第5頁  告げられた真実

 2月2日、午後3時、ログハウス。


「えっと、僕は陸奥と言います。ひまわり畑の調査で来ました、ロッカス研究所の学者です」

「……はぁ、どうも。私はアサヒと言います」


 ローブさん改めアサヒさん。彼女から放たれる「早く帰れ」オーラに何とか耐えて、僕は話を切り出している。

 それにしてもアサヒさん、全く顔が見えない。鼻先までマフラーで覆っており、左目は完全に前髪で隠れている。だからアサヒさんの感情を読み取るには、右目と声音しかない。

 だけど、何故だろう。僕の自己紹介を聞いて、彼女の声の温度が下がったような気がした。元々冷たいその声が更に温度を失ったような。加えて彼女の瞳に警戒の感情が色濃く出ている気がする。


「あの、何か?」

「いえ、何でもありません。どうぞ、話を続けてください」


 なぜ変化してしまったのか分からない。でも、とりあえず話を聞くつもりのままでいてくれるのはありがたい。彼女の気が変わらないうちに、用件を伝えてしまおう。


「先ほどは助けていただきありがとうございました」

「いえ、私はあなたを助けた訳ではありませんので、お気になさらずに」

「へ?」


 アサヒさんの言葉に思わず変な声が漏れた。

 今この人、僕を助けてないって言った? そんなはずないよね。皆さんも見てましたよね? 僕と異形の間にアサヒさんが颯爽と入ってくれてましたよね? もし彼女が居なかったら、僕は食べられていたかもしれませんよね? ね? ね?


「私が助けたのは、異形の親子です」

「親子?」

「お子さんが乗っていたんですよ、あなたの採取したひまわりの花の上に、米粒位の大きさの」


 え……子供? 乗っていた? 僕が取ったひまわりの上に? そう言えば、アサヒさんが異形と話していた時にも、子供の話をしていたような。

 彼女から告げられた言葉が、頭の中でクルクルと回る。ひまわりの上に居たなんて、全く気がつかなかった。だけど、知らなかったとはいえ、僕は誘拐しようとしてたってこと?

 あれ、もしかして、あの大型の異形が僕を追いかけて来たのは……


「あなたを追いかけたのは、ただ娘を返してほしかったから。『返して、娘を返して』と叫びながら追いかけていました」


 僕が結論にたどり着こうとしていると、彼女の冷たい声が真実を告げる。


 僕を食べるために追いかけてきたんじゃないってこと? ただ娘さんを返してほしかっただけ?

 そんなの、そんなの……異形は人間を見つけたら飛びついて来る、危険な存在なんじゃなかったの? 今までずっと言い聞かされてきて。……そうだ、そうだよ、だってあの時……


「僕、あの大きな口に飲み込まれそうになりました。あーんって丸飲みに。娘さんを攫おうとしていた僕を、食べようとしたに違いありません」


 そう、最初に僕は見ている。目と鼻の先に広がった、真っ暗闇を。鋭い牙が並んでいる異形の口の中を。生暖かい息がかかり、その瞬間に死を悟った。これは紛れもない事実。僕を食べて、娘さんを救出しようとしていたに違いない。やっぱり異形は人類の敵なんだ。

 僕が熱心に訴えたその言葉。だけど返ってきたのは、アサヒさんの淡々とした言葉だった。


「異形は人間を襲いません。人肉を食べる子たちは、大昔に狩られたんです。今生き残っている子たちは、木の実や花の蜜が主食の人間には害のない子たちばかりです」

「だけど、口を開けて」

「娘さんを見つけて『あ』と口を開けただけではないでしょうか。人間もよくやるでしょう、驚いて口をパカッと開ける仕草を」

「でも、あんな近くで」

「彼らは目が悪い代わりに、聴覚が優れています。恐らく遠くで娘さんの声を聞いた母親が、陸奥さんとの距離感を間違えて近づきすぎてしまったのでしょう。悪気はなかったはずです。それに、あなたを食べようと迫ってきましたか? ただパカッと口を開けていただけではありませんか?」


 アサヒさんの言葉を聞いて思い返してみると、確かにあの時、不自然な間があった。

 食べられる、と悟ったけれど、次に目を開けてみたら異形はただそこに居ただけで。鋭い牙で齧られてもいないし、尖った爪で切り裂かれてもいない。僕はあの異形に一切傷つけられていない。


「異形は人間を襲いません」


 改めて言い切られたその言葉。ポカンと口を開けることしかできなかった。


 信じられない。生まれてきてからずっと言い聞かせれてきたことを、ひっくり返す真実。いや、僕が生まれるずっとずっと前から、言い伝えられてきたんだ。異形は駆逐するべきなんだって。

 すぐには信じられないけれど、異形と出会ったのにも関わらず、僕が無傷で生きていることは事実。それに彼女の説明なら、口を開けた動作もひまわりの花を渡した後素直に消えた理由も、全てに説明がつく。


 そして、彼女の言葉を信じるならば、僕は……


「っ」


 ただ娘を返してほしかっただけ。大切な人を取り返したかっただけ。ただそれだけだったのに。


「そんな相手を……僕は」


 撃ち殺そうとしてしまった。撃たなければ、殺さなければ、自分が食べられると思っていたから。だけど、アサヒさんの話が真実であるならば。あの異形の母親に僕を傷つける意思は全くなかったということになる。むしろ傷つけようと必死になっていたのは、僕の方じゃないか。


 両手に残る、弾丸を放った時の衝撃。耳にこびり付いている異形の叫び声。飛び散った真っ赤な血。そして、異形が零した一筋の涙。僕は、僕は……









「信じ、られません」


 口をついて出てきた小さな言葉。本当は「信じたくない」だったのかもしれない。


 今まで信じてきたことが間違いだった、と認めるのが怖いだけ。

 無害な存在を撃ち殺そうとした、という事実を僕が認めたくなかっただけ。


「そうですか」


 そんな僕の自分勝手な言葉を聞いて、アサヒさんからは何の感情も乗っていない言葉が返ってくる。だけど、彼女のその瞳が、一瞬、真っ黒に染まったような気がした。

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