生まれてきてしまってごめんなさい

 下校の案内を連絡して、放送室を後にする。


 例のごとく、「私の近くを歩かないで」と橘に言われて、数メートル後ろを歩いていたのだが、昇降口で靴を替えたところで、橘がたったっと寄ってきて、片方の手で上腕を触りながら、顔を横に向けて、

「その、……花丸君。連絡先を教えてほしいのだけれど」

 と言われた。

「連絡先?」

「買い物の予定について、追って連絡をするといったでしょう。そのあとは、別に、あなたとなんて、連絡を取りたくはないし、本当を言うと、あなたの連絡先だけ、他の人と混ぜないようにしたいくらいなのだけれど、それはさすがに不経済なので、特別に、他の人のアドレスが入っている端末に、データを入れる危険を冒します」

「その言い方だと、俺の連絡だけ特別扱いしているように、聞こえなくもない」

「そうね。花丸菌はバイオセーフティレベルが最高ランクの施設でないと扱えないもの」

 なんなの? 花丸菌、流行っているの? そうなの? てか花丸菌強すぎんだろ。BSLが最高レベルといったら、治療法の確立されていない病原体を扱う施設である。なに、花丸菌、パンデミックでも起こしちゃうわけ? ……この前は日和見菌だから大したことないとか言ってなかったか?

 

 俺は、橘に言われるままに、スマートフォンを取り出した。それから、彼女がアドレスを言うのを待とうとしたのだが、


「早くしてもらえるかしら」

「え、何を?」

「早く、渡しなさい。直接打つから」

 俺はいやいや、彼女に端末を差し出した。


 橘は電話番号を打ちながら、

「安心しなさい。あなたが何を検索しているかなんて、調べはしないわ。大体想像つくもの」

「べっ、別に、変なこととか調べてないし!」

「そうね。あなたにとっては切実なものだものね。……友達の作り方なんてものは。……あら、花丸君。何、顔を赤くしているのかしら」

 もうこの女やだ。


 橘と仲直りをした、その日の晩。随分と尊大な態度で掛けてきた、彼女からの電話で、「あなたと電話するために、無線基地局の容量を圧迫させるのも忍びないのだから、手短に言うわよ。明日、名古屋駅の桜通口の前に、朝十時半に集合。遅かったほうが、相手に何か奢ること」

 俺には喋らせずそれだけ言って、ぶっと切れた。


 ちょうどそこへ、穂波が通りかかったので、

「おい、明日名古屋で買い物するんだが、お前も来るか?」

「えっ、行く行く! お兄ちゃんが外出なんて珍しいね」


 というわけで、妹を連れて行くことになった。

 よく考えたら、持たされる荷物の量も増えるような気がするのだが、「明日何着てこうかなー」と楽しげな妹に、やっぱなし、というのは忍びなかったので、腹をくくった。


 さて、当日。空を灰色の絵の具で塗りたくったかのような曇天だったが、幸いにも雨は降っていない。


 動きやすい服をと思って、ジャージを着たところ、

「うわ、ないわー。マジ、ないわー。……まあ、いいけど。とりあえず、私の傍に寄らないでね」

 と誰かさんによく言われるセリフを、妹にまで言われてしまう。

「どんな俺でも愛してくれるんじゃないのか?」

「それとこれとは別でしょう。もし旦那さんが、式場にパジャマで出席しようとしたら、私は容赦なくひっぱたくわよ。お兄ちゃんなら、吊るし上げる」

「いいじゃないか。スポーツウェアで、街に出るのって今流行ってるんだぜ」

「……多分そういうのとはまた違うと思うんだけど」


 穂波には結局いい顔をされなかったのだが、時間も押していたので、バタバタと家を出た。


 電車に揺られること、およそ十分。名駅に到着。

 橘に言われたように、桜通口の前に向かう。集合時刻より十五分ほど早い。

「お兄ちゃんなんで、こっち来たの?」

 穂波が胡乱げな目をして俺に尋ねてきた。

「いや、人と待ち合わせしているから」

「は? はあ?」

 穂波は眉を吊り上げる。

「……なんだよ穂波。言葉遣いが悪いぞ」

「誰と待ち合わせしてんのよ?」

「……橘だが」

「バッカじゃないの!?」

「何がだよ?」


 俺は穂波が何をそんなに興奮しているのか全くわからず、訳を聞こうとしたのだが、


「あら、花丸君。先に来ていたのね。まだ十五分前よ。そんなに私におごらせたいというのかしら。卑しい人ね。……その人誰なのかしら? 私と待ち合わせしているのに、女の人をナンパするなんて、いい度胸しているじゃない」

 橘美幸だ。

 オープンショルダーの白いシャツに、黄土色のスカートをはいている。セミロングのヘアを、ハーフアップにして、耳にはイヤーカフを付けている。

 

「違う。これは俺の妹の穂波だ。ついでだから連れてきた」

義妹いもうと? あなた、弟の恋人にまで手を出すなんて、どれだけ節操ないのかしら。立場が上なのを利用して、言うことを聞かせるなんて、真性のクズね」

「違う! 正真正銘、俺の妹だ!」

 そういったところ、橘は穂波の顔をまじまじと見て、

「……そう。気が付かなくてごめんなさい。花丸くんが他所よそでもらわれてきた子だなんて知らなかったのだから。じゃなきゃ兄妹で、こんな差なんて……」

 と言って、口に手を当てる。


「……お前、俺を花丸家の失敗作みたいな言い方するなよ! 謝れ。俺の遺伝子に謝れ!」

「冗談よ。さすが花丸君は人との付き合い方を知らないわね」

 お前も大概だろうが。


 橘はそれから、こほんと咳払いするようにして、

「はじめまして、橘美幸です。穂波さんでしたね」

 と妹に挨拶をした。

 妹は、橘を見て呆けたようになっていたのだが、話しかけられて我に返ったのか、

「はじめまして! いつも兄がお世話になっております。……それとほんとすみませんっ! 今日、美幸さんが来ること知らなくて。あと、格好とかほんと。知ってたら、もっとまともな格好させたんですけど。ほんと、こんな人、生まれてきてしまってごめんなさい」


