ。……一方は口が悪く、人によっては性悪だと評するかもしれないが、根はいい子なのだ。……多分。……おそらく。……もしかしたら。

 いや、口が悪いのはほとんど俺に対してだから、問題ないな。問題あるけど。

 ともかく、彼女らが会して、取っ組み合いの喧嘩になる事だけはないと断言できる。もしそんなことになったら、なんてこったと叫びながらパンナコッタでも作ってあげますよ。……こんなことばかり言っているから、座布団どころかクラスでの居場所も失うのである。え? 何? もとから居場所なんてないって? ほんとそれな。


 ふと何やら芳香がするのを感じた。どうやら安曇の方から香ってくるらしい。


「……なんか甘い匂いすんな」

 俺と並んで歩く安曇を横目で見ながら声をかける。彼女は一瞬キョトンとしたが

「え? あ、うん。クランベリーの香り。今日体育あったから、制汗剤使ったの」

 と香りの正体を説明した。

 なるほど、制汗剤か。


「知ってる。確かファブリーズってやつだろ」

「全然違う!! シーブリーズ!!!!」


 俺のちょっとした言い間違いを、安曇はむきになって訂正してくる。


「ソユーズもタリーズもファブリーズもそんな変わらんだろ」

「だからシーブリーズだし、全部全く違うものだし」


 安曇さんも華の女子高生。匂いには敏感らしい。


 俺はフォローするつもりで

「……俺は別にお前の汗の匂い嫌いじゃないけどな」

 と言ったのだが、安曇はドン引きしたように、顔をしかめ身を縮ませた。

「それは普通にキモいんだけど。そういうこと、女の子にいうかなあ」

 そして一、二歩俺から離れる。


「おい、あからさまに距離を取ろうとするな。ただ、臭いと思ったことなんてないって言いたかったんだ」

「……ふーん」

 俺が弁明したのに、彼女はまだ疑わしげにジト目をこちらに向けている。


 フォローしたのに、気持ち悪がられたのではたまらないと思い、続けて

「女子って自分の匂いを気にし過ぎだと思うんだ」

 と言った。

 安曇は不承不承といった感じで

「でも、まるもんが良くても、他の子に臭いって思われたら嫌じゃん。それにどうせならいい匂いがしたほうがいいでしょう?」

 と答える。


「……酸っぱいニオイより?」

「酸っぱいとか言わんとって」

 どうやら安曇さんは科学的な回答をご所望らしい。

「じゃあ、アンモニアと雑菌のニオイ」

「やめて」 


「女子の汗って酸っぱいけどなんか癖になる匂いだよな」

 おそらくフェロモン的な何かが含まれているに違いない。

「……ほんと気持ち悪いんだけど」

 安曇は零下四度くらいの視線を向けてくる。

 

 ……どうやら安曇さんには俺の言いたいことが伝わらなかったらしい。女子には女子のにおいの良さがわからないという事か。磁気でも電気でも同符号の単極子に斥力が働き、異符号では引力が働くように、同性では反発し、異性では引きあうような力が働いているという事か。男は女の匂いを芳香と感ずれど、女は女の匂いをそうと思わず。逆もまた然り。

 自分に無いものを求めるのは動物の本能か。

 男は柔らかいものが好きだけど、女は硬いものが好きという例の話も……花丸黙ります。


 こほんこほん。

 普通は異性が自分の匂いをどう思っているかなんて知る術がないから、自分の極めて主観的な嗅覚を頼りに、自分のにおいの評価を決めつけてしまうのだな。だから必死になってにおい消しを使うのだ。

 中学の頃は、体育の後女子が着替えで使った教室に入ると、種々の制汗剤のニオイで、いつもものすごいことになっていたな。

 女子中高生というのは匂いに敏感で、とかく自分のことを臭いと思ってしまうらしい。いわゆる自臭症というやつだ。日本人だとその傾向はより強いと聞く。


 ……もしかして俺が鈍感なだけなのか?


