昼飯ぐらい静かに食べたい

 昼休みだ。

 

 さしものたちばな美幸みゆきでも、授業中に話しかけてくることはない。

 なので、俺にとっては、休み時間より、授業中のほうが心が安らぐという、奇妙な状態になっていた。


 橘に捕まったら面倒だったので、そっと教室を抜け出した。


 入学してからまだ一ヶ月だが、校内のどこに、人のこないエアースポットがあるか、俺はおおよそ把握している。

 今日は天気が良いので、そんなスポットの内である、中庭のベンチのところに来た。ここは周りに木が生えているので、校舎から人に見られることもない。


 ベンチに座って、家から持ってきた弁当を広げる。


 イヤホンを耳に挿して、一人で黙々と食べていたのだが、不意に視界が暗くなった。

 太陽が雲の陰にでも入ったのかと思って、上を見上げたところ、


「花丸君。こんなところで何をしているの? 一緒に食べるお友達は、トイレにでも行っているのかしら」

「……お前分かってて聞いているだろう」

「なんのこと? 私は、あなたのアリのお友達がどこに行ったのか、尋ねたかっただけなのだけれど」

 その話引っ張るなあ。


「……何の用だよ」

「別にあなたに用なんてないわ。自意識過剰ね。女の子に話しかけられたからといって、勘違いする男子くらいに自意識過剰よ」


「安心しろ。俺はお前のこと、なんとも思ってないから」

「奇遇ね。私もよ。いや、道端のペットボトルくらいには気にしているわ。街の景観を損なうものには敏感なの」

「俺はペットボトルなんかじゃない!」

「……ああごめんなさい。たしかにペットボトルと比べたのは失礼だったわ。ペットボトルは再利用して服にできるもの。ペットボトルに謝るわ。今度から見つけたら、ちゃんとリサイクルボックスに入れます」

 おい。


「お前はよくわかっていないようだが、俺は案外役に立つんだぜ」

「あら、何ができるか言ってごらんなさい」


「数学がそこそこ得意だ」

「コンピュータに計算させたほうが正確だし、速いわ」

「分かってないな。そういうものに頼っていると、人間は衰えていくんだ」

「わかってないのはあなたよ。お馬鹿さん。あなた、名古屋から東京まで移動するのに、徒歩で行くのかしら? 人間の能力を伸ばすために、交通手段を発達させたことに誰も疑問は持たないのに、人間の脳を凌駕する、コンピュータが出てくるとなると、慌てふためくなんて滑稽よ」


 ……畜生。ぐうの音も出ない。


「……でなんでここにいるんだよ。俺に用がないのだとしたら」

「静かにご飯を食べられるところを探していたの。ここは人もいないしちょうどいいわね。……あら、花丸くんじゃないの。いたのね。気づかなかったわ」


「お前は今まで何と話していたんだ!?」


「独り言かしら。先程から、コバエみたくうるさい音がしたのだけれど、花丸君だったのね」

「さっきのが独り言だとしたら、お前相当重症だぞ」


「そんなことはどうでもいいから、隣座るわよ」


 そう言って橘は、ベンチに座って弁当を食べ始めた。……本当に何なんだよこいつ。


 橘美幸は、口は悪いが、行儀は悪くないので、食べている間の、彼女は静かだ。一日の中で一番静かと言っても過言ではない。


 上品に弁当を口に運ぶ橘を横目に俺は思う。

 黙っていれば、美人なのに、その口の悪さで全て台無しだ。

 静かな場所を探してここに来た、と言っていたが、橘も俺と同様に、友人がいないのではないのだろうか。そういえば、俺以外の人間と話しているところを見たことがない。


 たしかに、これだけ口が悪ければ、近づくやつはなかなかいないだろうな。


「お前さあ、実は友達いないんだろ」


 橘は水筒のお茶を飲んでいたのだが、一瞬こちらを見てから、それを飲み干した。そして、


「心外ね。そもそも友達という言葉が、曖昧だわ。何を持って友達とするのかしら。というか、人類みな兄弟なのだから、この世にいるすべての人間は友達よ。あなたは除くけれど」


「本気でそう思っているなら、お前ノーベル賞取れるよ」

「ありがとう」

 褒めたわけではないんだが。


「私と違って、友達のできない花丸君」

「わざわざ人の名を呼ぶときに、変な形容句をつけるな。そもそも、友達ができないんじゃなくて、作らないだけだから」

「友達って作るものではないのよ花丸君。小学校からやり直したら?」

「ほっとけ。……俺は悪口がポンポン出てくる、お前の脳を切り開いてみてみたいよ」

「嫌だわ。花丸君に全身麻酔をかけられた、だらしのない姿なんて見せたくないもの。欲情して何されるか、たまったものじゃないわ」

「拒絶するポイントがずれている気がするんだが」


「それでね花丸君」

「……なんだよ」

「明日、席替えをやるそうなのよ」

「へえ。嬉しいね。お前の暴言を聞かされなくて済むようになると思うと、小躍りしたい気分だ」

「あら、そう。私は寂しいのだけれど」

 ……は?


「……厭に素直だな。お前らしくない」

「だって、花丸君と会話できなくなると思うと、息が詰まりそうだわ」

「俺とお前の会話って、九割九分お前の暴言で成り立っているんだが」

「そうね。私、花丸君に嫌味を言わないと、生きていけない体になってしまったの」

 ……やはり、橘美幸は、橘美幸である。


「できれば、お前とは一番離れた席がいいな」

 そういったところ、橘は、荷物を持ってすっと立ち上がり、小さく、

「馬鹿」

 と言って、教室の方に戻っていってしまった。俺はどちらかというと馬鹿ではない。仮に俺が馬鹿だとすると、同じ高校に入学している、あいつも馬鹿ということになる。馬鹿め。


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