「おい、穂波。最後のは、百歩譲っても、俺のセリフだろ? お前一応妹だからな」


「あなたもいろいろ苦労するでしょうね。お察しします」

「おい、橘。お前は何を言っているんだ?」


「……あの、ちょっと急用思い出したので、あとはよろしくお願いします」

「おい、お前どこ行くんだ」

 俺の制止も聞かずに、穂波はどこかへと走り去ってしまった。


「……まったく、そそっかしいやつだな」


 橘の方を向き直って、

「すまん。騒がしいやつで」

「悪いのはあなたよ」

「それは同意しかねるが、……でどうすんだ。買い物って」

 

「花丸君。まずあなたの格好をどうにかしたいのだけれど。あなたは頓着しないのかもしれないけれど、私の隣を歩く以上、連れがみすぼらしい恰好をしているのは我慢ならないわ。今日のあなたは、私の所有ぶ……ポーターなのだから、まともな格好をしなさい」

 今、俺モノ扱いされてなかった?


 なんだか良く分からないうちに、駅近くの、男物の服屋に連れて行かれた。


「あなた、普段どんな格好しているのかしら?」

「どんなって、学校から帰ったら、ジャージかパジャマだな」

「……聞いた私が馬鹿だったわ。そうね、遊ぶ友達のいないあなたが、他所行きの格好をする必要もないものね」

「馬鹿野郎。俺は地球にやさしい生活をしているんだ。みんなが俺みたいになれば、環境問題は、一挙に解決される」

「その前に、社会基盤が尽く崩壊するわよ。そして、百年待たずして、人類は滅びるでしょうね。あなた、結婚できなさそうだもの」

 お前もさして変わらんと思うが。


 橘はため息をつくようにして、

「まあ、いいわ。私がコーディネートしてあげる。そこに立ちなさい」


 その後、三十分ほど、橘の着せ替え人形みたくなっていた。


 六回目着替えさせられたところで、いい加減にしびれを切らした俺は試着室のカーテンを開けて、

「おい、もういいだろう。そんなにマジになんなよ」

「勘違いしないでくれるかしら。私は別に、あなたのためにやっているのではなくて、私の身辺に汚いものがあるのを我慢できないだけであって、そもそも、これは私の美的感覚を磨く、訓練の一環であるのよ。ただ、あなたの腐った根性を隠すのに、どのような服装をすればいいのか苦慮していただけ」

「俺の内面は関係ないよな?!」

 橘は、俺の言葉には反応せず、ぽつりと

「いいわ、これで」

 と呟いて、手を挙げて店員を呼んだ。


「これこのまま、着て出るので、会計お願いできるかしら」


 店員は、服のタグのバーコードを読み込んで、レジスターに打ち込んで、金額を告げる。

 

 おい、まじかよ。俺の財布がすっからかんになるんだが。

 だが、拒否すれば、後で橘に何を言われるか堪ったものではないので、しぶしぶ財布を開けた。

 ところが、

「お前、何してんだよ」

 橘が、鞄から財布を出して、支払いをしようとしているのである。


「あなたの脳は、ダチョウ並みなのかしら」

「お前の例え、いつもわかりにくいんだよ」

「ダチョウ並みに脳が小さいと言いたかったのよ」

「説明しなくていい」

「……約束したでしょう。遅かった方が、相手に何か奢ると」

「いや、でも」

 高い。一高校生が誰かにほいとやれるような値段ではない。

「そうね。でも、今日荷物持ちをするのだから、それのバイト代も兼ねるということでどうかしら。それに、今後一生これを理由に、あなたをこき使えるのだと思うと、コストパフォーマンスは最高だと思うのだけれど」

「……いや、さすがにそこまでの値段ではないと思うんだが」

「そうね。この値段なら、来世まで買収できそうね」

「違う、そうじゃない」

「少し黙ってくれるかしら。店員さんが困っているわ。……これで」

 橘はそういって、カードを取り出した。ゴールドカードを……。


 支払いを済ませた、橘に、

「専属のドライバーがいるとか言ってたが、あれも、ガチな訳?」

「当たり前でしょう。あなたに嘘をつくメリットなんてないもの。……それより言うことはないのかしら」

「……ありがとうございます」

「もう一度言っておくけれど、勘違いしないでよ。別にあなたの気を引こうとかそういうのではないのだから。……そうね、恩を売っておくという感じかしら。まあ、あなたに助けを求めるなんて確率、無限大分の、一万もないでしょうけど」

「なんか、大きい数を出してるけど、それ普通にゼロだからな」

「あら、これくらいの計算はできるのね。ちょっと意外だったわ」

「お前! 俺と一緒の高校通ってること忘れてないか?!」

「花丸君。おべっかを使って、入学するといろいろ大変でしょう」

「馬鹿め。俺にそんな高度な技が使えると思ったのか。俺の成績は関心・意欲・態度の欄で、どの教科も減点されているんだ。評定はぎりぎりだったんだぜ」

 そう、大抵、通信簿には、控え目とか、おとなしいとか、社会で苦労しますとか、書かれていた。そういうこと書いちゃうかな普通。

「……」

「……なんか言えよ」

「あまりにまともなことを言うので、驚いてしまったのよ」

 俺もちょっと、泣けてきた。

 

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