「なあ、俺ってくさい?」

 幾ばくか不安になった俺は、恐る恐る安曇に尋ねた。安曇は思い返すように視線を上の方へ動かして

「え? ……いや、気になったことはないかな。運動の後とかはまるもんが来たら『まるもんのにおいだ』ってわかるけど」

「え、めっちゃにおってんじゃん。はっず」 

 安曇は慌てて両手を胸の前で振り

「ちがっ、そうじゃなくて。まるもんの匂いが強くなってるってだけだから!」

 と補足した。

 なんかもう泣きたいんだけど。性格が暗い上にくさいとか、絶対周りに汚いやつだって思われてるじゃん。え、何? 安曇さんだけじゃなく橘も俺のこと臭いと思いつつ、傷つけないように、あえて指摘しないでいたの? そんな気遣いをさせてしまって、本当申し訳ないし、というかもう死にたいんだけど。


「……なんかいろいろショックだから、俺も今度からファブろうかな」

「だからくさくないし、シーブリーズだし」


 このまま部室に行って、例のお嬢さんに「また臭いのが来やがった、いい加減くたばれ」とか思われるのは辛い。知ってしまった以上対策を講じる必要があるが……。

 俺は安曇の方を見た。


「安曇の制汗剤ちょっと貸してくんない?」

 嫌いな男子相手なら、女子は消しゴムを貸すのさえ嫌がるというが、幸い安曇は嫌そうな顔をしなかった。

「別にいいけど」

 安曇はそう言って肩掛け鞄から、ピンク色のボトルを取り出して、俺に手渡してくれた。ああ、なんていい子なんだろう。


 俺はそれを受け取り、しげしげと見つめる。

「……どうやって使うんだ?」

「手に出して、汗の出るところに塗るんだよ」

「脇とか尻とかか?」

「うん」

「よし、手本を見せてくれ」

「馬鹿じゃないの?」

 冗談だったのに、安曇さんがごみを見るような視線を向けてくる。本気で怒りそうだからそろそろやめておこう。

 

 さすがに廊下の真ん中、まして女子の目の前で服を脱ぎ、ズボンの中に手を入れるわけにはいかないので、首筋に塗るにとどめておいた。

 メントールでも入っているのか、塗ったら少しひんやりとした。


「おぅふ、これはなかなか癖になるな」

「いい匂いでしょう」

「うん、サンクス」

 俺はボトルを安曇に返した。安曇は俺から受け取ると、また鞄の中へと戻した。


 それから二人で部室へと入った。既に橘が先に来て本を読んでいた。部室に入った俺と安曇を、いつも通りの様子で迎える。


 挨拶をして座ろうとした矢先、橘は何らかの異変に気付いたかのように、表情を変えた。

「ちょっと、二人とも離れてくれるかしら?」

 と手で、俺と安曇が互いに一、二歩離れるよう指示を出す。


 橘はまず安曇の方に近づき

「いつも通りいい香りがするわね」

「あ、うん、ありがとう」

 安曇は橘の不可解な行動に少し動揺したようだが、褒められたことに礼を述べる。

 橘は今度は俺の方に近づき、くんくんと鼻をひくつかせた。

 それから眉をひそめて

「ねえ花丸くん。どうしてあなたから安曇さんの匂いがするのかしら?」

 となじるように言った。


「……いや、ちょっと安曇に制汗剤借りただけだけど」

 俺はありのままの事実を述べる。

「ふーん。そう」

 ジロジロと俺と安曇を見たかと思えば、橘はくるりと俺に背を向け、スタスタと席に戻った。


 ……何、今の?

 俺は戸惑いを覚えて、安曇の方を見たら、安曇も肩をすくめていた。


「ところで花丸くん」

「はい、何でしょう?」

「私も制汗剤をつけているのだけれど、何の香りかわかる?」


 質問されれば仕方ないので、俺は橘に近づき匂いをかごうとした。

 だが。

「ちょっと! 急に近づいてきて、体のニオイをかごうとするのやめてくれるかしら」

 橘は驚いたように身を引いた。


「お前が聞いてきたんだろ」 

「とりあえず近づかないで。豚は鼻がいい動物なのだから、十キロ先からでも私の匂いがわかるでしょう」

 橘は相当嫌だったらしく、顔を真赤にして、若干目を潤ませながら、シュッシュシュッシュとスプレーを自身に吹きかけている。なんだか俺も泣けてきちゃうな。

「流石にそこまで離れたらわからんと思うぞ。あと俺は豚じゃない」

 とほとんど意味はないとわかってはいつつも、一応抗議しておく。


 シュッシュし終えた橘は

「それで、分かったの?」

 と眉をひそめながら聞く。


 流石に目の前で、スプレーを連発されたら、近づかなくても匂いは分かる。気持ちとしては、太陽の国、地中海性気候の陽気の下、オーソレミオをハミングしたくなる感じ。……別に、瀬戸内とか、和歌山とかのイメージでもいいんだろうけど、それだとちょっと地味じゃん。

 それはともかく。

「……シトラス」

 橘のクイズに答えた。

「……正解よ」


 そこで安曇が会話に参加してきた。

「なんかまるもん、制汗剤欲しいみたい」

 と橘に話しかける。

「あらそうなの。きっと花丸君のことだから、私が持ってるやつと同じものを買おうとするに違いないわ」

 橘は目を閉じて、それが当然よ、とでも言いたげな感じで言い切っている。

 安曇はそれに曖昧な笑みを浮かべて

「でも、今の匂いもよく似合ってると思うけどな」

「そうかしら。花丸君は男子なのだから、ベリーみたいな甘い匂いよりも、もっとさわやかな匂いがいいと思うわ。そうシトラスみたいな」

「でも、男子とか女子とかあんま気にする必要ないと思うけどな」


 なんか君たち、二人で勝手に盛り上がってるけど、それ俺が決める話だよな。


 俺は二人の舌戦に口を挟んだ。

「ああ、ちょっと。俺は自分で決めるから、お前らが議論する必要はないと思うんだが」

 そういったら、二人ともじろっと俺のことを見てきた。


 それから橘は腕を組み

「……そうね。ここは花丸君に決めてもらいましょう」

 安曇も同調して

「そうだね。それがいい」

 と。

 二人とも、俺に正対し、橘が

「花丸君、シトラスとクランベリーどっちを買うの?」

 と問うてきた。

「なんでその二択なんだよ」

「私がシトラスで、安曇さんがクランベリーだからよ」

「それ理由になってないよね?」


「で、どっちにするの?」

 話聞いちゃいねえ。


 俺が言い淀んでいたら、がらりと戸が開いた。

「こんにちはです! 愚兄がいつもお世話になっております」

 なぜかいつも渡りに船なタイミングでやってくる、マイリトルシス。


 心の中では安堵しながらも

「お前何しに来たの? 部活は?」

 と穂波に問う。

「今日弓道部休みなんだよ。言っとくけど、別にお兄ちゃんに会いに来たわけじゃないから」

 ……。


 穂波は女子二人の方を向いた。

「なんか楽しそうな話、してましたねぇ」

 橘が応えて

「ええ、花丸くんが女の子の匂いに興味を持ったそうで、そのことについて話していたのよ」

「おい橘。妹に何とんでもないこと言ってんだよ」


「えぇ……お兄ちゃん、それはちょっと」

 穂波は胡乱げな視線を俺に向けてくる。


「違うから。橘と安曇が制汗剤をつけてるから、俺もなんか買おうかなって話してただけだから」


「制汗剤?」

「そう」


 穂波は何を思ったのか、鼻をすんすんしはじめ、まず橘の方に近づいた。

 俺がやったら確実にビンたされるなあってぐらいの距離感まで、鼻先を彼女の顔に近づけ

「くんかくんか。……うーん、シトラス!」

「正解よ」

 

 同じように今度は安曇の方へと寄って行って

「くんかくんか。……ベリー系?」

「うん。クランベリーの香り」

「やった!」


 妹よ、お前はいつからわんこになったのだ?


 匂いを当てた後、穂波はぴょんぴょこ動いて、勝手に椅子を引っ張ってきて、ちょこんと部室に座った。そして

「美幸さんがシトラスっていうのはぽいっですねえ」

 とニコニコしている。


 意味が分からんな。

「なんで?」

 と尋ねれば

「だって、シトラスって柑橘のことでしょう。ほら橘じゃん」

「……流石にそんなダサいこと考えてないだろ、なぁたちば……」

 と俺が確認しようとしたら、橘は顔を赤くして、咳払いしていた。……図星なのかよ。


「……何か?」

 そう言ってギロリと俺のことを睨んできた。

「別に、OKです。いいと思うよ橘だからシトラスでも。うん、すごくいい」

 俺が橘の機嫌を損ねないよう、よいしょしている隣で穂波は

「なるほどぉ、制汗剤かあ。わが兄ながら色気づいたものですな」

 と腕を組んでうんうん言っている。なんで妹にそんなことを言われなければいけないのだろうか。


 でもまあここで「それで、お兄ちゃんはクランベリーとシトラスどっち買うの?」みたいな馬鹿な質問をするほど、お馬鹿な妹に育てた覚えはないから、ひとまず安心と、油断していたら

「で、じゃあお兄ちゃんは、買うならどっちにするの? クランベリーか、シトラスか」

 ……どうやら俺は育成方法を間違えてしまったらしい。


「俺が制汗剤買うとして、どうしてその二択なのかな?」

 と顔を引きつらせながら、いい覚えのあるセリフをまた吐く。

「だって安曇さんがクランベリーで橘さんがシトラスだから」

「だからそれ理由になってないよね」

 

「お兄ちゃんは梓さんと美幸さんの匂い、どっちを選ぶの?」

 お前もほんと俺の話聞かんな。

「言い方に悪意を感じるんだが」


「梓さんと美幸さんどっちを選ぶの?」

「おいやめろ」


 俺と妹でバカなやり取りをしていたところで不意に安曇が

「いいなあ、私も穂波ちゃんみたいな妹がほしい」

 と、はて今のやり取りのどこに妹を欲しがる要素があっただろうか、と俺の首を傾げさせる。

 続いて橘が

「私も、穂波さんみたいな妹だったら、いたら良かったのにって思うわ。でも安曇さんは優しすぎるから一人っ子で良かったと思うわよ」

 安曇はピクリと顔を動かし

「そうかなあ。美幸ちゃんは妹とか弟とかいても、ホントは大好きなのに、厳しくしすぎて嫌われちゃいそうだけど。私のほうが仲良くなれると思う」

「甘やかしたってしょうがないわ。しつけるのも年長者の役目よ」

「でも美幸ちゃんだって一人っ子じゃん」

 二人とも表情こそ穏やかだが、会話が熱を帯びてきて、激論に発展しそうだったので俺は口を挟む。

「おいおいお前ら、穂波は俺の妹だぞ。勝手に取り合いを始めるな」

「「まるもんは

       黙ってて

  花丸くんは    」」


「……はい黙ります」


 蛇に見込まれた蛙のようにすごすごと引き下がった俺の隣でボソリと穂波がつぶやく。

「多分、私の取り合いじゃないんだよなぁ」

「どういう意味だ?」

 穂波は俺を見てから、深くため息をついた。


「お兄ちゃんが馬鹿だって話」

「おいいつも言ってんだろ。俺は世間一般で見れば、知的エリートの部類に入る。何度も言わせんな」

 

 穂波はまた深くため息をつき

「……お兄ちゃんみたいのが一番たち悪いんだよね」

 妹の発言に対し再び、どういう意味だ? と俺が顔を曇らせている隣で、橘VS安曇の舌戦は続いたままで 

「どっちが姉にふさわしいか、本人が判断するべきだわ」

「それはそうだね」

 と論争はあらぬ方向へと突き進んでいた。


「穂波ちゃん。私と美幸ちゃん、どっちがお姉ちゃんだと嬉しい?」

 安曇が穂波に詰め寄って尋ねた。

「……あー、えーっと……。あ! いけない。私お母さんから夕飯の買い物頼まれていたのでした! じゃあ、今日は失礼します!!」

 答えに窮した穂波は荷物を肩にかけ、そそくさと部室を後にした。


 再び三人だけになった部室で

「……あんまり妹をからかうなよ」

 と橘と安曇を窘めた。


「あら嫌だわ。私はいつだって本気よ」

「そうだね。私も」

 お前らは一体全体何に本気になっているんだ。


 橘が我に返ったように咳払いをした。

「それで花丸君。そろそろ今日呼び出した理由を教えてくれるかしら?」

「ああそうだった。一番大事な要件を忘れていたぜ。……今日呼んだのは、胡桃の件について相談があったからなんだ」


 俺のその言葉を受け、二人は顔を見合わせ、幾分かまじめな表情に戻った。


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